「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハネによる福音書 第 14 章) (Anyone who has seen me has seen the Father. ) ― 2026/01/08 11:44
5 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
7 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。」(ヨハネによる福音書 第 14 章)
5 Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?”
6 Jesus answered, “I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me. 7 If you really know me, you will know[b] my Father as well. From now on, you do know him and have seen him.”
8 Philip said, “Lord, show us the Father and that will be enough for us.”
9 Jesus answered: “Don’t you know me, Philip, even after I have been among you such a long time? Anyone who has seen me has seen the Father. How can you say, ‘Show us the Father’?
10 Don’t you believe that I am in the Father, and that the Father is in me? The words I say to you I do not speak on my own authority. Rather, it is the Father, living in me, who is doing his work."
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストがご自分の死が近いことを弟子たちに示唆したときの言葉です。
イエスは、神様のことを「父」と呼び、ご自分が神様の子であることを明らかにされておられる。また、神様の霊がイエスの霊に入っていることを述べておられる。イエスを身近に見ていた弟子たちは、神様の姿を見たことになると述べておられる。だから、キリスト教徒は、イエス・キリストのことを「主」と呼び、神様と同一視するようになる。
人間と神との間には無限の距離があり、聖書では、人間は生きて神を見ることはできない、とされている。しかし、神が人間の姿を取って現れたときは、イエスのように、その霊の中に神は現れるのです。
神様のことは、人間の理解を超えており、万能の神様には出来ないことはない。神様がイエスとして姿を現すこともできたのです。それでも、イエスは人間であり、人間の魂を持っている。無限の能力を持つ神様と、有限の能力しかない人間では、無限の差異がある。この関係を研究するのがキリスト教神学です。
普通の人間から見れば、イエスも無限の力を持っている。さらに、その上に神様がおられる。人間ごときものに、そのような至高のレベルにおける、神様とイエス・キリストの差異など理解できない。ただ、謙虚にイエスの言葉を受け入れ、信じることしかできない。
神は霊だとイエスは述べておられる。人間も肉眼ではなく、霊眼を持たなければ、神様を見ることも、感じることもできない。
ご自分の死が近いことを感じられたイエス・キリストは弟子たちに、ご自分と神様の関係について述べられ、その関係を教えられた。「私を見た者は、神様を見たことになる」という言葉が、その教えの中心になっている。つまり、イエス・キリストは普通の人間ではない。我々、人間の理解を超えた存在なのです。ただ、神の御業がイエスを通して現れていることを理解し、その言葉を信じるのがイエス・キリストの信者だということになる。
そして、この2千年間、欧米を中心に多くの研究がイエス・キリストについて行われており、さまざまな議論が行われている。しかし、イエス・キリストの本質は、その人間性ではなく、霊性にある。だから、特にカトリック教徒は霊を重んじる。つまり、本来のキリスト教は、神道や仏教以上に霊的な宗教なのです。
現在の欧米発の物質文明はキリスト教文化から生じたものだが、今後は、イエス・キリストの霊性に基づいて霊的文明を樹立しなければならない。21世紀中に文明の転換が行われなければ、地球も人類も危機に瀕する。
まずは、日本人も神道や仏教の霊性を学び、その上で、イエス・キリストの霊的な教えを研究する必要がある。
例えば、物質文明の核心である科学の限界を知り、超能力や霊能力など研究すべきです。この世の物質世界は、神様が霊的エネルギーを言葉と想念を使って生み出したものだといことを認めるべきです。
6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
7 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。」(ヨハネによる福音書 第 14 章)
5 Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?”
6 Jesus answered, “I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me. 7 If you really know me, you will know[b] my Father as well. From now on, you do know him and have seen him.”
8 Philip said, “Lord, show us the Father and that will be enough for us.”
9 Jesus answered: “Don’t you know me, Philip, even after I have been among you such a long time? Anyone who has seen me has seen the Father. How can you say, ‘Show us the Father’?
10 Don’t you believe that I am in the Father, and that the Father is in me? The words I say to you I do not speak on my own authority. Rather, it is the Father, living in me, who is doing his work."
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これは、イエス・キリストがご自分の死が近いことを弟子たちに示唆したときの言葉です。
イエスは、神様のことを「父」と呼び、ご自分が神様の子であることを明らかにされておられる。また、神様の霊がイエスの霊に入っていることを述べておられる。イエスを身近に見ていた弟子たちは、神様の姿を見たことになると述べておられる。だから、キリスト教徒は、イエス・キリストのことを「主」と呼び、神様と同一視するようになる。
人間と神との間には無限の距離があり、聖書では、人間は生きて神を見ることはできない、とされている。しかし、神が人間の姿を取って現れたときは、イエスのように、その霊の中に神は現れるのです。
神様のことは、人間の理解を超えており、万能の神様には出来ないことはない。神様がイエスとして姿を現すこともできたのです。それでも、イエスは人間であり、人間の魂を持っている。無限の能力を持つ神様と、有限の能力しかない人間では、無限の差異がある。この関係を研究するのがキリスト教神学です。
普通の人間から見れば、イエスも無限の力を持っている。さらに、その上に神様がおられる。人間ごときものに、そのような至高のレベルにおける、神様とイエス・キリストの差異など理解できない。ただ、謙虚にイエスの言葉を受け入れ、信じることしかできない。
神は霊だとイエスは述べておられる。人間も肉眼ではなく、霊眼を持たなければ、神様を見ることも、感じることもできない。
ご自分の死が近いことを感じられたイエス・キリストは弟子たちに、ご自分と神様の関係について述べられ、その関係を教えられた。「私を見た者は、神様を見たことになる」という言葉が、その教えの中心になっている。つまり、イエス・キリストは普通の人間ではない。我々、人間の理解を超えた存在なのです。ただ、神の御業がイエスを通して現れていることを理解し、その言葉を信じるのがイエス・キリストの信者だということになる。
そして、この2千年間、欧米を中心に多くの研究がイエス・キリストについて行われており、さまざまな議論が行われている。しかし、イエス・キリストの本質は、その人間性ではなく、霊性にある。だから、特にカトリック教徒は霊を重んじる。つまり、本来のキリスト教は、神道や仏教以上に霊的な宗教なのです。
現在の欧米発の物質文明はキリスト教文化から生じたものだが、今後は、イエス・キリストの霊性に基づいて霊的文明を樹立しなければならない。21世紀中に文明の転換が行われなければ、地球も人類も危機に瀕する。
まずは、日本人も神道や仏教の霊性を学び、その上で、イエス・キリストの霊的な教えを研究する必要がある。
例えば、物質文明の核心である科学の限界を知り、超能力や霊能力など研究すべきです。この世の物質世界は、神様が霊的エネルギーを言葉と想念を使って生み出したものだといことを認めるべきです。
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