「その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」2025/06/03 21:13

The Son of Man will go just as it is written about him. But woe to that man who betrays the Son of Man! It would be better for him if he had not been born.”

「たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。(マルコによる福音書 14:21)

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これは、ユダヤ教の幹部やローマ兵による逮捕が近いことを察し、弟子たちと最後の晩餐を取ったときに、イエス・キリストが述べた言葉です。なお、イエスは自分のことを「人の子(the Son of Man)」と呼んでいる。

イエスを裏切る弟子について言及し、その弟子は生れて来ない方がよかったと述べている。これは、霊的な発言です。人に命を与え、その人の運命を決めるのも神様です。しかし、人には自由意志が与えられ、その運命を変えていく力も与えられている。そこで、人に本当の責任が生じる。そして、そこで神様の裁きが生じる。

せっかく、神様が命を与えてくれたのに、その自由意志によって、神様の子であるイエスを裏切った人間の罪は深い。神様の裁きは重く、罪はどこまでも深い。神様に厳しく罰されるくらいであれば、この世に生まれてこない方がよかったということになる。イエスを裏切った弟子に対して、むしろイエス自身は同情的です。その弟子が、死後、霊界に入った後に、どのような裁きが神様によって行われるかを考えると、普通の人間の霊には耐えられない処罰になることは間違いない。永遠の地獄生活が待っている。そのことを、イエスは示唆している。

しかし、イエス・キリストがこの世で伝道し、その神様の教えに反対する権力者によって、イエスが殺害されるという運命を与えたのも神様です。イエスは聖者として、以後、多くの人々に崇められるが、イエスを裏切った弟子は永遠に呪われることになる。同じ人間として、この世を生きたイエスは、裏切った弟子に対して一抹の同情心を持ったはずです。

それでも、背後には神様と悪魔の対立という問題がある。悪魔はその弟子にイエスを裏切らせ、イエスを使って人々の神様への信仰心を高めようとした神様の企てを挫き、この世の闇を深めようとした。その悪魔に魂を売ること自体の罪は限りなく重い。その弟子は悪魔と一緒になって神様に逆らったことになる。神様の怒りは、当然、その子であるイエスを殺害した悪魔とその裏切った弟子に向けられる。神様の怒りほど恐ろしいものはない。イエスの言葉には、その恐怖が反映している。人間の霊には、耐えられない裁きとなる。

イエス・キリスト自身は、権力者に逮捕され殺害されることは、ある意味で承知のことだったとしても、悪魔がイエスの弟子を使うことは、当初、想像外だったのだろう。その弟子をも愛しておられた人間としてのイエスにとって、深い悲しみを感じたということです。しかし、その弟子を罵るよりも、その弟子を待ち受ける神様の処罰の恐ろしさを考えると、同情的な言葉を発せざるを得なかった。

この最後の晩餐は、神の定めた運命を受けいるイエス、裏切った弟子に対する失望と同情を感じるイエス、それでも、神様のご威光を認めるイエスの姿が現れている。キリスト教徒とは、イエスにならって、神の定めた運命を受けいれ、悪魔に魂を売った敵に同情し、かつ、神様のご威光を認めるものでなければならない。

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