「多くゆるしてもらったほうだと思います」(ルカによる福音書 第 7 章)(“I suppose the one who had the bigger debt forgiven.”) ― 2025/11/18 22:22
41 イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。
42 ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
43 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。(ルカによる福音書 第 7 章)
41 “Two people owed money to a certain moneylender. One owed him five hundred denarii,[c] and the other fifty. 42 Neither of them had the money to pay him back, so he forgave the debts of both. Now which of them will love him more?”
43 Simon replied, “I suppose the one who had the bigger debt forgiven.”
“You have judged correctly,” Jesus said.
+++ +++ +++
これは、「多く許された者が、多く愛する」というイエス・キリストの教えです。
人から愛されたければ、相手を多く愛せという教えです。
誰でも、自分に損害を与え、不利益をもたらし、又は、敵対する相手がいる。しかし、その人たちを多く許せば、彼らは自分を多く愛するようになる。これが、世界に平和をもたらすという意味です。
悪魔に魂を売った人間は、神様に従う人間を必ず攻撃する。しかし、そのような人間を許してやれば、彼らは神様に従う人間を愛するようになる。これは、信仰者にしかできない行為です。
それでも、人間と言うものは、必ず過ちを犯し、失敗をするものです。それを責めてはならない。むしろ、許しやることだというのが、イエス・キリストの教えなのです。そうすれば、彼らは許してくれた相手をより愛するようになる。
愛や平和というのは、日常生活の中で、自分に害をなすものが愛するということなのです。これが、世界に平和をもたらすという意味です。
特に、政治的な問題でも、敵対者を愛するということが、平和を愛し、平和を促進することになる。このイエスの教えは、現代社会にも通じる教えです。
自分を害する者は、誰でも憎む。しかし、そういう相手を許すことによって、世界に愛と平和が実現するのです。これが、キリスト教の教えなのです。
42 ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
43 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。(ルカによる福音書 第 7 章)
41 “Two people owed money to a certain moneylender. One owed him five hundred denarii,[c] and the other fifty. 42 Neither of them had the money to pay him back, so he forgave the debts of both. Now which of them will love him more?”
43 Simon replied, “I suppose the one who had the bigger debt forgiven.”
“You have judged correctly,” Jesus said.
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これは、「多く許された者が、多く愛する」というイエス・キリストの教えです。
人から愛されたければ、相手を多く愛せという教えです。
誰でも、自分に損害を与え、不利益をもたらし、又は、敵対する相手がいる。しかし、その人たちを多く許せば、彼らは自分を多く愛するようになる。これが、世界に平和をもたらすという意味です。
悪魔に魂を売った人間は、神様に従う人間を必ず攻撃する。しかし、そのような人間を許してやれば、彼らは神様に従う人間を愛するようになる。これは、信仰者にしかできない行為です。
それでも、人間と言うものは、必ず過ちを犯し、失敗をするものです。それを責めてはならない。むしろ、許しやることだというのが、イエス・キリストの教えなのです。そうすれば、彼らは許してくれた相手をより愛するようになる。
愛や平和というのは、日常生活の中で、自分に害をなすものが愛するということなのです。これが、世界に平和をもたらすという意味です。
特に、政治的な問題でも、敵対者を愛するということが、平和を愛し、平和を促進することになる。このイエスの教えは、現代社会にも通じる教えです。
自分を害する者は、誰でも憎む。しかし、そういう相手を許すことによって、世界に愛と平和が実現するのです。これが、キリスト教の教えなのです。
「隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない」(マルコによる福音書 第 4 章) (whatever is hidden is meant to be disclosed, and whatever is concealed is meant to be brought out into the open) ― 2025/11/16 13:04
21 また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。
22 なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。(マルコによる福音書 第 4 章)
21 He said to them, “Do you bring in a lamp to put it under a bowl or a bed? Instead, don’t you put it on its stand?
22 For whatever is hidden is meant to be disclosed, and whatever is concealed is meant to be brought out into the open.
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストが人々に述べた教えです。
「真実は、やがて明らかになる」、というのが、その内容です。
歴史は、過去の出来事の真実が明らかになるということの証拠です。また、隠された真実を明らかにしようという試みも多くなされている。その中には、作り話や、インチキなものもあるが、イエスの述べた真実に従って、真実を明らかにしようという試みもある。
この世は闇ばかりではなく、真実の光が天界から差し込んでいる。偽りや虚偽の力は、真実の力には勝てないのです。
人間も、若い時には気づかなくても、年をとれば、理解できるようになることも多い。また、多くの経験をすることによって納得できることもある。
秘密にされていることも、いづれは、明らかになるものです。謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けることです。
また、秘密の悪事もいつかは明らかにされる。神様をだますことは出来ないのです。
22 なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。(マルコによる福音書 第 4 章)
21 He said to them, “Do you bring in a lamp to put it under a bowl or a bed? Instead, don’t you put it on its stand?
22 For whatever is hidden is meant to be disclosed, and whatever is concealed is meant to be brought out into the open.
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これは、イエス・キリストが人々に述べた教えです。
「真実は、やがて明らかになる」、というのが、その内容です。
歴史は、過去の出来事の真実が明らかになるということの証拠です。また、隠された真実を明らかにしようという試みも多くなされている。その中には、作り話や、インチキなものもあるが、イエスの述べた真実に従って、真実を明らかにしようという試みもある。
この世は闇ばかりではなく、真実の光が天界から差し込んでいる。偽りや虚偽の力は、真実の力には勝てないのです。
人間も、若い時には気づかなくても、年をとれば、理解できるようになることも多い。また、多くの経験をすることによって納得できることもある。
秘密にされていることも、いづれは、明らかになるものです。謙虚に学ぶ姿勢を持ち続けることです。
また、秘密の悪事もいつかは明らかにされる。神様をだますことは出来ないのです。
「『あなたの罪はゆるされた』、と言うのと、『起きて歩け』、と言うのと、どちらがたやすいか」 (マタイによる福音書 第 9 章) ("Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’?") ― 2025/11/15 23:21
3 すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。
4 イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
5 あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
6 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
7 すると彼は起きあがり、家に帰って行った。(マタイによる福音書 第 9 章)
3 At this, some of the teachers of the law said to themselves, “This fellow is blaspheming!”
4 Knowing their thoughts, Jesus said, “Why do you entertain evil thoughts in your hearts?
5 Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’?
6 But I want you to know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins.” So he said to the paralyzed man, “Get up, take your mat and go home.”
7 Then the man got up and went home
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストが、人々が、床の上に寝かせたまま、イエスのもとに運できた中風の者を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言ったときの言葉です。
イエスが、「あなたの罪はゆるされた 」と言った言葉が、神を冒涜したものだとして、ユダヤ教の律法学者がイエスを責めた時に、イエスは。「罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け」、と言うのと、どちらがたやすいかと問うたのです。
「あなたの罪はゆるされた 」というのは、神様のみが言う言葉だと考えるのが、ユダヤ教の教えです。しかし、イエスはご自分が神様から人の罪を許す権威を与えられていると主張されたのです。さらに、口先だけで「罪は許された」というのと、病を治して「起きて歩け」と言うのとどちらが簡単かと、逆に律法学者に問いかけたのです。病を治すことの方がむつかしいことは明らかです。
イエス・キリストは、霊能力で人の病を治すことができる上に、さらに、人の罪を許す権威も神様から与えられているのです。ユダヤ教の宗教家は、イエス・キリストが治癒力を持っているのは認めても、神様から罪をゆるす権威を与えられていることは認めたくない。
しかし、イエスは口先だけで罪はゆるされたということの容易さを指摘した上に、病気を癒す霊能力を持つことも容易ではないと指摘したのです。そして、中風の人に、罪が許されたので、病気も治ったと述べたのです。
当時のユダヤ人は、病が罪から生じると信じていたので、神様のように罪をゆるし、病を治せるイエス・キリストをほめたたえたのです。
4 イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
5 あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
6 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
7 すると彼は起きあがり、家に帰って行った。(マタイによる福音書 第 9 章)
3 At this, some of the teachers of the law said to themselves, “This fellow is blaspheming!”
4 Knowing their thoughts, Jesus said, “Why do you entertain evil thoughts in your hearts?
5 Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’?
6 But I want you to know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins.” So he said to the paralyzed man, “Get up, take your mat and go home.”
7 Then the man got up and went home
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これは、イエス・キリストが、人々が、床の上に寝かせたまま、イエスのもとに運できた中風の者を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言ったときの言葉です。
イエスが、「あなたの罪はゆるされた 」と言った言葉が、神を冒涜したものだとして、ユダヤ教の律法学者がイエスを責めた時に、イエスは。「罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け」、と言うのと、どちらがたやすいかと問うたのです。
「あなたの罪はゆるされた 」というのは、神様のみが言う言葉だと考えるのが、ユダヤ教の教えです。しかし、イエスはご自分が神様から人の罪を許す権威を与えられていると主張されたのです。さらに、口先だけで「罪は許された」というのと、病を治して「起きて歩け」と言うのとどちらが簡単かと、逆に律法学者に問いかけたのです。病を治すことの方がむつかしいことは明らかです。
イエス・キリストは、霊能力で人の病を治すことができる上に、さらに、人の罪を許す権威も神様から与えられているのです。ユダヤ教の宗教家は、イエス・キリストが治癒力を持っているのは認めても、神様から罪をゆるす権威を与えられていることは認めたくない。
しかし、イエスは口先だけで罪はゆるされたということの容易さを指摘した上に、病気を癒す霊能力を持つことも容易ではないと指摘したのです。そして、中風の人に、罪が許されたので、病気も治ったと述べたのです。
当時のユダヤ人は、病が罪から生じると信じていたので、神様のように罪をゆるし、病を治せるイエス・キリストをほめたたえたのです。
「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」 (ルカによる福音書 第 7 章) (he said, “I tell you, I have not found such great faith even in Israel.”) ― 2025/11/14 00:48
6 そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。
7 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。
8 わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
9 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。
10 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。(ルカによる福音書 第 7 章)
6 So Jesus went with them.
He was not far from the house when the centurion sent friends to say to him: “Lord, don’t trouble yourself, for I do not deserve to have you come under my roof.
7 That is why I did not even consider myself worthy to come to you. But say the word, and my servant will be healed.
8 For I myself am a man under authority, with soldiers under me. I tell this one, ‘Go,’ and he goes; and that one, ‘Come,’ and he comes. I say to my servant, ‘Do this,’ and he does it.”
9 When Jesus heard this, he was amazed at him, and turning to the crowd following him, he said, “I tell you, I have not found such great faith even in Israel.”
10 Then the men who had been sent returned to the house and found the servant well.
+++ +++ +++
ローマ軍の百卒長(士官)が、イエス・キリストの噂を聞き、自分の僕が病になったのを癒してくれるように頼んだ時の話です。
イエスが百卒長の家に近づいた時に、百卒長は使いを送って。イエスに「自分はあなたをお迎えする資格のある者ではないので、ご足労を願わなくても、私の僕が治るように言葉を与えて下さい」と言わせた。その言葉を聞いて、イエスは、「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」と言われたのです。
パレスチナを支配するローマ軍にも、イエスの噂は届いており、その士官ですらイエスの治癒力を信じていた証拠です。
そして、その士官がイエスが実際に、自分の家に来ることを知った時に、「有難いことだ、恐れ多いことだ」と感激して、謙虚になり、イエスに訪問の手間をかけないでも、僕が治るように言葉だけを与えてくれと願ったのです。そして、それを聞いたイエスが、その士官の信仰心をほめたということです。
このようなイエスの伝道の後に、イエスは処刑されるわけだが、ユダヤ人だけでなく、ローマ軍の中にもイエス・キリストの霊能力を信じる者がいたので、ローマ帝国とユダヤ人の戦争後、イエスを信じるユダヤ人はローマ帝国の中でイエスの教えを伝えることができたのです。
そして、ユダヤ人がパレスチナを追放された後も、イエス・キリストの教えはローマ帝国中に広まり、ひいては、全ヨーロッパに伝えられ、今もヨーロッパ人の大部分はキリスト教徒になっており、ヨーロッパ人が植民したアメリカも事実上のキリスト教国となっている。
そして、第二次大戦後は日本も、アメリカ軍のマッカーサー元帥が導入した、キリスト教に基づく新憲法を採択し、戦後の平和と繁栄を実現した。従って、2千年前のパレスチナのローマ軍の士官のように、ユダヤ人ではない日本人にも、イエス・キリストに褒められる信仰者が生まれたとしてもおかしくはない。
日本人の信者が、「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」と、霊界のイエス・キリストに言わせることのできる神様への信仰を持つことが期待される。
7 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。
8 わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
9 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。
10 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。(ルカによる福音書 第 7 章)
6 So Jesus went with them.
He was not far from the house when the centurion sent friends to say to him: “Lord, don’t trouble yourself, for I do not deserve to have you come under my roof.
7 That is why I did not even consider myself worthy to come to you. But say the word, and my servant will be healed.
8 For I myself am a man under authority, with soldiers under me. I tell this one, ‘Go,’ and he goes; and that one, ‘Come,’ and he comes. I say to my servant, ‘Do this,’ and he does it.”
9 When Jesus heard this, he was amazed at him, and turning to the crowd following him, he said, “I tell you, I have not found such great faith even in Israel.”
10 Then the men who had been sent returned to the house and found the servant well.
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ローマ軍の百卒長(士官)が、イエス・キリストの噂を聞き、自分の僕が病になったのを癒してくれるように頼んだ時の話です。
イエスが百卒長の家に近づいた時に、百卒長は使いを送って。イエスに「自分はあなたをお迎えする資格のある者ではないので、ご足労を願わなくても、私の僕が治るように言葉を与えて下さい」と言わせた。その言葉を聞いて、イエスは、「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」と言われたのです。
パレスチナを支配するローマ軍にも、イエスの噂は届いており、その士官ですらイエスの治癒力を信じていた証拠です。
そして、その士官がイエスが実際に、自分の家に来ることを知った時に、「有難いことだ、恐れ多いことだ」と感激して、謙虚になり、イエスに訪問の手間をかけないでも、僕が治るように言葉だけを与えてくれと願ったのです。そして、それを聞いたイエスが、その士官の信仰心をほめたということです。
このようなイエスの伝道の後に、イエスは処刑されるわけだが、ユダヤ人だけでなく、ローマ軍の中にもイエス・キリストの霊能力を信じる者がいたので、ローマ帝国とユダヤ人の戦争後、イエスを信じるユダヤ人はローマ帝国の中でイエスの教えを伝えることができたのです。
そして、ユダヤ人がパレスチナを追放された後も、イエス・キリストの教えはローマ帝国中に広まり、ひいては、全ヨーロッパに伝えられ、今もヨーロッパ人の大部分はキリスト教徒になっており、ヨーロッパ人が植民したアメリカも事実上のキリスト教国となっている。
そして、第二次大戦後は日本も、アメリカ軍のマッカーサー元帥が導入した、キリスト教に基づく新憲法を採択し、戦後の平和と繁栄を実現した。従って、2千年前のパレスチナのローマ軍の士官のように、ユダヤ人ではない日本人にも、イエス・キリストに褒められる信仰者が生まれたとしてもおかしくはない。
日本人の信者が、「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」と、霊界のイエス・キリストに言わせることのできる神様への信仰を持つことが期待される。
「わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです」 (ヨハネによる福音書 第 17 章) (All I have is yours, and all you have is mine. And glory has come to me through them) ― 2025/11/12 23:21
3 「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。
4 わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。
5 父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。
6 わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。
7 いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました。
8 なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。
9 わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。
10 わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。」(ヨハネによる福音書 第 17 章)
3 Now this is eternal life: that they know you, the only true God, and Jesus Christ, whom you have sent.
4 I have brought you glory on earth by finishing the work you gave me to do.
5 And now, Father, glorify me in your presence with the glory I had with you before the world began.
6 “I have revealed you to those whom you gave me out of the world. They were yours; you gave them to me and they have obeyed your word.
7 Now they know that everything you have given me comes from you.
8 For I gave them the words you gave me and they accepted them. They knew with certainty that I came from you, and they believed that you sent me.
9 I pray for them. I am not praying for the world, but for those you have given me, for they are yours.
10 All I have is yours, and all you have is mine. And glory has come to me through them.”
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストが天の神様に対して、祈りを捧げた言葉です。
「わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのもの」という言葉は、下手な芝居のセリフのようですが、ここでの「わたし」とは、イエスのことであり、「あなた」とは神様のことです。
一人の人間が神様に対して、このような言葉を述べることができるのは、まさに狂気か純粋な信仰です。
自分が神様からこの世に遣わされた者であるとの確信がなければ、このような言葉は真面目には語れません。そして、多くの奇跡を起こすことで、イエス・キリストはご自分が神様の一人子であることを証明されたのです。
この力強い言葉が、イエスの神様への信仰を現しているのです。今も、一人の人間が自分のものは、神様のものであり、神様のものは自分のものだということを宣言する人間はいないはずです。
丁度、親に忠実な子供が、「自分のものは親であるあなたのものであり、あなたのものは私のものです」と言うようなものです。それほど、イエス・キリストと神様の関係は緊密なのです。
当然、イエスは神様の力を受け継いでいる。神様が創造主として、この世でどんな奇跡も起こすことができるように、イエスも奇跡を起こす力を与えられているのです。そのイエスが、この世で悪魔に勝つには、十字架刑で殺害された後に、蘇ることでしかないと考えたということは重要です。
それは、神様と悪魔の霊界における関係を考慮した結果です。イエスと悪魔の関係も、イエスがこの世で悪魔に打ち勝つだけでなく、霊界のことも見越した扱いが必要なのです。だから、一般の人間にはイエスの十字架での刑死と復活の意味が完全には理解できないのです。
いずれにしても、全知全能にして全善なる万能の神様は、霊界でもこの世でもいつでも悪魔を滅ぼすことができるのです。その一人子であるイエス・キリストもこの世で悪魔を簡単に打ち負かすことができるが、神様の気持ちに沿うように、悪魔を処理しなければならない。それが、イエスの人生であり、伝道であり、イエス・キリストの教えなのです。
簡単に言えば、「人間は神様を信ぜよ、さもなければ、滅ぼされるぞ」と言えば済むわけです。しかし、悪魔と共に地獄で滅ぼされる人間を憐れまれたイエスは、愛の神様の意志に沿うように対応し、生きられたのです。
4 わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。
5 父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。
6 わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。
7 いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました。
8 なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。
9 わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。
10 わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。」(ヨハネによる福音書 第 17 章)
3 Now this is eternal life: that they know you, the only true God, and Jesus Christ, whom you have sent.
4 I have brought you glory on earth by finishing the work you gave me to do.
5 And now, Father, glorify me in your presence with the glory I had with you before the world began.
6 “I have revealed you to those whom you gave me out of the world. They were yours; you gave them to me and they have obeyed your word.
7 Now they know that everything you have given me comes from you.
8 For I gave them the words you gave me and they accepted them. They knew with certainty that I came from you, and they believed that you sent me.
9 I pray for them. I am not praying for the world, but for those you have given me, for they are yours.
10 All I have is yours, and all you have is mine. And glory has come to me through them.”
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これは、イエス・キリストが天の神様に対して、祈りを捧げた言葉です。
「わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのもの」という言葉は、下手な芝居のセリフのようですが、ここでの「わたし」とは、イエスのことであり、「あなた」とは神様のことです。
一人の人間が神様に対して、このような言葉を述べることができるのは、まさに狂気か純粋な信仰です。
自分が神様からこの世に遣わされた者であるとの確信がなければ、このような言葉は真面目には語れません。そして、多くの奇跡を起こすことで、イエス・キリストはご自分が神様の一人子であることを証明されたのです。
この力強い言葉が、イエスの神様への信仰を現しているのです。今も、一人の人間が自分のものは、神様のものであり、神様のものは自分のものだということを宣言する人間はいないはずです。
丁度、親に忠実な子供が、「自分のものは親であるあなたのものであり、あなたのものは私のものです」と言うようなものです。それほど、イエス・キリストと神様の関係は緊密なのです。
当然、イエスは神様の力を受け継いでいる。神様が創造主として、この世でどんな奇跡も起こすことができるように、イエスも奇跡を起こす力を与えられているのです。そのイエスが、この世で悪魔に勝つには、十字架刑で殺害された後に、蘇ることでしかないと考えたということは重要です。
それは、神様と悪魔の霊界における関係を考慮した結果です。イエスと悪魔の関係も、イエスがこの世で悪魔に打ち勝つだけでなく、霊界のことも見越した扱いが必要なのです。だから、一般の人間にはイエスの十字架での刑死と復活の意味が完全には理解できないのです。
いずれにしても、全知全能にして全善なる万能の神様は、霊界でもこの世でもいつでも悪魔を滅ぼすことができるのです。その一人子であるイエス・キリストもこの世で悪魔を簡単に打ち負かすことができるが、神様の気持ちに沿うように、悪魔を処理しなければならない。それが、イエスの人生であり、伝道であり、イエス・キリストの教えなのです。
簡単に言えば、「人間は神様を信ぜよ、さもなければ、滅ぼされるぞ」と言えば済むわけです。しかし、悪魔と共に地獄で滅ぼされる人間を憐れまれたイエスは、愛の神様の意志に沿うように対応し、生きられたのです。
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