「落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」2025/06/11 12:58

Other seed fell among thorns, which grew up and choked the plants. Still other seed fell on good soil, where it produced a crop—a hundred, sixty or thirty times what was sown. Whoever has ears, let them hear.”

「ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は、よく聞け。」(マルコによる福音書 4:7~9)

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これは、イエス・キリストが、人々と信仰の関係を弟子に説明したとき、植物の種にたとえて、人々の信仰の芽生えについて語ったときの言葉です。

(なお、種 (seed) は、英語では集合名刺として使われるときは、不可算名詞となり、seedsという複数形にはならない。)

信仰心が不毛の土地のような心に与えられても、心の欲望などが信仰心の成長を妨げるという警告です。しかし、良い心に例えられる豊かな土地に信仰の種がまかれると、種子はよく育って実をつけ、さらに何十倍もの信仰の種をもたらすということです。

即ち、悪魔の誘惑にも負けず、素直に神様を認める心の持ち主に、神様の教えが伝えられると、その教えが何十倍にも拡大して他の人々に伝えられる。これは、現在でもネット拡散という言葉で、情報の拡大が生じることと同じです。

2千年前には、ネットはなかったが、人から人に口コミで情報が伝わり、イエスの教えが広まっていったことを示してます。

重要なのは、人間には2種類の心がある、ということです。良い土地にたとえられる心の持ち主なら、イエスの教えを聞いて、それに従い、さらに、何十人もの周囲の人にイエスの教えを伝えることになる。悪い土地にたとえられる心の持ち主なら、イエスの教えは根付かない。さまざまな欲望や雑念、不安、悪だくみに心が占められ、正しい信仰心が育つことはない。あるいは、最初はイエスの教えに感激しても、やがて、雑草に例えられる欲念が生じて、心はイエスの教えを忘れれる。

あるいは、ちょっとした試練に会えば、イエスの教えを捨てて、悪魔に魂を売るようになる。いくらイエスの教えに従っても、金持ちにはなれない、と気づくと、直ぐにイエスの教えを軽蔑する者もいる。だから、キリスト教では忍耐の大事さを教える。

実際に、誰もがイエスの教えを受け入れ、守るわけではない。ここに、伝道の難しさがある。イエスの教えを拒絶する者は、欲を満たすにはカネが必要だ、カネを得るには悪魔に魂を売らなければならない、と信じて意識的に、又は、無意識的に悪魔に魂を売る。しかし、本人は正しいことをしていると信じているのだから、それをやめさせることはできない。そして、イエスの教えに従って、悪魔や拝金主義を拒絶するものを排斥し、攻撃する。さらに、悪魔を神だと信じる者も出てくる。そして、自分たちと同じように悪魔の教えを信じ、拝金主義にならない者を悪人だとして攻撃する。地獄の正義とは、神様に従う者を攻撃することだから、狂った世界になる。だから、現在の拝金主義の世の中は狂っている。ここに、この世での信仰の難しさがある。

しかし、イエス・キリストの教えや神様の教えを素直に受け入れる者は、悪魔に魂を売ることはない。神様の与えてくれるもので満足し、欲望に引き回されることはない。また、神様の教えと比べて、いかに悪魔の教えが狂っているかも理解できる。欲望のために心の目がふさがれた者は、狡猾な悪魔の悪だくみを見抜けないが、神様への純粋な信仰心を持った者は、悪魔の卑劣で狡猾な罠を見ぬくことができる。

そのような良い土地にたとえられる心を、人は持つように心がけねばならない。そのような心の持ち主が、イエスの教えに接した時に、自分の信仰心を何十倍にも拡大するような働きができる。また、歴史的にキリスト教は、そのような良い心を持った信者によって伝えられ、拡大してきたのです。

日本の新宗教は、そのように拡大することは稀です。荒野に信仰の種をまいても、栄養もなく、日照りや、悪天候の土地では、信仰の木は育たない。また、そもそも正しい信仰の種ではなく、毒草の種だったり、放射能を浴びている種だったり、遺伝子異常の種でれば、まともに育つこともない。だから、この世には無意味、無効果、又は、邪悪な宗教がはびころうとするが、長くは続かない。

宗教を選ぶなら、2千年近い実績のあるキリスト教が無難です。仏教も神道も邪教ではないが、それから派生したさまざまな宗派も歴史的な試練に耐えていることが必要です。

いずれにしても、心の問題、精神的問題は、心の基盤の霊の問題となる。しかし、人間には霊が見えないし、霊の善悪も分からない。それでも、心の正しい人間は良い霊を持っている。究極的には、全ての宗教的問題は、霊の問題になる。やはり、死後、霊界に入って霊格を高めることが必要です。そういう意味で、死は魂を高めるチャンスだと言える。死を恐れるべきではない。

それでも、この世で霊格を30倍、60倍、100倍に高めることができれば、死後は天国に近づく。

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