イエスは言われた、「時は満ちた、悔い改めて福音を信ぜよ。」2025/05/07 21:31

イエスは言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。(マルコによる福音書 1:15)

“The time has come,” he said. “The kingdom of God has come near. Repent and believe the good news!”

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イエス・キリストの伝道は、(1)時が来た、(2)神の国は近づいた、(3) だから、悔い改めて信仰心を持て、ということを人々に伝えることから始まった。

「福音(good news, gospel, evangel)」とは、イエス・キリストによってもたらされた、人類の救いと神の国に関する喜ばしい知らせのことです。福音は、新約聖書の中のイエスの言葉を意味するとも考えられる。

これは、旧訳聖書で、何事にも然るべき時がある、と述べられていることに対応する。そして、人間の魂にとって重要なのは、この世と霊界の支配者である神様の直接支配する状態が実現し、愛と正義が実現するということです。それまでは、悪霊や悪魔の影響が世の中を覆っていたために、多くの人間は悪霊や悪魔の影響を受けていた。だから、まず、そのような生き方を悔い改めなけばならない、ということを、イエスは宣言したのです。

そもそも、人間が神様の教えに従って生きているなら、神様は神の子イエスをこの世に遣わす必要はなかった。旧約聖書のヨブ記にあるように、神様は一定期間、悪魔に人々に影響を及ぼすことを許していたと考えられる。そして、多くの人が悪魔の影響を受けたが、それでも、神様への霊的な信仰を捨てなかった者もいたので、神様は神の国をこの世にもたらそうとした、と考えられる。つまり、神様は、なぜか、悪魔に人間を支配するチャンスを与えたが、悪魔は全ての人間を支配できなかった。そこで、神様は神の子イエスをこの世に遣わして、悪魔の時代を終わらそうとしたと考えられる。

しかし、イエス・キリストが、この世に現れた時から、悪魔はその神様の意図に挑戦している。悪魔は自分の負けを認めない。イエスの誕生以来、2千年間にわたって悪魔とイエスの戦いは続いている。それでも、イエスの言葉に従って悔い改めて、神様への信仰心を取り戻した者は、この世での天国と言うべき神の国に入ることができる。そこでは、悪魔は力を持たないので、そのような人は平和に満ち足りた人生を送れる。これが、本来のキリスト教です。

従って、人々はまず、この世は悪魔の影響の下にあり、自分たちはその影響を受けていることを自覚しなければならない。だから、そのような生き方を反省し、悔い改め、神様の教えに立ち返ることが必要なのです。イエスは、人々は無条件に神の国に入れるとは言っていない。まず、自分の生き方を反省せよ、ということです。

この世は、悪魔の影響下にあり、人々は悪が当然だと思い、悪魔を神のように崇拝している。悪魔は人間の欲望を刺激し、欲望の達成のためにはカネが必要だと思わせ、カネのためには悪魔に魂を売って悪を行わなければならないと信じこませている。要するに、この世の体制の最上位には悪魔がいる。カネを儲けるほど、物質的に幸福になるほど、人間は悪魔に近づく。悪魔の教えに従って、他人に不親切にし、冷酷になり、悪を行うほど豊かになると信じ込まされている。そこでは、欺瞞と陰謀が称賛され、本来の神様の教える善良性と愛と真理に従う者は、幼稚な人間だとして嘲笑され、馬鹿にされ、攻撃される。人を騙して、得をする生き方が当然だとされる、そのような闇の世界を、自分は生きてきたのだと反省することが、イエスに求められている。

そして、悪賢く狂った悪魔は、どこまでも神様の教えに抵抗する。イエスを攻撃し、弟子に裏切りをさせ、最後には当時のユダヤ教の指導者や占領軍のローマ兵を使ってイエスを十字架の刑で殺害する。今のヴァチカンのローマ法王は、当時のローマ皇帝が最後にはイエスを信じて、ローマ帝国はキリスト教を国教としたのを記念するかのように、当時のローマ皇帝のような華麗な衣装を着ている。日本の皇室より、古い伝統です。

ただし、今のヴァチカンの聖堂は、コロンブスのアメリカ発見の頃、ルターがプロテスタント派を立ち上げた頃、グーテンベルグが印刷機を発明し聖書が普及した頃の1500年頃に建設が始まっている。ローマ帝国が亡んだ後、千年後に今のヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は着工されたのです。しかし、新約聖書はイエスの死後、50年くらいに成立している。ヴァチカンの壮麗な聖堂より、聖書の方が伝統が古い。当然、日本での神道や仏教の歴史より古い。イエスが生きていた頃、日本はまだ銅剣、銅鐸の弥生時代の後期だった。卑弥呼が出るのは、イエスの時代の200年後です。皇室の成立より、聖書の成立は古いのです。


だから、仏教/神道を認める日本人が、聖書を学ぶのは、人類の一員として当然なのです。ただし、仏陀や孔子は、イエスより約500年古いが、インドでも中国でも仏教や儒教の精神は失われている。キリストの教えは今も世界で生きている。日本人は、伝統的な清貧生活をし、聖書を読むことで、世界をリードすることができるのです・・・
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