「あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」 (ヨハネによる福音書 第 7 章) (Why are you trying to kill me?) ― 2026/03/04 11:30
14 祭も半ばになってから、イエスは宮に上って教え始められた。
15 すると、ユダヤ人たちは驚いて言った、「この人は学問をしたこともないのに、どうして律法の知識をもっているのだろう」。
16 そこでイエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教はわたし自身の教ではなく、わたしをつかわされたかたの教である。
17 神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。
18 自分から出たことを語る者は、自分の栄光を求めるが、自分をつかわされたかたの栄光を求める者は真実であって、その人の内には偽りがない。
19 モーセはあなたがたに律法を与えたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法を行う者がひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」。 (ヨハネによる福音書 第 7 章)
14 Not until halfway through the festival did Jesus go up to the temple courts and begin to teach.
15 The Jews there were amazed and asked, “How did this man get such learning without having been taught?”
16 Jesus answered, “My teaching is not my own. It comes from the one who sent me.
17 Anyone who chooses to do the will of God will find out whether my teaching comes from God or whether I speak on my own.
18 Whoever speaks on their own does so to gain personal glory, but he who seeks the glory of the one who sent him is a man of truth; there is nothing false about him.
19 Has not Moses given you the law? Yet not one of you keeps the law. Why are you trying to kill me?”
+++ +++ +++
これは、神殿でのイエス・キリストの教えです。
「(イエスは)学問をしたこともないのに、どうして律法の知識をもっているのだろう」と人々は、イエスの教えに驚いたのに、イエスが「私の教えは私自身の教えではなく、私をつかわされたかた(神様)の教えである」と答えたのです。
宗教的な知識や、神様の教えは人間が頭をひねって考え出すものではなく、神様の霊が下って人の心の中に現れるのです。それは、意識的な心を動かす原動力となる霊に、聖霊が下って心を動かすようになるのです。
つまり、霊的な直観という形で、心の中に閃くのが神様の教えです。それは、神様の栄光の現れなのです。だから、その心に閃く言葉を述べる者は真実の言葉を述べたことになる。
それを妨害するのが悪魔であり、真実を述べる者を憎んで殺害することを考える。それを、イエス・キリストは見抜いて、「あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」と責めたのです。
悪魔に魂を売った者たちは、自分がイエスをなぜ憎むのか分からないが、自分がイエスを殺したいと思っていることに気が付く。まさに、心の中に悪魔が入り込んだ人間は、神様がつかわされたイエスを憎む。それは、悪霊がその人の心を支配するからです。まさに、悪魔の天敵は、神様が遣わしたイエス・キリストなのです。相手に殺意を持つほど憎むのは、神様と悪魔の側に分かれたときに、悪魔側の人間がもつ心なのです。
つまり、イエス・キリストがこの世で伝道するということは、命がけなのです。それが、神と悪魔の戦いの真の姿なのです。実際に、イエスの言葉を伝えた初期キリスト教徒の多くは、悪魔の手にかかって殺害された。そのような多くの弟子や信仰者の死の上に建てられたのがキリスト教という宗教なのです。キリスト教という愛の宗教は、多くの血の上に建てられたのです。十字架上に血を流すイエスの像を、今も崇めるのがキリスト教なのです。
今では、殉教者という命をかけて伝道する者はいないが、本来のキリスト教は命がけで神様の教えを伝える教えなのです。それほど、人間を滅ぼそうとする悪魔と、人間を救おうとする神様が派遣されたイエス・キリストの間の戦いは厳しいものです。
キリスト教の神父や牧師になって、人々から尊敬される立場になりたいと考えるのは甘い考えであり、ましてや、聖職者になって満ち足りた生活をしようなどと考えるのはお門違いなのです。
キリスト教の聖職者になれば、いつ悪魔に取り付かれた人間に攻撃され、殺されるか分からない。そういう覚悟が必要なのです。基本的には、その神様/イエス・キリストと悪魔/悪霊の関係は、2千年前のイエスの時代から変わっていない。さらには、死後の霊界でもこの関係は続く。霊界の天国に受け入れられて、やっとこの戦いから解放されるのです。
しかし、神様は悪魔よりも強く、いつでも天使を送って信徒を悪魔や悪霊から救われる。だから、イエス・キリストの教えが2千年間も廃れることなく続いたのです。
キリスト教の歴史とは、まさに、悪魔との戦いであり、悪魔は多くの人間の心に入り込み、神様の教えを拒絶させ、やがて地獄に引き込む。そのような悪魔に魂を売った人間を憐れまれたのがイエス・キリストであり、聖母マリアの霊なのです。
本当のキリスト教は、単なるこの世の道徳ではなく、悪魔との命をかけた魂と心の戦いなのです。
ただし、神様は決して悪魔に負けることはないので、信仰者は必ず救われる。これを信じるのがイエス・キリストの信仰者なのです。
15 すると、ユダヤ人たちは驚いて言った、「この人は学問をしたこともないのに、どうして律法の知識をもっているのだろう」。
16 そこでイエスは彼らに答えて言われた、「わたしの教はわたし自身の教ではなく、わたしをつかわされたかたの教である。
17 神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。
18 自分から出たことを語る者は、自分の栄光を求めるが、自分をつかわされたかたの栄光を求める者は真実であって、その人の内には偽りがない。
19 モーセはあなたがたに律法を与えたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法を行う者がひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」。 (ヨハネによる福音書 第 7 章)
14 Not until halfway through the festival did Jesus go up to the temple courts and begin to teach.
15 The Jews there were amazed and asked, “How did this man get such learning without having been taught?”
16 Jesus answered, “My teaching is not my own. It comes from the one who sent me.
17 Anyone who chooses to do the will of God will find out whether my teaching comes from God or whether I speak on my own.
18 Whoever speaks on their own does so to gain personal glory, but he who seeks the glory of the one who sent him is a man of truth; there is nothing false about him.
19 Has not Moses given you the law? Yet not one of you keeps the law. Why are you trying to kill me?”
+++ +++ +++
これは、神殿でのイエス・キリストの教えです。
「(イエスは)学問をしたこともないのに、どうして律法の知識をもっているのだろう」と人々は、イエスの教えに驚いたのに、イエスが「私の教えは私自身の教えではなく、私をつかわされたかた(神様)の教えである」と答えたのです。
宗教的な知識や、神様の教えは人間が頭をひねって考え出すものではなく、神様の霊が下って人の心の中に現れるのです。それは、意識的な心を動かす原動力となる霊に、聖霊が下って心を動かすようになるのです。
つまり、霊的な直観という形で、心の中に閃くのが神様の教えです。それは、神様の栄光の現れなのです。だから、その心に閃く言葉を述べる者は真実の言葉を述べたことになる。
それを妨害するのが悪魔であり、真実を述べる者を憎んで殺害することを考える。それを、イエス・キリストは見抜いて、「あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」と責めたのです。
悪魔に魂を売った者たちは、自分がイエスをなぜ憎むのか分からないが、自分がイエスを殺したいと思っていることに気が付く。まさに、心の中に悪魔が入り込んだ人間は、神様がつかわされたイエスを憎む。それは、悪霊がその人の心を支配するからです。まさに、悪魔の天敵は、神様が遣わしたイエス・キリストなのです。相手に殺意を持つほど憎むのは、神様と悪魔の側に分かれたときに、悪魔側の人間がもつ心なのです。
つまり、イエス・キリストがこの世で伝道するということは、命がけなのです。それが、神と悪魔の戦いの真の姿なのです。実際に、イエスの言葉を伝えた初期キリスト教徒の多くは、悪魔の手にかかって殺害された。そのような多くの弟子や信仰者の死の上に建てられたのがキリスト教という宗教なのです。キリスト教という愛の宗教は、多くの血の上に建てられたのです。十字架上に血を流すイエスの像を、今も崇めるのがキリスト教なのです。
今では、殉教者という命をかけて伝道する者はいないが、本来のキリスト教は命がけで神様の教えを伝える教えなのです。それほど、人間を滅ぼそうとする悪魔と、人間を救おうとする神様が派遣されたイエス・キリストの間の戦いは厳しいものです。
キリスト教の神父や牧師になって、人々から尊敬される立場になりたいと考えるのは甘い考えであり、ましてや、聖職者になって満ち足りた生活をしようなどと考えるのはお門違いなのです。
キリスト教の聖職者になれば、いつ悪魔に取り付かれた人間に攻撃され、殺されるか分からない。そういう覚悟が必要なのです。基本的には、その神様/イエス・キリストと悪魔/悪霊の関係は、2千年前のイエスの時代から変わっていない。さらには、死後の霊界でもこの関係は続く。霊界の天国に受け入れられて、やっとこの戦いから解放されるのです。
しかし、神様は悪魔よりも強く、いつでも天使を送って信徒を悪魔や悪霊から救われる。だから、イエス・キリストの教えが2千年間も廃れることなく続いたのです。
キリスト教の歴史とは、まさに、悪魔との戦いであり、悪魔は多くの人間の心に入り込み、神様の教えを拒絶させ、やがて地獄に引き込む。そのような悪魔に魂を売った人間を憐れまれたのがイエス・キリストであり、聖母マリアの霊なのです。
本当のキリスト教は、単なるこの世の道徳ではなく、悪魔との命をかけた魂と心の戦いなのです。
ただし、神様は決して悪魔に負けることはないので、信仰者は必ず救われる。これを信じるのがイエス・キリストの信仰者なのです。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/03/04/9839925/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
最近のコメント