「あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」(マタイによる福音書 第 25 章) (You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things.) ― 2025/09/16 22:34
19 だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。
20 すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。
21 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。(マタイによる福音書 第 25 章)
19 “After a long time the master of those servants returned and settled accounts with them.
20 The man who had received five bags of gold brought the other five. ‘Master,’ he said, ‘you entrusted me with five bags of gold. See, I have gained five more.’
21 “His master replied, ‘Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master’s happiness!’
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これは、主人が召使にカネの管理をまかせたときのイエス・キリストのたとえ話です。この主人は、預かったカネで商売をしてそのカネを増やした召し使いをほめたという話しです。
ただし、他の召し使いは、厳しい主人を恐れて、預かったカネを埋めて隠しておき、主人にそのカネを、そのまま返したのだが、主人は、埋めて隠すくらいなら銀行に預けておけば利子を得られただろうにと言って、その召し使いを責めた。
そして、イエスは「持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる」と教訓を与えた。
つまり、神様から与えられた恵みや、幸運、才能などは、自分だけのものにせず、それを活用して人のために役立てよ、ということです。恵みや、幸運、才能などを自分のものにだけしているものは、その恵みなどを神様に取り上げられるという教えです。
これは、信仰心によって宗教的理解を深めても、その内容を自分だけものにしていてはいけない、ということです。修行者なども修業によって霊能力を得ることがあるが、それを自分のものだけにしていてはいけない。霊能力で人々を助けなければ、その霊能力は神様に取り上げられる。
要するに、生きるとは坂を上るようなものです。上るのをやめれば、ずり落ちていく。しかし、上がる努力をしていれば、神様が助けてくれるのです。それは、少しの努力でも良い。小さな一歩を進めれば、やがて一山も二山も登れるチャンスを与えてもらえるのです。
例えば、一人のホームレスを救えば、一つの国を管理する地位が与えられるようなものです。小さくても、正しい方向に進み、神様の御心にかなっていれば、やがて大きな仕事が与えられるのです。
20 すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。
21 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。(マタイによる福音書 第 25 章)
19 “After a long time the master of those servants returned and settled accounts with them.
20 The man who had received five bags of gold brought the other five. ‘Master,’ he said, ‘you entrusted me with five bags of gold. See, I have gained five more.’
21 “His master replied, ‘Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master’s happiness!’
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これは、主人が召使にカネの管理をまかせたときのイエス・キリストのたとえ話です。この主人は、預かったカネで商売をしてそのカネを増やした召し使いをほめたという話しです。
ただし、他の召し使いは、厳しい主人を恐れて、預かったカネを埋めて隠しておき、主人にそのカネを、そのまま返したのだが、主人は、埋めて隠すくらいなら銀行に預けておけば利子を得られただろうにと言って、その召し使いを責めた。
そして、イエスは「持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる」と教訓を与えた。
つまり、神様から与えられた恵みや、幸運、才能などは、自分だけのものにせず、それを活用して人のために役立てよ、ということです。恵みや、幸運、才能などを自分のものにだけしているものは、その恵みなどを神様に取り上げられるという教えです。
これは、信仰心によって宗教的理解を深めても、その内容を自分だけものにしていてはいけない、ということです。修行者なども修業によって霊能力を得ることがあるが、それを自分のものだけにしていてはいけない。霊能力で人々を助けなければ、その霊能力は神様に取り上げられる。
要するに、生きるとは坂を上るようなものです。上るのをやめれば、ずり落ちていく。しかし、上がる努力をしていれば、神様が助けてくれるのです。それは、少しの努力でも良い。小さな一歩を進めれば、やがて一山も二山も登れるチャンスを与えてもらえるのです。
例えば、一人のホームレスを救えば、一つの国を管理する地位が与えられるようなものです。小さくても、正しい方向に進み、神様の御心にかなっていれば、やがて大きな仕事が与えられるのです。
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