「口から出るものが人を汚すのである」(what comes out of their mouth, that is what defiles them) (マタイによる福音書 15:11) ― 2025/07/09 00:02
What goes into someone’s mouth does not defile them, but what comes out of their mouth, that is what defiles them.”
口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。(マタイによる福音書 15:11)
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これは、イエス・キリストがユダヤ教の敵対者の律法学者などを前にして、人々に語った教えです。人は何を食べても汚れることはないが、人が話す悪意のある言葉で、自分自身が汚れると教えている。
当時のユダヤ教には多くの戒律があり、食べ物についてもさまざまな制限があった。しかし、そのような戒律は無意味であり、人は何を食べても汚れることはないが、人が話す悪意のある言葉で自分の魂を汚すことになる、とイエスは述べている。
当時のユダヤ教は、人々を支配するための宗教となっており、食べ物に至るまで規制をし、許されないものを食べると、汚れるといって人々の生活に干渉していた。しかし、イエスは、人間の魂は食べ物によって汚れることはない。むしろ、魂を汚すのは他人に対する悪意のある言葉だと述べたのです。つまり、イエスの悪口を言う律法学者などは、その悪口で自分自身を汚しているのだと、暗に責めておられる。
どの宗教でも戒律や規則があり、その信徒はそれに縛られる。そのような戒律を守らない者は、地獄に落ちるといって信徒を脅す宗教団体もある。インチキ宗教では、そのような恐怖心を信徒に植え付け、信徒を支配しようとする。多くのお布施を出さないと、地獄に落ちる、不幸になる、罰があたるなどと言って、信徒からカネを巻き上げるのがインチキ宗教団体の常套手段です。
霊的な宗教では、物質的なことは二の次とされる。基本は、魂の救いであり、それを損なう物質的な要素は敬遠すべきだと教えるのが普通です。だから、物質的影響の少ない清貧生活が、霊的宗教では推奨される。
逆に、物質的な要素にこだわり、物質的に豊かな生活をする者は、霊的に貧しい人間になる。現代の商業主義も、人々の魂を貧しくしており、いくら物を手に入れても、心、精神、魂は少しも豊かにならない。物質的な感覚、審美観、物を見る目は肥えるが、霊的な成長には役に立たない。霊的な神聖さを感じる心はマヒして、外見的な豊かさしか理解できなくなる。いわゆる俗物として、カネで換算した価値しか理解できない人間になる。なかには、立派な教会を立てれば、神様に喜ばれるなどと考える牧師もいる。
食べ物にいたるまで、物質的なことは霊には影響しない。人間の善悪の判断に基づく行為や言葉が、霊に影響を与え、その人間の霊格にも影響を与える。だから、物質的に貧しい生活にこだわるな、ということです。何を食べようが、どんなに貧しい食事であろうが、霊の救いには関係ない。
むしろ、質素な食事が霊的な修業には必要なのです。そして、愛のある言葉が霊を清めるのです。
口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。(マタイによる福音書 15:11)
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これは、イエス・キリストがユダヤ教の敵対者の律法学者などを前にして、人々に語った教えです。人は何を食べても汚れることはないが、人が話す悪意のある言葉で、自分自身が汚れると教えている。
当時のユダヤ教には多くの戒律があり、食べ物についてもさまざまな制限があった。しかし、そのような戒律は無意味であり、人は何を食べても汚れることはないが、人が話す悪意のある言葉で自分の魂を汚すことになる、とイエスは述べている。
当時のユダヤ教は、人々を支配するための宗教となっており、食べ物に至るまで規制をし、許されないものを食べると、汚れるといって人々の生活に干渉していた。しかし、イエスは、人間の魂は食べ物によって汚れることはない。むしろ、魂を汚すのは他人に対する悪意のある言葉だと述べたのです。つまり、イエスの悪口を言う律法学者などは、その悪口で自分自身を汚しているのだと、暗に責めておられる。
どの宗教でも戒律や規則があり、その信徒はそれに縛られる。そのような戒律を守らない者は、地獄に落ちるといって信徒を脅す宗教団体もある。インチキ宗教では、そのような恐怖心を信徒に植え付け、信徒を支配しようとする。多くのお布施を出さないと、地獄に落ちる、不幸になる、罰があたるなどと言って、信徒からカネを巻き上げるのがインチキ宗教団体の常套手段です。
霊的な宗教では、物質的なことは二の次とされる。基本は、魂の救いであり、それを損なう物質的な要素は敬遠すべきだと教えるのが普通です。だから、物質的影響の少ない清貧生活が、霊的宗教では推奨される。
逆に、物質的な要素にこだわり、物質的に豊かな生活をする者は、霊的に貧しい人間になる。現代の商業主義も、人々の魂を貧しくしており、いくら物を手に入れても、心、精神、魂は少しも豊かにならない。物質的な感覚、審美観、物を見る目は肥えるが、霊的な成長には役に立たない。霊的な神聖さを感じる心はマヒして、外見的な豊かさしか理解できなくなる。いわゆる俗物として、カネで換算した価値しか理解できない人間になる。なかには、立派な教会を立てれば、神様に喜ばれるなどと考える牧師もいる。
食べ物にいたるまで、物質的なことは霊には影響しない。人間の善悪の判断に基づく行為や言葉が、霊に影響を与え、その人間の霊格にも影響を与える。だから、物質的に貧しい生活にこだわるな、ということです。何を食べようが、どんなに貧しい食事であろうが、霊の救いには関係ない。
むしろ、質素な食事が霊的な修業には必要なのです。そして、愛のある言葉が霊を清めるのです。
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