「死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」(Let the dead bury their own dead)2025/06/27 19:40

Jesus said to him, “Let the dead bury their own dead, but you go and proclaim the kingdom of God.”

イエスは彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。(ルカによる福音書 9:60)
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これは、イエス・キリストが説教をしながらエルサレムに向かって歩いているときに、人々の中に「死者を葬るのに忙しいので、その後からイエスに従う」と言ったものに、イエスが与えた言葉です。

身内の葬儀よりも、イエスの教えが大事だということです。或いは、自分の死より神様の教えを聞くことが大事だと仰っている。これは、2千年前の当時でも、なかなか人には受け入れられないことだった。人の死は、何よりも優先して扱うべきだと思われていた。しかし、死者にいつまでも関わってはならない、と教えておられる。生きている人間のことが、死者より大事だという事です。

今でも、人の死というのは、大きな出来事です。関係者は仕事も休み、葬儀や遺産相続などに多くの時間をかける。日本では、現在、毎日3千人近くが死に、いわゆる団塊の世代の高齢者が人生の終末期を迎えており、大量死の時代に入ったとされている。しかし、生死の問題について正しい理解を持っている者は少ない。宗教者でも、死を恐れるだけの者もいる。ましてや、一般人は死を前にしても何もできず、ただ、生存者の都合に合わせた葬送を行うしかない。或いは、イエスの時代のように、死者の扱いで大騒ぎをしている。

仏教では、形のあるものは、必ず滅びるとされている。仏陀も死に際しては、静かな心でこの世を去ったとされている。この世に生まれた来た以上は、必ずこの世を去らなければならない。客観的に見れば、それが自然の流れです。問題なのは、死後は、この世で生きて活動できないことです。従って、この世に執着心のある人間には耐えられない運命だということになる。死後は、この世の全てを失う。それは、自分の存在の全否定を意味する。生きた意味もなかったことになる。有から無に移行する。肉体ばかりでなく、心も消滅する。こんな恐ろしいことはない。生まれて以来、存在して来た自分がこの世から消えてなくなる。

しかし、この世は霊界から神様がその想念で作ったことを知っていれば、死の恐怖はなくなる。人間の霊は、霊界から来たものだと理解していれば、この世の死とは、再び霊が霊界に帰ることを意味し、何も悲しむべきことではない。我々は、霊界から来て、再び霊界に帰るのであり、この世で生きている間には、神様から与えられた使命を果たせばよいということになる。なぜなら、霊界もこの世も神様がその想念で作られたものであり、我々の霊を霊界で作られたのも神様であり、神様は我々の主人でもあるからです。我々の霊は、神様の想念に従って霊界で生まれ、次いでこの世に人間として生まれ、そして、やがて霊はこの世の肉体を去って、再び霊界に戻る。これが、この世の死の意味であり、全ては万物の創造主である神様の意図のままだということを信じれば、この世での死を恐れることはない。

霊界では、人間の魂は天国か地獄に行く。天国に受け入れられれば、永遠の命を得て魂は永遠に生きる。しかし、地獄に行った霊は、やがて、地獄で神様によって、悪魔と共に滅ぼされる。これは、第二の死であり、魂の本当の消滅です。

これが、この世での死として、この世に投影される。だから、死は、自分の肉体だけでなく、自分の心の消滅だとして、人は死に恐怖を感じる。この恐怖心を利用するのが悪魔です。悪魔は、どうせ、死で全てが無になるなら、生きている間に、出来るだけ楽に幸福に生きるべきだ、という考えを人間に吹き込む。善も悪も関係ない、欲望の充足が大事だと、悪魔は教える。基本的には、手段を選ばず、他人に分からないように策略を立てて実行すればよいと悪魔は教える。世の中は、そういう悪魔の悪知恵を持った人間であふれている。彼らにとって、死とは当然のことだが、あきらめるしかないと虚無的に考えるだけです。その分だけ、この世での快楽や欲望の充足に夢中になる。そして、欲望を満たすにはカネが必要であり、カネを得るには悪魔に魂を売るべきだと考える。こうして、この世は悪魔の手下ばかりになり、地獄のような様相を示す。

それに対して、イエスは死にはこだわるな、と教えている。なぜなら、この世の死は魂の死ではなく、本当の死は霊界の地獄で生じるからです。死後は、霊界で天国に受け入れられれば、永遠の生命を与えられ、もはや魂の死はないからです。天国か地獄の選択は、魂がこの世で人間として生きている間に自分の自由意志で決める。だから、死のことは、本人にまかせておけというのが、イエス・キリストの教えです。

死んだときには、既に、霊界の天国に受け入れられるか否かは決まっている(人間は、生きている間に、神を取るか、悪魔の化身のカネを取るかの選択を行っている)。どんな、立派な葬式をしても霊的には無意味です。皇帝や法王のような盛大な葬式をしたてもらった後で、霊界の地獄に入り、悪魔の手下となっている者も多い。逆に、無名の信者として清貧生活の後に死んで、霊界の天国に受け入れられ、神様の近くで永遠の命を与えられている者もいる。

とにかく、もはや霊的な運命の定まっている死者のことよりも、これから、この世で生きて霊格を高める必要のある自分のことを考えよというのがイエスの教えです。

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