「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだす」(マタイによる福音書 16:24~25)(For whoever wants to save their life[f] will lose it, but whoever loses their life for me will find it.) ― 2025/09/02 22:55
24 Then Jesus said to his disciples, “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me. 25 For whoever wants to save their life[f] will lose it, but whoever loses their life for me will find it.
24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。(マタイによる福音書 16:24~25)
+++ +++ +++
神様への信仰は、道徳や人生訓などではなく、命がけだということを、イエス・キリストはこの言葉で意味している。
この世で生きるためには、人々は多くの妥協をし、必要悪だとして多くの悪を受け入れる。それが、その人の十字架となる。つまり、その人の罪となる。その罪の意識を背負って、イエスの言葉で悔い改め、イエスの教えに従えというのがイエスの教えです。
自分の命すら顧みず、イエスや神様の教えに従う者は、死後、天国に受け入れられ、永遠の命を与えられることになる。
この世の自分の命を救おうとして、神様の教えに反し、悪魔の教えに従う者は、結局、最後にはこの世で自分の命を失い、死後は天国に受け入れられず永遠の命を得ることはない。
この世の損得、優越感、好き嫌いにこだわる者は、悪魔の教えを受け入れ、カネで問題を解決しようとする。しかし、イエスは、この世の問題も愛と信仰で解決せよと教える。そのような生き方は、悪魔に従う者に憎まれ、最悪の場合、命まで狙われる。しかし、それでも死後は霊界で天国に受けいられ永遠の命を得る。だから、この世で愛と信仰のために命を失っても、死後の霊界では永遠の命を得る。これが、信仰です。
この世の自分の利益を捨てて、イエス・キリストの教えに自分の命以上の価値を見い出すものは、神様や天使の助けが現れ、自分の命も守ってもらえるのです。
イエスのために、自分の命を差し出すのは信仰者として当然の行為なのです。
戦前の日本では、天皇のために自分の捨てよと教えていたが、霊界の支配者、唯一の絶対神の息子であるイエスのために命を捨てることは、天皇のために死ぬこと以上の意味があり、はるかに大きな恵みが与えられる。かつての、日米戦争で、天皇神道の日本は、キリスト教国のアメリカに敗れるべくして敗れたのです。しかし、その敗戦は、キリスト教に基づく新憲法の受容につながり、日本は準キリスト教国となったのです。
24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。(マタイによる福音書 16:24~25)
+++ +++ +++
神様への信仰は、道徳や人生訓などではなく、命がけだということを、イエス・キリストはこの言葉で意味している。
この世で生きるためには、人々は多くの妥協をし、必要悪だとして多くの悪を受け入れる。それが、その人の十字架となる。つまり、その人の罪となる。その罪の意識を背負って、イエスの言葉で悔い改め、イエスの教えに従えというのがイエスの教えです。
自分の命すら顧みず、イエスや神様の教えに従う者は、死後、天国に受け入れられ、永遠の命を与えられることになる。
この世の自分の命を救おうとして、神様の教えに反し、悪魔の教えに従う者は、結局、最後にはこの世で自分の命を失い、死後は天国に受け入れられず永遠の命を得ることはない。
この世の損得、優越感、好き嫌いにこだわる者は、悪魔の教えを受け入れ、カネで問題を解決しようとする。しかし、イエスは、この世の問題も愛と信仰で解決せよと教える。そのような生き方は、悪魔に従う者に憎まれ、最悪の場合、命まで狙われる。しかし、それでも死後は霊界で天国に受けいられ永遠の命を得る。だから、この世で愛と信仰のために命を失っても、死後の霊界では永遠の命を得る。これが、信仰です。
この世の自分の利益を捨てて、イエス・キリストの教えに自分の命以上の価値を見い出すものは、神様や天使の助けが現れ、自分の命も守ってもらえるのです。
イエスのために、自分の命を差し出すのは信仰者として当然の行為なのです。
戦前の日本では、天皇のために自分の捨てよと教えていたが、霊界の支配者、唯一の絶対神の息子であるイエスのために命を捨てることは、天皇のために死ぬこと以上の意味があり、はるかに大きな恵みが与えられる。かつての、日米戦争で、天皇神道の日本は、キリスト教国のアメリカに敗れるべくして敗れたのです。しかし、その敗戦は、キリスト教に基づく新憲法の受容につながり、日本は準キリスト教国となったのです。
「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」(For all those who exalt themselves will be humbled, and those who humble themselves will be exalted)(ルカによる福音書 14:10~11) ― 2025/08/31 23:06
10 But when you are invited, take the lowest place, so that when your host comes, he will say to you, ‘Friend, move up to a better place.’ Then you will be honored in the presence of all the other guests. 11 For all those who exalt themselves will be humbled, and those who humble themselves will be exalted.”
10 むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。
11 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。(ルカによる福音書 14:10~11)
+++ +++ +++
10 むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。
11 おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。(ルカによる福音書 14:10~11)
+++ +++ +++
「彼は出てきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう」(ルカによる福音書 20:13~16) (He will come and kill those tenants and give the vineyard to others.) ― 2025/08/28 21:47
「ぶどう園の主人は言った、『どうしようか。そうだ、わたしの愛子をつかわそう。これなら、たぶん敬ってくれるだろう』。ところが、農夫たちは彼を見ると、『あれはあと取りだ。あれを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と互に話し合い、彼をぶどう園の外に追い出して殺した。そのさい、ぶどう園の主人は、彼らをどうするだろうか。彼は出てきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう」。人々はこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。(ルカによる福音書 20:13~16)
“Then the owner of the vineyard said, ‘What shall I do? I will send my son, whom I love; perhaps they will respect him. ’“But when the tenants saw him, they talked the matter over. ‘This is the heir,’ they said. ‘Let’s kill him, and the inheritance will be ours. ’So they threw him out of the vineyard and killed him.“What then will the owner of the vineyard do to them? He will come and kill those tenants and give the vineyard to others. ”When the people heard this, they said, “God forbid!”
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストが、神様をブドウ園の主人に、ご自分をその息子にたとえた話です。神様のブドウ園で働く農夫たちは、ブドウ園を乗っ取ろうとしたが、神様の怒りを買って滅ぼされるという話しです。
この厳しいたとえ話では、ブドウ園がこの世に、農夫が悪魔の手下となった人々のことです。神様がご自分の息子をこの世につかわしたのに、悪魔に魂を売って、その手下となった人々は、神様の息子のイエスを殺そうとすると言われたのです。
実際に、イエスは人々に殺害されている。だから、神様はいずれこの世を滅ぼすというのが、神学の1つの解釈です。
しかし、神様の厳しさを恐れるのではなく、人々を支配して神様とイエスを攻撃させる悪魔の悪だくみを警戒すべきです。
人間に生命を与え、生きる喜びを与えられた神様には感謝し、その喜びを破壊しようとする悪魔のあくどさを警戒すべきです。
神様が作られた自然の中で、人間は満ち足りた生活ができるのに、その上に欲望をさらに満たそうとして人間は物質文明を発展させ、自然な霊的な能力を失い、物質、機械、人工知能、AIなどに頼ろうとしている。そこに、悪魔がつけこんでいるのです。全ての人工的なシステムは、最後には人間を破滅に導く。
この文明のレベルを超えたのが、UFOに乗った異星人ですが、彼らのレベルでも、まだ悪魔が入り込む。異星人は神様や天使ではない。しかし、霊的エネルギーを使えるので、人間の物質文明をはるかに凌駕している。
地球の人間としては、霊性を高め、霊格を高めて異星人と対抗することです。そのためには、万物の創造主の神様の息子のイエス・キリストが地球の人類に現れたことの意味をよく考えるべきです。
“Then the owner of the vineyard said, ‘What shall I do? I will send my son, whom I love; perhaps they will respect him. ’“But when the tenants saw him, they talked the matter over. ‘This is the heir,’ they said. ‘Let’s kill him, and the inheritance will be ours. ’So they threw him out of the vineyard and killed him.“What then will the owner of the vineyard do to them? He will come and kill those tenants and give the vineyard to others. ”When the people heard this, they said, “God forbid!”
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストが、神様をブドウ園の主人に、ご自分をその息子にたとえた話です。神様のブドウ園で働く農夫たちは、ブドウ園を乗っ取ろうとしたが、神様の怒りを買って滅ぼされるという話しです。
この厳しいたとえ話では、ブドウ園がこの世に、農夫が悪魔の手下となった人々のことです。神様がご自分の息子をこの世につかわしたのに、悪魔に魂を売って、その手下となった人々は、神様の息子のイエスを殺そうとすると言われたのです。
実際に、イエスは人々に殺害されている。だから、神様はいずれこの世を滅ぼすというのが、神学の1つの解釈です。
しかし、神様の厳しさを恐れるのではなく、人々を支配して神様とイエスを攻撃させる悪魔の悪だくみを警戒すべきです。
人間に生命を与え、生きる喜びを与えられた神様には感謝し、その喜びを破壊しようとする悪魔のあくどさを警戒すべきです。
神様が作られた自然の中で、人間は満ち足りた生活ができるのに、その上に欲望をさらに満たそうとして人間は物質文明を発展させ、自然な霊的な能力を失い、物質、機械、人工知能、AIなどに頼ろうとしている。そこに、悪魔がつけこんでいるのです。全ての人工的なシステムは、最後には人間を破滅に導く。
この文明のレベルを超えたのが、UFOに乗った異星人ですが、彼らのレベルでも、まだ悪魔が入り込む。異星人は神様や天使ではない。しかし、霊的エネルギーを使えるので、人間の物質文明をはるかに凌駕している。
地球の人間としては、霊性を高め、霊格を高めて異星人と対抗することです。そのためには、万物の創造主の神様の息子のイエス・キリストが地球の人類に現れたことの意味をよく考えるべきです。
彼らは、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。(they invent ways of doing evil; they disobey their parents; they have no understanding, no fidelity, no love, no mercy) (ローマの信徒への手紙 1:29~31) ― 2025/08/26 13:11
They have become filled with every kind of wickedness, evil, greed and depravity. They are full of envy, murder, strife, deceit and malice. They are gossips, slanderers, God-haters, insolent, arrogant and boastful; they invent ways of doing evil; they disobey their parents; they have no understanding, no fidelity, no love, no mercy.
すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と・欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、3そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。(ローマの信徒への手紙 1:29~31)
+++ +++ +++
これは、イエス・キリスト死後の改宗者、パウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つです。不信仰な者を痛烈に批判している。
実際に、今も世の中でも、2千年前にパウロが批判したこのような人間があふれている。しかし、キリストの教えを知らない者は、自分自身を冷静に評価することもないので、悪魔の教えに従って行動する。イエスの教えのない世界は、あらゆる不義と悪と・欲と悪意とにあふれている。
愛よりも憎しみを愛する人間というのは、何かと理由をつけては、人を攻撃する。いや、理由などどうでもよい、人を憎むこと自体が目的となっている。悪魔に魂を売った人間に、道徳を教えても無意味です。しかし、そのような人間の犠牲になる者を救い、また、そのような人間を悪魔から引き離すのがイエスの伝道の目的でもあった。
おまけに、悪魔の教えに従えば、カネが得られるということを知った者は、どこまでも狡猾に悪を追求する。そして、弱者を攻撃し、人の良い者を騙し、小さな者を威嚇することで、自分たちの利益の増大をはかる。つまり、世の中の誰もが、暴力野郎、詐欺師、インチキ商売人、そして、悪徳専門家になれば、誰もが安心して生活できなくなる。それを防ぐために、社会には道徳や人権主義が必要になる。それでも、単なる良識、道徳、人道主義の世界にも悪魔が入り込む。かつては、正義漢だった人間が、裏では悪魔に魂を売って、なにがしかの利益を得ているケースもある。それでも、信仰心に裏付けられた正義や人道主義の追及は、真実の愛の光をこの世にもたらす。
一人の貧しい者を救うためには、自部の地位や肩書を投げ捨てるような神父、牧師、僧侶、霊能者が必要なのです。イエスとその弟子は、そのような生き方をしていたのです。
しかし、世の中の富裕層やエリートは、貧しい者を救うために、指一本でも動かそうとはしない。かれら自身が、他人に不幸をもたらす存在なのです。彼らの真実の姿を、パウロはこの手紙で告発しているのです。
だから、イエス・キリストの教えを信じる者は、富裕層やエリートになってはならない。彼らの本質は、無知、不誠実、無情、無慈悲な者だからです。
人を憎む理由はいくらでもあるが、人を愛すべき理由も1つくらいはあるものです。憎しみより愛を愛することで、そのような悪魔の手下とならないですみ、神様の恵みを得て、天使や守護霊に助けられ、安全に平和に生きていくことができる。
すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と・欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、3そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。(ローマの信徒への手紙 1:29~31)
+++ +++ +++
これは、イエス・キリスト死後の改宗者、パウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つです。不信仰な者を痛烈に批判している。
実際に、今も世の中でも、2千年前にパウロが批判したこのような人間があふれている。しかし、キリストの教えを知らない者は、自分自身を冷静に評価することもないので、悪魔の教えに従って行動する。イエスの教えのない世界は、あらゆる不義と悪と・欲と悪意とにあふれている。
愛よりも憎しみを愛する人間というのは、何かと理由をつけては、人を攻撃する。いや、理由などどうでもよい、人を憎むこと自体が目的となっている。悪魔に魂を売った人間に、道徳を教えても無意味です。しかし、そのような人間の犠牲になる者を救い、また、そのような人間を悪魔から引き離すのがイエスの伝道の目的でもあった。
おまけに、悪魔の教えに従えば、カネが得られるということを知った者は、どこまでも狡猾に悪を追求する。そして、弱者を攻撃し、人の良い者を騙し、小さな者を威嚇することで、自分たちの利益の増大をはかる。つまり、世の中の誰もが、暴力野郎、詐欺師、インチキ商売人、そして、悪徳専門家になれば、誰もが安心して生活できなくなる。それを防ぐために、社会には道徳や人権主義が必要になる。それでも、単なる良識、道徳、人道主義の世界にも悪魔が入り込む。かつては、正義漢だった人間が、裏では悪魔に魂を売って、なにがしかの利益を得ているケースもある。それでも、信仰心に裏付けられた正義や人道主義の追及は、真実の愛の光をこの世にもたらす。
一人の貧しい者を救うためには、自部の地位や肩書を投げ捨てるような神父、牧師、僧侶、霊能者が必要なのです。イエスとその弟子は、そのような生き方をしていたのです。
しかし、世の中の富裕層やエリートは、貧しい者を救うために、指一本でも動かそうとはしない。かれら自身が、他人に不幸をもたらす存在なのです。彼らの真実の姿を、パウロはこの手紙で告発しているのです。
だから、イエス・キリストの教えを信じる者は、富裕層やエリートになってはならない。彼らの本質は、無知、不誠実、無情、無慈悲な者だからです。
人を憎む理由はいくらでもあるが、人を愛すべき理由も1つくらいはあるものです。憎しみより愛を愛することで、そのような悪魔の手下とならないですみ、神様の恵みを得て、天使や守護霊に助けられ、安全に平和に生きていくことができる。
「からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな」(Do not be afraid of those who kill the body and after that can do no more)(ルカによる福音書 12:4~5) ― 2025/08/24 23:54
“I tell you, my friends, do not be afraid of those who kill the body and after that can do no more. But I will show you whom you should fear: Fear him who, after your body has been killed, has authority to throw you into hell. Yes, I tell you, fear him.”
「そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。あなたを殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。」(ルカによる福音書 12:4~5)
+++ +++ +++
イエス・キリストが人々の中で弟子に教えた言葉です。これが、信仰のために命をかける弟子たちの心の拠り所となっている。この教えに従っているので、弟子たちは命の危険も顧みずに伝道にまい進できたのです。
宗教の布教のために命をかける人間は、今ではほとんどいない。しかし、過去2千年にわたってキリスト教は、命をかけて宣教する伝道士たちによって広められて来たのです。これが、キリスト教の大きな特質です。
日本へは、16世紀の戦国時代にポルトガルやスペインによってキリスト教が伝えられ、戦国の世の収束に貢献した。キリスト教の平和の教えが、殺伐な戦国時代に光をもたらし、キリスト教を受け入れた武将たちは、争いより和平を好むようになった。ただし、戦国で勝利者となった秀吉や家康は、最後にはキリスト教に背を向けた。それは、当時のポルトガルやスペインが、アジアを植民地化しようとする意図を持っていることに気づいたからです。
しかし、秀吉や家康によって、死をもって棄教を迫られても、多くの当時の日本人信仰者は殺されてもキリスト教を捨てなかった。イエスの教えによれば、死後は天国に入れることを、信者は固く信じていたからです。そして、ある者は隠れキリシタンとして、社会の中でキリスト教の信仰を隠しながら生きていくことを選んだ。明治維新によって、キリスト教が許されたとき、九州で多くの隠れキリシタンが見つかったことは、よく知られている。
江戸時代には、仏教が重んじられ、全国民が仏教寺院の管理下に置かれたが、キリスト教の信仰は生き残っていたのです。
明治になって、天皇家をかついだ薩摩・長州の武士は仏教より、天皇神道を選び、それを事実上の国教としたが、かつてキリスト教を圧迫した徳川幕府側の武士の中にはキリスト教を選ぶものが多かった。その子孫が、キリスト教の神父や牧師になった例も多い。そして、1945年の日米戦争の敗戦により、日本はキリスト教精神に基づく新憲法を受け入れ、日本は準キリスト教国として今日に至っている。
かつて、死をも恐れないキリスト教信仰を持った日本人がいたことを、現在の日本人は忘れるべきではない。
歴史的神学観から言えば、かつて悪魔は日本からキリスト教の信仰を根絶やしにしようとしたが、今では日本は準キリスト教国として平和と繁栄を享受している、つまり、悪魔は敗れ去ったのです。
「そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。あなたを殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。」(ルカによる福音書 12:4~5)
+++ +++ +++
イエス・キリストが人々の中で弟子に教えた言葉です。これが、信仰のために命をかける弟子たちの心の拠り所となっている。この教えに従っているので、弟子たちは命の危険も顧みずに伝道にまい進できたのです。
宗教の布教のために命をかける人間は、今ではほとんどいない。しかし、過去2千年にわたってキリスト教は、命をかけて宣教する伝道士たちによって広められて来たのです。これが、キリスト教の大きな特質です。
日本へは、16世紀の戦国時代にポルトガルやスペインによってキリスト教が伝えられ、戦国の世の収束に貢献した。キリスト教の平和の教えが、殺伐な戦国時代に光をもたらし、キリスト教を受け入れた武将たちは、争いより和平を好むようになった。ただし、戦国で勝利者となった秀吉や家康は、最後にはキリスト教に背を向けた。それは、当時のポルトガルやスペインが、アジアを植民地化しようとする意図を持っていることに気づいたからです。
しかし、秀吉や家康によって、死をもって棄教を迫られても、多くの当時の日本人信仰者は殺されてもキリスト教を捨てなかった。イエスの教えによれば、死後は天国に入れることを、信者は固く信じていたからです。そして、ある者は隠れキリシタンとして、社会の中でキリスト教の信仰を隠しながら生きていくことを選んだ。明治維新によって、キリスト教が許されたとき、九州で多くの隠れキリシタンが見つかったことは、よく知られている。
江戸時代には、仏教が重んじられ、全国民が仏教寺院の管理下に置かれたが、キリスト教の信仰は生き残っていたのです。
明治になって、天皇家をかついだ薩摩・長州の武士は仏教より、天皇神道を選び、それを事実上の国教としたが、かつてキリスト教を圧迫した徳川幕府側の武士の中にはキリスト教を選ぶものが多かった。その子孫が、キリスト教の神父や牧師になった例も多い。そして、1945年の日米戦争の敗戦により、日本はキリスト教精神に基づく新憲法を受け入れ、日本は準キリスト教国として今日に至っている。
かつて、死をも恐れないキリスト教信仰を持った日本人がいたことを、現在の日本人は忘れるべきではない。
歴史的神学観から言えば、かつて悪魔は日本からキリスト教の信仰を根絶やしにしようとしたが、今では日本は準キリスト教国として平和と繁栄を享受している、つまり、悪魔は敗れ去ったのです。
最近のコメント