「このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった」 (使徒言行録 第 11 章) (The disciples were called Christians first at Antioch.)2026/05/23 09:38

21 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。
22 このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。
23 彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。
24 彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。
25 そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、
26 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。
27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケにくだってきた。
28 その中のひとりであるアガボという者が立って、世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。
29 そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。
30 そして、それをバルナバとサウロとの手に託して、長老たちに送りとどけた。(使徒言行録 第 11 章)

21 The Lord’s hand was with them, and a great number of people believed and turned to the Lord.

22 News of this reached the church in Jerusalem, and they sent Barnabas to Antioch. 23 When he arrived and saw what the grace of God had done, he was glad and encouraged them all to remain true to the Lord with all their hearts. 24 He was a good man, full of the Holy Spirit and faith, and a great number of people were brought to the Lord.

25 Then Barnabas went to Tarsus to look for Saul, 26 and when he found him, he brought him to Antioch. So for a whole year Barnabas and Saul met with the church and taught great numbers of people. The disciples were called Christians first at Antioch.

27 During this time some prophets came down from Jerusalem to Antioch. 28 One of them, named Agabus, stood up and through the Spirit predicted that a severe famine would spread over the entire Roman world. (This happened during the reign of Claudius.) 29 The disciples, as each one was able, decided to provide help for the brothers and sisters living in Judea. 30 This they did, sending their gift to the elders by Barnabas and Saul.
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これは、イエス・キリストの十字架上での死後、弟子たちがイエスの教えを伝道し、その言葉が人々の間に普及し、彼らがクリスチャンと呼ばれるようになった経緯を記した箇所です。

「主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった」と簡潔に記していますが、神様とイエス・キリストの霊的な助けがあったことは明らかです。

また、「世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った」と、預言の力も神様やイエス・キリストから与えられていたことが分かる。

また、信者同士が助け合うという隣人愛が実践されていたことも分かる。このようにして、悪魔の妨害にも関わらす、イエス・キリストの教えは世の中に広められて行ったのです。そして、2千年後の今日、世界中で「2020年時点で、世界における信者数(キリスト教徒人口)は約23億人ほどで、世界人口に占める比率は約28.8%であり全ての宗教の中で最も多い」(Wikipedia)とされている。

これは、信徒の信仰の力の賜物であり、神様が彼らを助けたからだと言わなければならない。

日本も、第二大戦での日米戦争後に、アメリカのキリスト教に基づく新憲法が導入され、以後、日本人は準キリスト教国家として発展し、
平和と繁栄を享受してきた。今の日本人はアメリカのキリスト教精神を無意識のうちに受け入れている。日本人でイエス・キリストの名前を知らない者はいない。

しかし、その陰で悪魔も日本社会に入り込み、多くの日本人の心を支配している。本家のアメリカですら、キリスト教精神とは大きく離れた人物が大統領になり、霊的なキリスト教の精神は廃れつつある。バチカンのあるヨーロッパでも、キリスト教精神の衰退は顕著です。まさに、物質文明の崩壊が迫っている。悪魔が、人類の物質文明に入り込み、腐敗と堕落をもたらし、イエス・キリストの精神は失われつつある。

物質文明がもたらす快適性、快楽性、快感性が人の心を麻痺させ、物質的欲望が人の心を支配し、拝金主義がはびこり、清貧の思想が牛なわれ、霊的なキリスト教の精神と霊を重んじた生き方が忘れられようとしている。

ここまで、人々が悪魔の教えに従うようになれば、霊界の神様やイエス・キリストは人間社会を見捨てる。つまり、人間の物質文明は滅びる。悪魔まは人間が苦しむのを見て喜ぶ、しかし、人々が物欲を捨てて、精神的・霊的な文明を打ち立てれば、神様やイエス・キリストは再び、人類を助けてくれる。それを、信じるのが霊的なキリスト教の信者なのです。

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ」 (ヨハネによる福音書 第 13 章) (I have set you an example that you should do as I have done for you.)2026/05/23 09:36

8 ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
9 シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。
10 イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。
11 イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。
12 こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。
13 あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。
14 しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。
15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。
16 よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。
17 もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。(ヨハネによる福音書 第 13 章)

8 “No,” said Peter, “you shall never wash my feet.”

Jesus answered, “Unless I wash you, you have no part with me.”

9 “Then, Lord,” Simon Peter replied, “not just my feet but my hands and my head as well!”

10 Jesus answered, “Those who have had a bath need only to wash their feet; their whole body is clean. And you are clean, though not every one of you.” 11 For he knew who was going to betray him, and that was why he said not every one was clean.

12 When he had finished washing their feet, he put on his clothes and returned to his place. “Do you understand what I have done for you?” he asked them. 13 “You call me ‘Teacher’ and ‘Lord,’ and rightly so, for that is what I am. 14 Now that I, your Lord and Teacher, have washed your feet, you also should wash one another’s feet. 15 I have set you an example that you should do as I have done for you. 16 Very truly I tell you, no servant is greater than his master, nor is a messenger greater than the one who sent him. 17 Now that you know these things, you will be blessed if you do them.
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これは、イエス・キリストが十字架刑による死刑を覚悟した時に、弟子たちとの最後の晩餐で、イエスが弟子たちの脚を洗った時の情景です。

イエスは、「あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである」と述べて、師であり主である自分が弟子たちの脚を洗うことで、隣人愛の模範を示したと仰っている。

そして、「僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない」と述べて、僕である立場の弟子たちに、主である自分を真似るように勧めている。

死を前にしてイエス・キリストは弟子たちに生きる心がけを教えたのです。主や師の立場になっても、召し使いのように、弟子たちの脚を洗うくらい謙虚でなければならない、という教えです。

だから、今でもキリスト教の神父や牧師は、教会で偉ぶったりできない。本来、神父や牧師は、教会に来る人たちの脚を召し使いのように洗わなければならない。これが、イエス・キリストの教えです。

人は、社会的な地位や名誉を捨てて、隣人の召し使いのように隣人の脚を洗うくらいのサービスをしなければななない。これが、隣人愛の実践なのです。

これが、死を前にしたイエス・キリストの弟子たちへの教えなのです。

「招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい」 (ルカによる福音書 第 14 章) (when you are invited, take the lowest place)2026/05/22 10:20

8 「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。
9 その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。
10 むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。
11 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。(ルカによる福音書 第 14 章)

8 “When someone invites you to a wedding feast, do not take the place of honor, for a person more distinguished than you may have been invited. 9 If so, the host who invited both of you will come and say to you, ‘Give this person your seat.’ Then, humiliated, you will have to take the least important place. 10 But when you are invited, take the lowest place, so that when your host comes, he will say to you, ‘Friend, move up to a better place.’ Then you will be honored in the presence of all the other guests. 11 For all those who exalt themselves will be humbled, and those who humble themselves will be exalted.”
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{自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる}というこのイエス・キリストの言葉は、謙虚を美徳とするキリスト教の教えの中心となっている。

宗教家ほど自分を低め、謙虚な姿勢を示さなければならない。しかし、一般の宗教では、信徒や一般人に対して宗教的知識を誇り、多額のお布施や寄付金で豪華な衣装を着て、金銭の力で信徒を威圧する宗教家も多い。彼らは、インテリ・ギャングのようなものです。

しかし、イエス・キリストに従う者は、清貧に生きて、知識も誇らず、他人より自分を低くして生きるようにとイエスは教えておられる。実際、
死後の霊界を見てきた人の多くは、生きている間に人の上に立っていた宗教家などは、天使や大霊には相手にされず、また、霊的に目覚めた人間の霊からも相手にされず、狂ったように彼らの偏った教説を霊界でも叫んでいると述べている。この世の知識は、霊界では無意味なのです。

特に、「招かれた場合には、末座に」座れというイエスの教えは重要です。プライドを捨てて、人より自分を低くするのが霊的キリスト教の信者の務めなのです。これが、隣人愛の実践です。

この世の賢者といっても、霊界の神様や天使の知恵から見れば、ほとんど無知のレベルの愚人です。この世でイエス・キリストの教えに従う信者の方が格段の霊的知恵を与えられれている。まさに、死後の霊界では「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」のです。

日本人も、聖者はホームレスのような貧しい姿をし、人から羨ましがられるような物は何も持たないものだということは理解できる。日本人の伝統的な霊的信念は、イエス・キリストの教えに通じるのです。

「わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である」 (ルカによる福音書 第 12 章) (Do you think I came to bring peace on earth? No, I tell you, but division. )2026/05/19 10:48

51 あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
52 というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、
53 また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。
54 イエスはまた群衆に対しても言われた、「あなたがたは、雲が西に起るのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る、と言う。果してそのとおりになる。
55 それから南風が吹くと、暑くなるだろう、と言う。果してそのとおりになる。
56 偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。
57 また、あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか。
58 たとえば、あなたを訴える人と一緒に役人のところへ行くときには、途中でその人と和解するように努めるがよい。そうしないと、その人はあなたを裁判官のところへひっぱって行き、裁判官はあなたを獄吏に引き渡し、獄吏はあなたを獄に投げ込むであろう。
59 わたしは言って置く、最後の一レプタまでも支払ってしまうまでは、決してそこから出て来ることはできない」。(ルカによる福音書 第 12 章)

51 Do you think I came to bring peace on earth? No, I tell you, but division. 52 From now on there will be five in one family divided against each other, three against two and two against three. 53 They will be divided, father against son and son against father, mother against daughter and daughter against mother, mother-in-law against daughter-in-law and daughter-in-law against mother-in-law.”
54 He said to the crowd: “When you see a cloud rising in the west, immediately you say, ‘It’s going to rain,’ and it does. 55 And when the south wind blows, you say, ‘It’s going to be hot,’ and it is. 56 Hypocrites! You know how to interpret the appearance of the earth and the sky. How is it that you don’t know how to interpret this present time?
57 “Why don’t you judge for yourselves what is right? 58 As you are going with your adversary to the magistrate, try hard to be reconciled on the way, or your adversary may drag you off to the judge, and the judge turn you over to the officer, and the officer throw you into prison. 59 I tell you, you will not get out until you have paid the last penny.”
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イエス・キリストは、「平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である
」と述べておられる。

これは、平和の宗教というキリスト教の見方と対立するものです。実際、「父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」と家族の分裂を予言している。

これは、悪魔の影響下にある世の中に、その腐敗した体制を揺るがすような衝撃を、ご自分が与えることを知っておられることを意味する。

また、人々は「天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか」と述べて、人々が不安に駆られて、
予言者の言葉を求める風潮を批判している。

「空の様子から天候を知ろうとするのに、正しいことをなぜ自分で判断しないのか」と皮肉っておられる。
そして、「人と和解するよう」に勧めている。さもないと、厳しい裁判官によって獄に入れられ、
「最後の一レプタまでも支払ってしまうまでは、決してそこから出て来ることはできない」、と述べておられる。

要するに、人々は、悪魔の影響下で悪魔の教えに従う者と、神様の言葉に従う者との間で摩擦が生じ、人生観・世界観についいて対立が生じ、人々は混乱し、世の未来について不安が生じ、予言者たちに頼ろうとする。しかし、自分で世の中の判断をすべきである、と教えておられる。人々が、混乱の中で自分の信念を疑い、他者の頼ろうとすることの危険を戒めておられる。

また、人々は互いに相争うことを避けるべきだと述べ、さもないと、厳しい裁き手によって、負債を完全に清算するまで、獄に放り込まれると警告しておられる。この裁判官とは神様や天使などです。悪魔の教えに従って争う者は、本当の裁き手の神様や天使によって地獄に落とされるだろうと警告しておられる。

要は、人々を混乱させ、互いに争わせ、苦しめあわせる悪魔の企みに乗るなということです。

悪魔の影響力と戦うイエス・キリストの厳しい一面が現れている。幸福のためや、生活のため、自分を救うためだと言って人々は、悪魔の教えに従った生き方をするが、それを完全に否定されたのがイエス・キリストの教えなのです。

自己愛を追求する人々と、神様の教えを第一に上げて生きる人々の間には、深刻な対立が生じることをイエス・キリストは見抜いておられる。悪魔は、人々を最後には地獄に引きずり込む者だとの警告を与えており、悪魔の教えに従ってこの世のエリートや富裕層になっても、死後の霊界では地獄しか行くところがなくなる、というのがイエス・キリストの警告なのです。

全ての人が、神様の教えに沿った生き方をするまで、人々の間の分裂はやまないのです。

イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。」 (マタイによる福音書 第 26 章) (Aware of this, Jesus said to them, “Why are you bothering this woman? She has done a beautiful thing to me. )2026/05/18 23:44

7 ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。
8 すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。
9 それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。
10 イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。
11 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
12 この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。
13 よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。(マタイによる福音書 第 26 章)

6 While Jesus was in Bethany in the home of Simon the Leper, 7 a woman came to him with an alabaster jar of very expensive perfume, which she poured on his head as he was reclining at the table.

8 When the disciples saw this, they were indignant. “Why this waste?” they asked. 9 “This perfume could have been sold at a high price and the money given to the poor.”

10 Aware of this, Jesus said to them, “Why are you bothering this woman? She has done a beautiful thing to me. 11 The poor you will always have with you,[a] but you will not always have me. 12 When she poured this perfume on my body, she did it to prepare me for burial. 13 Truly I tell you, wherever this gospel is preached throughout the world, what she has done will also be told, in memory of her.”
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これは、イエス・キリストが、死ぬべき時が近づいたのを意識した時の出来事です。

一人の女が、香油をイエスに注いだ時に、「この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである」とイエスは述べている。また、「この女のした事も記念として語られるであろう」と述べておられる。

これは、まだ霊的能力の足りない弟子達には理解を超えた出来事だった。だから、香油を買うカネがあれば、そのカネを貧し人たちに与えるべきだと言って、女を責めたのです。

しかし、霊感でイエスが世を去ることを知った女は、この世に別れを告げるイエスの栄光を輝かせようとして、せめて香油でイエスの身を清めようとしたのです。

神の子イエス・キリストを讃える気落ちを、弟子たち以上に表わしたのが、無名の女だったのです。要するに、霊能力のある女性は尊重すべきだということになる。

実際、肉体は死んでも、霊は死なないという真理を知っていれば、この世の死など問題ではなくなる。しかし、イエス・キリストは悪魔や
悪霊との戦いの中で死ぬのであり、その死の意味は普通の人間の死とは異なる。しかも、イエス・キリストはその死でもって、悪魔に打ち勝ったのです。

死を迎えたイエス・キリストは、もはや、人間の理解を超えた、霊的な存在になってゆくのです。ここに、聖書の理解の難しさがある。その意味で、無名の女がイエス・キリストを讃える行為をしたのは、やはり、人類の歴史に残る行為だった。

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