「小事に忠実な人は、大事にも忠実である」(ルカによる福音書 第 16 章) (“Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much") ― 2025/10/29 13:41
9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。
10 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
11 だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。(ルカによる福音書 第 16 章)
9 I tell you, use worldly wealth to gain friends for yourselves, so that when it is gone, you will be welcomed into eternal dwellings.
10 “Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much, and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much.
11 So if you have not been trustworthy in handling worldly wealth, who will trust you with true riches?
+++ +++ +++
これは、不正な家令が主人に解雇される前に、主人から借りのある人の負債を減額して恩を売り、自分が主人から解雇されても、恩を売った人々から助けてもらえるように画策した例をあげて、イエスが悪知恵でもいいから生きるために全力をつくす人をほめたという不思議な話です。
この世の善悪よりも、神様の定める善悪が重要であるという教えが一つ。また、細かな点を疎かにすることなく、誰がどれだけ負債があるかなども承知していることによって、友達を作り、自分の将来に備えることができるように、小さな問題でも軽く見たり無視したりすべきでないとも教えている。小さな問題を忠実に扱うことで、人々の信頼を得て、大きな問題も任せてもらえるようになる。
さらに、不正な手段で得た富ですら、その扱いには忠実であるべきであり、忠実な扱いをすることで、上司の信頼を得て、真の富も任せてもらえるようになる。つまり、不正であるか、真実のものであるかの判断能力よりも、取り扱いという義務を忠実に果たそうという気持ちが評価される。
従って、神様の指示の内容を自分で判断することなく、与えられた支持を忠実に果たすことが求められる。神様の与えられた運命には文句を言わず、その与えられた運命に忠実に取り組むことで、神様から信頼を得ることができる。
つまり、不運な時や逆境の時にも、神様を信じて真剣にその状況に取り組むことで、やがて幸運な運命を与えられることになる。状況は移り変わるが、その裏の神様の意志は変わらない。常に、神様を恐れよということになる。
この世の善悪の判断よりも、神様の善悪の判断を優先すべきだということにもなる。だから、この世の不正な手段で得た富でも、神様の望む愛と信仰のために役立てることができる。
ただし、不正な行為や悪事を推奨しているのではない。この世の善悪の向こうにある神様の気持ちを考えよということでもある。
10 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
11 だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。(ルカによる福音書 第 16 章)
9 I tell you, use worldly wealth to gain friends for yourselves, so that when it is gone, you will be welcomed into eternal dwellings.
10 “Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much, and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much.
11 So if you have not been trustworthy in handling worldly wealth, who will trust you with true riches?
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これは、不正な家令が主人に解雇される前に、主人から借りのある人の負債を減額して恩を売り、自分が主人から解雇されても、恩を売った人々から助けてもらえるように画策した例をあげて、イエスが悪知恵でもいいから生きるために全力をつくす人をほめたという不思議な話です。
この世の善悪よりも、神様の定める善悪が重要であるという教えが一つ。また、細かな点を疎かにすることなく、誰がどれだけ負債があるかなども承知していることによって、友達を作り、自分の将来に備えることができるように、小さな問題でも軽く見たり無視したりすべきでないとも教えている。小さな問題を忠実に扱うことで、人々の信頼を得て、大きな問題も任せてもらえるようになる。
さらに、不正な手段で得た富ですら、その扱いには忠実であるべきであり、忠実な扱いをすることで、上司の信頼を得て、真の富も任せてもらえるようになる。つまり、不正であるか、真実のものであるかの判断能力よりも、取り扱いという義務を忠実に果たそうという気持ちが評価される。
従って、神様の指示の内容を自分で判断することなく、与えられた支持を忠実に果たすことが求められる。神様の与えられた運命には文句を言わず、その与えられた運命に忠実に取り組むことで、神様から信頼を得ることができる。
つまり、不運な時や逆境の時にも、神様を信じて真剣にその状況に取り組むことで、やがて幸運な運命を与えられることになる。状況は移り変わるが、その裏の神様の意志は変わらない。常に、神様を恐れよということになる。
この世の善悪の判断よりも、神様の善悪の判断を優先すべきだということにもなる。だから、この世の不正な手段で得た富でも、神様の望む愛と信仰のために役立てることができる。
ただし、不正な行為や悪事を推奨しているのではない。この世の善悪の向こうにある神様の気持ちを考えよということでもある。
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