このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから (ルカによる福音書 第 15 章) (because this brother of yours was dead and is alive again; he was lost and is found)2025/12/06 14:27

25 ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、
26 ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
27 僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
28 兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
29 兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
30 それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
31 すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
32 しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。(ルカによる福音書 第 15 章)

25 “Meanwhile, the older son was in the field. When he came near the house, he heard music and dancing. 26 So he called one of the servants and asked him what was going on. 27 ‘Your brother has come,’ he replied, ‘and your father has killed the fattened calf because he has him back safe and sound.’

28 “The older brother became angry and refused to go in. So his father went out and pleaded with him. 29 But he answered his father, ‘Look! All these years I’ve been slaving for you and never disobeyed your orders. Yet you never gave me even a young goat so I could celebrate with my friends. 30 But when this son of yours who has squandered your property with prostitutes comes home, you kill the fattened calf for him!’

31 “‘My son,’ the father said, ‘you are always with me, and everything I have is yours.

32 But we had to celebrate and be glad, because this brother of yours was dead and is alive again; he was lost and is found.’”
++++ ++++ ++++

これは、「放蕩息子の帰還」と呼ばれる有名なイエス・キリストによるたとえ話です。

親からカネをもらって遊び暮らしていた息子が、カネを使い果たして落ちぶれ、貧乏な生活に耐えられなくなって、再び親の元へ帰ったという話しです。そして、その兄が弟の帰還を喜ぶ父親に文句を言ったのを、父親が、それでも失われていた息子が帰ったのは目出度いことだと諭したのです。

これは、神様の教えから外れた人間が、悔い改めて再び神様の下に帰って来たのを、神様は喜ばれるという教えです。つまり、悪魔の誘いに乗って魂を悪魔に売って生きている者も、悔い改めて悪魔と手を切り、再び神様の教えに立ち返れば、神様はいつでも歓迎してくれるという教えです。だから、教会ではその精神に従って、教会に通っていたが、やがて教会から離れた者でも、再び教会に通うようになれば、いつでも歓迎するという伝統を持っている。

これは、教会だけでなく、キリスト教社会の全ての組織でも従うべき伝統です。究極的には、裏切り者でも、反省すれば許せということになる。しかし、現実的には、そのような罪人は一生、罪人の烙印を押されて差別される。しかし、キリスト教社会では、法律を犯した者でも、悔い改めれば許すべきだという聖書の教えが生きている。日本も、準キリスト教国として、キリスト教の精神に則った憲法でそのような人権が認められている。

しかし、犯罪者の人権を被害者の人権より重んじるというのは、イエスの言葉の趣旨ではない。あくまで、悔い改めた者を、悪魔から手を切った者だとして、悪魔への勝利を象徴する者だとして歓迎せよと言われている。当然、犯罪の被害者は、加害者より守られるべきであるが、悔い改めた加害者が、被害者以上の好待遇を要求することはない。そんなことをすれば、加害者は反省していないことになる。

いづれにしても、道を迷う者は、悪魔の誘いに乗っており、悪魔と戦うには、その誘に乗ったことに反省した者を暖かく迎え、悪魔に打撃を与えるべきです。一人の人間は、常に、神様を選ぶか、悪魔を選ぶかを試されている。人生の大部分を悪魔に従って生きていても、人生の最後に神様の教えに立ち返れば、死後の霊界では神様に許されて、地獄に落ちなくても済む。

人の真実は、この世では判断できなくても、霊界では明らかになる。

それ以上に、イエス・キリストが「放蕩息子の帰還」のたとえで言いたかったのは、父である神様の人間への無限の愛だと思われる。

最近の記事

<< 2025/12 >>
01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

このブログについて

時事問題を英語で議論しよう

救世主イエスの言葉を学ぼう!

最近のコメント

最近のトラックバック

RSS