「二人または三人が、私の名によって集まっている所には、私もその中にいる」2025/06/19 01:23

“Again, truly I tell you that if two of you on earth agree about anything they ask for, it will be done for them by my Father in heaven. For where two or three gather in my name, there am I with them.”

「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。
(マタイによる福音書 16:19~20)
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これは、弟子がイエス・キリストに天国について、さまざまな質問をしたときに、イエスが教えた内容の1つです。

特に、この言葉でイエスは、人が誰かと一緒に心を合わせて祈ることの重要さを教えている。つまり、教会のような、人々の集まりに意味がある。2、3人でも、信仰者が集まる時には、そこにイエスの霊もいると宣言している。

人は、一人で神様に願い事をするものだが、信仰者が集まることで祈りに力が加わる。また、その祈りの内容も隣人愛に関わるものになる。そして、霊界でそのような祈りを感じたイエスの霊は、この世の祈りの場に来るということを宣言している。そして、イエスを通して、そのような祈りは天国の神様に達すると述べている。

だから、教会の重要性がイエスによって示されたことになる。信徒が集まって、心を合わせて、イエスの名によって神様に祈れば、その願い事は神様に聞き入れられるというのは、まさに、救いの道を弟子に示したことになる。だから、キリスト教という宗教では、信者の集まりである教会が重視される。

つまり、神様に救われたい人々が教会に集まるのは自然なことです。2千年前の社会では、社会福祉も保証もない状態であり、貧しい人間は社会から見捨てられていた。そこで、神様とイエスを信じる貧しい人々が集まれば、それなりの共同体となり、互いに隣人愛で助け合うことができる。同じ信仰心を持つ人間は、互いに信用できるので、助け合うことができる。さらに、そような集会にはイエスの霊がやってきて、霊界からこの世の集会を見て人々の願いを聞き、天国の神様に取り次いでくれる。これほど、有難い教えはない。だから、当時の多くの貧しい人が、イエスの権威を信じ、その教えに納得し、初期キリスト教会を形成したのです。

これは、天国、霊界とこの世の関係も示した言葉です。また、イエスが神様と密接な関係を持っていることも示している。

この世での人の死後は、人の魂は霊界で霊として生き、神様の裁きによって天国か地獄に行く。神様のおられる天国に受け入れられた者は、永遠の命と幸福を与えられるが、悪魔のいる地獄に行く者は、やがて、悪魔と共に滅ぼされ、完全な無となる。ただし、悪魔の影響下にあるこの世では、多くの人が魂を悪魔に売って物質的な幸福を得ようとし、死後は、天国ではなく地獄に入って行く。それを哀れに思ったイエスが、この世に姿を現して、魂を悪魔に売らないようにとの警告をした、というのが聖書の筋書きです。

悪魔は、当然、そのようなイエスを憎み、攻撃し、最後は罠にかけるようにして、弟子の一人にイエスを裏切らさせ、十字架刑で死刑にした。ところが、霊能力のあるイエスは、死からよみがえり、弟子たちにさらに信仰を強め、世界に伝道するように命じた。これが、新約聖書の内容です。

つまり、本当のイエスの教えは、天国の神様の力を信じ、その子であるイエスの教えを信じることで、人々は救われるということです。

こんなに有難い教えはない。悪魔の影響下のこの世で苦しむ人間にとって、幸福を与える教え、福音だということになる。日本では、宗教の自由があり、どんな宗教も強制されることはないが、これほど有難い教えを信じない方がおかしいくらいです。教会に行って洗礼を受け、教会員とならなくても、神様、イエス様を信じ、祈れば、この世の苦しみから救われる。それを、イエスは宣言したのです。ただし、教会に行って同じ信仰者と交わりたくなるのが自然であり、その場合には、さらに大きな救いが得られる。

だから、せめて聖書を読んで、イエスの教えを知ることが重要になる。

天国は、幼な児のような者の国である2025/06/19 20:02

Jesus said, “Let the little children come to me, and do not hinder them, for the kingdom of heaven belongs to such as these.”

するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。(マタイによる福音書 19:14)

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これは、イエス・キリストが弟子に教えを述べているところに、誰かが子供を連れてきたのを、弟子が子供はじゃまだという態度を取った時のイエスの言葉です。

さらに、イエスは、天国に入るには幼な子のように、素直に神を信じなければならない、と述べている。

霊的には、魂が霊界を離れて時間がたたない幼児は、まだ、霊的なつながりを霊界にもっており、この世でも神様の支配が行われていると考え、素直に神様のことを信じる。しかし、子供が成長し、この世では悪魔の影響力が強いことを学ぶと、徐々に神様のことを忘れる。

それでも、再び死後、霊界に入ったときに、神様の支配を素直に受け入れる者でなければ、天国には受け入れられない。この世で、悪魔による影響を受けた後に後悔し、再び、神様の支配を喜ぶような人間にならないと、天国には受け入れられない。だから、西洋の聖画では、天使は幼児の姿で描かれている。

日本でも、負うた子に教えられ、という諺がある。親が背中に背負った子供に、道の様子を教えられ、危険を避けることができるという意味です。また、まだ、霊界の霊能力を持っている子供は、大人には見えない危機を見ることができる、という意味でもある。

これは、この世は神様が霊界から、言葉と想念を使ってこの世を生み出したという神学に通じる。霊界にいる魂は、この世に赤ん坊として生まれる。しかし、霊界では霊能力を持って生きているので、赤ん坊の間は、霊能力を使おうとする。ところが、物質世界では霊能力は直接的には働かない。やがて、物質的法則を学び、さらに、悪魔の影響力が働いていることを学んで、子供は霊的な力を失う。そして、この世に適応しようとする。子供時代の考えは、全て幼稚だと考える。そうして、やがて世慣れた大人になる。しかし、イエスは、人間の原点の幼な子の精神に戻らなければ、天国には入れないと教えている。

人間が成長するにつれて学ぶことは、ほとんどが悪魔の教えです。神様の教えは役に立たないとして軽んじられる。そして、ほとんどの人間が拝金主義になる。カネを神のように崇める生き方をしている。そして、神様の怒りを買い、死後は天国から締め出される。

逆に、幼な児の心を失わない者は、神様への尊敬を忘れず、カネより神様の教えを選び、カネの力ではなく、霊的な力で生きることができる。また、神様もそのような人間には天使をおくって救う、守護霊の形で助けが来る。霊的な恵みでこの世を生きることが出来れば、真の幸福を感じるものです。いくら、カネや富を持っていても、霊や精神は満たされないが、神様からの恵みを感じれば、霊も心も充足する。

死後の世界を考え、霊界の存在を信じ、自分に魂があることを自覚すれば、幼な児のように素直に神様の存在を信じるようになる。その心が、人間が救われるのに必要だということです。

実際、臨死体験をして、霊界を見た人は、幼児のように素直に神様の存在を信じるようになる。この世は、悪魔の影響下にあることを悟る者もいる。そうすれば、幼児の心の貴さが理解できるようになる。

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