「信ずる者には、どんな事でもできる。」2025/06/12 22:38

“‘If you can’?” said Jesus. “Everything is possible for one who believes.”

イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。(マルコによる福音書 9:23)

+++ +++ +++

これは、息子に悪霊が取り付いて、その子を殺そうとしているのに悩んだ父親が、イエス・キリストに助けを求めたときの、イエスの言葉です。もし、できれば息子を悪霊から救ってくれという、親の願いにイエスは、信仰心があれば悪霊を追い出すことができると述べたのです。

要するに、神様への信仰心があれば、人はこの世で願ったことはかなうという、イエスの教えです。

人間に悪霊が取り付いて、その命を取ろうとする、ということは2千年前の人々には信じられていた。悪霊には勝てない、という思いが強かった。この世には、さまざまな霊が働いているのは常識だった。しかし、神様への強い信仰心があれば、悪霊にも勝てるということをイエスは教えたのです。

現在では、霊の存在を信じない人も多いし、霊を考えるなどということは、迷信だと考えるのが普通です。しかし、現代科学でも人の心や意識などの実態は分かっていない。精神医学も精神に作用する薬物や精神状態の解明だけしかできない。精神の発生メカニズムなどは分かっていない。精神現象の研究しかできていない。科学的研究を行っても、心自体は説明できない。心や精神は科学的手法ではなく、霊的理解に基づく直観的な悟りを通して把握できるものです。科学以前の問題です。

そして、心を生み出す霊の存在を認めれば、この世の向こうに霊界が存在することが分かる。物質文明がまだ発展していない時代には、多くの人が直観によって霊の存在を信じていた。それだけ、人の心は外界ではなく心の中に向いていた。言葉には表せなくても、悟りのレベルに達した人も多かった。心は霊から発しており、霊が生命の源だということは多くの人が感じていた。霊を認めない科学では、このレベルに達しない。

しかし、霊には善霊だけでなく、悪霊もいる。神の霊もあれば、悪魔の霊もある。そして、善霊につながっていれば、人は安全だが、悪霊に支配されると苦しめられる。人間の精神文化は、このような心の問題を直視することから生まれ、善霊を求めて宗教という活動などが生まれた。人の心を支配する霊的存在というものは、物質文明が発展する以前は、当然のこととして認められていた。だから、古典文学などは、その意識がないと理解できない。

聖書も古典文学作品と考えれば、霊的な存在を認めなければ理解できない。現代科学や技術が発展する以前の、人々がもっと心の問題を重視していた時代の話しなのです。

また、科学的に物質世界を研究しても、最後には科学的手法では理解できない現象にぶつかる。宇宙の発生や人間精神の発生などは、霊的な理解がないと解明できない。また、科学的には説明できない現象も存在する。物質文明は万能ではない。

そこで、心霊主義や宗教が重視されるようになる。霊的な問題が、この世で満たされない生活、精神、心の問題に関わっていることに気が付く人も出ている。しかし、物質的幸福を達成するには、科学・技術に基づく現代物質文明では、カネが必要だという拝金主義が主流になる。宗教活動や精神活動は、むしろ軽んじられれている。精神的問題もカネで解決しようとする。だから、根本的な解決はできない。

しかし、この世は霊界から生じ、この世でも霊的な力が働くということを知っていたイエスは、神様への信仰心によって、誰でも霊的な力を得て、この世の問題を解決できることが分かっていた。人に取り付く悪魔ですら、そのような信仰心で退けることができる。これが、イエス・キリストの教えなのです。実際、人が願うのは幸福ですが、霊的な力がなければ、本当の幸福は得られない。そして、霊能力によって、幸福が得られば、人は全てがかなったとして満足する。

この世の不幸は、大部分が悪魔によって引き起こされたものです。現代物質文明になれた現代人には理解できないが、霊的な修業や霊的信仰心によって、悪魔に打ち勝ち、不幸な状態から解放される。それを信じるのが、本来のキリスト教です。
<< 2025/06 >>
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

このブログについて

時事問題を英語で議論しよう

救世主イエスの言葉を学ぼう!

最近のコメント

最近のトラックバック

RSS