「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」 (マタイによる福音書 第 13 章) (“A prophet is not without honor except in his own town and in his own home.”) ― 2026/03/05 11:07
53 イエスはこれらの譬えを語り終えてから、そこを立ち去られた。
54 そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。
55 この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
56 またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」。
57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」。
58 そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった。 (マタイによる福音書 第 13 章)
53 When Jesus had finished these parables, he moved on from there. 54 Coming to his hometown, he began teaching the people in their synagogue, and they were amazed. “Where did this man get this wisdom and these miraculous powers?” they asked. 55 “Isn’t this the carpenter’s son? Isn’t his mother’s name Mary, and aren’t his brothers James, Joseph, Simon and Judas? 56 Aren’t all his sisters with us? Where then did this man get all these things?” 57 And they took offense at him.
But Jesus said to them, “A prophet is not without honor except in his own town and in his own home.”
58 And he did not do many miracles there because of their lack of faith.
Footnotes
+++ +++ +++
「預言者は、自分の郷里や自分の家では、敬われない」というのは、イエス・キリストの有名な言葉です。
預言者をよく知るその故郷では、かえって、預言者のことをよく知っているために、その偉大さがわからないということです。日常的なささいなことにこだわって、預言という偉大な行為を軽んじることになる。
イエスという偉大な預言者も、その故郷では、人々の嫉妬や偏見、蔑視などがあって十分に尊敬されず、人々を救済する意欲が落ちた。だから、「彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった」。
これは、イエスの活動には、人々の好意や賛同、感動などが励ましとなっていたことを意味する。不信仰者ばかりでは、何を言っても無駄だと感じられた。しかし、かつての一般人だったときのイエスと、聖霊を受けて生まれ変わったイエスの違いが分からない故郷の人は、イエスによって信仰心を高められ、イエスを尊敬するようにはならない。かつての、イエスの一般人としてのイメージを払拭できないからです。
このように、聖霊を受けた人に対する態度は変えなければならない。預言者の過去や、その先祖の様子を知っているからといって、預言者を貶めてはならない。聖霊を受けた人は、もはや、一般人ではないのです。
これは、人の過去にこだわってはいけないことを意味する。あくまで、預言の真正さと、その背後の聖霊の働きと、さらに、そえを認める神様への信仰心が重要なのです。
偉大な業績を上げた人物の過去を詮索し、その業績を貶めるようなことをしてはならない。
また、これは偉大な宗教家となったイエス・キリストを、同胞のユダヤ人が受け入れず、イエス・キリストの打ち立てたキリスト教をユダヤ人が拒否することにも通じる。
ただし、今でもキリスト教に改宗するユダヤ人もいる。キリスト教はユダヤ教の延長にあることを認めるべきです。ユダヤ人としては、ユダヤ教に従っても、人類の一員としては、キリスト教を信じるというのが正しい。
また、イスラム教徒はその教えが、ユダヤ教とキリスト教の後に生まれたものであることを素直に認め、ユダヤ教とキリスト教を親近感をもって接し、その神様に対する根本的考えを受け入れるべきです。イスラム教も、ユダヤ教とキリスト教と同じく、アブラハムを始祖とする教えであり、宇宙の唯一かつ絶対の神様を戴く宗教であることを認めるべきです。アラブ人としては、イスラム教徒であっても、人類の一員としては、心霊的な一神教の一員だと考えるべきです。
実際、イスラム教徒は歴史的にはユダヤ人と親密であり、キリスト教徒とも親しかったのです。今、イランがイスラエルやアメリカと戦うのは、故郷を同じくする一神教徒同士の戦いであり、それは避けるべきことです。
宗教の違いによる戦争などは、過去の愚行とすべきです。
霊的には、霊的な一神教徒として、皆、霊界で仲良く生きることができるはずです。人を生かすのが宗教であり、宗教を理由とした戦いはやめるべきです。
54 そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。
55 この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
56 またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」。
57 こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」。
58 そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった。 (マタイによる福音書 第 13 章)
53 When Jesus had finished these parables, he moved on from there. 54 Coming to his hometown, he began teaching the people in their synagogue, and they were amazed. “Where did this man get this wisdom and these miraculous powers?” they asked. 55 “Isn’t this the carpenter’s son? Isn’t his mother’s name Mary, and aren’t his brothers James, Joseph, Simon and Judas? 56 Aren’t all his sisters with us? Where then did this man get all these things?” 57 And they took offense at him.
But Jesus said to them, “A prophet is not without honor except in his own town and in his own home.”
58 And he did not do many miracles there because of their lack of faith.
Footnotes
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「預言者は、自分の郷里や自分の家では、敬われない」というのは、イエス・キリストの有名な言葉です。
預言者をよく知るその故郷では、かえって、預言者のことをよく知っているために、その偉大さがわからないということです。日常的なささいなことにこだわって、預言という偉大な行為を軽んじることになる。
イエスという偉大な預言者も、その故郷では、人々の嫉妬や偏見、蔑視などがあって十分に尊敬されず、人々を救済する意欲が落ちた。だから、「彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった」。
これは、イエスの活動には、人々の好意や賛同、感動などが励ましとなっていたことを意味する。不信仰者ばかりでは、何を言っても無駄だと感じられた。しかし、かつての一般人だったときのイエスと、聖霊を受けて生まれ変わったイエスの違いが分からない故郷の人は、イエスによって信仰心を高められ、イエスを尊敬するようにはならない。かつての、イエスの一般人としてのイメージを払拭できないからです。
このように、聖霊を受けた人に対する態度は変えなければならない。預言者の過去や、その先祖の様子を知っているからといって、預言者を貶めてはならない。聖霊を受けた人は、もはや、一般人ではないのです。
これは、人の過去にこだわってはいけないことを意味する。あくまで、預言の真正さと、その背後の聖霊の働きと、さらに、そえを認める神様への信仰心が重要なのです。
偉大な業績を上げた人物の過去を詮索し、その業績を貶めるようなことをしてはならない。
また、これは偉大な宗教家となったイエス・キリストを、同胞のユダヤ人が受け入れず、イエス・キリストの打ち立てたキリスト教をユダヤ人が拒否することにも通じる。
ただし、今でもキリスト教に改宗するユダヤ人もいる。キリスト教はユダヤ教の延長にあることを認めるべきです。ユダヤ人としては、ユダヤ教に従っても、人類の一員としては、キリスト教を信じるというのが正しい。
また、イスラム教徒はその教えが、ユダヤ教とキリスト教の後に生まれたものであることを素直に認め、ユダヤ教とキリスト教を親近感をもって接し、その神様に対する根本的考えを受け入れるべきです。イスラム教も、ユダヤ教とキリスト教と同じく、アブラハムを始祖とする教えであり、宇宙の唯一かつ絶対の神様を戴く宗教であることを認めるべきです。アラブ人としては、イスラム教徒であっても、人類の一員としては、心霊的な一神教の一員だと考えるべきです。
実際、イスラム教徒は歴史的にはユダヤ人と親密であり、キリスト教徒とも親しかったのです。今、イランがイスラエルやアメリカと戦うのは、故郷を同じくする一神教徒同士の戦いであり、それは避けるべきことです。
宗教の違いによる戦争などは、過去の愚行とすべきです。
霊的には、霊的な一神教徒として、皆、霊界で仲良く生きることができるはずです。人を生かすのが宗教であり、宗教を理由とした戦いはやめるべきです。
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