「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ」 (マルコによる福音書 第 11 章) (“Hosanna!” “Blessed is he who comes in the name of the Lord!”) ― 2026/02/17 12:45
さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブの山に沿ったベテパゲ、ベタニヤの附近にきた時、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、
2 「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。
3 もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」。
4 そこで、彼らは出かけて行き、そして表通りの戸口に、ろばの子がつないであるのを見たので、それを解いた。
5 すると、そこに立っていた人々が言った、「そのろばの子を解いて、どうするのか」。
6 弟子たちは、イエスが言われたとおり彼らに話したので、ゆるしてくれた。
7 そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。
8 すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。
9 そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。」()
11 As they approached Jerusalem and came to Bethphage and Bethany at the Mount of Olives, Jesus sent two of his disciples, 2 saying to them, “Go to the village ahead of you, and just as you enter it, you will find a colt tied there, which no one has ever ridden. Untie it and bring it here. 3 If anyone asks you, ‘Why are you doing this?’ say, ‘The Lord needs it and will send it back here shortly.’”
4 They went and found a colt outside in the street, tied at a doorway. As they untied it, 5 some people standing there asked, “What are you doing, untying that colt?” 6 They answered as Jesus had told them to, and the people let them go. 7 When they brought the colt to Jesus and threw their cloaks over it, he sat on it. 8 Many people spread their cloaks on the road, while others spread branches they had cut in the fields. 9 Those who went ahead and those who followed shouted,“Hosanna!”“Blessed is he who comes in the name of the Lord!”
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストが最後にルサレムに入城されたときの情景です。
ロバの子に乗られて、エルサレムに入られた時に、イエスがどのようにしてロバの子を調達されたかが、わざわざ聖書に記載されている。ロバの子に乗られるというのが、印象深かったのでしょう。そのイエスを取り囲んだ人々が、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ」と叫んだことは、人々がイエスを神様の子だと認めていたことを示している。
このような人々の熱狂の中で、イエスとその弟子たちはエルサレムに入られたが、そこでイエスは冤罪によって逮捕され、ユダヤ教の祭司たちや、ローマ軍の裁きを受け、反乱罪で十字架にかけられて命を落とすことになる。しかし、死後、三日目に蘇り、弟子たちに姿を現されて、キリスト教が成立することになる。
この十字架での死から再生したことで、弟子たちはイエスと神様への信仰を新たにしたことが、キリスト教という宗教の始まりとされている。そして、そのことが新約聖書のハイライトとなっているのです。このイエス・キリストの死から再生が、新約聖書の主眼なのです。2千年間にわたって、キリスト教は延々とイエス・キリストの人生を語り伝えてきたのです。そこから、ヨーロッパ文化の基盤となったキリスト教神学が生まれ、キリスト教文化が成立したのです。
ブッダは死後に蘇ったりはせずに、その教えだけが伝わっているが、キリスト教では、イエス・キリストの死からの蘇りという奇跡が、キリスト教の出発点になっている。ヨーロッパ文化は、奇跡を認める文化だということになる。
1868年の明治維新以来、日本はヨーロッパ文化を取り入れてきたが、ヨーロッパ文化の科学・技術面の吸収に重点が置かれてきて、キリスト教の霊的な側面を見落としていた。これが、1945年の対米戦争の敗北につながり、300万人の日本人の戦死につながった。日本の神道と仏教の霊的な世界から日本は、さらに、霊的な理解を深め、キリスト教の霊的な側面を神道や仏教と統合できなっかたのが原因です。
日本は、明治以降、キリスト教の研究を続け、死後の世界である霊界が存在することを認め、宗教大改革を行い、霊的には神道も仏教もキリスト教も同等だと考えるべきだった。霊界には神道や仏教の大霊も存在するが、万物の創造主である神様を直接、信仰するキリスト教の方が、より、効果があると考えるべきだった。その神様が人間の姿を取ってイエス・キリストの姿で出現したという奇跡を認めることが、真実のキリスト教だということになる。日本は、イエス・キリストに対する理解で欧米を上回ることを目標とすべきだった。
死後の世界を考えれば、神道や仏教を信じる者も、イエス・キリストを認めなければならないことになる。なにも、公的に教会によってキリスト教徒だと認めてもらわなくても、死後の世界を信じ、万物の創造主を認めることで、霊的なキリスト教徒だということになる。宗教はこの世のものだが、霊的な宗教は死後も意味をもつ。
この世では文化的にキリスト教やユダヤ教と縁がなくても、人間である限り、死後の世界とは縁が切れない。つまり、死後はイエス・キリストの霊や、万物の創造主の支配下に入るのです。
それなら、生きている間にキリスト教を学んでおくのが大事だということになる。神道や仏教も霊的な世界の理解に役立つが、最終的には万物の創造主の唯一の絶対神を崇めることが、人間には求められる。
ただし、この世では宗教の力が強く、互いに異なる宗教を無視したり、敵意をもつように争っている。これを変えるのが必要です。「この世的には、どんな宗教も否定しないし、また、宗教組織が認めようが、認めまいが、自分は真実の神様を信じている」と考えるのが正しいのです。
なお、悪魔はこの世のどんな宗教にも入り込むので、心の底で神様を崇めて、清貧生活をするのが無難です。それでも、イエス・
キリストの言葉は悪魔に打ち勝つには必要なのです。「聖書教」という宗教はないが、「仏典教」という宗教と同じく霊的な宗教を認めることは重要であり、最終的には「霊教」に統一されるべきです。
2 「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。
3 もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」。
4 そこで、彼らは出かけて行き、そして表通りの戸口に、ろばの子がつないであるのを見たので、それを解いた。
5 すると、そこに立っていた人々が言った、「そのろばの子を解いて、どうするのか」。
6 弟子たちは、イエスが言われたとおり彼らに話したので、ゆるしてくれた。
7 そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。
8 すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。
9 そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。」()
11 As they approached Jerusalem and came to Bethphage and Bethany at the Mount of Olives, Jesus sent two of his disciples, 2 saying to them, “Go to the village ahead of you, and just as you enter it, you will find a colt tied there, which no one has ever ridden. Untie it and bring it here. 3 If anyone asks you, ‘Why are you doing this?’ say, ‘The Lord needs it and will send it back here shortly.’”
4 They went and found a colt outside in the street, tied at a doorway. As they untied it, 5 some people standing there asked, “What are you doing, untying that colt?” 6 They answered as Jesus had told them to, and the people let them go. 7 When they brought the colt to Jesus and threw their cloaks over it, he sat on it. 8 Many people spread their cloaks on the road, while others spread branches they had cut in the fields. 9 Those who went ahead and those who followed shouted,“Hosanna!”“Blessed is he who comes in the name of the Lord!”
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これは、イエス・キリストが最後にルサレムに入城されたときの情景です。
ロバの子に乗られて、エルサレムに入られた時に、イエスがどのようにしてロバの子を調達されたかが、わざわざ聖書に記載されている。ロバの子に乗られるというのが、印象深かったのでしょう。そのイエスを取り囲んだ人々が、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ」と叫んだことは、人々がイエスを神様の子だと認めていたことを示している。
このような人々の熱狂の中で、イエスとその弟子たちはエルサレムに入られたが、そこでイエスは冤罪によって逮捕され、ユダヤ教の祭司たちや、ローマ軍の裁きを受け、反乱罪で十字架にかけられて命を落とすことになる。しかし、死後、三日目に蘇り、弟子たちに姿を現されて、キリスト教が成立することになる。
この十字架での死から再生したことで、弟子たちはイエスと神様への信仰を新たにしたことが、キリスト教という宗教の始まりとされている。そして、そのことが新約聖書のハイライトとなっているのです。このイエス・キリストの死から再生が、新約聖書の主眼なのです。2千年間にわたって、キリスト教は延々とイエス・キリストの人生を語り伝えてきたのです。そこから、ヨーロッパ文化の基盤となったキリスト教神学が生まれ、キリスト教文化が成立したのです。
ブッダは死後に蘇ったりはせずに、その教えだけが伝わっているが、キリスト教では、イエス・キリストの死からの蘇りという奇跡が、キリスト教の出発点になっている。ヨーロッパ文化は、奇跡を認める文化だということになる。
1868年の明治維新以来、日本はヨーロッパ文化を取り入れてきたが、ヨーロッパ文化の科学・技術面の吸収に重点が置かれてきて、キリスト教の霊的な側面を見落としていた。これが、1945年の対米戦争の敗北につながり、300万人の日本人の戦死につながった。日本の神道と仏教の霊的な世界から日本は、さらに、霊的な理解を深め、キリスト教の霊的な側面を神道や仏教と統合できなっかたのが原因です。
日本は、明治以降、キリスト教の研究を続け、死後の世界である霊界が存在することを認め、宗教大改革を行い、霊的には神道も仏教もキリスト教も同等だと考えるべきだった。霊界には神道や仏教の大霊も存在するが、万物の創造主である神様を直接、信仰するキリスト教の方が、より、効果があると考えるべきだった。その神様が人間の姿を取ってイエス・キリストの姿で出現したという奇跡を認めることが、真実のキリスト教だということになる。日本は、イエス・キリストに対する理解で欧米を上回ることを目標とすべきだった。
死後の世界を考えれば、神道や仏教を信じる者も、イエス・キリストを認めなければならないことになる。なにも、公的に教会によってキリスト教徒だと認めてもらわなくても、死後の世界を信じ、万物の創造主を認めることで、霊的なキリスト教徒だということになる。宗教はこの世のものだが、霊的な宗教は死後も意味をもつ。
この世では文化的にキリスト教やユダヤ教と縁がなくても、人間である限り、死後の世界とは縁が切れない。つまり、死後はイエス・キリストの霊や、万物の創造主の支配下に入るのです。
それなら、生きている間にキリスト教を学んでおくのが大事だということになる。神道や仏教も霊的な世界の理解に役立つが、最終的には万物の創造主の唯一の絶対神を崇めることが、人間には求められる。
ただし、この世では宗教の力が強く、互いに異なる宗教を無視したり、敵意をもつように争っている。これを変えるのが必要です。「この世的には、どんな宗教も否定しないし、また、宗教組織が認めようが、認めまいが、自分は真実の神様を信じている」と考えるのが正しいのです。
なお、悪魔はこの世のどんな宗教にも入り込むので、心の底で神様を崇めて、清貧生活をするのが無難です。それでも、イエス・
キリストの言葉は悪魔に打ち勝つには必要なのです。「聖書教」という宗教はないが、「仏典教」という宗教と同じく霊的な宗教を認めることは重要であり、最終的には「霊教」に統一されるべきです。
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