『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。 ― 2025/05/19 13:36
同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。(ルカによる福音書17:10)
"So you also, when you have done everything you were told to do, should say, ‘We are unworthy servants; we have only done our duty.’”
+++ +++ +++
これは、弟子がイエス・キリストに信仰を高める方法を問うた時に、イエスが述べた言葉です。
要するに、謙虚さを失うなということです。
まず、信仰者は神様の召使いだという心がけが必要です。召使は、主人の命令に従わなければならない。そして、召使いの義務を果たした後も、主人に対して、謙虚に「わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」と言うべきだというのがイエスの教えです。
だから、「自分をほめてやりたい」などと思い上がってはいけない。どこまでも、主人である神様の前では、自分を低くして、褒美などは期待せずに、「まだまだ、自分はいたりません」との思いを持つべきだということです。
逆に、主人の側から見れば、召使がどこまで頑張っても「ふん、その程度か」と思うものです。しかし、「では、まだ使ってやろう」と考えて、召使を使い続けるようになる。
信仰の世界も、こういう厳しい世界なのです。しかし、召使は主人によって守られ、日々の生活も無事に過ごせることができる。召使が主人のもとを去れば、悪魔が支配する闇の中を生きていかねばならない。主人である神様の光と愛のある屋敷の中に住める幸福を、召使はありがたく享受しなければならない。
人は、何かを失って、始めて、その有難さを思い知る。家族や友人や、職業や、健康や、希望などは、あるときには有難みを感じないが、失うとその有難みが感じられるものです。
そのような、知恵は若い時にはない。ある程度、年齢を重ね、社会生活もすることで理解できるようになる。悪魔の誘惑に負けて、安易に富や成功を追求しても、悪魔は人間が苦しむのを喜ぶので、やがて、思わぬ不運、不幸、事故、病気、失敗、裏切りなどに見舞われる。そのときに、大事なものを失っていたことに気が付いても遅い。だから、年長者、先輩、高齢者には敬意をもって接し、彼らの知恵から学ぶべきだというのが、日本の常識になっている。
また、偉人、名人、人格者、博愛家、修行者、宗教人などから、教訓や知恵を学び、自分の人生に活かすべきだとうのが、小学校で学ぶべきことになっている。
しかし、学校では、「お前たちは、神様の召使いにすぎない」などということは教えない。むしろ、「有力者や金持ちの家来になれ」と教えている。そして、権力者や富裕層に気にいられるには、学校で良い成績を上げたり、営業で成績を上げたりしなければならないと教える。有力者や金持ちの家来になれば、人間は、主人をまねして、すぐに思い上がるようになる。また、適当に手を抜くようになる。他方、神様の召使になれば、どこまで仕えても十分だということはない。権力者や富裕層の召使になれば、自分もそれなりの地位を与えられ、或いは、それなりの富を得れば、今度は自分をほめたくなり、思い上がるようになる。そういう、この世の召し使いのようであってはならない、とうのがイエスも教えです。
神様の教えは、どこまでも深く広い。どこまで学んでも、修業をしても、合格・卒業ということはない。上には、上がある。死ぬまで信仰の修業だと思わなければならない。
ただし、信仰のレベルが一段階上がるごとに、霊的には充実し、満足感を感じ、ますます、神様のレベルを目指したくなる。信仰の度合いが増すごとに、物質的な欲望が消えていき、質素な生活をするようになり、この世の物事へのこだわりや執着心がなくなる。だから、本当に宗教心のある宗教人、僧侶、神父・牧師は乞食やホームレスのような姿をしている。
権力者や富裕層のような姿をしている、宗教人は信用できない。
どのような、僧侶、神父、牧師でも、神様の前では、「いたらぬ召し使い」なのです。そして、謙虚な人間は、死後の霊界で、高く評価され、この世のエリ-トや富裕層より、高い地位に上げられるのです。霊界では、貧乏人が上になり、下っ端がエリートの上に置かれるのです・・・
"So you also, when you have done everything you were told to do, should say, ‘We are unworthy servants; we have only done our duty.’”
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これは、弟子がイエス・キリストに信仰を高める方法を問うた時に、イエスが述べた言葉です。
要するに、謙虚さを失うなということです。
まず、信仰者は神様の召使いだという心がけが必要です。召使は、主人の命令に従わなければならない。そして、召使いの義務を果たした後も、主人に対して、謙虚に「わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」と言うべきだというのがイエスの教えです。
だから、「自分をほめてやりたい」などと思い上がってはいけない。どこまでも、主人である神様の前では、自分を低くして、褒美などは期待せずに、「まだまだ、自分はいたりません」との思いを持つべきだということです。
逆に、主人の側から見れば、召使がどこまで頑張っても「ふん、その程度か」と思うものです。しかし、「では、まだ使ってやろう」と考えて、召使を使い続けるようになる。
信仰の世界も、こういう厳しい世界なのです。しかし、召使は主人によって守られ、日々の生活も無事に過ごせることができる。召使が主人のもとを去れば、悪魔が支配する闇の中を生きていかねばならない。主人である神様の光と愛のある屋敷の中に住める幸福を、召使はありがたく享受しなければならない。
人は、何かを失って、始めて、その有難さを思い知る。家族や友人や、職業や、健康や、希望などは、あるときには有難みを感じないが、失うとその有難みが感じられるものです。
そのような、知恵は若い時にはない。ある程度、年齢を重ね、社会生活もすることで理解できるようになる。悪魔の誘惑に負けて、安易に富や成功を追求しても、悪魔は人間が苦しむのを喜ぶので、やがて、思わぬ不運、不幸、事故、病気、失敗、裏切りなどに見舞われる。そのときに、大事なものを失っていたことに気が付いても遅い。だから、年長者、先輩、高齢者には敬意をもって接し、彼らの知恵から学ぶべきだというのが、日本の常識になっている。
また、偉人、名人、人格者、博愛家、修行者、宗教人などから、教訓や知恵を学び、自分の人生に活かすべきだとうのが、小学校で学ぶべきことになっている。
しかし、学校では、「お前たちは、神様の召使いにすぎない」などということは教えない。むしろ、「有力者や金持ちの家来になれ」と教えている。そして、権力者や富裕層に気にいられるには、学校で良い成績を上げたり、営業で成績を上げたりしなければならないと教える。有力者や金持ちの家来になれば、人間は、主人をまねして、すぐに思い上がるようになる。また、適当に手を抜くようになる。他方、神様の召使になれば、どこまで仕えても十分だということはない。権力者や富裕層の召使になれば、自分もそれなりの地位を与えられ、或いは、それなりの富を得れば、今度は自分をほめたくなり、思い上がるようになる。そういう、この世の召し使いのようであってはならない、とうのがイエスも教えです。
神様の教えは、どこまでも深く広い。どこまで学んでも、修業をしても、合格・卒業ということはない。上には、上がある。死ぬまで信仰の修業だと思わなければならない。
ただし、信仰のレベルが一段階上がるごとに、霊的には充実し、満足感を感じ、ますます、神様のレベルを目指したくなる。信仰の度合いが増すごとに、物質的な欲望が消えていき、質素な生活をするようになり、この世の物事へのこだわりや執着心がなくなる。だから、本当に宗教心のある宗教人、僧侶、神父・牧師は乞食やホームレスのような姿をしている。
権力者や富裕層のような姿をしている、宗教人は信用できない。
どのような、僧侶、神父、牧師でも、神様の前では、「いたらぬ召し使い」なのです。そして、謙虚な人間は、死後の霊界で、高く評価され、この世のエリ-トや富裕層より、高い地位に上げられるのです。霊界では、貧乏人が上になり、下っ端がエリートの上に置かれるのです・・・
家造りらの捨てた石が、隅のかしら石になった。 ― 2025/05/17 19:51
あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか、「家造りらの捨てた石が、隅のかしら石になった。」(マルコによる福音書 12:10)
Haven’t you read this passage of Scripture:“The stone the builders rejected
has become the cornerstone."
+++ +++ +++
ピラミッドの古代エジプトや神殿建築の古代ギリシアなど、石造建築が主流だった世界では、このイエスのたとえは理解されやすい。古代パレスチナでも、ユダヤ教の神殿は石造だった。そこでは、材料の石の選別が重要になる。石は、簡単に加工できないので、質が悪ければ使いようがないとして、捨てられていた。特に、建物の隅に置かれる「かしら石」が、建物の基準となる重要な役割を持っており、立派な石が選ばれた。
質が悪いとして石工などに捨てられていた石が、再び建築に使われ、礎石として使われることなどは考えられない。しかし、そのようなことが起きると、イエスは述べている。
人間社会でも、ある学校や会社の入社試験で、使い物にならない、として不合格だった受験者が、他の学校や会社で採用されることがある。ある分野では、不適格でも、別の分野では採用されることがある。人は、先入観に捕らわれてはいけない。自分たちの世界やルール、基準だけが唯一のものだとは、思ってはいけない。広い心を持てということです。常に、自分たちの世界の常識を反省せよということです。
実際に、今の世界でも、ある分野では評価されなくても、別の分野で成功する人間は多い。
ある青年が仏教に目覚めて僧侶になろうとしたが、大きな寺では大学を出ていなければ無理だとして、入門を断られたが、その後、人情のある寺に入門を許可され、何十年の後には、仏教界で著名な存在になった例もある。
また、無農薬農業を志していたが、現代農業を知らないバカ者だと呼ばれていた農家が、作物の無農薬栽培に成功して、先生と呼ばれるようになった例もある。
さらに、投手としてプロ野球に入ったが、投手としては通用せず、打者として成功した例もある。
注目すべき例として、不良少女と呼ばれてたいた少女が、ある資格を取って、社会に貢献するような仕事をしている例もある。
要するに、この世のことは、狭い価値観ではなく、広い視野で判断せよということです。狂人と天才は紙一重ということわざも日本にはある。かつては、地球は平面だと思われていたり、地球が太陽系の中心だと思われていたり、天の川銀河が全宇宙だと思われていたものです。実際は、地球という丸い惑星は、太陽系の一惑星であり、太陽系は天の川銀河の一恒星系であり、天の川銀河は、数千億個ある銀河系の1つにすぎない。
2千年前のパレスチナでは、ユダヤ教の神官や学者の教えが絶対視されており、イエスの霊的な教えは理解されず、邪教や反体制派だと考える者もいた。また、ローマ帝国に反対する者だとして、パレスチナを支配するローマ軍から危険視されていた。彼らは、イエスの周辺にスパイを送り込み、イエスの言動を監視していた。特に、イエスの家族や側近の弟子、親しい女性などに近づき、イエスの情報を得ようとしていた。
しかし、多くのスパイ自身がイエスの教えに感動し、密かにイエスを信じる者まで現れた。権力側があきらめた頃に、イエスはエルサレムの神殿で、実力を行使して、ユダヤ教の神聖性を汚す商売人を追い出し、権力側に危機感を抱かせ、ローマ軍も抱き込んで、イエスの弟子の一人から得られた情報をもとに、イエスの逮捕に踏み切った。これが、イエスの十字架刑による殺害につながる。
しかし、ユダヤ教の神官たちが捨てたイエスの教えは、その後、ユダヤ教を超える宗教となって、ローマ帝国の国教にまでなった。今のヴァチカンは、古代ローマ帝国をイエスの教えが征服したことを象徴している。
さらに、キリスト教は、現代文明の基礎の欧米の科学・技術の礎石となっている。欧米の科学者・技術者は、キリスト教文化の影響を受けて教育されてきたのです。ニュートンも聖書を研究していた。著名な科学者ガウスも、プロテスタントを生んだルターのドイツから生まれた。ノーベル賞のスウェーデンも、キリスト教徒の神秘家スウェーデンボルグが生まれた国です。キリスト教の影響がなければ、古代ギリシアで生まれた西欧哲学や科学思想は現代科学につながらなかった。
ただし、最先端の物理学の先駆者、アインシュタインはユダヤ人です。今後の、霊的科学の先駆者に、日本人がなってもおかしくない・・・
Haven’t you read this passage of Scripture:“The stone the builders rejected
has become the cornerstone."
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ピラミッドの古代エジプトや神殿建築の古代ギリシアなど、石造建築が主流だった世界では、このイエスのたとえは理解されやすい。古代パレスチナでも、ユダヤ教の神殿は石造だった。そこでは、材料の石の選別が重要になる。石は、簡単に加工できないので、質が悪ければ使いようがないとして、捨てられていた。特に、建物の隅に置かれる「かしら石」が、建物の基準となる重要な役割を持っており、立派な石が選ばれた。
質が悪いとして石工などに捨てられていた石が、再び建築に使われ、礎石として使われることなどは考えられない。しかし、そのようなことが起きると、イエスは述べている。
人間社会でも、ある学校や会社の入社試験で、使い物にならない、として不合格だった受験者が、他の学校や会社で採用されることがある。ある分野では、不適格でも、別の分野では採用されることがある。人は、先入観に捕らわれてはいけない。自分たちの世界やルール、基準だけが唯一のものだとは、思ってはいけない。広い心を持てということです。常に、自分たちの世界の常識を反省せよということです。
実際に、今の世界でも、ある分野では評価されなくても、別の分野で成功する人間は多い。
ある青年が仏教に目覚めて僧侶になろうとしたが、大きな寺では大学を出ていなければ無理だとして、入門を断られたが、その後、人情のある寺に入門を許可され、何十年の後には、仏教界で著名な存在になった例もある。
また、無農薬農業を志していたが、現代農業を知らないバカ者だと呼ばれていた農家が、作物の無農薬栽培に成功して、先生と呼ばれるようになった例もある。
さらに、投手としてプロ野球に入ったが、投手としては通用せず、打者として成功した例もある。
注目すべき例として、不良少女と呼ばれてたいた少女が、ある資格を取って、社会に貢献するような仕事をしている例もある。
要するに、この世のことは、狭い価値観ではなく、広い視野で判断せよということです。狂人と天才は紙一重ということわざも日本にはある。かつては、地球は平面だと思われていたり、地球が太陽系の中心だと思われていたり、天の川銀河が全宇宙だと思われていたものです。実際は、地球という丸い惑星は、太陽系の一惑星であり、太陽系は天の川銀河の一恒星系であり、天の川銀河は、数千億個ある銀河系の1つにすぎない。
2千年前のパレスチナでは、ユダヤ教の神官や学者の教えが絶対視されており、イエスの霊的な教えは理解されず、邪教や反体制派だと考える者もいた。また、ローマ帝国に反対する者だとして、パレスチナを支配するローマ軍から危険視されていた。彼らは、イエスの周辺にスパイを送り込み、イエスの言動を監視していた。特に、イエスの家族や側近の弟子、親しい女性などに近づき、イエスの情報を得ようとしていた。
しかし、多くのスパイ自身がイエスの教えに感動し、密かにイエスを信じる者まで現れた。権力側があきらめた頃に、イエスはエルサレムの神殿で、実力を行使して、ユダヤ教の神聖性を汚す商売人を追い出し、権力側に危機感を抱かせ、ローマ軍も抱き込んで、イエスの弟子の一人から得られた情報をもとに、イエスの逮捕に踏み切った。これが、イエスの十字架刑による殺害につながる。
しかし、ユダヤ教の神官たちが捨てたイエスの教えは、その後、ユダヤ教を超える宗教となって、ローマ帝国の国教にまでなった。今のヴァチカンは、古代ローマ帝国をイエスの教えが征服したことを象徴している。
さらに、キリスト教は、現代文明の基礎の欧米の科学・技術の礎石となっている。欧米の科学者・技術者は、キリスト教文化の影響を受けて教育されてきたのです。ニュートンも聖書を研究していた。著名な科学者ガウスも、プロテスタントを生んだルターのドイツから生まれた。ノーベル賞のスウェーデンも、キリスト教徒の神秘家スウェーデンボルグが生まれた国です。キリスト教の影響がなければ、古代ギリシアで生まれた西欧哲学や科学思想は現代科学につながらなかった。
ただし、最先端の物理学の先駆者、アインシュタインはユダヤ人です。今後の、霊的科学の先駆者に、日本人がなってもおかしくない・・・
イエスは言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。」 ― 2025/05/16 21:34
イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。(マタイによる福音書 17:17)
“You unbelieving and perverse generation,” Jesus replied, “how long shall I stay with you? How long shall I put up with you? Bring the boy here to me.”
+++ +++ +++
これは、子供が病気になった親がイエスの弟子に助けを求めたが、弟子では治せなかったので、イエスが自らその子供を助けに行こうとしたときのイエスの言葉です。
当時は、インドでは仏陀から500年がたち、中国でも孔子から500年がたち儒教を国教とする漢帝国が成立し、ヨーロッパではソクラテスから500年がたち、日本では秦の徐福の到来から300年たった銅鐸文化の時代だったが、すでにローマ帝国の成立から50年以上たっており、シーザーやクレオパトラの時代から30年たち、エルサレムはローマ帝国の支配下にあった。
ローマ帝国は、現代ヨーロッパにつながる人類の物質文明の開始を象徴する古代最大の帝国であり、イタリアやギリシアも支配し、当然、エルサレムを始めとするパレスチナのユダヤ人も、ローマ帝国の影響を受けていた。そのローマ帝国とユダヤ教が支配する2千年前の当時のパレスチナの風潮が、イエスの弟子たちにも反映していた。その神様の教えから遠ざかった人々をイエスが嘆いたのです。病気の子供を癒す霊能力が失われていたからです。
人類の歴史は、物質文明以前に霊的文明があったとされている。インドのバラモン教や中国の孔子・老子の教えは、霊的文明の延長上にあった。また、アブラハム以降のユダヤ教も、霊的文明の影響が濃厚だった。しかし、イエスの出現した2千年前には、物質的な文化の影響が世界中で濃厚になっていた。
日本でも、霊的文明の影響が濃厚だった自然重視の縄文時代が終わりを迎え、中国・秦の徐福が中国文化を持ち込み、稲作主体の弥生時代が加速されていた。(日本の皇室の先祖の出現も当時にまで遡れると考えられる。)
そういう、霊的文明から物質文明への転換が世界中で始まろうとしていた。聖書が今日でも、違和感なく読めるのは、背景に物質文明の影響が見られるからです。
物質文明は、人間の生活を快適にするが、精神を自然の中の霊性に向けるという精神的努力をしなくて済むので、人間は精神的に堕落することになった。インドでも精神的な仏教は廃れ、中国でも古代精神文明は忘れ去られることになる。今では、仏教も儒教も、その古代の精神性を維持しているのは日本だけだという状況です。キリスト教では、ヴァチカンが日本の皇室以上に長い期間、初期キリスト教の伝統を伝えているが、ローマ法王の霊能力は、ほとんど失われている。
2千年前に、物質文明が開始される頃、すでにイエスは「なんという不信仰な、曲った時代」だと嘆いたのです。
病気の癒しは、霊的能力によって行われるのが、霊的文明の特徴です。だから、霊能力に優れていたイエスは、病気の癒しを行えたのです。今でも、霊能力に優れた人間は、イギリス、ブラジル、フィリピンなどに出現し、心霊治療を行っている。日本でも明治時代以降、長南年恵、松下松蔵、塩谷信男、高塚光などが、霊的治療を行っていた。また、アメリカでは、霊能力の医療への効果が医学的に実証されている。まだ、霊的文明の影響は残っている。
このイエスの言葉は、人類が物質文明から、再び霊的文明に戻るべきことを意味している。神様への本当の信仰は、物質文明では生まれず、霊的な文明が必要だということです。
物質文明は、科学・技術の力によって、生活に快適性、快楽性、快感性をもたらすが、その基盤は脆弱であり、精神性や霊性をないがしろにするため、神様への本当の信仰は失われるのです。
UFOの異星人も、人類の物質文明が行き詰まり、文明が崩壊するのを待っている。せっかく、神様の子イエス・キリストが人類に現れたのに、人類が物質文明で堕落・腐敗しては神様も人類を見捨てるかも知れない。人類文明の崩壊後、UFOの異星人が地球を支配するかも知れない。
今世紀中に霊的文明を復活させるのが、人類の歴史的課題です。
“You unbelieving and perverse generation,” Jesus replied, “how long shall I stay with you? How long shall I put up with you? Bring the boy here to me.”
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これは、子供が病気になった親がイエスの弟子に助けを求めたが、弟子では治せなかったので、イエスが自らその子供を助けに行こうとしたときのイエスの言葉です。
当時は、インドでは仏陀から500年がたち、中国でも孔子から500年がたち儒教を国教とする漢帝国が成立し、ヨーロッパではソクラテスから500年がたち、日本では秦の徐福の到来から300年たった銅鐸文化の時代だったが、すでにローマ帝国の成立から50年以上たっており、シーザーやクレオパトラの時代から30年たち、エルサレムはローマ帝国の支配下にあった。
ローマ帝国は、現代ヨーロッパにつながる人類の物質文明の開始を象徴する古代最大の帝国であり、イタリアやギリシアも支配し、当然、エルサレムを始めとするパレスチナのユダヤ人も、ローマ帝国の影響を受けていた。そのローマ帝国とユダヤ教が支配する2千年前の当時のパレスチナの風潮が、イエスの弟子たちにも反映していた。その神様の教えから遠ざかった人々をイエスが嘆いたのです。病気の子供を癒す霊能力が失われていたからです。
人類の歴史は、物質文明以前に霊的文明があったとされている。インドのバラモン教や中国の孔子・老子の教えは、霊的文明の延長上にあった。また、アブラハム以降のユダヤ教も、霊的文明の影響が濃厚だった。しかし、イエスの出現した2千年前には、物質的な文化の影響が世界中で濃厚になっていた。
日本でも、霊的文明の影響が濃厚だった自然重視の縄文時代が終わりを迎え、中国・秦の徐福が中国文化を持ち込み、稲作主体の弥生時代が加速されていた。(日本の皇室の先祖の出現も当時にまで遡れると考えられる。)
そういう、霊的文明から物質文明への転換が世界中で始まろうとしていた。聖書が今日でも、違和感なく読めるのは、背景に物質文明の影響が見られるからです。
物質文明は、人間の生活を快適にするが、精神を自然の中の霊性に向けるという精神的努力をしなくて済むので、人間は精神的に堕落することになった。インドでも精神的な仏教は廃れ、中国でも古代精神文明は忘れ去られることになる。今では、仏教も儒教も、その古代の精神性を維持しているのは日本だけだという状況です。キリスト教では、ヴァチカンが日本の皇室以上に長い期間、初期キリスト教の伝統を伝えているが、ローマ法王の霊能力は、ほとんど失われている。
2千年前に、物質文明が開始される頃、すでにイエスは「なんという不信仰な、曲った時代」だと嘆いたのです。
病気の癒しは、霊的能力によって行われるのが、霊的文明の特徴です。だから、霊能力に優れていたイエスは、病気の癒しを行えたのです。今でも、霊能力に優れた人間は、イギリス、ブラジル、フィリピンなどに出現し、心霊治療を行っている。日本でも明治時代以降、長南年恵、松下松蔵、塩谷信男、高塚光などが、霊的治療を行っていた。また、アメリカでは、霊能力の医療への効果が医学的に実証されている。まだ、霊的文明の影響は残っている。
このイエスの言葉は、人類が物質文明から、再び霊的文明に戻るべきことを意味している。神様への本当の信仰は、物質文明では生まれず、霊的な文明が必要だということです。
物質文明は、科学・技術の力によって、生活に快適性、快楽性、快感性をもたらすが、その基盤は脆弱であり、精神性や霊性をないがしろにするため、神様への本当の信仰は失われるのです。
UFOの異星人も、人類の物質文明が行き詰まり、文明が崩壊するのを待っている。せっかく、神様の子イエス・キリストが人類に現れたのに、人類が物質文明で堕落・腐敗しては神様も人類を見捨てるかも知れない。人類文明の崩壊後、UFOの異星人が地球を支配するかも知れない。
今世紀中に霊的文明を復活させるのが、人類の歴史的課題です。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」 ― 2025/05/12 19:13
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。」(マルコによる福音書
16:15~16)
He said to them, “Go into all the world and preach the gospel to all creation. Whoever believes and is baptized will be saved, but whoever does not believe will be condemned.
+++ +++ +++
これは、死から蘇ったイエス・キリストが弟子たちに現れて、世界伝道を命じた言葉です。
つまり、キリスト教とは、イエスの命令によって世界に伝道する使命を持っている宗教なのです。そして、キリスト教徒になった者は救われ、信者にならなかった者は、神様の怒りを買うという教義に従う宗教だということです。
キリスト教は、他の多くの宗教と同じように、独善的な面がある。他の宗教のことは、考慮していない。そういう批判を招くのも仕方がない。
それでも、このイエスの指示に従って、弟子や信徒たちは世界伝道を行い、各地の既成の宗教を駆逐し、今や世界の主流の宗教となった。欧米やアジア・アフリカで数十億人の人々が、キリスト教各派の宗教団体の影響を受けている。また、イエスの名前を知らない人間はいない。世界の年号もイエスの生誕以来の年数で表されている(今年は西暦2025年、ただし、本当にイエスが生まれたのは、正確にはいつかは、まだ確定していない。恐らく紀元前6年位だと思われる)。
しかし、イエスが伝道を始めると、神様に逆らう狂った悪の塊の悪魔が、早速、イエスの殺害に取り掛かる。この悪魔との戦いがイエスの人生の物語になり聖書に記されることになる。
そもそも、何故、神様が人間界に、神の子であるイエスを送ることにしたのかが問題です。霊界では、神様の支配のもと、天国には天使の霊が住み、地獄には悪魔が住み、両者は完全に分かれている。全知全能かつ全善の神様は、霊界でご自分をほめたたえる天使たちの上にあるが、神様に逆らい狂って悪を信じる悪魔は地獄にいる。やがて、神様は地獄を抹消されるのは、霊界では当然とされている。
しかし、真に完全なものは、不完全なものも含まなければならない。そのような、意味で霊界には地獄や悪魔の存在が許されている。そして、霊界から物質界のこの世まで、その影響は続いている。
霊界から物質界を何故、神様は生み出しのかは、人間の理解力を超えるが、今、我々人間がこの世に生きているのも、神様が霊界から物質界を生み出し、霊界から物質界に霊を送られ、人間も生みだしたからです。そして、人間界が作られたことになる。しかし、悪魔は霊界から物質界に、さらに、人間界へと入り込んでいる。だから、人間界における悪の問題の根は深い。霊界の問題にまで関わる。そして、神様が悪魔の存在を許したという、人間の理解を超えた問題に突き当たる。(一般的には、神様の愛が人間を生み出したとされている。その愛によって神の子として、イエスを人間界に送られたというのがキリスト教神学です。だから、キリスト教は愛の宗教と言われる。)
ただし、神様は悪魔が霊界を支配し、物質界を支配し、人間界を支配することは許されない。あくまで、真に完全なものは、不完全なものも含むという、神様ご自身が作られた法則を、神様自体が満たすために、不完全なものの代表として神様が悪魔の存在を許容しているにすぎない。この関係は、人間にとっては永遠の謎です。人間が、肉体を離れ(この世で死に)、魂が霊界に戻って始めて理解できるようになる。それでも、今度は霊界で修業をして、霊格を高めて天国に入ってようやく、この神様と悪魔の関係は、十分に理解できる。天国の下の霊界の下の、物質界の中の人間界の人間には、その想像/能力を超えた問題です。だから、人間の科学では、人間界を超えた霊的な問題は扱えない。
だから、キリスト教を始め、そのような神様の霊に関わる宗教には、人間界を超えた教えが含まれる。人間は、その霊に従って、宗教の教えを信じるしかない。イエスも、人間界でそのような宗教の1つとして、ご自分の教えを広めることにした。しかし、今のキリスト教は霊的な宗教としては、不十分なものであり、心霊的なキリスト教が必要です。
それでも、そのキリスト教の根本的な教義が、世界宣教とイエスの教えの霊的な絶対性です。だから、キリスト教は全人類に布教されなければならないし、イエスの教えは神様から来ているという絶対性をもつことになる。日本の仏教や神道系の宗教でも、これほどの絶対性は持たない。実際、事実上反キリストだった戦前の日本は、キリスト教国のアメリカに敗戦し、今日のような繁栄と平和を手にした。イエスの教えの威力を示すものです。日本の戦死者も霊界で、神様の真実と絶対性を教わっているだろう。
神様、霊界、イエス・キリスト、そして、今の実際のキリスト教の関係は、人間が明らかにすべき課題です。そして、生死に対する正しい考え方も生まれてくる。
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。」(マルコによる福音書
16:15~16)
He said to them, “Go into all the world and preach the gospel to all creation. Whoever believes and is baptized will be saved, but whoever does not believe will be condemned.
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これは、死から蘇ったイエス・キリストが弟子たちに現れて、世界伝道を命じた言葉です。
つまり、キリスト教とは、イエスの命令によって世界に伝道する使命を持っている宗教なのです。そして、キリスト教徒になった者は救われ、信者にならなかった者は、神様の怒りを買うという教義に従う宗教だということです。
キリスト教は、他の多くの宗教と同じように、独善的な面がある。他の宗教のことは、考慮していない。そういう批判を招くのも仕方がない。
それでも、このイエスの指示に従って、弟子や信徒たちは世界伝道を行い、各地の既成の宗教を駆逐し、今や世界の主流の宗教となった。欧米やアジア・アフリカで数十億人の人々が、キリスト教各派の宗教団体の影響を受けている。また、イエスの名前を知らない人間はいない。世界の年号もイエスの生誕以来の年数で表されている(今年は西暦2025年、ただし、本当にイエスが生まれたのは、正確にはいつかは、まだ確定していない。恐らく紀元前6年位だと思われる)。
しかし、イエスが伝道を始めると、神様に逆らう狂った悪の塊の悪魔が、早速、イエスの殺害に取り掛かる。この悪魔との戦いがイエスの人生の物語になり聖書に記されることになる。
そもそも、何故、神様が人間界に、神の子であるイエスを送ることにしたのかが問題です。霊界では、神様の支配のもと、天国には天使の霊が住み、地獄には悪魔が住み、両者は完全に分かれている。全知全能かつ全善の神様は、霊界でご自分をほめたたえる天使たちの上にあるが、神様に逆らい狂って悪を信じる悪魔は地獄にいる。やがて、神様は地獄を抹消されるのは、霊界では当然とされている。
しかし、真に完全なものは、不完全なものも含まなければならない。そのような、意味で霊界には地獄や悪魔の存在が許されている。そして、霊界から物質界のこの世まで、その影響は続いている。
霊界から物質界を何故、神様は生み出しのかは、人間の理解力を超えるが、今、我々人間がこの世に生きているのも、神様が霊界から物質界を生み出し、霊界から物質界に霊を送られ、人間も生みだしたからです。そして、人間界が作られたことになる。しかし、悪魔は霊界から物質界に、さらに、人間界へと入り込んでいる。だから、人間界における悪の問題の根は深い。霊界の問題にまで関わる。そして、神様が悪魔の存在を許したという、人間の理解を超えた問題に突き当たる。(一般的には、神様の愛が人間を生み出したとされている。その愛によって神の子として、イエスを人間界に送られたというのがキリスト教神学です。だから、キリスト教は愛の宗教と言われる。)
ただし、神様は悪魔が霊界を支配し、物質界を支配し、人間界を支配することは許されない。あくまで、真に完全なものは、不完全なものも含むという、神様ご自身が作られた法則を、神様自体が満たすために、不完全なものの代表として神様が悪魔の存在を許容しているにすぎない。この関係は、人間にとっては永遠の謎です。人間が、肉体を離れ(この世で死に)、魂が霊界に戻って始めて理解できるようになる。それでも、今度は霊界で修業をして、霊格を高めて天国に入ってようやく、この神様と悪魔の関係は、十分に理解できる。天国の下の霊界の下の、物質界の中の人間界の人間には、その想像/能力を超えた問題です。だから、人間の科学では、人間界を超えた霊的な問題は扱えない。
だから、キリスト教を始め、そのような神様の霊に関わる宗教には、人間界を超えた教えが含まれる。人間は、その霊に従って、宗教の教えを信じるしかない。イエスも、人間界でそのような宗教の1つとして、ご自分の教えを広めることにした。しかし、今のキリスト教は霊的な宗教としては、不十分なものであり、心霊的なキリスト教が必要です。
それでも、そのキリスト教の根本的な教義が、世界宣教とイエスの教えの霊的な絶対性です。だから、キリスト教は全人類に布教されなければならないし、イエスの教えは神様から来ているという絶対性をもつことになる。日本の仏教や神道系の宗教でも、これほどの絶対性は持たない。実際、事実上反キリストだった戦前の日本は、キリスト教国のアメリカに敗戦し、今日のような繁栄と平和を手にした。イエスの教えの威力を示すものです。日本の戦死者も霊界で、神様の真実と絶対性を教わっているだろう。
神様、霊界、イエス・キリスト、そして、今の実際のキリスト教の関係は、人間が明らかにすべき課題です。そして、生死に対する正しい考え方も生まれてくる。
「隠れているもので、知られてこないものはない。」 ― 2025/05/10 19:55
「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。」(マタイによる福音書 10:26)
"So do not be afraid of them, for there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known."
+++ +++ +++
これは、真実の力を述べた、イエス・キリストの言葉です。
この世は、悪魔の影響下にあり、悪魔に魂を売って富や権力を得たものは、人々を富や権力の力で支配しようとし、自分たちの悪事を隠そうとします。それが、「隠されているもの」なのです。しかし、神様の天使の力は、悪魔の力を上回り、そのように隠されているものを人々に明らかにするという意味です。
また、聖者や天使が真実を人々に知らせようとしても、然るべき時が来るまでは、その真実を覆って人々から遠ざけることもあります。物事には時間が必要です。人間の成長に合わせて、ふさわしい時に必要なことを知らせる必要もあります。しかし、永久に真実が隠されることはない。
このような意味で、「誰をも全て騙すことはできない」や「一人の人間を永久に騙すことはできない」という言い方があります。インチキやペテンは、誰かにいつかは暴かれるものです。だから、歴史が進むにつれて、過去の出来事の真実が明らかになる。
例えば、戦後、当時の天皇が十回以上も、密かに日本占領軍のマッカサー元帥をアメリカ大使館に訪問していたことは、長らく日本国民には秘密にされていた。外務省のエリートですら、21世紀になるまで、この事実を知らなかった者がいる。それほど、戦後、天皇家とアメリカの関係は、最高機密とされていたが、今は多くの識者に知られている。
また、W.ブッシュ大統領が、9/11事件の後、イラクが大量破壊兵器を隠しているとして攻撃したが、イラクには大量破壊兵器はなかったことは、今では多くの人に知られている。
さらに、中世以降のヨーロッパ等で、魔女狩りがヴァチカンの主導で行われたが、多くの一般人が犠牲になったことは、今ではよく知られている。また、第二次大戦中にはドイツのナチス政権が、何百万人ものユダヤ人などをガス室で密かに殺害していたが、戦後に連合軍によって明らかにされ、世界に衝撃を与えた。
富と権力を握り、暇のある人間は、一般人には想像もできないことをしている。そして、人々を洗脳する。特に、専制政治の国では、政府が組織的に国民を騙し、洗脳する。だから、このような歴史の反省に立って、欧米・日本などでは、自由と民主主義が尊重される。
また、ヨーロッパでは、キリスト教は教会の指導者が一般人に説教を通して教えるものであり、教会と異なる説を唱えることは許されなかったが、ドイツ人のグーテンベルグが1450年頃に印刷技術を開発し、聖書が一般に普及したことで、イエスの言動が広く知られるようになり、マルチン・ルターによるプロステンタ派の成立につながった。コロンブスのアメリカ到達も同時期の出来事であり、後に、ヨーロッパからプロステンタ派が大量にアメリカに移住したし、イギリスも国王の私的な都合でヴァチカンの支配を脱し、独自の国教会を成立させた。
この意味で、アメリカ人のローマ法王が2025年に誕生したことは、興味深い。
いずれにしても、キリスト教会ですら強力な権力と富を持てば、一般人からさまざまな真実を隠す。アメリカ人のローマ法王は、ヴァチカンの謎の解明に貢献するかも知れない。ファチマの奇跡の謎も明らかにされるかも知れない。
ただし、世の中には、さまざまな陰謀論や都市伝説がある。悪魔はどこにでも入り込む。真実に近い陰謀論もあれば、さらに混乱させるための陰謀論もある。
しかし、歴史は最後には真実を明らかにする。歴史は、神様の意志の現れだという説もある。聖書は、歴史書の1つだという説もある。特に、旧約聖書は、ユダヤ人の歴史をして人類全体の歴史を代表させるものだという説もある。
いずれにしても、日本人も、もっと聖書を読むことで、人類の真実を知ることができる。
日本では、まだ、縄文時代にピラミッドが立てられ、アブラハムが現在のイラクの地に出現し、パレスチナに入り、エジプトまで行き、最後にはパレスチナのヨルダン川西岸地区のヘブロンに葬られ、現在も、ユダヤ教とイスラム教の聖地として尊崇されている。
ユダヤ教、キリスト教、そして、イスラム教の始祖アブラハムから、イエス・キリストまでが約2000年、イエス・キリストから現在までが約2000年です。もう、新たな時代が始まってもおかしくない・・・
"So do not be afraid of them, for there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known."
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これは、真実の力を述べた、イエス・キリストの言葉です。
この世は、悪魔の影響下にあり、悪魔に魂を売って富や権力を得たものは、人々を富や権力の力で支配しようとし、自分たちの悪事を隠そうとします。それが、「隠されているもの」なのです。しかし、神様の天使の力は、悪魔の力を上回り、そのように隠されているものを人々に明らかにするという意味です。
また、聖者や天使が真実を人々に知らせようとしても、然るべき時が来るまでは、その真実を覆って人々から遠ざけることもあります。物事には時間が必要です。人間の成長に合わせて、ふさわしい時に必要なことを知らせる必要もあります。しかし、永久に真実が隠されることはない。
このような意味で、「誰をも全て騙すことはできない」や「一人の人間を永久に騙すことはできない」という言い方があります。インチキやペテンは、誰かにいつかは暴かれるものです。だから、歴史が進むにつれて、過去の出来事の真実が明らかになる。
例えば、戦後、当時の天皇が十回以上も、密かに日本占領軍のマッカサー元帥をアメリカ大使館に訪問していたことは、長らく日本国民には秘密にされていた。外務省のエリートですら、21世紀になるまで、この事実を知らなかった者がいる。それほど、戦後、天皇家とアメリカの関係は、最高機密とされていたが、今は多くの識者に知られている。
また、W.ブッシュ大統領が、9/11事件の後、イラクが大量破壊兵器を隠しているとして攻撃したが、イラクには大量破壊兵器はなかったことは、今では多くの人に知られている。
さらに、中世以降のヨーロッパ等で、魔女狩りがヴァチカンの主導で行われたが、多くの一般人が犠牲になったことは、今ではよく知られている。また、第二次大戦中にはドイツのナチス政権が、何百万人ものユダヤ人などをガス室で密かに殺害していたが、戦後に連合軍によって明らかにされ、世界に衝撃を与えた。
富と権力を握り、暇のある人間は、一般人には想像もできないことをしている。そして、人々を洗脳する。特に、専制政治の国では、政府が組織的に国民を騙し、洗脳する。だから、このような歴史の反省に立って、欧米・日本などでは、自由と民主主義が尊重される。
また、ヨーロッパでは、キリスト教は教会の指導者が一般人に説教を通して教えるものであり、教会と異なる説を唱えることは許されなかったが、ドイツ人のグーテンベルグが1450年頃に印刷技術を開発し、聖書が一般に普及したことで、イエスの言動が広く知られるようになり、マルチン・ルターによるプロステンタ派の成立につながった。コロンブスのアメリカ到達も同時期の出来事であり、後に、ヨーロッパからプロステンタ派が大量にアメリカに移住したし、イギリスも国王の私的な都合でヴァチカンの支配を脱し、独自の国教会を成立させた。
この意味で、アメリカ人のローマ法王が2025年に誕生したことは、興味深い。
いずれにしても、キリスト教会ですら強力な権力と富を持てば、一般人からさまざまな真実を隠す。アメリカ人のローマ法王は、ヴァチカンの謎の解明に貢献するかも知れない。ファチマの奇跡の謎も明らかにされるかも知れない。
ただし、世の中には、さまざまな陰謀論や都市伝説がある。悪魔はどこにでも入り込む。真実に近い陰謀論もあれば、さらに混乱させるための陰謀論もある。
しかし、歴史は最後には真実を明らかにする。歴史は、神様の意志の現れだという説もある。聖書は、歴史書の1つだという説もある。特に、旧約聖書は、ユダヤ人の歴史をして人類全体の歴史を代表させるものだという説もある。
いずれにしても、日本人も、もっと聖書を読むことで、人類の真実を知ることができる。
日本では、まだ、縄文時代にピラミッドが立てられ、アブラハムが現在のイラクの地に出現し、パレスチナに入り、エジプトまで行き、最後にはパレスチナのヨルダン川西岸地区のヘブロンに葬られ、現在も、ユダヤ教とイスラム教の聖地として尊崇されている。
ユダヤ教、キリスト教、そして、イスラム教の始祖アブラハムから、イエス・キリストまでが約2000年、イエス・キリストから現在までが約2000年です。もう、新たな時代が始まってもおかしくない・・・
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