主を捨てる者は滅びうせる (イザヤ書 第 1 章) (those who forsake the Lord will perish) ― 2025/12/01 12:16
28 But rebels and sinners will both be broken,
and those who forsake the Lord will perish.
29 “You will be ashamed because of the sacred oaks
in which you have delighted;
you will be disgraced because of the gardens
that you have chosen.
30 You will be like an oak with fading leaves,
like a garden without water.
31 The mighty man will become tinder
and his work a spark;
both will burn together,
with no one to quench the fire.”
+++ +++ +++
『イザヤ書』は、旧約聖書に収められている「三大預言書」の一つです。預言者イザヤ(紀元前8世紀頃)の言葉と、その後イザヤの弟子たちによって書き加えられた預言を集めた書です。主なテーマは、イスラエルの民に対する「神の裁き」と、それらを乗り越えた後の「希望・救い」のメッセージであり、未来のメシア(救い主)に関する預言も多く含まれています。プロテスタント教会の一般的な配列では旧約聖書の23番目の書にあたる。
ユダヤ民族とは、主(神様)への信仰を決して失わない人々のことなのです。
戦前には日本人とは、天皇家への崇拝を決して捨てることのない人々だった。しかし、今は、日本人とは日本国憲法を決して忘れることのない人だと言える。アメリカのキリスト教に基づく民主主義に即して作成された日本国憲法が、今の日本人の根幹となっている。
だから、今の日本人には、キリスト教と民主主義を研究することが求められるのです。
and those who forsake the Lord will perish.
29 “You will be ashamed because of the sacred oaks
in which you have delighted;
you will be disgraced because of the gardens
that you have chosen.
30 You will be like an oak with fading leaves,
like a garden without water.
31 The mighty man will become tinder
and his work a spark;
both will burn together,
with no one to quench the fire.”
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『イザヤ書』は、旧約聖書に収められている「三大預言書」の一つです。預言者イザヤ(紀元前8世紀頃)の言葉と、その後イザヤの弟子たちによって書き加えられた預言を集めた書です。主なテーマは、イスラエルの民に対する「神の裁き」と、それらを乗り越えた後の「希望・救い」のメッセージであり、未来のメシア(救い主)に関する預言も多く含まれています。プロテスタント教会の一般的な配列では旧約聖書の23番目の書にあたる。
ユダヤ民族とは、主(神様)への信仰を決して失わない人々のことなのです。
戦前には日本人とは、天皇家への崇拝を決して捨てることのない人々だった。しかし、今は、日本人とは日本国憲法を決して忘れることのない人だと言える。アメリカのキリスト教に基づく民主主義に即して作成された日本国憲法が、今の日本人の根幹となっている。
だから、今の日本人には、キリスト教と民主主義を研究することが求められるのです。
神は自分のかたちに人を創造された (創世記 第 1 章) (So God created mankind in his own image) ― 2025/12/02 20:45
26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。(創世記 第 1 章)
26 Then God said, “Let us make mankind in our image, in our likeness, so that they may rule over the fish in the sea and the birds in the sky, over the livestock and all the wild animals,[a] and over all the creatures that move along the ground.”
27 So God created mankind in his own image,
in the image of God he created them;
male and female he created them.
28 God blessed them and said to them, “Be fruitful and increase in number; fill the earth and subdue it. Rule over the fish in the sea and the birds in the sky and over every living creature that moves on the ground.”
+++ +++ +++
『創世記』は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典で、キリスト教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書かつ、正典の一つとして扱われている。
『創世記』はヘブライ語では冒頭の言葉を取ってבראשית(ベレシート、bereshit)と呼ばれており、これは「はじめに」を意味する。また、ギリシア語の七十人訳では、2章4節からとって「γένεσις(ゲネシス)」と呼ばれており。「起源、誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である。(Wiipedia)
要約すれば、「神は言葉で全てを作った」ということです。神様はその想念で言葉を使って、霊的エネルギーから物質宇宙を生み出したということです。
このようにして、神様が宇宙を作り、地球を作り。人類を作ったというのが、キリスト教の信仰の基本です。特に、神様が精神を持つ人間を、神様に似せて作ったというのが、信仰の中心です。だから、人間の精神は神様のように無限の力を発揮することもある。神様のように奇跡を起こすことができるのです。その例が、心霊治療者です。
ただし、神の存在を認めない科学では、宇宙は物理的な真空のエネルギーから生じ、地球は太陽の周囲の宇宙空間の塵が集まってできたとされている。つまり、まだ究明されていない物理的な力が作用して、宇宙、地球、人類が生じたとされている。
しかし、神様や霊界を信じる信仰者から見れば、宇宙も地球も人類も神様が霊界から霊的エネルギーを使って生み出したと考えるのが自然です。その証拠に、科学でも人間の心、精神などは解明出来ない。つまり、霊的なエネルギーと直接つながる精神などは科学では解明でない。
人間は神様から人間の霊を与えられて、他の生物とは異なる存在となった。むしろ、生物が生まれる前から宇宙空間に霊的エネルギーが働いており、その霊的エネルギーを使えるような精神を持った人間が、この世で超能力を示すことができる、と考えるべきです。
イエス・キリストは、霊界から神様の霊を与えられてこの世に生まれ、超能力を発揮することができた。ただし、人類の中には信仰心がなくても、その心に霊が入って超能力を発揮できる者もいる。そのような霊の大部分は悪魔や悪霊だというのが、カトリックの考えです。悪魔もイエスのように霊能力を使うことができる。だから、悪魔が姿を変えたニセ・キリストには注意しなければならない。
この宇宙の物質は全て、神様が霊界からその想念で霊的エネルギーを使って創造した。つまり、科学的研究の果てに、霊的エネルギーを研究しなければ、真実は理解できない。この物質界は、霊界から生まれたものであり、この世(生の世界)は、あの世(霊界)から生まれたのです。つまり、死から生が生まれたのです。常識に反した考えが真実だということになる。霊界を認めるのが、真の信仰なのです。
そして、重要なことは、神様が自らに似せて人間を作られたということです。つまり、人間はその精神(霊)を用いて霊的エネルギーも使えるようになる。ただし、これは人間が神になれるということではない。また、人間の中に神がいるということでもない。あくまで、神様の作られた人間は万物の創造主の神様の下位に来るものなのです。
むしろ、人間は死後に、その魂が霊界に入って、魂の霊格を高め、全知全能で全善なる神様に近づくことを求められている。
信仰者は物質的な欲望を捨てて、精神を神様に向けて清貧生活をすることで、神様の霊がこの世で働いて、生活を助けてくれる、と信じるのが信仰者の生き方です。
27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。(創世記 第 1 章)
26 Then God said, “Let us make mankind in our image, in our likeness, so that they may rule over the fish in the sea and the birds in the sky, over the livestock and all the wild animals,[a] and over all the creatures that move along the ground.”
27 So God created mankind in his own image,
in the image of God he created them;
male and female he created them.
28 God blessed them and said to them, “Be fruitful and increase in number; fill the earth and subdue it. Rule over the fish in the sea and the birds in the sky and over every living creature that moves on the ground.”
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『創世記』は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典で、キリスト教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書かつ、正典の一つとして扱われている。
『創世記』はヘブライ語では冒頭の言葉を取ってבראשית(ベレシート、bereshit)と呼ばれており、これは「はじめに」を意味する。また、ギリシア語の七十人訳では、2章4節からとって「γένεσις(ゲネシス)」と呼ばれており。「起源、誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である。(Wiipedia)
要約すれば、「神は言葉で全てを作った」ということです。神様はその想念で言葉を使って、霊的エネルギーから物質宇宙を生み出したということです。
このようにして、神様が宇宙を作り、地球を作り。人類を作ったというのが、キリスト教の信仰の基本です。特に、神様が精神を持つ人間を、神様に似せて作ったというのが、信仰の中心です。だから、人間の精神は神様のように無限の力を発揮することもある。神様のように奇跡を起こすことができるのです。その例が、心霊治療者です。
ただし、神の存在を認めない科学では、宇宙は物理的な真空のエネルギーから生じ、地球は太陽の周囲の宇宙空間の塵が集まってできたとされている。つまり、まだ究明されていない物理的な力が作用して、宇宙、地球、人類が生じたとされている。
しかし、神様や霊界を信じる信仰者から見れば、宇宙も地球も人類も神様が霊界から霊的エネルギーを使って生み出したと考えるのが自然です。その証拠に、科学でも人間の心、精神などは解明出来ない。つまり、霊的なエネルギーと直接つながる精神などは科学では解明でない。
人間は神様から人間の霊を与えられて、他の生物とは異なる存在となった。むしろ、生物が生まれる前から宇宙空間に霊的エネルギーが働いており、その霊的エネルギーを使えるような精神を持った人間が、この世で超能力を示すことができる、と考えるべきです。
イエス・キリストは、霊界から神様の霊を与えられてこの世に生まれ、超能力を発揮することができた。ただし、人類の中には信仰心がなくても、その心に霊が入って超能力を発揮できる者もいる。そのような霊の大部分は悪魔や悪霊だというのが、カトリックの考えです。悪魔もイエスのように霊能力を使うことができる。だから、悪魔が姿を変えたニセ・キリストには注意しなければならない。
この宇宙の物質は全て、神様が霊界からその想念で霊的エネルギーを使って創造した。つまり、科学的研究の果てに、霊的エネルギーを研究しなければ、真実は理解できない。この物質界は、霊界から生まれたものであり、この世(生の世界)は、あの世(霊界)から生まれたのです。つまり、死から生が生まれたのです。常識に反した考えが真実だということになる。霊界を認めるのが、真の信仰なのです。
そして、重要なことは、神様が自らに似せて人間を作られたということです。つまり、人間はその精神(霊)を用いて霊的エネルギーも使えるようになる。ただし、これは人間が神になれるということではない。また、人間の中に神がいるということでもない。あくまで、神様の作られた人間は万物の創造主の神様の下位に来るものなのです。
むしろ、人間は死後に、その魂が霊界に入って、魂の霊格を高め、全知全能で全善なる神様に近づくことを求められている。
信仰者は物質的な欲望を捨てて、精神を神様に向けて清貧生活をすることで、神様の霊がこの世で働いて、生活を助けてくれる、と信じるのが信仰者の生き方です。
あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやれ (ルカによる福音書 第 6 章) (If someone slaps you on one cheek, turn to them the other) ― 2025/12/03 22:15
27 しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。
28 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。
29 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
30 あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。
31 人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
32 自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。(ルカによる福音書 第 6 章)
27 “But to you who are listening I say: Love your enemies, do good to those who hate you,
28 bless those who curse you, pray for those who mistreat you.
29 If someone slaps you on one cheek, turn to them the other also. If someone takes your coat, do not withhold your shirt from them.
30 Give to everyone who asks you, and if anyone takes what belongs to you, do not demand it back. 31 Do to others as you would have them do to you.
32 “If you love those who love you, what credit is that to you? Even sinners love those who love them.
+++ +++ +++
これは、「右の頬を打たれたら、左の頬も出せ」と言われる、イエス・キリストの有名な言葉です。平和主義の象徴とされる言葉です。
この言葉を聞いただけで、イエスへの信仰を捨てる欧米人もいると言われる。攻撃する者に反撃してはならない、という普通の人には受け入れられない教えです。
しかし、信者を攻撃する敵の背後には悪魔がいる。信者が敵に反撃して、その敵を打倒しても、喜ぶのは悪魔なのです。悪魔は、人間同士を戦わせ、どちらが勝っても喜ぶのです。信者の本当の敵の悪魔に勝つには、悪魔の手先のなった敵も救わなければならない。だから、悪魔に取り付かれて信者を攻撃する人間を打倒すことではなく、その敵の心に平和を愛する心を持たせることで、その心に取り付いた悪魔と縁を切る心を持たせよ、という教えです。
平和とは、国際舞台で平和を叫ぶことではなく、日常の生活で自分の敵に愛を示すことで実現するべきなのです。平和主義者が、好戦主義者を憎んで、平和を押し付けるような態度を取っても平和は実現しません。
平和の敵は戦争を推進する人間ではなく、そのような人間の背後にいる悪魔なのです。その悪魔に勝つには、悪魔の取り付いた人間を攻撃することではなく、そのような人間に愛と平和を教えることなのです。自分を攻撃する者に反撃せず、愛と平和を愛する心を見せれば、相手もやがてその心を理解するはずです。
しかし、現実には、狂って攻撃をやめない人間もいる。その場合には、天使に救いを求めよということになる。霊界から、悪魔の手下となって狂って攻撃をやめない人間を見た天使は、この世に下ってきて、その相手を制止させる。そう信じるのが信者なのです。
だから、「私が弱い特は、私は強い」という聖書の言葉もある。信者が、この世的には弱い時、神様が悪魔に勝てる強力な天使をおくって助けてくれると信じるのが信仰者なのです。
28 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。
29 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。
30 あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。
31 人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
32 自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。(ルカによる福音書 第 6 章)
27 “But to you who are listening I say: Love your enemies, do good to those who hate you,
28 bless those who curse you, pray for those who mistreat you.
29 If someone slaps you on one cheek, turn to them the other also. If someone takes your coat, do not withhold your shirt from them.
30 Give to everyone who asks you, and if anyone takes what belongs to you, do not demand it back. 31 Do to others as you would have them do to you.
32 “If you love those who love you, what credit is that to you? Even sinners love those who love them.
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これは、「右の頬を打たれたら、左の頬も出せ」と言われる、イエス・キリストの有名な言葉です。平和主義の象徴とされる言葉です。
この言葉を聞いただけで、イエスへの信仰を捨てる欧米人もいると言われる。攻撃する者に反撃してはならない、という普通の人には受け入れられない教えです。
しかし、信者を攻撃する敵の背後には悪魔がいる。信者が敵に反撃して、その敵を打倒しても、喜ぶのは悪魔なのです。悪魔は、人間同士を戦わせ、どちらが勝っても喜ぶのです。信者の本当の敵の悪魔に勝つには、悪魔の手先のなった敵も救わなければならない。だから、悪魔に取り付かれて信者を攻撃する人間を打倒すことではなく、その敵の心に平和を愛する心を持たせることで、その心に取り付いた悪魔と縁を切る心を持たせよ、という教えです。
平和とは、国際舞台で平和を叫ぶことではなく、日常の生活で自分の敵に愛を示すことで実現するべきなのです。平和主義者が、好戦主義者を憎んで、平和を押し付けるような態度を取っても平和は実現しません。
平和の敵は戦争を推進する人間ではなく、そのような人間の背後にいる悪魔なのです。その悪魔に勝つには、悪魔の取り付いた人間を攻撃することではなく、そのような人間に愛と平和を教えることなのです。自分を攻撃する者に反撃せず、愛と平和を愛する心を見せれば、相手もやがてその心を理解するはずです。
しかし、現実には、狂って攻撃をやめない人間もいる。その場合には、天使に救いを求めよということになる。霊界から、悪魔の手下となって狂って攻撃をやめない人間を見た天使は、この世に下ってきて、その相手を制止させる。そう信じるのが信者なのです。
だから、「私が弱い特は、私は強い」という聖書の言葉もある。信者が、この世的には弱い時、神様が悪魔に勝てる強力な天使をおくって助けてくれると信じるのが信仰者なのです。
「これはわたしの愛する子である。これに聞け」(マルコによる福音書 第 9 章) ( “This is my Son, whom I love. Listen to him!”) ― 2025/12/04 13:03
また、彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
2 六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、
3 その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
4 すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
5 ペテロはイエスにむかって言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
6 そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。
7 すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
8 彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。(マルコによる福音書 第 9 章)
9 And he said to them, “Truly I tell you, some who are standing here will not taste death before they see that the kingdom of God has come with power.”
2 After six days Jesus took Peter, James and John with him and led them up a high mountain, where they were all alone. There he was transfigured before them.
3 His clothes became dazzling white, whiter than anyone in the world could bleach them.
4 And there appeared before them Elijah and Moses, who were talking with Jesus.
5 Peter said to Jesus, “Rabbi, it is good for us to be here. Let us put up three shelters—one for you, one for Moses and one for Elijah.”
6 (He did not know what to say, they were so frightened.)
7 Then a cloud appeared and covered them, and a voice came from the cloud: “This is my Son, whom I love. Listen to him!”
8 Suddenly, when they looked around, they no longer saw anyone with them except Jesus.
+++ +++ +++
これは、「山上の変容」と呼ばれる場面を叙述したもので、イエス・キリストが山上で弟子たちの前で神々しく変容した出来事を示している。
また、非常に心霊的な情景です。イエスは、霊能力のある特定の弟子を伴って山に上がり、その無意識な力を借りて、霊界からモーゼやエリアの霊を呼び出し、何事かを語ったとされている。恐らく、将来の悲劇と逆転・復活などを例から示されたと思われる。
無意識の霊能力を使われた弟子たちは、意識が朦朧としたのだろう。今でも霊媒と呼ばれる人の中には、自分に霊が取り付いている間は、意識を失っている者がいる。また、霊能力の強い思春期前の子供などに、霊が取り付き不思議な超能力を発揮させる場合がある。イエスの奇跡が書かれた聖書は、霊に対する理解がなければ、意味は十分に把握できない。
ちなみに、牧師・神父の中には、全く霊的理解もなく、霊能力のない人間もいる。だから、自分で聖書を読むのが大事なのです。
また、エリアは、列王記下2章にあるように、生きたまま神のもとに引き上げられたとされており、モーセについても彼を葬ったのは神自身で、葬られた場所は誰もわからないとされている。彼らは復活の日を待たずして神の国に迎え入れられたと考えられる。亡くなった人というのは原則として復活の日までは神のみぞ知る場所で安らかに眠ると考えらえており、そのような霊界から神様によって、この世にいるイエスのもとに送られて来たと考えられる。特別なメッセージを持ってきたと思われる。
なお、「服が真っ白に輝いた」というのは、この白さがこの世的でない白さであると、つまり神の神聖さを表す白さであると考えられている。つまり、霊界の力がイエス・キリストのもとに下って来たとされている場面です。
そして、霊的状況であることを示す雲の中から神様の声がして、イエス・キリストは神様の子だと宣言された。その意味で、非常に神聖な場面が描かれている。霊能者も神様から認められていれば、このような不思議な現象に出会うはずだと考えられる。本当の宗教とは、このように霊界との関係を示すものです。
つまり、教祖とは霊界の神様や天使、大霊、善霊と会話や通信ができる人なのです。
2 六日の後、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、
3 その衣は真白く輝き、どんな布さらしでも、それほどに白くすることはできないくらいになった。
4 すると、エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
5 ペテロはイエスにむかって言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
6 そう言ったのは、みんなの者が非常に恐れていたので、ペテロは何を言ってよいか、わからなかったからである。
7 すると、雲がわき起って彼らをおおった。そして、その雲の中から声があった、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。
8 彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。(マルコによる福音書 第 9 章)
9 And he said to them, “Truly I tell you, some who are standing here will not taste death before they see that the kingdom of God has come with power.”
2 After six days Jesus took Peter, James and John with him and led them up a high mountain, where they were all alone. There he was transfigured before them.
3 His clothes became dazzling white, whiter than anyone in the world could bleach them.
4 And there appeared before them Elijah and Moses, who were talking with Jesus.
5 Peter said to Jesus, “Rabbi, it is good for us to be here. Let us put up three shelters—one for you, one for Moses and one for Elijah.”
6 (He did not know what to say, they were so frightened.)
7 Then a cloud appeared and covered them, and a voice came from the cloud: “This is my Son, whom I love. Listen to him!”
8 Suddenly, when they looked around, they no longer saw anyone with them except Jesus.
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これは、「山上の変容」と呼ばれる場面を叙述したもので、イエス・キリストが山上で弟子たちの前で神々しく変容した出来事を示している。
また、非常に心霊的な情景です。イエスは、霊能力のある特定の弟子を伴って山に上がり、その無意識な力を借りて、霊界からモーゼやエリアの霊を呼び出し、何事かを語ったとされている。恐らく、将来の悲劇と逆転・復活などを例から示されたと思われる。
無意識の霊能力を使われた弟子たちは、意識が朦朧としたのだろう。今でも霊媒と呼ばれる人の中には、自分に霊が取り付いている間は、意識を失っている者がいる。また、霊能力の強い思春期前の子供などに、霊が取り付き不思議な超能力を発揮させる場合がある。イエスの奇跡が書かれた聖書は、霊に対する理解がなければ、意味は十分に把握できない。
ちなみに、牧師・神父の中には、全く霊的理解もなく、霊能力のない人間もいる。だから、自分で聖書を読むのが大事なのです。
また、エリアは、列王記下2章にあるように、生きたまま神のもとに引き上げられたとされており、モーセについても彼を葬ったのは神自身で、葬られた場所は誰もわからないとされている。彼らは復活の日を待たずして神の国に迎え入れられたと考えられる。亡くなった人というのは原則として復活の日までは神のみぞ知る場所で安らかに眠ると考えらえており、そのような霊界から神様によって、この世にいるイエスのもとに送られて来たと考えられる。特別なメッセージを持ってきたと思われる。
なお、「服が真っ白に輝いた」というのは、この白さがこの世的でない白さであると、つまり神の神聖さを表す白さであると考えられている。つまり、霊界の力がイエス・キリストのもとに下って来たとされている場面です。
そして、霊的状況であることを示す雲の中から神様の声がして、イエス・キリストは神様の子だと宣言された。その意味で、非常に神聖な場面が描かれている。霊能者も神様から認められていれば、このような不思議な現象に出会うはずだと考えられる。本当の宗教とは、このように霊界との関係を示すものです。
つまり、教祖とは霊界の神様や天使、大霊、善霊と会話や通信ができる人なのです。
ただで受けたのだから、ただで与えるがよい (マタイによる福音書 第 10 章) (Freely you have received; freely give) ― 2025/12/05 23:20
7 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
9 財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。
10 旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。(マタイによる福音書 第 10 章)
7 As you go, proclaim this message: ‘The kingdom of heaven has come near.’
8 Heal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received; freely give.
9 “Do not get any gold or silver or copper to take with you in your belts—
10 no bag for the journey or extra shirt or sandals or a staff, for the worker is worth his keep.
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストが十二弟子を社会につかわされる時に、彼らを呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆる患いをいやす権威をお授けになったときの注意です。
日本では、高塚光という超能力者が心霊治療を行っていたが、無料で人々を癒していた。彼は、厳しい修業をして超能力を手に入れたのではなく、自然と得た力なので、患者からカネを取らなかった。彼の精神は、キリストの教えに通じるものがある。
イエスの12人の弟子には、イエスが霊能力をお与えになり、心霊治療や悪魔祓いをする力を与えられた。そのとき、治療費をとらないようにと注意を与えている。つまり、医療と言うのは、本来、無料で行うべきものなのです。
今でもカトリックでは奇跡の治療(ルルドの泉など)や悪魔祓いを否定することはない。また、世界に伝道し、イエスの言葉を伝えるのを義務としている。15世紀にフランシスコ・ザビエルが日本に来たのも、この教えがあったからです。
だから、ザビエルも心霊治療や悪魔祓いができたはずです。その超能力を見た当時の多くの日本人は、キリスト教を信じたのです。だから、急速にキリスト教が日本に広まり、信長はキリスト教を受容し、秀吉も当初はキリスト教を受け入れ、家康も寛容だった。しかし、スペインやポルトガルがキリスト教の世界布教に従って、世界各地を植民地化していることに気づいた秀吉や家康は、やがてキリスト教を弾圧し、禁止へと進んでいく。
そして、江戸時代には生き残った信者は「隠れ切支丹」として、九州の長崎地方を中心に仏教徒を装って密かに信仰を守っていた。明治維新になって、西洋から改めてキリスト教が流入すると、隠れ切支丹の人々は大っぴらに信仰が許されるようになったが、二百年以上も世界のキリスト教と切り離されていたので、特殊な信仰になったと言われている。
そして、第二次世界大戦、日米戦争の時代には、キリスト教徒は天皇神道が強制される社会で再び片隅に追いやられたが、日本の敗戦、キリスト教国アメリカによる日本占領によって、再び、キリスト教が脚光を浴びるようになり、現在に至っている。
これは、日本の宗教がキリスト教と戦ったのではなく、日本の宗教を利用する人々が、キリスト教と戦ったことを意味する。結果は、キリスト教の勝利に終わり、アメリカのキリスト教に基づく民主主義を日本は全面的に受け入れ、新憲法もキリスト教の精神に沿って作成された。
しかし、宗教的観点から日本の歴史を振り返ることは、余りなされていない。特に、天皇家が戦後も生き残り、国民の象徴として存在しており、万物の創造主の神様への信仰の障害になっている。ただし、戦後、天皇家は当時の皇太子(現、上皇)をカトリック系の大学で学んだ女性(現、上皇后)と結婚させ、アメリカから信頼感を得ていたし、宮内庁関係者にもキリスト教徒がいた。世界の主流のキリスト教に背を向けることはできないので、対外的には日本は準キリスト教国の顔を見せたが、国内的には天皇神道の権威を維持している。
ただし、欧米でキリスト教の影響が減少したので、日本もキリスト教の影響を強く意識することはなくなった。それでも、G7各国の中で日本は唯一の非キリスト教国であり、中国と並んで、欧米各国からは非キリスト教世界だと見られている。しかし、日本はアメリカ文化を受容し、キリスト教的な憲法を持っているので、準キリスト教国だと認められている。
今でも、牧師や神父が、かつてイエス・キリストが弟子に与えた霊能力を発揮できるなら、多くの日本人がキリスト教を信仰するだろう。
8 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
9 財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。
10 旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。(マタイによる福音書 第 10 章)
7 As you go, proclaim this message: ‘The kingdom of heaven has come near.’
8 Heal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received; freely give.
9 “Do not get any gold or silver or copper to take with you in your belts—
10 no bag for the journey or extra shirt or sandals or a staff, for the worker is worth his keep.
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これは、イエス・キリストが十二弟子を社会につかわされる時に、彼らを呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆる患いをいやす権威をお授けになったときの注意です。
日本では、高塚光という超能力者が心霊治療を行っていたが、無料で人々を癒していた。彼は、厳しい修業をして超能力を手に入れたのではなく、自然と得た力なので、患者からカネを取らなかった。彼の精神は、キリストの教えに通じるものがある。
イエスの12人の弟子には、イエスが霊能力をお与えになり、心霊治療や悪魔祓いをする力を与えられた。そのとき、治療費をとらないようにと注意を与えている。つまり、医療と言うのは、本来、無料で行うべきものなのです。
今でもカトリックでは奇跡の治療(ルルドの泉など)や悪魔祓いを否定することはない。また、世界に伝道し、イエスの言葉を伝えるのを義務としている。15世紀にフランシスコ・ザビエルが日本に来たのも、この教えがあったからです。
だから、ザビエルも心霊治療や悪魔祓いができたはずです。その超能力を見た当時の多くの日本人は、キリスト教を信じたのです。だから、急速にキリスト教が日本に広まり、信長はキリスト教を受容し、秀吉も当初はキリスト教を受け入れ、家康も寛容だった。しかし、スペインやポルトガルがキリスト教の世界布教に従って、世界各地を植民地化していることに気づいた秀吉や家康は、やがてキリスト教を弾圧し、禁止へと進んでいく。
そして、江戸時代には生き残った信者は「隠れ切支丹」として、九州の長崎地方を中心に仏教徒を装って密かに信仰を守っていた。明治維新になって、西洋から改めてキリスト教が流入すると、隠れ切支丹の人々は大っぴらに信仰が許されるようになったが、二百年以上も世界のキリスト教と切り離されていたので、特殊な信仰になったと言われている。
そして、第二次世界大戦、日米戦争の時代には、キリスト教徒は天皇神道が強制される社会で再び片隅に追いやられたが、日本の敗戦、キリスト教国アメリカによる日本占領によって、再び、キリスト教が脚光を浴びるようになり、現在に至っている。
これは、日本の宗教がキリスト教と戦ったのではなく、日本の宗教を利用する人々が、キリスト教と戦ったことを意味する。結果は、キリスト教の勝利に終わり、アメリカのキリスト教に基づく民主主義を日本は全面的に受け入れ、新憲法もキリスト教の精神に沿って作成された。
しかし、宗教的観点から日本の歴史を振り返ることは、余りなされていない。特に、天皇家が戦後も生き残り、国民の象徴として存在しており、万物の創造主の神様への信仰の障害になっている。ただし、戦後、天皇家は当時の皇太子(現、上皇)をカトリック系の大学で学んだ女性(現、上皇后)と結婚させ、アメリカから信頼感を得ていたし、宮内庁関係者にもキリスト教徒がいた。世界の主流のキリスト教に背を向けることはできないので、対外的には日本は準キリスト教国の顔を見せたが、国内的には天皇神道の権威を維持している。
ただし、欧米でキリスト教の影響が減少したので、日本もキリスト教の影響を強く意識することはなくなった。それでも、G7各国の中で日本は唯一の非キリスト教国であり、中国と並んで、欧米各国からは非キリスト教世界だと見られている。しかし、日本はアメリカ文化を受容し、キリスト教的な憲法を持っているので、準キリスト教国だと認められている。
今でも、牧師や神父が、かつてイエス・キリストが弟子に与えた霊能力を発揮できるなら、多くの日本人がキリスト教を信仰するだろう。
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