「あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」(you are worth more than many sparrows)(マタイによる福音書 10:29~31) ― 2025/07/17 22:02
Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground outside your Father’s care. And even the very hairs of your head are all numbered. So don’t be afraid; you are worth more than many sparrows.
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。(マタイによる福音書 10:29~31)
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストが、十二人の弟子を各地につかわすに当り、激励・注意として述べた言葉です。
雀という小鳥ですら、神様の管理と保護のもとに置かれており、その命は守られている。ましてや、神様を信じるイエスの弟子たちは、神様からもっと手厚く守られている、とイエスは述べている。しかも、神様は人の髪の毛の数までも承知しておられる。何もかも承知しておられる神様に守られているのだから、何も恐れることはないと、断言しておられる。
これは、神様の全知全能ぶりを述べた言葉でもあり、人間の魂は、小鳥や他の人間以外の生物よりも優れたものだと言っておられる。
人間以外の生物は、神様に祈ることはしない。しかし、神様への祈りを行う人間は、他の生物より霊的に優れている。
しかし、人間は厳しい状況に会うと、意気阻喪し、失望し、絶望し、自己卑下に陥り、又は、悪魔に魂を売ってでもカネを得ようと考える。そのような人間の心に悪魔はつけ込む。或いは、愛よりも憎しみを愛するようになり、間違った復讐心を持ち、世間や他人を憎むようになる。そのような時にも、神様に愛されているのだと自覚し、全ては神様の深い考えによって成り立っていると考えるのが信仰者なのです。
人間は幸運な時もあれば、不運な時もある。多くの人間が生きる社会では、必ず利害関係が衝突する。この世のトップの位置には限られた人間しかつけない。富には限りがあり、少数者しか金持ちにはなれない。誰かが下積みになり、弱者は底辺に追いやられ、悪知恵の働かないものは踏みつけられ、素直で単純なものは騙され、病気や高齢で弱った者はカモにされる。それでも、神様を信じる者は、そのような悲劇から守ってもらえる。神様への祈りを真剣に行う者は、霊界でも高く評価され、天使や守護霊が守ってくれる。
これは、この世の悪魔の影響のもとでは、考えられない教えです。この世では、弱者は雀より惨めだと考えてもおかしくない。しかし、雀ですら神様の定めた運命を生きている。ましてや、神様への祈りを行う信者は、一人一人が、神様から注目されており、神様の許可がなければ、悪魔も手を下せない。
神様は各人間の髪の毛の数、心の奥底まで知っており、真実の祈りを行う者は、神様から守られる。それを信じるのが、イエスの教えの本当の信仰者なのです。
人間の心の中は、他人には分からない。心の中の悪だくみや悪意は外からは見えない。詐欺師は、外見を取り繕う。犯罪者は普通の人間を装う。善人面をして、人々を騙す。友人の振りをして、他人に近づいて貶める。悪魔に魂を売りながら、敬虔な信者の振りをする。しかし、人の心の奥底まで神様は知っている。そのような人間は、最悪、神様が悪魔の手に委ねて、地獄に落とす。悪魔は誰でも地獄に連れ込みたいので、自分の手下になった人間ですら、最後は地獄で苦しめて喜ぶ。
霊的には、信者と不信者の間には大きな違いがある。人間と雀くらいの差がある。神様に祈り、善と愛を愛する信者は、悪魔に魂を売り、憎しみと虚偽と悪を愛する不信者とは霊格が異なり、霊界で高い地位におかれる。この世で、暴力と富と地位・肩書で信者を支配しても、霊界では愛と信仰の力の前では無力になり、弱者となり、地獄の闇に逃げ込む。
この世でも、霊界でも神様への愛と信仰が、人間を生かすのです。
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。(マタイによる福音書 10:29~31)
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これは、イエス・キリストが、十二人の弟子を各地につかわすに当り、激励・注意として述べた言葉です。
雀という小鳥ですら、神様の管理と保護のもとに置かれており、その命は守られている。ましてや、神様を信じるイエスの弟子たちは、神様からもっと手厚く守られている、とイエスは述べている。しかも、神様は人の髪の毛の数までも承知しておられる。何もかも承知しておられる神様に守られているのだから、何も恐れることはないと、断言しておられる。
これは、神様の全知全能ぶりを述べた言葉でもあり、人間の魂は、小鳥や他の人間以外の生物よりも優れたものだと言っておられる。
人間以外の生物は、神様に祈ることはしない。しかし、神様への祈りを行う人間は、他の生物より霊的に優れている。
しかし、人間は厳しい状況に会うと、意気阻喪し、失望し、絶望し、自己卑下に陥り、又は、悪魔に魂を売ってでもカネを得ようと考える。そのような人間の心に悪魔はつけ込む。或いは、愛よりも憎しみを愛するようになり、間違った復讐心を持ち、世間や他人を憎むようになる。そのような時にも、神様に愛されているのだと自覚し、全ては神様の深い考えによって成り立っていると考えるのが信仰者なのです。
人間は幸運な時もあれば、不運な時もある。多くの人間が生きる社会では、必ず利害関係が衝突する。この世のトップの位置には限られた人間しかつけない。富には限りがあり、少数者しか金持ちにはなれない。誰かが下積みになり、弱者は底辺に追いやられ、悪知恵の働かないものは踏みつけられ、素直で単純なものは騙され、病気や高齢で弱った者はカモにされる。それでも、神様を信じる者は、そのような悲劇から守ってもらえる。神様への祈りを真剣に行う者は、霊界でも高く評価され、天使や守護霊が守ってくれる。
これは、この世の悪魔の影響のもとでは、考えられない教えです。この世では、弱者は雀より惨めだと考えてもおかしくない。しかし、雀ですら神様の定めた運命を生きている。ましてや、神様への祈りを行う信者は、一人一人が、神様から注目されており、神様の許可がなければ、悪魔も手を下せない。
神様は各人間の髪の毛の数、心の奥底まで知っており、真実の祈りを行う者は、神様から守られる。それを信じるのが、イエスの教えの本当の信仰者なのです。
人間の心の中は、他人には分からない。心の中の悪だくみや悪意は外からは見えない。詐欺師は、外見を取り繕う。犯罪者は普通の人間を装う。善人面をして、人々を騙す。友人の振りをして、他人に近づいて貶める。悪魔に魂を売りながら、敬虔な信者の振りをする。しかし、人の心の奥底まで神様は知っている。そのような人間は、最悪、神様が悪魔の手に委ねて、地獄に落とす。悪魔は誰でも地獄に連れ込みたいので、自分の手下になった人間ですら、最後は地獄で苦しめて喜ぶ。
霊的には、信者と不信者の間には大きな違いがある。人間と雀くらいの差がある。神様に祈り、善と愛を愛する信者は、悪魔に魂を売り、憎しみと虚偽と悪を愛する不信者とは霊格が異なり、霊界で高い地位におかれる。この世で、暴力と富と地位・肩書で信者を支配しても、霊界では愛と信仰の力の前では無力になり、弱者となり、地獄の闇に逃げ込む。
この世でも、霊界でも神様への愛と信仰が、人間を生かすのです。
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