「人の子が、天の雲に乗って来るのを見るであろう(you will see the Son of Man coming on the clouds of heaven)」 ― 2025/06/26 02:00
But Jesus remained silent and gave no answer.
Again the high priest asked him, “Are you the Messiah, the Son of the Blessed One?”
“I am,” said Jesus. “And you will see the Son of Man sitting at the right hand of the Mighty One and coming on the clouds of heaven.”
しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。
イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。(マルコによる福音書 14:61~62)
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストがユダヤ教の祭司やローマ軍によって逮捕され、裁判にかけられた時の言葉です。
イエスは、祭司たちの質問に応えて、自分はメシア、即ち、キリスト(救世主)であり、ここで殺されても、再びこの世にやって来る、即ち、再臨すると述べたのです。
だから、キリスト教ではイエスの再臨が将来、必ずあることを教えている。これが、キリスト教の教義の1つとなっている。
仏教では、仏陀が亡くなってから56億7千万年後に、弥勒菩薩からさらに霊格を上げた弥勒如来という大霊が現れて、末法の世を終わらせ、人々を救うという教えがある。イエスは、何年後に再臨するとは言っていないが、世の終わりの時に現れるとされている。そして、その時が21世紀の現在だと考えられる。
特に、イエスの言葉で問題になるのは、「天の雲に乗って来る」という表現です。この天の雲というのは、UFOではないかという議論もされている。そして、イエスは異星人だったのではないかという説もある。さらに、UFOに乗った宇宙人が人類を地球に誕生させたという都市伝説もある。
実際、1917年のファチマの聖母の奇跡では、UFOが現れて太陽の奇跡が起きたという説もある。聖母マリアの霊はUFOに乗ってポルトガルのファチマに現れたという説もある。
UFOとキリスト教文化には、密接な関係があり、キリスト教の聖画には、UFOと見える不思議な乗り物が描かれている例もある。また、イエスの誕生の際には、不思議な星が、東方から来た三博士を、イエスが誕生したベツレヘムまで導いたとされている。また、旧約聖書のエゼキエル書では、未確認飛行物体、UFOが描かれているという説もある。また、1940年代にアメリカで墜落したUFOから、古代のヘブライ語で書かれた旧約聖書が見つかっているという説もある。
また、アメリカの1960年代まで著名だったUFO研究家のアダムスキーは、金星から来たUFOに乗っていたイエスの霊をもつ異星人と会ったと述べている。そして、アダムスキーは、聖書にでてくる弟子のヨハネの魂を持っていたとされる説もある。
これらの説が無視できないのは、UFOの異星人は霊的なエネルギーを利用していると考えられることと関係している。イエスの霊も、マリアの霊も霊界で生き続けており、霊界の大霊が、異星人のUFOを利用してもおかしくない、と考えられるからです。
UFOや異星人の存在は、多くの証言から真実だと認められるし、彼らのある者は、何万年も前から地球を訪れていると考えられる。そして、アダムスキーや他のUFO・異星人との遭遇者の中にも、キリスト教的な神学に準じる理論を述べる者もいる。彼らの述べる宇宙人の文化は、地球のキリスト教の精神に沿っている。そして、地球の人間は早く悔い改めて、物質文明から霊的文明に移行すべきだと述べている。
ただし、善良な異星人ばかりでなく、地球の人間の善悪観を否定し、神様を認めない者もいる。異星人・宇宙人には、キリスト教の精神を持った善良な者がいれば、霊界の悪魔とつながったような者もいる。異星人・宇宙人は1種類だけではない。
この物質界(宇宙)が、神様によって霊界から作られたことを認めれば、神様の子、イエス・キリストの存在は宇宙的な存在であるはずであり、他の惑星の高等生物にも影響を与えているはずです。実際、18世紀の神秘家スエーデンボルグは、霊界で他の惑星から来た異星人の霊とも会っている。
そして、地球より進んだ科学を持ち、霊界のエネルギーも利用できるUFOの異星人の中には、キリストの霊と結びついている者がいてもおかしくない。ただし、地球の人類がそれを認めれば、文化的に、宗教的に大きな衝撃が生じる。ある意味で、大混乱になる。だから、ヴァチカンなどでは、その真実を人々から隠そうとしている、と考えられる。また、米軍などは、怪しげな異星人とつながっているという説もある。
いずれにしても、地球の人類は、神様やイエス・キリストへの信仰を深めていれば、異星人の影響も受けなくて済む。地球のキリスト教の神は、全宇宙の神である以上、地球の信仰は全宇宙で通用する。また、霊界は1つであり、他の惑星の異星人も同じ霊界に入る。地球の人間も、死後、霊界に入れば、物質世界の秘密や宇宙の状況も理解できる。
仏教も、宇宙的な視野を持っており、真の宗教は地球だけにとどまらず、全宇宙に関係する。地球の人間も、まず、宇宙の他の高等生物の存在を受け入れ、さらに、物質界を超えた霊界の存在を受け入れることです。その上で、イエスの教えが全宇宙や霊界でも有効だと認めるべきです。
本当の、イエスの信者には、UFOも異星人も脅威ではない。イエスがUFOに乗って、地球に再臨されても、我々の神様やイエス・キリストへの信仰心は、何ら、影響を受けることはない。
Again the high priest asked him, “Are you the Messiah, the Son of the Blessed One?”
“I am,” said Jesus. “And you will see the Son of Man sitting at the right hand of the Mighty One and coming on the clouds of heaven.”
しかし、イエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司は再び聞きただして言った、「あなたは、ほむべき者の子、キリストであるか」。
イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。(マルコによる福音書 14:61~62)
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これは、イエス・キリストがユダヤ教の祭司やローマ軍によって逮捕され、裁判にかけられた時の言葉です。
イエスは、祭司たちの質問に応えて、自分はメシア、即ち、キリスト(救世主)であり、ここで殺されても、再びこの世にやって来る、即ち、再臨すると述べたのです。
だから、キリスト教ではイエスの再臨が将来、必ずあることを教えている。これが、キリスト教の教義の1つとなっている。
仏教では、仏陀が亡くなってから56億7千万年後に、弥勒菩薩からさらに霊格を上げた弥勒如来という大霊が現れて、末法の世を終わらせ、人々を救うという教えがある。イエスは、何年後に再臨するとは言っていないが、世の終わりの時に現れるとされている。そして、その時が21世紀の現在だと考えられる。
特に、イエスの言葉で問題になるのは、「天の雲に乗って来る」という表現です。この天の雲というのは、UFOではないかという議論もされている。そして、イエスは異星人だったのではないかという説もある。さらに、UFOに乗った宇宙人が人類を地球に誕生させたという都市伝説もある。
実際、1917年のファチマの聖母の奇跡では、UFOが現れて太陽の奇跡が起きたという説もある。聖母マリアの霊はUFOに乗ってポルトガルのファチマに現れたという説もある。
UFOとキリスト教文化には、密接な関係があり、キリスト教の聖画には、UFOと見える不思議な乗り物が描かれている例もある。また、イエスの誕生の際には、不思議な星が、東方から来た三博士を、イエスが誕生したベツレヘムまで導いたとされている。また、旧約聖書のエゼキエル書では、未確認飛行物体、UFOが描かれているという説もある。また、1940年代にアメリカで墜落したUFOから、古代のヘブライ語で書かれた旧約聖書が見つかっているという説もある。
また、アメリカの1960年代まで著名だったUFO研究家のアダムスキーは、金星から来たUFOに乗っていたイエスの霊をもつ異星人と会ったと述べている。そして、アダムスキーは、聖書にでてくる弟子のヨハネの魂を持っていたとされる説もある。
これらの説が無視できないのは、UFOの異星人は霊的なエネルギーを利用していると考えられることと関係している。イエスの霊も、マリアの霊も霊界で生き続けており、霊界の大霊が、異星人のUFOを利用してもおかしくない、と考えられるからです。
UFOや異星人の存在は、多くの証言から真実だと認められるし、彼らのある者は、何万年も前から地球を訪れていると考えられる。そして、アダムスキーや他のUFO・異星人との遭遇者の中にも、キリスト教的な神学に準じる理論を述べる者もいる。彼らの述べる宇宙人の文化は、地球のキリスト教の精神に沿っている。そして、地球の人間は早く悔い改めて、物質文明から霊的文明に移行すべきだと述べている。
ただし、善良な異星人ばかりでなく、地球の人間の善悪観を否定し、神様を認めない者もいる。異星人・宇宙人には、キリスト教の精神を持った善良な者がいれば、霊界の悪魔とつながったような者もいる。異星人・宇宙人は1種類だけではない。
この物質界(宇宙)が、神様によって霊界から作られたことを認めれば、神様の子、イエス・キリストの存在は宇宙的な存在であるはずであり、他の惑星の高等生物にも影響を与えているはずです。実際、18世紀の神秘家スエーデンボルグは、霊界で他の惑星から来た異星人の霊とも会っている。
そして、地球より進んだ科学を持ち、霊界のエネルギーも利用できるUFOの異星人の中には、キリストの霊と結びついている者がいてもおかしくない。ただし、地球の人類がそれを認めれば、文化的に、宗教的に大きな衝撃が生じる。ある意味で、大混乱になる。だから、ヴァチカンなどでは、その真実を人々から隠そうとしている、と考えられる。また、米軍などは、怪しげな異星人とつながっているという説もある。
いずれにしても、地球の人類は、神様やイエス・キリストへの信仰を深めていれば、異星人の影響も受けなくて済む。地球のキリスト教の神は、全宇宙の神である以上、地球の信仰は全宇宙で通用する。また、霊界は1つであり、他の惑星の異星人も同じ霊界に入る。地球の人間も、死後、霊界に入れば、物質世界の秘密や宇宙の状況も理解できる。
仏教も、宇宙的な視野を持っており、真の宗教は地球だけにとどまらず、全宇宙に関係する。地球の人間も、まず、宇宙の他の高等生物の存在を受け入れ、さらに、物質界を超えた霊界の存在を受け入れることです。その上で、イエスの教えが全宇宙や霊界でも有効だと認めるべきです。
本当の、イエスの信者には、UFOも異星人も脅威ではない。イエスがUFOに乗って、地球に再臨されても、我々の神様やイエス・キリストへの信仰心は、何ら、影響を受けることはない。
「あなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施せ」 ― 2025/06/26 19:47
Jesus answered, “If you want to be perfect, go, sell your possessions and give to the poor, and you will have treasure in heaven. Then come, follow me.”
イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。(マタイによる福音書 19:21)
+++ +++ +++
これは、ある人がイエス・キリストのところに来て、「永遠の命を得るには、どうすればよいか」と尋ねた時のイエスの応えです。
イエスは、「自分の持ち物を売って、それで得たカネを貧しい人に与えよ」と言ったのです。これは、宗教家としては、驚くべき答えです。
普通なら、聖書を何回も読め、とか、山に籠って修業を何年もせよ、とか、聖地に何回も旅せよとかこたえるものです。しかし、イエスは、自分の財産を売って、それで得たカネを貧しい人に与えれば、完全な信仰を得て、永遠の命を得ることが出来るとこたえたのです。
この教えは現在も生きている。だから、教会ではお布施を集め、まとめて貧しい人に与えるということをやっている。つまり、信仰を高めるには、貧しい人を助けなければならない。他の宗教団体でも、貧民支援は行っているが、それを教祖の直接の教えだとして実践しているのは、キリスト教会だけです。つまり、キリスト教の教義は貧民救済にある。
日本の神仏を崇める宗教でも、「自分の魂を救いたければ、貧民救済をせよ」ということを教義にしているものは少ない。「自分の魂を救うには、貧民を助けよ」というのが、イエスの教えの核心なのです。大学の神学部で教義や儀式を学んだり、理論を学んでも自分の霊格の向上にはならない。ただ、貧しい人にカネを与えよ、というのがイエスの教えなのです。
そもそも、カネは悪魔の小道具だということです。カネを使って悪魔は、人の魂を自分に売らせる。この世の幸福を得るにはカネが必要だということは、小学生でも分かる。そして、カネを得るには、悪魔に魂を売って詐欺的行為、他人をだます欺瞞、法律の抜け穴を見つけるなどの利己的行為をしなければならない。また、自分より貧しい人間は見捨てる。こういう世の中の仕組みを理解するのが成長した人間だと思われている。うまく、他人を出し抜き、チャンスを生かすのがこの世で成功するコツだと思われている。それと反対のことをしなければ、救われることはないというのがイエスの教えなのです。
カネはいらないが、悟りを得たいという人間もいる。しかし、山の中で滝に打たれたり、写経をしたり、断食をしても、魂の修業にはならない。貧しい人を救うのが修業だということです。そのためには、自分の財産を売ってカネに変え、カネを貧しい人に与えねばならない。
この教えを実践すると、誰でも貧しくなる。自分より貧しい隣人には、カネを与えなければならない。そうすると、近所で一番貧しい人間にならなければならない。だから、本当の信者は社会で最も貧しい人間になる。牧師や神父は、ホームレスのような生活をしなければならない。これが、イエス・キリストの教えの本質なのです。つまり、キリスト教は貧者の宗教だと言われる。
勿論、自分の全財産を売ってカネに変え、それを貧乏人に与えるような宗教人はこの世にはいない。牧師や神父も、立派な肩書をもって中流の暮らしをしている。ただし、教会にホームレスや貧困家庭の人間が来ても追い出すことはしない。それは、キリスト教の教祖であるイエス・キリストが、「カネを貧しい人に与えよ」と言っているからです。
世の中で、人を判断する基準は、その人が持っている財産です。金持ちほど尊敬される世の中で、自分の財産を貧しい人に与えよということは、世の中で最低の人間として生きて行けということです。これほど厳しい教えはない。これが、本当の修業です。だから、伝統的に日本では名僧や霊能者は貧しい生活をしていると考えられてきた。しかし、仏教や神道以上に、イエスの教えでは貧しさを悟りに至る道だとして教えている。
つまり、貧しい教会、貧しい牧師・神父が、信用できる。宗教界で成功して、立派な建物を建て、豊かな生活を送り、高い評判を得ることは。イエスの教えに反している。
しかし、真の信仰を得て、魂が救われ、死後、天国に入れば永遠の命を得て、永遠の幸福を得る。そのためには、この世で貧しい人に出来る限りカネを与えなければならない。これがイエスの教えなのです。つまり、自分の貧しさが、自分の信仰の証しなのです。霊格を高めるとは、この世で貧しい生活をすることです。貧は聖なり、というのが正しい宗教観です。カネを神のように崇めてはいけない。問題をカネで解決しようとしてはならない。ただし、貧しくても、信者には神様の助けが、奇跡のように生じて助けられる。これが、本当の信仰です。
実際、仏陀もイエスもホームレスのような生活をしていたことは、宗教人なら誰でも知っている。しかし、自分もホームレスのような生き方をする宗教人はいない。そんなことをすれば、狂っていると言われる。しかし、それでも、貧困生活が基本なのです。それが、修業であり、悟りの証明なのです。
イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。(マタイによる福音書 19:21)
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これは、ある人がイエス・キリストのところに来て、「永遠の命を得るには、どうすればよいか」と尋ねた時のイエスの応えです。
イエスは、「自分の持ち物を売って、それで得たカネを貧しい人に与えよ」と言ったのです。これは、宗教家としては、驚くべき答えです。
普通なら、聖書を何回も読め、とか、山に籠って修業を何年もせよ、とか、聖地に何回も旅せよとかこたえるものです。しかし、イエスは、自分の財産を売って、それで得たカネを貧しい人に与えれば、完全な信仰を得て、永遠の命を得ることが出来るとこたえたのです。
この教えは現在も生きている。だから、教会ではお布施を集め、まとめて貧しい人に与えるということをやっている。つまり、信仰を高めるには、貧しい人を助けなければならない。他の宗教団体でも、貧民支援は行っているが、それを教祖の直接の教えだとして実践しているのは、キリスト教会だけです。つまり、キリスト教の教義は貧民救済にある。
日本の神仏を崇める宗教でも、「自分の魂を救いたければ、貧民救済をせよ」ということを教義にしているものは少ない。「自分の魂を救うには、貧民を助けよ」というのが、イエスの教えの核心なのです。大学の神学部で教義や儀式を学んだり、理論を学んでも自分の霊格の向上にはならない。ただ、貧しい人にカネを与えよ、というのがイエスの教えなのです。
そもそも、カネは悪魔の小道具だということです。カネを使って悪魔は、人の魂を自分に売らせる。この世の幸福を得るにはカネが必要だということは、小学生でも分かる。そして、カネを得るには、悪魔に魂を売って詐欺的行為、他人をだます欺瞞、法律の抜け穴を見つけるなどの利己的行為をしなければならない。また、自分より貧しい人間は見捨てる。こういう世の中の仕組みを理解するのが成長した人間だと思われている。うまく、他人を出し抜き、チャンスを生かすのがこの世で成功するコツだと思われている。それと反対のことをしなければ、救われることはないというのがイエスの教えなのです。
カネはいらないが、悟りを得たいという人間もいる。しかし、山の中で滝に打たれたり、写経をしたり、断食をしても、魂の修業にはならない。貧しい人を救うのが修業だということです。そのためには、自分の財産を売ってカネに変え、カネを貧しい人に与えねばならない。
この教えを実践すると、誰でも貧しくなる。自分より貧しい隣人には、カネを与えなければならない。そうすると、近所で一番貧しい人間にならなければならない。だから、本当の信者は社会で最も貧しい人間になる。牧師や神父は、ホームレスのような生活をしなければならない。これが、イエス・キリストの教えの本質なのです。つまり、キリスト教は貧者の宗教だと言われる。
勿論、自分の全財産を売ってカネに変え、それを貧乏人に与えるような宗教人はこの世にはいない。牧師や神父も、立派な肩書をもって中流の暮らしをしている。ただし、教会にホームレスや貧困家庭の人間が来ても追い出すことはしない。それは、キリスト教の教祖であるイエス・キリストが、「カネを貧しい人に与えよ」と言っているからです。
世の中で、人を判断する基準は、その人が持っている財産です。金持ちほど尊敬される世の中で、自分の財産を貧しい人に与えよということは、世の中で最低の人間として生きて行けということです。これほど厳しい教えはない。これが、本当の修業です。だから、伝統的に日本では名僧や霊能者は貧しい生活をしていると考えられてきた。しかし、仏教や神道以上に、イエスの教えでは貧しさを悟りに至る道だとして教えている。
つまり、貧しい教会、貧しい牧師・神父が、信用できる。宗教界で成功して、立派な建物を建て、豊かな生活を送り、高い評判を得ることは。イエスの教えに反している。
しかし、真の信仰を得て、魂が救われ、死後、天国に入れば永遠の命を得て、永遠の幸福を得る。そのためには、この世で貧しい人に出来る限りカネを与えなければならない。これがイエスの教えなのです。つまり、自分の貧しさが、自分の信仰の証しなのです。霊格を高めるとは、この世で貧しい生活をすることです。貧は聖なり、というのが正しい宗教観です。カネを神のように崇めてはいけない。問題をカネで解決しようとしてはならない。ただし、貧しくても、信者には神様の助けが、奇跡のように生じて助けられる。これが、本当の信仰です。
実際、仏陀もイエスもホームレスのような生活をしていたことは、宗教人なら誰でも知っている。しかし、自分もホームレスのような生き方をする宗教人はいない。そんなことをすれば、狂っていると言われる。しかし、それでも、貧困生活が基本なのです。それが、修業であり、悟りの証明なのです。
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