あなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。(ルカによる福音書 第 17 章) (So you also, when you have done everything you were told to do, should say, ‘We are unworthy servants; we have only done our duty.’”)2026/04/02 14:46

7 「あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。
8 かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
9 僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。
10 同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。(ルカによる福音書 第 17 章)

7 “Suppose one of you has a servant plowing or looking after the sheep. Will he say to the servant when he comes in from the field, ‘Come along now and sit down to eat’? 8 Won’t he rather say, ‘Prepare my supper, get yourself ready and wait on me while I eat and drink; after that you may eat and drink’? 9 Will he thank the servant because he did what he was told to do? 10 So you also, when you have done everything you were told to do, should say, ‘We are unworthy servants; we have only done our duty.’”
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これは、イエス・キリストの信徒が神様に礼拝し、祈願するときの心得を教えた言葉です。

「あなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」と神様の前に謙虚になることを教えています。

神様は一人の人間の運命がどうなろうと何の影響も受けません。ただし、神様を信じる者が、謙虚にお願いをするときに、願いを叶えてくれることがあります。

特に、イエス・キリストの名によってお願いする時に、願い事は何でも叶うということも教えておられます。

ただし、純粋で強い信仰心が必要です。

そして、願い事が叶えられたときには、信仰生活をしていたので、願い事が叶ったと神様に感謝せよと教えておられるのです。

そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた (マルコによる福音書 第 15 章) (The curtain of the temple was torn in two from top to bottom)2026/04/07 11:29

25 イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった。
26 イエスの罪状書きには「ユダヤ人の王」と、しるしてあった。
27 また、イエスと共にふたりの強盗を、ひとりを右に、ひとりを左に、十字架につけた。
28 〔こうして「彼は罪人たちのひとりに数えられた」と書いてある言葉が成就したのである。〕
29 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、
30 十字架からおりてきて自分を救え」。
31 祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。
32 イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
33 昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。
34 そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
35 すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。
36 ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。
37 イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。
38 そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。(マルコによる福音書 第 15 章)

25 It was nine in the morning when they crucified him. 26 The written notice of the charge against him read: the king of the jews.

27 They crucified two rebels with him, one on his right and one on his left. [28] [a] 29 Those who passed by hurled insults at him, shaking their heads and saying, “So! You who are going to destroy the temple and build it in three days, 30 come down from the cross and save yourself!” 31 In the same way the chief priests and the teachers of the law mocked him among themselves. “He saved others,” they said, “but he can’t save himself! 32 Let this Messiah, this king of Israel, come down now from the cross, that we may see and believe.” Those crucified with him also heaped insults on him.
33 At noon, darkness came over the whole land until three in the afternoon. 34 And at three in the afternoon Jesus cried out in a loud voice, “Eloi, Eloi, lema sabachthani?” (which means “My God, my God, why have you forsaken me?”).[b]

35 When some of those standing near heard this, they said, “Listen, he’s calling Elijah.”

36 Someone ran, filled a sponge with wine vinegar, put it on a staff, and offered it to Jesus to drink. “Now leave him alone. Let’s see if Elijah comes to take him down,” he said.

37 With a loud cry, Jesus breathed his last.

38 The curtain of the temple was torn in two from top to bottom.
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これは、イエス・キリストが冤罪によって十字架の刑にかけられて死亡した時の場面です。

イエスはローマ兵によって侮辱され、「罪人たちのひとりに数えられた」と旧約聖書に予言された通りの死を迎えらえた。そのとき、「神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」という奇跡が生じと記されている。また、そのとき闇が地上を覆ったという記述むある。

神の子のイエスが人間によって罪人として死刑を言い渡され、十字架上で殺害されるという飛んでもない事件が生じたことになる。神様の魂を持った人物が人間に殺害された以上、神様が人間にどんな罰を下すか知れたものではない。これが、本当の人類が背負うべき罪だということになる。

ただし、これは神の子のイエスには力が無かったということではなく、イエスが神様に助けを求めれば、天から神様が神の軍勢を下して、イエスの敵であるユダヤ教の幹部やローマ兵を制圧し、彼らを支配することができたのです。しかし、ユダヤ教の幹部やローマ兵の背後に、悪魔がいることを知っておられたイエス・キリストは、この世の権力、権威、暴力、財力で彼らを屈服させるのではなく、愛と信仰と平和を死に至るまで示されたのです。

つまり、イエス・キリストの生き方は命がけで、愛と信仰によって悪魔と戦うというものだったのです。従って、イエス・キリストの弟子たちも、イエス・キリストにならって、悪魔が引き起こしたこの世の全ての問題に、この世の権力、権威、暴力、財力を使わずに、イエス・キリストのように命をかけて、愛と信仰で対処し、解決するという生き方をすることになった。これが、過去2千年間にキリスト教が世界に広まった理由なのです。

無罪で善意の人助けをするイエス・キリストを憎む悪魔は、ユダヤ教の幹部やローマ兵の心に入り込み、イエス・キリストに暴力を振るい、バカにし、嘲笑したと聖書には記されている。だから、初期のキリスト教徒たちは、自分たちも悪魔に支配された権力者たちと平和的に戦って、周囲の者に愛と信仰の力を証明しながら殉教死も恐れず、命懸けでイエス・キリストの教えを広めたのです。

その結果、悪魔はイエス・キリストの教えを根絶やしにすることはできず、イエス・キリストの十字架上の死から2千年たった今日、イエス・キリストの教えはキリスト教という形で、欧米を中心として世界最大の宗教となって存続しているのです。

ただし、神様は無限大の存在であり、この世で百年足らずの寿命しかない有限の能力の人間では、神様を十分に理解し把握することはできない。だから、2千年たっても人間はイエス・キリストの教えを十分に理解できないし、むしろ、欲を捨てられない人間の心には悪魔が入り込み、人間の魂を乗っ取ろうとする。実際、毎日、神様やイエス・キリストのことを考えて生きている人間より、自分の欲を満たすために、悪魔の教えを受け入れて生きる人間の方が圧倒的に多い。

悪魔の影響下に生きる人間は、悪魔の洗脳を受け、悪魔を神だとして生きている人間が大部分です。だから、世の中で人間は幸福にはなれないし、人生の問題も何も解決しない。たとえ、権力や富を得た社会のエリートや富裕層になっても、悪魔はそのような人間を最後には精神的には破滅させ、死後は霊界の地獄に引きずり込む。

18世紀の霊能者のスエーデンボルグは、生きたまま霊界に入り、地獄で、この世では生存中にエリートや富裕層であった人間の霊が多がいることを観察している。

神様の子のイエス・キリストを殺害した人類が、神様の許しを得て、死後に霊界の天国に入るのは至難の業なのです。この世で生きている間に、どんなに成功しても、死後の霊界での救いにはならないのです。

いずれにしても、カトリックでは特に、十字架上のイエス・キリストの苦しみを追体験することが信仰者の証しであるとされている。新約聖書のクライマックスは、まさに、聖書のこの部分に示されている十字架上での人間としてのイエス・キリストの死なのです。

「神が合わせられたものを、人は離してはならない」 (マルコによる福音書 第 10 章) ("what God has joined together, let no one separate.")2026/04/09 12:16

3 イエスは答えて言われた、「モーセはあなたがたになんと命じたか」。
4 彼らは言った、「モーセは、離縁状を書いて妻を出すことを許しました」。
5 そこでイエスは言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである。
6 しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。
7 それゆえに、人はその父母を離れ、
8 ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。
9 だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。(マルコによる福音書 第 10 章)

3 “What did Moses command you?” he replied.

4 They said, “Moses permitted a man to write a certificate of divorce and send her away.”

5 “It was because your hearts were hard that Moses wrote you this law,” Jesus replied. 6 “But at the beginning of creation God ‘made them male and female.’ 7 ‘For this reason a man will leave his father and mother and be united to his wife, 8 and the two will become one flesh.’So they are no longer two, but one flesh. 9 Therefore what God has joined together, let no one separate.”
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このイエス・キリストの教えは、今も、カトリックでは生きており、離婚は認められていない。

この離婚問題は、ヨーロッパの歴史では大きな意味を持ち、イギリスのヘンリー8世がカトリックを脱して英国国教会を創設したことは良く知ら得ている。

ヘンリー8世については、インターネットで次のように解説されっている。
「イギリスの絶対主義の時代、テューダー王朝の第2代の国王(在位1509~1547年)として絶対王政を確立するとともに、ローマ教皇パウルス3世と離婚問題から対立して破門され、イギリス宗教改革を断行した。また、イングランドのみでなくウェールズ、スコットランド、アイルランドの統治権も行使し、イギリスを一つの主権国家としての統合を進めた。また宗教改革を議会との協調で進めるなど、絶対王政ではあるが議会との概ね良好な関係を保った。それによって当時ヨーロッパの弱小国に過ぎなかったイギリスが後の大国に発展する前提を作ったと言うことができる。生涯6度の結婚をしたが、男子後継者はエドワード6世だけで、しかも彼も若くして死去したためヘンリの娘メアリ1世が王位を継承、メアリの時のカトリックへの反動などでテューダー朝は一時混乱したが、次のその妹エリザベス1世の時、ヘンリ8世の作り上げた国教会体制が完成することとなる。」

だから、イギリスの国教会は、教義はプロテスタントの教義に近く、儀式はカトリックの影響が大きいと言われる。日本では「聖公会」として知られており、「 Anglican Church(アングリカン・チャーチ)や Episcopal Church(エピスコパル・チャーチ)と呼ばれます。英国国教会(Church of England)を母体とし、カトリックとプロテスタントの要素を併せ持つキリスト教の教派です(AI)」と言われている。

結婚は、「神が合わせられたものを、人は離してはならない」として、離婚を禁じている。だから、ヘンリー8世はカトリックを脱してイギリスに独自の教会を打ち立てて、今もイギリスはヨーロッパで主流のカトリックでもなく、アメリカで主流のプロテスタントでもない、独自の聖公会組織を持つようになった。

つまり、「 カトリックが婚姻の不可解消性(離婚不可)を厳格に守るのに対し、プロテスタントは「夫婦の愛」を重視し、関係が破綻した場合は離婚を現実的な選択肢として認めます。聖書の解釈: 聖書は基本的に離婚を好ましいものとはしませんが、例外として不貞(マタイ19:9)などが挙げられます。プロテスタント内でも、特に「離婚を容認しない」保守的な教会から、「再婚も認める」リベラルな教会まで幅があります」とされている(AI)」。

日本人は、結婚が神が定めた運命だと考える人は少ないが、キリスト教の聖書では、このように「神が合わせられたものを、人は離してはならない」として、離婚を禁じている。

そして、2024年における日本の離婚の割合(千分率、つまり人口1000人あたり何人が離婚しているか)は、約1.52人であり、アメリカでは人口千人当たり約2.4人が離婚している。バチカンのあるイタリアでは、離婚率は人口1,000人あたり約1.1〜1.4件程度(2022年時点)であり、日本(約1.5件)や欧米諸国と比較して低い水準です。カトリックの影響で離婚が法的に認められたのは1970年と遅かった。

この離婚が社会で認められてから、人間社会は道徳的に悪化したという説もある。なお、死後の霊界でも霊同士の結婚というものがあると18世紀の神秘家スエーデンボルグは書いている。この世で夫婦になっても、死後の霊界では分かれてしまうという例が多い。

しかし、「神が合わせられたものを、人は離してはならない」というのが、イエス・キリストの教えであり、結婚は魂の結びつきであり、神聖なものだというのがイエス・キリストの教えです。

今でもローマ法王については、その職務は「神に完全に仕え、家族を持つことなく信徒全体を家族として愛する姿勢を示す神聖な義務とされています。過去には結婚した教皇も存在しましたが、現在ではこの慣習が固守されている(AI)」とされている。

要するに、神様に仕えるのに忙しくて、結婚などしている暇はない、というのがカトリックの聖職者なのです。このような考えに反対するプロテスタントの聖職者(牧師)の方が自由だという考えもある。

現在、プロテスタントが主流のアメリカからローマ法王が選ばれているのは、この意味でも興味深い。

いずれにしても、離婚するくらないなら、結婚すべきではなかったというのが、正当な考えのようです。

「御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」 (マルコによる福音書 第 4 章) ("Others, like seed sown on good soil, hear the word, accept it, and produce a crop—some thirty, some sixty, some a hundred times what was sown.”)2026/04/11 11:22

11 そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬えで語られる。
12 それは/『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。
13 また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬えがわからないのか。それでは、どうしてすべての譬えがわかるだろうか。
14 種まきは御言をまくのである。
15 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。
16 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、
17 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
18 また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、
19 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。
20 また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。(マルコによる福音書 第 4 章)

11 He told them, “The secret of the kingdom of God has been given to you. But to those on the outside everything is said in parables 12 so that,

“‘they may be ever seeing but never perceiving,
and ever hearing but never understanding;
otherwise they might turn and be forgiven!’[a]”

13 Then Jesus said to them, “Don’t you understand this parable? How then will you understand any parable? 14 The farmer sows the word. 15 Some people are like seed along the path, where the word is sown. As soon as they hear it, Satan comes and takes away the word that was sown in them. 16 Others, like seed sown on rocky places, hear the word and at once receive it with joy. 17 But since they have no root, they last only a short time. When trouble or persecution comes because of the word, they quickly fall away. 18 Still others, like seed sown among thorns, hear the word; 19 but the worries of this life, the deceitfulness of wealth and the desires for other things come in and choke the word, making it unfruitful. 20 Others, like seed sown on good soil, hear the word, accept it, and produce a crop—some thirty, some sixty, some a hundred times what was sown.”
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「御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ」というのは、聖書の有名な言葉です。

一人の信仰者によって、信仰の種が周囲の者にまかれ、人々の信仰心が30倍、60倍、100倍になり、また、その影響で信仰者が30倍、60倍、100倍になることをイエス・キリストは述べておられる。

むしろ、なぜ不信仰者が信仰を持たないかの説明が興味深い。「世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる」というのが、不信仰者の心の働きなのです。その心に、悪魔が入って来るからです。

悪魔は、「世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲」を使って人々の心を支配するのです。そして、人々は信仰心を忘れ、失い、悪魔を神と崇める人間になる。そして、毒の実を結ぶことになる。

これに対して、「御言を聞いて受けいれ」、神様の教えに納得した者は、悪魔の企てに背を向ける。光を愛して、闇を避けるようなものです。

しかし、闇を愛する者は、光から遠ざかろうとする。神の愛と真理の光には、耐えられなくなり、闇の世界に自ら入って行く。そして、地獄が形作られる。

天国は、神様の愛と真理を受けいれ、それに従い、それを追求する者が霊界で形作るのです。天国の上には、神様の世界である神界が存在する。人間の霊は死後は霊界に入って天国を目指す。そして、そこで永遠の命と幸福を得る。逆に、地獄を形作った者は、やがて、悪魔と共に神様によって滅ぼされ、永遠の無に至る。これが、第二の死であり、魂の消滅なのです。

しかし、神様に逆らう悪魔は、どこまでも神様の教えに逆らい、できるだけ多くの人間の霊を道ずれにして、破滅に向かう。そのような霊を憐れんで、少しでも救おうとなさるのが聖母マリア様の霊だとされている。

「神様、イエス・キリスト、聖母マリア」の霊は、まさに、キリスト教の3本柱なのです。

人は、死後の霊界では、「神様、イエス・キリスト、聖母マリア」の愛の光を見ることができる。さらには、生きている間は見れないという神様の姿も見ることができる。死は恐れるべきものではないのです。神様に近づくプロセスなのです。この世との別れは悲しいが、それ以上に大きな喜びが霊界で待っていると考えるべきです。

いずれにしても、信仰者の信仰が30倍、60倍、100倍になって、人間社会に拡大・普及したからこそ、本当のキリスト教が広まり、多くの魂が救われているのです。

「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」 (コリントの信徒への手紙一 第 1 章) (For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.)2026/04/12 13:17

22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。
26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。(コリントの信徒への手紙一 第 1 章)

22 Jews demand signs and Greeks look for wisdom, 23 but we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles, 24 but to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God. 25 For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.

26 Brothers and sisters, think of what you were when you were called. Not many of you were wise by human standards; not many were influential; not many were of noble birth. 27 But God chose the foolish things of the world to shame the wise; God chose the weak things of the world to shame the strong. 28 God chose the lowly things of this world and the despised things—and the things that are not—to nullify the things that are, 29 so that no one may boast before him.
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Wkipediaによれば、「『コリントの信徒への手紙一』は『新約聖書』に収められた書簡の一つ。使徒パウロと協力者ソステネからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である。『コリント人への第一の手紙』ともいわれる。・・・このころ、パウロはマケドニアの信徒を訪ね、コリント(コリントス)へもまわろうとしていたと考えられる。しかし、コリントの共同体がもめているという話を知らされたパウロは愕然とした。この話をパウロは、協力者アポロやクロエの家の人々から、またステファナらが直接もたらした書簡によって知ったのだった。当時のローマ帝国には一般市民が利用できる郵便配達システムは存在しなかったため、手紙は旅行者によってもたらされていた」とされている。

さらに、「パウロがこの手紙を書いてコリントの共同体の人々に伝えたかったことは「信仰によって一致してほしい」ということであった」とされている。

「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」というのは、信仰の言葉です。この世の権力、富、知恵、力を誇る者より、神様を信じるも者に、それらを上回る力が与えられるということです。

悪魔は人間を誘惑し、権力、富、知恵、力を与えるが、それは長続きせず、やがて破滅する。そのような人間の破滅を見て悪魔は喜ぶ。

しかし、神様の教えを信じる者は、この世的な権力や富は求めず、また、自分の知恵や力でなく、霊界から与えられる知恵や力に頼って生きる。神様や天使、大霊の前では謙虚な心を持って生きるのが信仰者です。それが、「神の弱さ」や「神の愚かさ」ということです。

傲慢な悪魔は、人間に権力、富、知恵、力を与えて傲慢にさせ、弱者、貧者、小さき者をバカにするが、彼らの優位は長くは続かない。神様や天使、大霊の威力がこの世にも表れて信仰者を救う。だから、信仰のある者が、この世の損得の世界では、愚かに見えても、霊界からこの世に及ぶ真理の世界では、神様の支配が働き、最後には賢明であることが証明される。

物質的な価値を最も尊重する人間には、神様の与える霊的な価値は理解できない。悪魔の洗脳を受けて自分の欲望を追求する人間には、物質的な損得しか理解できず、神様の愛と真理の示す価値が理解できない。いくら、この世で富や権力、知恵を得ても、神様の与える富、権威、真理の力には及ばない。悪魔に魂を売り、悪魔から一時的な力、富、知恵を得てもその効果は長続きせず、やがて破綻する。悪魔はそのような人間を見て喜ぶ。

しかし、霊界に通じる神様の霊的な威力に頼れば、結局は正しい効果を上げ、悪魔に従った者たちを制圧できる。

この世でいくらカネを持っても、無限の富をもつ神様には勝てない。この世の権力をいくら誇っても、神様の無限の力の前には無に等しい。また、いくらこの世で知恵を得ても、無限の知恵を持つ神様の前では無意味です。

この世の大富豪も、神様の前では超貧乏人であり、この世の大権力者も、神様のまでは幼児同様であり、この世の天才、秀才になっても神様の前では無知同然なのです。

狡猾で邪悪な悪魔も、神様や天使、大霊の前では全く無力なのです。そのことが、この世の信徒ににも表れ、物質的な欲望の満足を基準にするこの世の悪の価値の世界では、無力な信徒こそが、神様の愛と真理の世界では大きな力を持ち、この世でも、霊的な力で救われるのです。

悪魔や人間の権力、富、知恵、力は、信仰者に与えられる権威、富、知恵、力の前では、最終的に無力なのです。

つまり、この世の権力者は、真実の世界では、弱者であり、この世の富裕層は霊界では貧者であり、この世の学者や知恵者は神様の前では愚者なのです。

神様の栄光が現れれば、この世で悪魔に従う強者、富者、知恵者は、無になるのです。

だから、世の中の貧者、弱者、愚者だからといってバカにしてはならない。彼らが神様への信仰心を持てば、この世の富者、強者、知恵者よりも大きな力を神様によって与えられるのです。

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