イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。 (ヨハネによる福音書 第 19 章) (Taking Jesus’ body, the two of them wrapped it, with the spices, in strips of linen. This was in accordance with Jewish burial customs.) ― 2025/09/14 22:00
38 そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。
39 また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。
40 彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。(ヨハネによる福音書 第 19 章)
38 Later, Joseph of Arimathea asked Pilate for the body of Jesus. Now Joseph was a disciple of Jesus, but secretly because he feared the Jewish leaders. With Pilate’s permission, he came and took the body away. 39 He was accompanied by Nicodemus, the man who earlier had visited Jesus at night. Nicodemus brought a mixture of myrrh and aloes, about seventy-five pounds. 40 Taking Jesus’ body, the two of them wrapped it, with the spices, in strips of linen. This was in accordance with Jewish burial customs.
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「トリノの聖骸布」というイエス・キリストの死体をくるんだ布が、イタリアのトリノの教会に展示されている。それは、2千年前の亜麻布だといわれている杉綾織の布で、本体は、縦4.41m、横1.13mの大きさでイエスの顔や全体像が映っている。ただし、どのようにしてイエスの姿がこの聖骸布に移ったのかは科学的に解明されていない。
「香料を入れて亜麻布で巻いた 」というこの聖書の記述がその根拠になっている。ただし、1988年の欧米の大学による放射性炭素年代測定では、この布自体の織布期は1260年から1390年の間だと推定された。ただし、この測定にはさまざまな問題があり、まだ決着はしていない。
1898年にイタリアの弁護士・アマチュア写真家セコンド・ピアが、初めて聖骸布の写真を撮影した。本物の布の表面は不鮮明だが、その写真のネガにはイエスの姿が明瞭に映っていた。1983年にサヴォイ家からローマ教皇に所有権が引き渡され、以降はトリノ大司教によって管理されている。カトリックでは、聖なる布として扱われている。
この聖骸布の来歴は、イエスの処刑後、イエスを信じていた王のいるエデッサ(現在のトルコ)に運ばれ、その後、布は東ローマ帝国のコンスタンティノープルに移るが、その後、十字軍によってコンスタンティノープルが略奪され、十字軍に参加していたフランス人によってフランスに持ち込まれた。その後、長らく失われたとされていた聖骸布が次に登場したはフランスのリレーという町で、1353年のことである。1453年にサヴォイア家の所有となってシャンベリーに移されてから、1983年まで、サヴォイア家が聖骸布を守り続けていたが、トリノがサヴォイア家の首都となった1578年以来、トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている。
ヨーロッパでは、さまざまな聖遺物と呼ばれるイエスを記念する遺物が多いが、この聖骸布は別格の存在感を持っている。
いずれにしても、霊的な能力を持っていたイエス・キリストが肉体の命を失っても、肉体は霊体に変換したと思われる。その際に、墓の中で体を包んでいた布に、肉体が霊体に変化する際のエネルギーが痕跡を残したものと思われる。科学では解明できない宗教的神秘です。
カトリックは、このように霊的問題にオープンです。だから、悪魔祓いなども教会として行っている。宗教とは、霊的問題なのです。
39 また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。
40 彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。(ヨハネによる福音書 第 19 章)
38 Later, Joseph of Arimathea asked Pilate for the body of Jesus. Now Joseph was a disciple of Jesus, but secretly because he feared the Jewish leaders. With Pilate’s permission, he came and took the body away. 39 He was accompanied by Nicodemus, the man who earlier had visited Jesus at night. Nicodemus brought a mixture of myrrh and aloes, about seventy-five pounds. 40 Taking Jesus’ body, the two of them wrapped it, with the spices, in strips of linen. This was in accordance with Jewish burial customs.
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「トリノの聖骸布」というイエス・キリストの死体をくるんだ布が、イタリアのトリノの教会に展示されている。それは、2千年前の亜麻布だといわれている杉綾織の布で、本体は、縦4.41m、横1.13mの大きさでイエスの顔や全体像が映っている。ただし、どのようにしてイエスの姿がこの聖骸布に移ったのかは科学的に解明されていない。
「香料を入れて亜麻布で巻いた 」というこの聖書の記述がその根拠になっている。ただし、1988年の欧米の大学による放射性炭素年代測定では、この布自体の織布期は1260年から1390年の間だと推定された。ただし、この測定にはさまざまな問題があり、まだ決着はしていない。
1898年にイタリアの弁護士・アマチュア写真家セコンド・ピアが、初めて聖骸布の写真を撮影した。本物の布の表面は不鮮明だが、その写真のネガにはイエスの姿が明瞭に映っていた。1983年にサヴォイ家からローマ教皇に所有権が引き渡され、以降はトリノ大司教によって管理されている。カトリックでは、聖なる布として扱われている。
この聖骸布の来歴は、イエスの処刑後、イエスを信じていた王のいるエデッサ(現在のトルコ)に運ばれ、その後、布は東ローマ帝国のコンスタンティノープルに移るが、その後、十字軍によってコンスタンティノープルが略奪され、十字軍に参加していたフランス人によってフランスに持ち込まれた。その後、長らく失われたとされていた聖骸布が次に登場したはフランスのリレーという町で、1353年のことである。1453年にサヴォイア家の所有となってシャンベリーに移されてから、1983年まで、サヴォイア家が聖骸布を守り続けていたが、トリノがサヴォイア家の首都となった1578年以来、トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている。
ヨーロッパでは、さまざまな聖遺物と呼ばれるイエスを記念する遺物が多いが、この聖骸布は別格の存在感を持っている。
いずれにしても、霊的な能力を持っていたイエス・キリストが肉体の命を失っても、肉体は霊体に変換したと思われる。その際に、墓の中で体を包んでいた布に、肉体が霊体に変化する際のエネルギーが痕跡を残したものと思われる。科学では解明できない宗教的神秘です。
カトリックは、このように霊的問題にオープンです。だから、悪魔祓いなども教会として行っている。宗教とは、霊的問題なのです。
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