彼らは、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。(they invent ways of doing evil; they disobey their parents; they have no understanding, no fidelity, no love, no mercy) (ローマの信徒への手紙 1:29~31) ― 2025/08/26 13:11
They have become filled with every kind of wickedness, evil, greed and depravity. They are full of envy, murder, strife, deceit and malice. They are gossips, slanderers, God-haters, insolent, arrogant and boastful; they invent ways of doing evil; they disobey their parents; they have no understanding, no fidelity, no love, no mercy.
すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と・欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、3そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。(ローマの信徒への手紙 1:29~31)
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これは、イエス・キリスト死後の改宗者、パウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つです。不信仰な者を痛烈に批判している。
実際に、今も世の中でも、2千年前にパウロが批判したこのような人間があふれている。しかし、キリストの教えを知らない者は、自分自身を冷静に評価することもないので、悪魔の教えに従って行動する。イエスの教えのない世界は、あらゆる不義と悪と・欲と悪意とにあふれている。
愛よりも憎しみを愛する人間というのは、何かと理由をつけては、人を攻撃する。いや、理由などどうでもよい、人を憎むこと自体が目的となっている。悪魔に魂を売った人間に、道徳を教えても無意味です。しかし、そのような人間の犠牲になる者を救い、また、そのような人間を悪魔から引き離すのがイエスの伝道の目的でもあった。
おまけに、悪魔の教えに従えば、カネが得られるということを知った者は、どこまでも狡猾に悪を追求する。そして、弱者を攻撃し、人の良い者を騙し、小さな者を威嚇することで、自分たちの利益の増大をはかる。つまり、世の中の誰もが、暴力野郎、詐欺師、インチキ商売人、そして、悪徳専門家になれば、誰もが安心して生活できなくなる。それを防ぐために、社会には道徳や人権主義が必要になる。それでも、単なる良識、道徳、人道主義の世界にも悪魔が入り込む。かつては、正義漢だった人間が、裏では悪魔に魂を売って、なにがしかの利益を得ているケースもある。それでも、信仰心に裏付けられた正義や人道主義の追及は、真実の愛の光をこの世にもたらす。
一人の貧しい者を救うためには、自部の地位や肩書を投げ捨てるような神父、牧師、僧侶、霊能者が必要なのです。イエスとその弟子は、そのような生き方をしていたのです。
しかし、世の中の富裕層やエリートは、貧しい者を救うために、指一本でも動かそうとはしない。かれら自身が、他人に不幸をもたらす存在なのです。彼らの真実の姿を、パウロはこの手紙で告発しているのです。
だから、イエス・キリストの教えを信じる者は、富裕層やエリートになってはならない。彼らの本質は、無知、不誠実、無情、無慈悲な者だからです。
人を憎む理由はいくらでもあるが、人を愛すべき理由も1つくらいはあるものです。憎しみより愛を愛することで、そのような悪魔の手下とならないですみ、神様の恵みを得て、天使や守護霊に助けられ、安全に平和に生きていくことができる。
すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と・欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、3そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。(ローマの信徒への手紙 1:29~31)
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これは、イエス・キリスト死後の改宗者、パウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つです。不信仰な者を痛烈に批判している。
実際に、今も世の中でも、2千年前にパウロが批判したこのような人間があふれている。しかし、キリストの教えを知らない者は、自分自身を冷静に評価することもないので、悪魔の教えに従って行動する。イエスの教えのない世界は、あらゆる不義と悪と・欲と悪意とにあふれている。
愛よりも憎しみを愛する人間というのは、何かと理由をつけては、人を攻撃する。いや、理由などどうでもよい、人を憎むこと自体が目的となっている。悪魔に魂を売った人間に、道徳を教えても無意味です。しかし、そのような人間の犠牲になる者を救い、また、そのような人間を悪魔から引き離すのがイエスの伝道の目的でもあった。
おまけに、悪魔の教えに従えば、カネが得られるということを知った者は、どこまでも狡猾に悪を追求する。そして、弱者を攻撃し、人の良い者を騙し、小さな者を威嚇することで、自分たちの利益の増大をはかる。つまり、世の中の誰もが、暴力野郎、詐欺師、インチキ商売人、そして、悪徳専門家になれば、誰もが安心して生活できなくなる。それを防ぐために、社会には道徳や人権主義が必要になる。それでも、単なる良識、道徳、人道主義の世界にも悪魔が入り込む。かつては、正義漢だった人間が、裏では悪魔に魂を売って、なにがしかの利益を得ているケースもある。それでも、信仰心に裏付けられた正義や人道主義の追及は、真実の愛の光をこの世にもたらす。
一人の貧しい者を救うためには、自部の地位や肩書を投げ捨てるような神父、牧師、僧侶、霊能者が必要なのです。イエスとその弟子は、そのような生き方をしていたのです。
しかし、世の中の富裕層やエリートは、貧しい者を救うために、指一本でも動かそうとはしない。かれら自身が、他人に不幸をもたらす存在なのです。彼らの真実の姿を、パウロはこの手紙で告発しているのです。
だから、イエス・キリストの教えを信じる者は、富裕層やエリートになってはならない。彼らの本質は、無知、不誠実、無情、無慈悲な者だからです。
人を憎む理由はいくらでもあるが、人を愛すべき理由も1つくらいはあるものです。憎しみより愛を愛することで、そのような悪魔の手下とならないですみ、神様の恵みを得て、天使や守護霊に助けられ、安全に平和に生きていくことができる。
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