「わたしがこの世にきたのは、さばくためである」 (ヨハネによる福音書 第 9 章) (“For judgment I have come into this world")2026/02/05 11:39

39 そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。
40 そこにイエスと一緒にいたあるパリサイ人たちが、それを聞いてイエスに言った、「それでは、わたしたちも盲人なのでしょうか」。
41 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。(ヨハネによる福音書 第 9 章)

39 Jesus said,[a] “For judgment I have come into this world, so that the blind will see and those who see will become blind.”

40 Some Pharisees who were with him heard him say this and asked, “What? Are we blind too?”

41 Jesus said, “If you were blind, you would not be guilty of sin; but now that you claim you can see, your guilt remains.
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イエス・キリストが盲人を癒して、目が見えるようにされた時の教えです。

イエスは単に病人を癒すために、この世に来られたのではなく、人々を裁くために、この世に来られたと明言されている。罪人をさばくのは、神様の権威を持っておられる者にしかできない。即ち、イエスは神様の権威を持っておられることを明言されたのです。

しかし、目の見えない盲人であれば、この世のことが分からず、罪を犯すことがない。ところが、なまじ目が見えれば、欲にかられて、悪魔の誘惑を受けて人は罪を犯すものだと述べておられる。

これは、貧しければ、贅沢を知らず罪を犯さないが、富裕層であれば、より多くの物的な富に囲まれて、さらに欲を刺激されて罪を犯すことを意味する。また、病人であれば、活動することは出来ず、罪を犯すこともないが、健康な人は、より多く活動し、より多くの誘惑に出会い、より多くの罪を犯すことを意味する。

また、イエスは真理を知らせ、世の中の真実が見えなかった人の心を開き、世の中の実相が見えるようにされる。逆に、世の中を知っていると思っていた人は、霊的な真理を知らされ、この世で当然だと思っていたことや常識が真実ではないことを知らされて混乱し、ものが見えなくなる。

人間の裁きは、悪魔にどれだけ対抗したかを知ることにある。悪魔に洗脳された人間には、霊的な真実が見えず、ものが見えなくなる。悪魔の教えに従って生きている人間は、悪魔の教えが真実だと考えて、世の中を知っていると考えるが、そのことが霊的な真実を理解していないことを意味する。

例えば、弱者や貧しき者を軽蔑するのが悪魔に従う者の態度であり、弱者や貧しき者を愛される神様は彼らに真実をみえるようにされている。強者や富裕層には見えない真理を、弱者や貧しき者は、イエス・キリストの言葉を聞いて知ることができるようになる。

眼が見えず、音も聞こえなかったヘレン・ケラーが、霊界を経験したスエーデンボルグの霊界の教えを知って、この世で生きていくことができたという事実は、まさに、イエス・キリストの言葉を証明している。

真実を人に教え、人の罪を明らかにするのが、イエス・キリストの使命だった。悪魔に洗脳された人間は、世の中を間違って解釈し、世の中を知っていると思うことが罪であり、それを裁くためにイエスはこの世に来たのです。

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