『無意味にわたしを拝んでいる』(マタイによる福音書 第 15 章) (They worship me in vain)2025/09/28 22:06

7 「偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、
8 『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
9 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。(マタイによる福音書 第 15 章)

7 "You hypocrites! Isaiah was right when he prophesied about you:

8 ‘These people honor me with their lips, but their hearts are far from me.
9 They worship me in vain;
their teachings are merely human rules.’”

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パリサイ人とユダヤ教の律法学者が、イエス・キリストのもとに来た時に、イエスが彼らを責めた言葉です。

イエスの評判が高まったときに、彼らがイエスに近づいて来た時に、旧約聖書の予言者のイザヤの言葉を出して、「口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている」と彼らを責めたのです。

偽りの信仰心を見せる人間を、イエスは見逃すことはない。そもそも、当時のユダヤ教の幹部の堕落や腐敗に対する怒りが、イエスの伝道の基礎にある。堕落・腐敗した宗教人は、どこまでも偽りの信仰心を示す。

普通の人間では、できないような虚偽、欺瞞、下心を持つのが、腐敗した宗教人です。

霊能研究家の故政木和三は「宗教に熱心な者は、信用できない」と述べている。要するに、人間性の最低の者が、宗教にすがる。僧侶などが、お経を読むのも暇だからだと酷評している。真に霊的な修業をし、精神性を高める生き方をしている者は、宗教の儀式や慣習にこだわるおとはない。

実際、キリスト教の規則や儀典なども、イエスが決めたことではなく、宗教団体としてのカトリック組織、キリスト教が成立した後で決められたことです。2千年前の初期キリスト教徒は、賛美歌を歌ったり、神様に祈りを捧げる以外は、病人を霊能力で癒し、貧乏人のために祈ることぐらいが、宗教活動だった。

要するに、心が常に神様に向かっていることが信仰心なのです。

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