「片手、片足になって命に入る方がよい」 ― 2025/05/28 13:43
If your hand or your foot causes you to stumble, cut it off and throw it away. It is better for you to enter life maimed or crippled than to have two hands or two feet and be thrown into eternal fire.
もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。(マタイによる福音書 18:8)
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If your hand or your foot causes you to stumble, cut it off and throw it away. It is better for you to enter life maimed or crippled than to have two hands or two feet and be thrown into eternal fire.
もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。(マタイによる福音書 18:8)
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イエス・キリストが、天国について質問する弟子たちに教えた内容の1つです。手足や外見より、魂が大事だということを教えている。
そもそも、人間は死後、霊界に入れば、完全な霊体を与えられる。この世では、肉体的に問題のある人や、欠損のある人でも、霊界では五体満足な姿で現れる。この世では老人として死んでも、あの世の霊界では若い時の生命力の溢れる姿で現れる。だから、この世で手や足を失っても、天国に入る時には、完全な霊体を与えられる。
だから、この世で罪を避けるには、必要なら手足を切り落とせということです。物質的なこの世では、人間はさまざまな物質的欲望を持つが、その基本的な物欲は自分の身体に対する愛です。そのような、物欲を捨てることをイエスは教えている。
自分の身体すら捨てろということは、職業や肩書など、この世における自分のさまざまな属性には、こだわるなということです。死後の霊界では、天国か地獄に行くしかない。天国では永遠の命が得られ、地獄では永遠の苦しみが待っている。その決定的な運命に比べれば、手足など問題ではない。この世の物欲にこだわって、永遠の命を失うことほど愚かなことはない。
小を犠牲にして、大を取れという意味にも解釈できる。或は、小にこだわって、大を失うなという意味にも解釈できる。
肉体的な幸福ほど、死後の世界では無意味なものはない。誰でも、霊界ではそれぞれに個性のある美男美女として再生し、霊的な存在となる。霊界では、思いは全て実現するので、誰でも美男美女になれる。生きている間の特徴を持った美男美女になれる。この世の美醜は、あっという間になくなる。ただし、魂の美しい人間は、さらに霊体で美が輝き、魂の邪悪な人間は、邪悪さの隠せない霊体を持つ。生きている間の美醜にこだわるほど、無意味なことはない。従って、信仰心を高めれば、霊界ではより立派に見える。そして、生きている間にも、その効果が肉体に現れる。
つまり、霊的な幸福を得るには、この世の肉体にこだわる必要はない。だから、肉体が罪を犯すなら、肉体を捨てよということになる。
命というものは、生きている間には当然のこととして気が付かないが、死後、霊界に入れば何物にも代えがたい大事なものだということに気が付く。この世の命から霊界の命へと、人は死後に入っていくが、さらに、永遠の命を得るには天国に入る必要がある。天国に入れなければ、地獄に行くしかない。地獄では、いつでも、霊としての命は抹消される、或は、悪魔によって永遠に苦しめられる。
この悪魔の勢力は、この世にまで及んで、人々を苦しめて喜ぶ。悪魔の影響を受けた手足は、投げ捨てよというのがイエスの教えです。霊界では、新たな手足が与えられるのです。
もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。(マタイによる福音書 18:8)
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If your hand or your foot causes you to stumble, cut it off and throw it away. It is better for you to enter life maimed or crippled than to have two hands or two feet and be thrown into eternal fire.
もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。(マタイによる福音書 18:8)
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イエス・キリストが、天国について質問する弟子たちに教えた内容の1つです。手足や外見より、魂が大事だということを教えている。
そもそも、人間は死後、霊界に入れば、完全な霊体を与えられる。この世では、肉体的に問題のある人や、欠損のある人でも、霊界では五体満足な姿で現れる。この世では老人として死んでも、あの世の霊界では若い時の生命力の溢れる姿で現れる。だから、この世で手や足を失っても、天国に入る時には、完全な霊体を与えられる。
だから、この世で罪を避けるには、必要なら手足を切り落とせということです。物質的なこの世では、人間はさまざまな物質的欲望を持つが、その基本的な物欲は自分の身体に対する愛です。そのような、物欲を捨てることをイエスは教えている。
自分の身体すら捨てろということは、職業や肩書など、この世における自分のさまざまな属性には、こだわるなということです。死後の霊界では、天国か地獄に行くしかない。天国では永遠の命が得られ、地獄では永遠の苦しみが待っている。その決定的な運命に比べれば、手足など問題ではない。この世の物欲にこだわって、永遠の命を失うことほど愚かなことはない。
小を犠牲にして、大を取れという意味にも解釈できる。或は、小にこだわって、大を失うなという意味にも解釈できる。
肉体的な幸福ほど、死後の世界では無意味なものはない。誰でも、霊界ではそれぞれに個性のある美男美女として再生し、霊的な存在となる。霊界では、思いは全て実現するので、誰でも美男美女になれる。生きている間の特徴を持った美男美女になれる。この世の美醜は、あっという間になくなる。ただし、魂の美しい人間は、さらに霊体で美が輝き、魂の邪悪な人間は、邪悪さの隠せない霊体を持つ。生きている間の美醜にこだわるほど、無意味なことはない。従って、信仰心を高めれば、霊界ではより立派に見える。そして、生きている間にも、その効果が肉体に現れる。
つまり、霊的な幸福を得るには、この世の肉体にこだわる必要はない。だから、肉体が罪を犯すなら、肉体を捨てよということになる。
命というものは、生きている間には当然のこととして気が付かないが、死後、霊界に入れば何物にも代えがたい大事なものだということに気が付く。この世の命から霊界の命へと、人は死後に入っていくが、さらに、永遠の命を得るには天国に入る必要がある。天国に入れなければ、地獄に行くしかない。地獄では、いつでも、霊としての命は抹消される、或は、悪魔によって永遠に苦しめられる。
この悪魔の勢力は、この世にまで及んで、人々を苦しめて喜ぶ。悪魔の影響を受けた手足は、投げ捨てよというのがイエスの教えです。霊界では、新たな手足が与えられるのです。
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