「からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう」 (マタイによる福音書 第 17 章) (if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, ‘Move from here to there,’ and it will move.) ― 2026/02/21 13:08
14 さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、
15 「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。
16 それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。
17 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。
18 イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。
19 それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
20 するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
21 〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。(マタイによる福音書 第 17 章)
14 When they came to the crowd, a man approached Jesus and knelt before him. 15 “Lord, have mercy on my son,” he said. “He has seizures and is suffering greatly. He often falls into the fire or into the water. 16 I brought him to your disciples, but they could not heal him.”
17 “You unbelieving and perverse generation,” Jesus replied, “how long shall I stay with you? How long shall I put up with you? Bring the boy here to me.” 18 Jesus rebuked the demon, and it came out of the boy, and he was healed at that moment.
19 Then the disciples came to Jesus in private and asked, “Why couldn’t we drive it out?”
20 He replied, “Because you have so little faith. Truly I tell you, if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, ‘Move from here to there,’ and it will move. Nothing will be impossible for you.”
+++ +++ +++
これは、悪霊というものが、人々の心に入り込み、苦しませることを明確に述べた箇所です。
また、「からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう」というイエス・キリストの言葉は有名です。純粋で強い信仰の力は、山をも動かすという教えは広く知られている。
そして、祈と断食という、精神的で物質的欲望を去った行為が奇跡を起こすと、イエスは述べておられる。
そして、「あなたがたにできない事は、何もないであろう」という言葉は弟子を勇気づけるものです。
イエスが悪霊を叱って、子供の心から追い出すというのも、霊的な力が本当のキリスト教の基礎になっていることを示している。
山を信仰心で動かした例というのは、報告されれていないが、信仰心は多くの奇跡を起こしたからこそ、聖書は2千年近く世に受け継がれているのです。神道の祝詞や、仏教の経典のような難解な言葉ではなく、聖書は平易な言葉で信仰による力を記述している。
キリスト教は愛の宗教と言われているが、霊と奇跡の宗教でもある。聖書を読み、イエス・キリストの言葉を信じる者は、この世の見方を変えなければならない。物質科学に対する盲信を捨て、霊的な力が物質の背後で働いていることを認めければならない。
これは、万物に霊が宿っているという、日本の伝統的な宗教観・世界観と一致する。日本人の霊性は、イエス・キリストの教える霊に対する考え方に近い。
実際、この物質界は神様が、その想念と言葉で作られたものだというのが、聖書の基本的な考え方であり、科学はその物質界の中では有効であっても、さらに奥深い物質の基本や物質界の基盤にかかわる問題には無力です。
物質の働きは解明できでも、なぜ物質が存在するのかは科学では解明できない。それは、霊的な理解力がなければ納得できない問題です。
科学の秀才も、死後の霊界では、彼らの知恵が無意味なものだということを知る。あるいは、科学に洗脳されて、霊界の現象が理解できず、この世の秀才が霊界では愚かな者になる。
また、霊を重んじないこの世の宗教は、死後の霊界ではたわ言になる。そのような宗教の聖職者も霊界では、狂った存在になる。
本当のキリスト教は、神道や仏教以上に霊性を重んじる教えなのです。
15 「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。
16 それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。
17 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。
18 イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。
19 それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
20 するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
21 〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。(マタイによる福音書 第 17 章)
14 When they came to the crowd, a man approached Jesus and knelt before him. 15 “Lord, have mercy on my son,” he said. “He has seizures and is suffering greatly. He often falls into the fire or into the water. 16 I brought him to your disciples, but they could not heal him.”
17 “You unbelieving and perverse generation,” Jesus replied, “how long shall I stay with you? How long shall I put up with you? Bring the boy here to me.” 18 Jesus rebuked the demon, and it came out of the boy, and he was healed at that moment.
19 Then the disciples came to Jesus in private and asked, “Why couldn’t we drive it out?”
20 He replied, “Because you have so little faith. Truly I tell you, if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, ‘Move from here to there,’ and it will move. Nothing will be impossible for you.”
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これは、悪霊というものが、人々の心に入り込み、苦しませることを明確に述べた箇所です。
また、「からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう」というイエス・キリストの言葉は有名です。純粋で強い信仰の力は、山をも動かすという教えは広く知られている。
そして、祈と断食という、精神的で物質的欲望を去った行為が奇跡を起こすと、イエスは述べておられる。
そして、「あなたがたにできない事は、何もないであろう」という言葉は弟子を勇気づけるものです。
イエスが悪霊を叱って、子供の心から追い出すというのも、霊的な力が本当のキリスト教の基礎になっていることを示している。
山を信仰心で動かした例というのは、報告されれていないが、信仰心は多くの奇跡を起こしたからこそ、聖書は2千年近く世に受け継がれているのです。神道の祝詞や、仏教の経典のような難解な言葉ではなく、聖書は平易な言葉で信仰による力を記述している。
キリスト教は愛の宗教と言われているが、霊と奇跡の宗教でもある。聖書を読み、イエス・キリストの言葉を信じる者は、この世の見方を変えなければならない。物質科学に対する盲信を捨て、霊的な力が物質の背後で働いていることを認めければならない。
これは、万物に霊が宿っているという、日本の伝統的な宗教観・世界観と一致する。日本人の霊性は、イエス・キリストの教える霊に対する考え方に近い。
実際、この物質界は神様が、その想念と言葉で作られたものだというのが、聖書の基本的な考え方であり、科学はその物質界の中では有効であっても、さらに奥深い物質の基本や物質界の基盤にかかわる問題には無力です。
物質の働きは解明できでも、なぜ物質が存在するのかは科学では解明できない。それは、霊的な理解力がなければ納得できない問題です。
科学の秀才も、死後の霊界では、彼らの知恵が無意味なものだということを知る。あるいは、科学に洗脳されて、霊界の現象が理解できず、この世の秀才が霊界では愚かな者になる。
また、霊を重んじないこの世の宗教は、死後の霊界ではたわ言になる。そのような宗教の聖職者も霊界では、狂った存在になる。
本当のキリスト教は、神道や仏教以上に霊性を重んじる教えなのです。
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