「ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」 (ヨハネによる福音書 第 10 章) ("But they will never follow a stranger; in fact, they will run away from him because they do not recognize a stranger’s voice.”) ― 2026/06/06 09:52
1 よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。
2 門からはいる者は、羊の羊飼である。
3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
4 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
5 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。
6 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。(ヨハネによる福音書 第 10 章)
“Very truly I tell you Pharisees, anyone who does not enter the sheep pen by the gate, but climbs in by some other way, is a thief and a robber. 2 The one who enters by the gate is the shepherd of the sheep. 3 The gatekeeper opens the gate for him, and the sheep listen to his voice. He calls his own sheep by name and leads them out. 4 When he has brought out all his own, he goes on ahead of them, and his sheep follow him because they know his voice. 5 But they will never follow a stranger; in fact, they will run away from him because they do not recognize a stranger’s voice.” 6 Jesus used this figure of speech, but the Pharisees did not understand what he was telling them.
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羊飼い(the shepherd of the sheep )という言葉は新約聖書によく出てくる。羊飼いについては、「月刊いのちのことば」で次のように説明されている。
「このように旧約聖書の時代、羊飼いは良いイメージでした。しかし、何頭も羊を飼っていると、定期的な休みをとることはできません。羊飼いたちは、「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ」という旧約聖書の律法に従い、シナゴーグ(聖書の朗読を行う集会所。コミュニティの中心であった)の礼拝に毎週行くことができませんでした。ですから、新約聖書の時代になると、羊飼いはユダヤ人たちに好まれない職業となっていたのです。貧しく、文盲と見下され、動物に触れる汚れた職業とされ、裁判での証言も認められませんでした... イエスの言動は、当時のユダヤ社会の指導者たちにとって、また、当時の社会的な価値観に対して、驚きを与えるものだったのです。」
そのような、羊飼いに飼われる羊は、つまり、その当時の人々は、下層の羊飼い以上の惨めな存在であったことが分かる。
つまり、イエスは貴族や王族としてこの世に現れたのではなく、あくまで底辺の人間としてこの世に出現されたのです。これは、ブッダが王族の一員として生まれたのとは対照的です。また、儒教の孔子は、「孔子のお父さんは屈強な武将・軍人だったそうで、正妻との間に男子がひとりも生まれなかったから、年が若くて身分が低い人だった徴在(孔子のお母さん)と正規の婚儀を経ずして密通し、生まれたのが孔子 」(【ことばplus1】)とされている。イエスは、あくまで社会のエリートや富裕層ではなく、貧民の一人としてこの世に出現したのです。
これは、神様の関心が社会の底辺に注がれていることを示している。
また、イエスは「小さき者」という言葉をよく使う。これも、社会の弱者に神様が注目していることを表している。
そのイエス・キリストの教えが、やがて、王侯貴族を従わせるようになったのです。まさに、神様は力ある者を抑え、無力な人間を助けるために、自分の子であるイエスをこの世に遣わされたのです。かつ、この世で知恵のある者を退け、この世で無能と呼ばれるような素直な信者を取り上げられたのです。この世の利口者や学者の知恵は、神様の意に適うことはないのです。
聖書を読めば、人々は価値観が180度変わる。そもそも、イエス・キリストが生まれたのは、貧しい馬小屋だった。そのイエスが、万民を従わせる指導者となった。これは、革命的な話しです。悪魔の影響下の人間社会では、悪魔を喜ばす者が高い地位を与えられるが、神様の支配する霊界では、神様の教えに従う霊が高い地位を与えられるのです。
この世のエリートや富裕層は、神様の教えから離れ、悪魔に従うことで物質的な幸福を得ている。彼らの犠牲になった下層の人々を愛するのが、イエス・キリストの使命なのです。
日本人も、物質的な成功を願わず、霊的な救いを求めて生きるべきです。この世の秩序は、霊界の秩序とは逆なのです。
2 門からはいる者は、羊の羊飼である。
3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
4 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
5 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。
6 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。(ヨハネによる福音書 第 10 章)
“Very truly I tell you Pharisees, anyone who does not enter the sheep pen by the gate, but climbs in by some other way, is a thief and a robber. 2 The one who enters by the gate is the shepherd of the sheep. 3 The gatekeeper opens the gate for him, and the sheep listen to his voice. He calls his own sheep by name and leads them out. 4 When he has brought out all his own, he goes on ahead of them, and his sheep follow him because they know his voice. 5 But they will never follow a stranger; in fact, they will run away from him because they do not recognize a stranger’s voice.” 6 Jesus used this figure of speech, but the Pharisees did not understand what he was telling them.
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羊飼い(the shepherd of the sheep )という言葉は新約聖書によく出てくる。羊飼いについては、「月刊いのちのことば」で次のように説明されている。
「このように旧約聖書の時代、羊飼いは良いイメージでした。しかし、何頭も羊を飼っていると、定期的な休みをとることはできません。羊飼いたちは、「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ」という旧約聖書の律法に従い、シナゴーグ(聖書の朗読を行う集会所。コミュニティの中心であった)の礼拝に毎週行くことができませんでした。ですから、新約聖書の時代になると、羊飼いはユダヤ人たちに好まれない職業となっていたのです。貧しく、文盲と見下され、動物に触れる汚れた職業とされ、裁判での証言も認められませんでした... イエスの言動は、当時のユダヤ社会の指導者たちにとって、また、当時の社会的な価値観に対して、驚きを与えるものだったのです。」
そのような、羊飼いに飼われる羊は、つまり、その当時の人々は、下層の羊飼い以上の惨めな存在であったことが分かる。
つまり、イエスは貴族や王族としてこの世に現れたのではなく、あくまで底辺の人間としてこの世に出現されたのです。これは、ブッダが王族の一員として生まれたのとは対照的です。また、儒教の孔子は、「孔子のお父さんは屈強な武将・軍人だったそうで、正妻との間に男子がひとりも生まれなかったから、年が若くて身分が低い人だった徴在(孔子のお母さん)と正規の婚儀を経ずして密通し、生まれたのが孔子 」(【ことばplus1】)とされている。イエスは、あくまで社会のエリートや富裕層ではなく、貧民の一人としてこの世に出現したのです。
これは、神様の関心が社会の底辺に注がれていることを示している。
また、イエスは「小さき者」という言葉をよく使う。これも、社会の弱者に神様が注目していることを表している。
そのイエス・キリストの教えが、やがて、王侯貴族を従わせるようになったのです。まさに、神様は力ある者を抑え、無力な人間を助けるために、自分の子であるイエスをこの世に遣わされたのです。かつ、この世で知恵のある者を退け、この世で無能と呼ばれるような素直な信者を取り上げられたのです。この世の利口者や学者の知恵は、神様の意に適うことはないのです。
聖書を読めば、人々は価値観が180度変わる。そもそも、イエス・キリストが生まれたのは、貧しい馬小屋だった。そのイエスが、万民を従わせる指導者となった。これは、革命的な話しです。悪魔の影響下の人間社会では、悪魔を喜ばす者が高い地位を与えられるが、神様の支配する霊界では、神様の教えに従う霊が高い地位を与えられるのです。
この世のエリートや富裕層は、神様の教えから離れ、悪魔に従うことで物質的な幸福を得ている。彼らの犠牲になった下層の人々を愛するのが、イエス・キリストの使命なのです。
日本人も、物質的な成功を願わず、霊的な救いを求めて生きるべきです。この世の秩序は、霊界の秩序とは逆なのです。
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