「ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」 (マルコによる福音書 第 4 章) ("Still other seed fell on good soil. It came up, grew and produced a crop, some multiplying thirty, some sixty, some a hundred times.”)2025/11/12 01:17

2 イエスは・で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、
3 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。
4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。
8 ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。
9 そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。(マルコによる福音書 第 4 章)

2 He taught them many things by parables, and in his teaching said:

3 “Listen! A farmer went out to sow his seed.

4 As he was scattering the seed, some fell along the path, and the birds came and ate it up.

5 Some fell on rocky places, where it did not have much soil. It sprang up quickly, because the soil was shallow.

6 But when the sun came up, the plants were scorched, and they withered because they had no root.

7 Other seed fell among thorns, which grew up and choked the plants, so that they did not bear grain.

8 Still other seed fell on good soil. It came up, grew and produced a crop, some multiplying thirty, some sixty, some a hundred times.”
9 Then Jesus said, “Whoever has ears to hear, let them hear.”
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これは、イエス・キリストが人々の心の状態と神の教えを信じる信仰心の関係を述べた説教です。

種とは神様の教えであり、土地とは人々の心です。

善良な心を持った人間が神様の教えに接すると、その人の心の中で教えを深め、その人の内面で神様の教えに共感し、その人の生きる指針となり、その人の生活を見た他の人々も、そのような生き方に共鳴し、神様の教えを学ぶことのになる。

つまり、一人の信仰者から30人、60人、さらに100人の信仰者が生まれてくる、という教えです。そのようにして、2千年間にわたってイエスの教えが世界に広まったのです。

ただし、荒れ地のような心を持った人間もいる。彼らは神様の教えを聞いても、納得したり、感心したり、共感をもつことはない。

また、浅薄な心を持った人間は、最初は神様の教えに感激するが、その教えを実生活の中で実行するのは困難となり、やはり、自己中心の拝金主義に戻る。

しかし、どこまでも善を信じる人間は、神様の愛を感じ、その教えから離れることはない。

これは、人々の心の内を知ることができ、霊的な目で見た人間の本質を理解するイエス・キリストだからこそ述べることができた教えです。

霊的な目で見れば、まさに、人間の心という土地に、神様の教えという種子が蒔かれるというのが信仰の実態なのです。善良な人間は喜んで神様の教えを1粒の種のように受け入れ、種を成長させ、30倍、60倍、100倍もの種子を含んだ実を成らせるのです。

「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」 (ルカによる福音書 第 16 章) (You cannot serve both God and money)2025/11/10 23:11

13 「どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。
14 欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。
15 そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。」(ルカによる福音書 第 16 章)

13 “No one can serve two masters. Either you will hate the one and love the other, or you will be devoted to the one and despise the other. You cannot serve both God and money.”

14 The Pharisees, who loved money, heard all this and were sneering at Jesus.
15 He said to them, “You are the ones who justify yourselves in the eyes of others, but God knows your hearts. What people value highly is detestable in God’s sight.
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これは、非常に重要なイエス・キリストの教えです。

人間は、この世で皆、悪魔に洗脳され、カネを求める。世の中が、悪魔の影響下にあって、拝金主義になるように洗脳されている。しかし、神様の教えを信じ、神様を信じる者は悪魔を嫌う。信仰者は拝金主義にはならない。実際、神様は信仰者に生活に必要なものは全て与えられる。カネなど求めなくても、生活ができるように神様は信仰者の面倒を見てくれるものです。

また、「この世の金も銀も神様のものである」という言葉が聖書にもある。つまり、この世の富は全て、神様が人々に与えられたものだという考え方が正しい。悪魔に魂を売って、カネで欲望を満たそうとする者が、拝金主義になり、カネを求める。

しかし、神様は人々の心の中を知っており、人々は欲望を達成するために、神様の教えを憎み、悪魔に魂を売っていることをご存知なのです。表面上は、信仰深い生活を演じながら、心底では欲望を満たすためにカネを求め、そのために密かに悪をなす宗教者の行いも神様はご存知です。

今でも、社会的にはエリートや富裕層として高い地位を得て尊敬されていても、裏では社会を裏切る悪行をなすものは多い。悪魔の影響下の社会で尊ばれる地位にある者は、神様の前では天使たちに嫌われ、富を誇る者は、神様の前では、その正体が暴かれ、地獄に落とされる。

だから、信仰者は清貧生活をして、誰にも羨ましがられることのない貧しい物質生活をするものです。富や地位で他人に羨ましがられる生活をする人間は、霊界では天国に入れない。

まさに、全善の神様を選ぶか、凶悪な悪魔を選ぶかが人間に問われている。悪魔を選べば、一時的にはカネや地位を与えられるが、最後には地獄に導かれる。神様を選べば、貧しくても必要なものは与えられ、心の疾しさのない人生を送り、死後は霊界から天国に引き上げてもらえるのです。

「神様か悪魔か」というのは、イエス・キリストの説教の中心的なポイントです。

「安息日に良いことをするのは、正しいことである」 (マタイによる福音書 第 12 章) (it is lawful to do good on the Sabbath)2025/11/09 20:02

10 すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。
11 イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。
12 人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。
13 そしてイエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、ほかの手のように良くなった。(マタイによる福音書 第 12 章)

10 and a man with a shriveled hand was there. Looking for a reason to bring charges against Jesus, they asked him, “Is it lawful to heal on the Sabbath?”

11 He said to them, “If any of you has a sheep and it falls into a pit on the Sabbath, will you not take hold of it and lift it out?

12 How much more valuable is a person than a sheep! Therefore it is lawful to do good on the Sabbath.”

13 Then he said to the man, “Stretch out your hand.” So he stretched it out and it was completely restored, just as sound as the other.
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休みの日として定められら安息日に、「人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねられたイエス・キリストが、「安息日に良いことをするのは、正しいことだ」と述べた言葉です。

安息日は当時のユダヤ社会で休日と定められ、人々は休むこと以外は何もしてはならないと定められていたが、イエスは「安息日に正しいことをしてもよい」と述べられて、実際に、イエスは霊能力で奇跡を起こし、病人をいやした。

つまり、宗教的な定めより、信仰と愛によって人々を救うのが大事だという教えです。

「うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい」 (ヨハネによる福音書 第 7 章) (Stop judging by mere appearances, but instead judge correctly.)2025/11/08 14:33

21 イエスは彼らに答えて言われた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたは皆それを見て驚いている。
22 モーセはあなたがたに割礼を命じたので、(これは、実は、モーセから始まったのではなく、先祖たちから始まったものである)あなたがたは安息日にも人に割礼を施している。
23 もし、モーセの律法が破られないように、安息日であっても割礼を受けるのなら、安息日に人の全身を丈夫にしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。
24 うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい」。(ヨハネによる福音書 第 7 章)

21 Jesus said to them, “I did one miracle, and you are all amazed.
22 Yet, because Moses gave you circumcision (though actually it did not come from Moses, but from the patriarchs), you circumcise a boy on the Sabbath.
23 Now if a boy can be circumcised on the Sabbath so that the law of Moses may not be broken, why are you angry with me for healing a man’s whole body on the Sabbath?
24 Stop judging by mere appearances, but instead judge correctly.”
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ユダヤ人の仮庵の祭でイエス・キリストが群衆に教えた言葉です。安息日についてモーセの律法を形式的に守るのでなく、安息日に人の全身を丈夫にすることを責めるような、律法の精神に反するようなことをしてはいけない、と述べている。

イエスの時代に、ユダヤ教の教えが形骸化しているのを見て、イエスは、宗教は人のためにあるのだというこよを強調したのです。

外見だけは、信仰心があるようなふりをする人間に対して、宗教は人間の幸福のためにあるのだと延べられたのです。

今でも、信仰心があるようなふりをする宗教家はいくらでもいる。外見に捕われずに正しい判断をせよということです。つまり、悪魔に魂を売った人間は、宗教界にも入り込む。そのような人間は上辺だけは、信仰心があるようなふりをするが、その本心は悪魔の教えに従っており、人々を破滅させようとしている。

あくまで、愛と信仰心に従い、道徳と常識に従って、人を判断せよということです。

「目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか」 (マルコによる福音書 第 8 章) ("Do you have eyes but fail to see, and ears but fail to hear?")2025/11/07 20:44

17 イエスはそれと知って、彼らに言われた、「なぜ、パンがないからだと論じ合っているのか。まだわからないのか、悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。
18 目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。まだ思い出さないのか。
19 五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、幾つのかごになったか」。弟子たちは答えた、「十二かごです」。
20 「七つのパンを四千人に分けたときには、パンくずを幾つのかごに拾い集めたか」。「七かごです」と答えた。
21 そこでイエスは彼らに言われた、「まだ悟らないのか」。(マルコによる福音書 第 8 章)

17 Aware of their discussion, Jesus asked them: “Why are you talking about having no bread? Do you still not see or understand? Are your hearts hardened?
18 Do you have eyes but fail to see, and ears but fail to hear? And don’t you remember?
19 When I broke the five loaves for the five thousand, how many basketfuls of pieces did you pick up?”

“Twelve,” they replied.

20 “And when I broke the seven loaves for the four thousand, how many basketfuls of pieces did you pick up?”

They answered, “Seven.”

21 He said to them, “Do you still not understand?”
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これは、イエス・キリストが山に集まった群衆が食べ物がなかったとき、パンを超能力で現出させた後に、弟子たちと船に乗って移動したときに、自分たちにもパンがないことに気が付いた弟子たちが、パンがないことに心配したのを見てイエスが述べた言葉です。

要するに、霊能力で超能力を使ってパンを現出させたイエスと一緒にいながら、まだ、その霊能力を認めない弟子たちをイエスが叱ったのです。

イエス・キリストは、信仰心に基づく奇跡を見ながら、まだ、奇跡が起こるのを信じられないという弟子たちの心を嘆いたのです。

この奇跡は、群衆が密かにパンを隠し持っていたのを、イエスの号令と共にパンを出して皆で食べたという説もあるが、やはり、イエスは奇跡を起こして多くのパンや食物を空中から現出させたと考えるべきです。

ただし、弟子が奇跡を目のあたりにしても、まだ、イエスがそのような力を持っていることを理解できない弟子が多かった。霊界から来る霊能力を理解するのは、宗教的な理解を超える精神が必要なのです。

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