「口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている」 (マルコによる福音書 第 7 章) (This people honoureth me with their lips, but their heart is far from me. Howbeit in vain do they worship me, teaching for doctrines the commandments of men)2026/05/10 18:23

5 そこで、パリサイ人と律法学者たちとは、イエスに尋ねた、「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人の言伝えに従って歩まないで、不浄な手でパンを食べるのですか」。
6 イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
7 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。
8 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。(マルコによる福音書 第 7 章)

5 Then the Pharisees and scribes asked him, Why walk not thy disciples according to the tradition of the elders, but eat bread with unwashen hands?

6 He answered and said unto them, Well hath Esaias prophesied of you hypocrites, as it is written, This people honoureth me with their lips, but their heart is far from me.

7 Howbeit in vain do they worship me, teaching for doctrines the commandments of men.

8 For laying aside the commandment of God, ye hold the tradition of men, as the washing of pots and cups: and many other such like things ye do.
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これは、神様の教えとこの世の宗教家の教えに対するイエス・キリストの判断です。

宗教家は、宗教団体が作った教えを、神様かの教えだとして信者に強要する。しかし、彼らは「口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる」として、イエスは批判している。

神様の教えには、悪魔の影響は全くない。その違いが分からなければ、本当の宗教家とは言えない。

神様の子だとされるイエス・キリストには、純粋の神様の教えと。悪魔の影響を受けたこの世の人々の教えの違いが明瞭に分かるのです。

平和を説きながら、戦争を推進する政治家や、貧しく弱い外国を経済的に支配しながら、平和活動をする大国の市民のようなものです。

人間の全ての活動は、愛と信仰に基づくものでなければまらない。

「からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな」 (ルカによる福音書 第 12 章) (do not be afraid of those who kill the body and after that can do no more.)2026/05/11 11:05

その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。
2 おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
3 だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。
4 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。
5 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。(ルカによる福音書 第 12 章)

Meanwhile, when a crowd of many thousands had gathered, so that they were trampling on one another, Jesus began to speak first to his disciples, saying: “Be on your guard against the yeast of the Pharisees, which is hypocrisy. 2 There is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known. 3 What you have said in the dark will be heard in the daylight, and what you have whispered in the ear in the inner rooms will be proclaimed from the roofs.

4 “I tell you, my friends, do not be afraid of those who kill the body and after that can do no more. 5 But I will show you whom you should fear: Fear him who, after your body has been killed, has authority to throw you into hell. Yes, I tell you, fear him.
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「からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな」というのは、イエス・キリストの信仰者の勇気の源です。

だから、イエスの信仰者は勇気を持って、イエスの教えを延べ伝えることおができたのです。彼らは、この世の権力者、富者、強者を恐れることはない。物質世界の向こうの霊的世界を目指して生きている者にとっては、この世の富や力は何の魅力もない。また、権力や暴力も恐れるものではない。まさに、霊的な信仰心を持った者は、霊界、死後の世界を支配する神様のみを恐れて生きるべきなのです。

死後は、この世の権力者、富裕層は、もはや、何の力ももたない。ただ、信仰心の高さと、人に対する愛の深さのみが問題となる。

そして、死後の世界の先は、最終的には、天国か地獄しかない。人の魂を地獄に落とすのは神様なのです。この世の権力者、エリート、富裕層になっても、愛と信仰心を持たなければ、死後は霊界の地獄に行くことになる。地獄は人間の悪が作り出したものであり、天国に受け入れられなかったものは、地獄に自ら入って行く。人の魂を天国に導くか、地獄への道しか与えないのは、神様の決めることです。天国では、永遠の命を得て、永遠の幸福を得ることができるが、地獄ではやがて永遠の死、魂の完全な消滅が待っている。これは、魂(人間)にとって、最大の恐怖であり、神様は悪魔や、悪霊などと共に地獄に落とされた人間を、地獄そのものと共に消滅させる。

これが、霊的なキリスト教の本質なのです。この世だけではなく、死後の霊界を見据えた宗教なのです。

つまり、この世の幸福を求めるものは、イエス・キリストの教えには何の価値も見いだせない。しかし、死後の世界を恐れる者は、イエス・キリストの教えから霊界での救いを得ることができるのです。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」 (ヨハネによる福音書 第 15 章) ( “I am the vine; you are the branches.")2026/05/12 10:34

3 あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。
4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
6 人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。(ヨハネによる福音書 第 15 章)

3 You are already clean because of the word I have spoken to you. 4 Remain in me, as I also remain in you. No branch can bear fruit by itself; it must remain in the vine. Neither can you bear fruit unless you remain in me.

5 “I am the vine; you are the branches. If you remain in me and I in you, you will bear much fruit; apart from me you can do nothing. 6 If you do not remain in me, you are like a branch that is thrown away and withers; such branches are picked up, thrown into the fire and burned. 7 If you remain in me and my words remain in you, ask whatever you wish, and it will be done for you.
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イエス・キリストは、たとえ話を多く使った。学問も、学歴もない当時の貧しい人でも、イエスのたとえ話の意味は良く理解できた。

日常的な言葉を使って、人間と信仰の本質について、真理を語ったのです。だから、無学、無教養だった2000年前のパレスチナの貧民も、イエスの教えの神髄を理解できた。イエスは、宗教論、神学、神秘主義の理論を人々に教えたわけではない。

実際、この世の物質界は、神様の想念によって霊界から生み出されたものであり、この世の全ての物質に神様の霊がこもっている。だから、この世の何でも神様の力につながる。難しい、理論や学説でなくても、神様の威力について語ることが出来る。それは、人間界の現象も神様の威厳につながり、人間界の平凡な出来事も、神様の威力に通じるからです。

だから、イエスは神様の威力を日常的な言葉で語ることができたのです。ただ、人々の心が神様の方を向けば、平凡な日常的な事柄の奥に神様の威力が働いていることに気がつくのです。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」という言葉は、そのような無限の力を持った神様につかわされた者であることを、イエスは述べているのです。

神様の力によって、物質界が成立しているように、イエスの信仰者は、イエスの力でこの世に存在することができるのです。

その神様の力に反抗するのが悪魔であり、人々の心を神様の方向からそらし、物質的な欲望を追求させようとしている。だから、富と権力、物質的な幸福を求める心は、悪魔のコントロール下にあり、神様の教えではなく、悪魔の教えに従っていることになる。

悪魔は、人間に物質的な欲望を追跡させ、快適、快楽、快感を与えて悪魔の僕として、悪魔は人間に対して神のように振る舞い、やがて、その人生を破滅させて悪魔は喜び、その人間の死後は霊界の地獄に連れ込む。そのような、悪魔の企てを打ち破るために、イエス・キリストは人間界に来たのです。

現代の物質文明は、イエス・キリストの教えによる、霊的な真理に基づいたものではないため、やがて亡びる。それが、イエス・キリストの死後、2000年たった21世紀だというのが、霊的な神学の基本です。

今こそ、人々は悪魔の影響から脱して、霊的なイエス・キリストの教えに従って、万物の創造主である神様の御心に立ち返るべきときです。

そのためには、物質的欲望を捨てて、自然な人間の心に目を向けるべきなのです。

「するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである」 (使徒言行録 第 12 章) (Immediately, because Herod did not give praise to God, an angel of the Lord struck him down)2026/05/13 22:38

18 夜が明けると、兵卒たちの間に、ペテロはいったいどうなったのだろうと、大へんな騒ぎが起った。
19 ヘロデはペテロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえ、彼らを死刑に処するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤにくだって行って、そこに滞在した。
20 さて、ツロとシドンとの人々は、ヘロデの怒りに触れていたので、一同うちそろって王をおとずれ、王の侍従官ブラストに取りいって、和解かたを依頼した。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。
21 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。
22 集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。
23 するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。
24 こうして、主の言はますます盛んにひろまって行った。(使徒言行録 第 12 章)

18 In the morning, there was no small commotion among the soldiers as to what had become of Peter. 19 After Herod had a thorough search made for him and did not find him, he cross-examined the guards and ordered that they be executed.

Then Herod went from Judea to Caesarea and stayed there. 20 He had been quarreling with the people of Tyre and Sidon; they now joined together and sought an audience with him. After securing the support of Blastus, a trusted personal servant of the king, they asked for peace, because they depended on the king’s country for their food supply.

21 On the appointed day Herod, wearing his royal robes, sat on his throne and delivered a public address to the people. 22 They shouted, “This is the voice of a god, not of a man.” 23 Immediately, because Herod did not give praise to God, an angel of the Lord struck him down, and he was eaten by worms and died.

24 But the word of God continued to spread and flourish.
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これは、ヘロデ王に捕まっていたペテロが天使によって助け出されたあとに、ヘロデ王に生じた出来事を述べた箇所です。

ヘロデ王は、ペテロを監視していた番兵を怒って死刑にした。そして、追随者に演説をした後で、天使の手によって命を奪われた。それは、「神に栄光を帰することをしなかったから」だと説明されている。

聖ペテロと呼ばれ、初代ローマ法王となるペテロも生きている間は、敵対勢力によって命を狙われるような生活をしており、それを天使が救い、敵対者の王の命が天使によって奪われるという波乱万丈の生活をしていたことになる、

必要があれば、天使は信仰者を助け、さらには、敵対者が王であっても、その命を奪うということになる。

ペテロは最後はローマで逮捕され、イエス・キリストのように十字架上で殺害されたが、その時までには、イエス・キリストの弟子としての働きを十分に果たしたのだろう。彼の最期はローマ皇帝ネロによって、そのキリスト教の迫害政策のために十字架にかけられたことになているが、「穀物の価格が高騰しているローマで、エジプトからの穀物輸送船が食料ではなく宮廷格闘士用の闘技場の砂を運搬してきたという事件が報じられ、ネロは市民の反感を買った。元首の支持率低下を機にネロと対立していた元老院は、ネロを「国家の敵」としガルバを皇帝に擁立する。ネロは逃亡しローマ郊外の解放奴隷パオラの別荘に隠れたが、騎馬兵が近づく音が聞こえるに及び、自らの喉を剣で貫き自殺した。その際自分では死にきれず奴隷スポルスに切らせたという」(Wikipedia)。やはり、ペテロを殺害した皇帝ネロも、神様に見捨てられて、皇位を失って惨めな死を遂げたことになる。

王や皇帝よりも、天使に守られたイエス・キリストの信者の弟子は、この世の権力者を恐れることなく、イエス・キリストの教えを伝えるという伝道に専念することができたのです。

「十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか。」 (ルカによる福音書 第 13 章) ("Then should not this woman, a daughter of Abraham, whom Satan has kept bound for eighteen long years, be set free on the Sabbath day from what bound her?”)2026/05/14 23:47

10 安息日に、ある会堂で教えておられると、
11 そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。
12 イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、
13 手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。
14 ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。
15 主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。
16 それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。
17 こう言われたので、イエスに反対していた人たちはみな恥じ入った。そして群衆はこぞって、イエスがなされたすべてのすばらしいみわざを見て喜んだ。(ルカによる福音書 第 13 章)

10 On a Sabbath Jesus was teaching in one of the synagogues, 11 and a woman was there who had been crippled by a spirit for eighteen years. She was bent over and could not straighten up at all. 12 When Jesus saw her, he called her forward and said to her, “Woman, you are set free from your infirmity.” 13 Then he put his hands on her, and immediately she straightened up and praised God.

14 Indignant because Jesus had healed on the Sabbath, the synagogue leader said to the people, “There are six days for work. So come and be healed on those days, not on the Sabbath.”

15 The Lord answered him, “You hypocrites! Doesn’t each of you on the Sabbath untie your ox or donkey from the stall and lead it out to give it water? 16 Then should not this woman, a daughter of Abraham, whom Satan has kept bound for eighteen long years, be set free on the Sabbath day from what bound her?”

17 When he said this, all his opponents were humiliated, but the people were delighted with all the wonderful things he was doing.
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ユダヤ教の教義では、安息日を守るべきであると教えられている。ユダヤ教のリーダー達は、この教えを強く信徒に教え込んでいた。しかし、その融通さのない教義にイエス・キリストは反対していた。

安息日でも、ユダヤ教の祭司たちは、「自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやる」と指摘して、安息日でも人助けは禁じられていないと、イエスは主張した。


そして、「十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべき」だと主張して、「十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女」を治癒された。

ここには、悪魔の影響で病になる人々がいるということ。それを、イエスは霊能力で癒したという事実。そして、ユダヤ教の教義に縛られて、そのような霊的働きを否定するユダヤ教の幹部たちに対するイエスの批判が明らかにされている。

つまり、イエスはユダヤ教の教義よりも、神様の人間に対する愛を実践することを重んじたのです。宗教家は自分たちが作りあげた教義ではなく、霊界から神様が与える教えに従うべきだというのがイエスの教えなのです。

神様は、人助けをしてはいけない日など定めていないのです。愛と信仰を実践するのに、何の制約もないのです。神様の教えは、人間が作った宗教の如何なる教義よりも優先するのです。

従って、宗教の教義だけでなく、この世の社会の法律や規則や習慣なども、神様の教えに反していれば、それを無視すべき場合があるということになる。ただい、これを一般人が実践するのは危険です。反社会的な行為だということになる。イエスのような、神様の権威を持っている聖者ならば、社会的な問題も解決できるが、一般信者がこのイエスの教えを聖的な天使の助けもなく実行すれば、社会と軋轢が生じ、犯罪者扱いされる。それだけに、神様の教えを、この世の社会の法律、規則、慣習の上に置くだけの信仰心を持つことは、信者の目的だということを信者は理解しなければならない。

悪魔に取り付かれて苦しむ人を救うためであれば、宗教の教義、社会の法律、この世の慣習なども無視しなければならない場合がある。それが、宗教的、社会的に許されない行為だとされるなら、このイエス・キリストの行為を宗教家や社会の権力者はよく考えるべきなのです。

ただし、信仰心の足りない一般信者が、宗教や社会の決まりに逆らうのは危険であり、イエス・キリストも信者には「悪人に逆らてはならない」と教えておられる。

悪魔の影響下にあるこの世や社会の権力者、エリートは多くが悪人であり、彼らに逆らってはならないが、イエス・キリストなら彼らに打ち勝つことができると信じるのが、霊的なキリスト教なのです。

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