「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」 (コリントの信徒への手紙二 第 12 章) (For when I am weak, then I am strong.) ― 2026/02/03 12:06
9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(コリントの信徒への手紙二 第 12 章)
9 But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
10 That is why, for Christ’s sake, I delight in weaknesses, in insults, in hardships, in persecutions, in difficulties. For when I am weak, then I am strong.
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コリントは、アテネから約80kmのところにあるペロポネソス半島内の街で、ペロポネソス半島とギリシャ本土を結ぶ地峡です。ギリシャの北部から南部への交通はコリントを経由しなければならないといった地理的条件からコリントは商業、貿易の中心地の一つとなっていた・・・パウロがこの地を訪れたのは、紀元50年頃、第2回宣教旅行においてであった・・・使徒がコリントをあとにしたのち、他の人々、特にアポロがコリントで宣教したため、彼らのうちに党派ができ、コリントの教会に分裂がおきた・・・パウロがこの手紙をしたためたのは、コリント教会訪問後に生じた教会内部の分裂、混乱に対処するためと、コリントの教会からの質問に答えるためだった。(https://www.pauline.or.jp/bible/eachbook/1corinthians.php)
「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」や「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」という逆説的な教えが印象的です。
パウロが主イエスの霊から与えられる力は、霊的な力であり、この世的な力ではない。むしろ、この世的な力が弱い時に、霊的な力が強く表れる。この物質世界で物質的な力を強めようとすると、逆に霊的な力の妨げとなる。また、物質的な力を誇ると、霊的な力は発揮できない。物質と霊とは方向性が異なるので、相反する働きをなす。
これは、この世は悪魔の影響下にあるということと関連する。悪魔は、人々に物質的な欲望を駆り立て、物理的な力、即ち、暴力を使って互いに攻撃させあう。しかし、悪魔に洗脳されていない人は、物質的な力ではなく、神様から与えられた霊的な力に頼る。
つまり、悪魔の影響が少ないほど、神様の力が働く。悪魔の影響下のこの世での力が強ければ、神様の与える霊的な力はあまり働かない。だから、(この世的に)弱いほど、(霊的には)強くなる、ということになる。
実際、暴力に強いものほど、霊的な恵みは少ない。肉体的に弱い者ほど、神様の与える霊的な力が働く。つまり、真の世界では、強者は弱者となり、弱者は強者となる。
この世でも、「バカほど強いものはない」などと逆説的なことが言われる。或いは、「なまじっか、修業をしたものは、かえって真実から遠ざかる」と言われる。
また、聖書でも、「神の愚かさは、人間の賢明さより賢い」と言われている。
悪魔の影響の下にある、この世的な価値観は、神様からの直接的な真理の影響を受ける霊界の価値体系とは別ものです。むしろ、正反対になっている。
この世でヒーローとされた者は、霊界の影響が働く場では馬鹿者になり、この世で愚か者といわれた者が、霊界の影響が働く世界では天才となる。
神様や天使の世界と、悪魔や悪霊が働く世界では、価値体系が逆なのです。この世では悪が称賛され、霊界では善が尊重される。
悪賢い人間ほど得をするこの世は、まさに、悪魔の影響下にある。しかし、この世でも神様の力が浸透してきて、邪悪な者はやがて追放される。だから、人間社会は存続し続け、人類は滅びずに歴史は続く。
しかし、悪の蓄積がこの世を破滅させるとき、この物質文明は終焉を迎える。21世紀の現在、そのような時が近づいている。
10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(コリントの信徒への手紙二 第 12 章)
9 But he said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Therefore I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ’s power may rest on me.
10 That is why, for Christ’s sake, I delight in weaknesses, in insults, in hardships, in persecutions, in difficulties. For when I am weak, then I am strong.
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コリントは、アテネから約80kmのところにあるペロポネソス半島内の街で、ペロポネソス半島とギリシャ本土を結ぶ地峡です。ギリシャの北部から南部への交通はコリントを経由しなければならないといった地理的条件からコリントは商業、貿易の中心地の一つとなっていた・・・パウロがこの地を訪れたのは、紀元50年頃、第2回宣教旅行においてであった・・・使徒がコリントをあとにしたのち、他の人々、特にアポロがコリントで宣教したため、彼らのうちに党派ができ、コリントの教会に分裂がおきた・・・パウロがこの手紙をしたためたのは、コリント教会訪問後に生じた教会内部の分裂、混乱に対処するためと、コリントの教会からの質問に答えるためだった。(https://www.pauline.or.jp/bible/eachbook/1corinthians.php)
「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」や「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」という逆説的な教えが印象的です。
パウロが主イエスの霊から与えられる力は、霊的な力であり、この世的な力ではない。むしろ、この世的な力が弱い時に、霊的な力が強く表れる。この物質世界で物質的な力を強めようとすると、逆に霊的な力の妨げとなる。また、物質的な力を誇ると、霊的な力は発揮できない。物質と霊とは方向性が異なるので、相反する働きをなす。
これは、この世は悪魔の影響下にあるということと関連する。悪魔は、人々に物質的な欲望を駆り立て、物理的な力、即ち、暴力を使って互いに攻撃させあう。しかし、悪魔に洗脳されていない人は、物質的な力ではなく、神様から与えられた霊的な力に頼る。
つまり、悪魔の影響が少ないほど、神様の力が働く。悪魔の影響下のこの世での力が強ければ、神様の与える霊的な力はあまり働かない。だから、(この世的に)弱いほど、(霊的には)強くなる、ということになる。
実際、暴力に強いものほど、霊的な恵みは少ない。肉体的に弱い者ほど、神様の与える霊的な力が働く。つまり、真の世界では、強者は弱者となり、弱者は強者となる。
この世でも、「バカほど強いものはない」などと逆説的なことが言われる。或いは、「なまじっか、修業をしたものは、かえって真実から遠ざかる」と言われる。
また、聖書でも、「神の愚かさは、人間の賢明さより賢い」と言われている。
悪魔の影響の下にある、この世的な価値観は、神様からの直接的な真理の影響を受ける霊界の価値体系とは別ものです。むしろ、正反対になっている。
この世でヒーローとされた者は、霊界の影響が働く場では馬鹿者になり、この世で愚か者といわれた者が、霊界の影響が働く世界では天才となる。
神様や天使の世界と、悪魔や悪霊が働く世界では、価値体系が逆なのです。この世では悪が称賛され、霊界では善が尊重される。
悪賢い人間ほど得をするこの世は、まさに、悪魔の影響下にある。しかし、この世でも神様の力が浸透してきて、邪悪な者はやがて追放される。だから、人間社会は存続し続け、人類は滅びずに歴史は続く。
しかし、悪の蓄積がこの世を破滅させるとき、この物質文明は終焉を迎える。21世紀の現在、そのような時が近づいている。
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