塩が塩味を失えば、再び塩味を取り戻すことはない。]2025/04/06 13:17

「あなた方は、世の塩ある。塩が塩味を失えば、再び塩味を取り戻すことはない。塩味を失った塩は何の役にも立たず、投げ捨てられ、人に踏みつけられるだけである。」

You are the salt of the earth. But if the salt loses its saltiness, how can it be made salty again? It is no longer good for anything, except to be thrown out and trampled underfoot.

+++ +++ +++

キリスト教の信者は、道徳的で模範的な人間だ、という評価を受けている。

悪魔の影響下にある世の中で、欲を出さずに、他人に親切で、弱者に同情的な人々だと思われている。

しかし、悪魔はそういうキリスト信者の心にも入り込み、いつのまにか、傲慢、腐敗、堕落へと導く。そうなると、世の中は手のひらを返し、最大限の侮蔑を示し、攻撃し、踏みつける。堕ちたヒーローは、世の中の物笑いの対象となる。

だから、いったん信仰への道を進み始め、精神的/霊的な修業を始めたら、再び、昔の生き方に戻ってはならない。

信仰者や修行者として成功するか否かは、問題ではない。神様を目指して進むこと自体に意味がある。その姿が、「世の中を清める塩」となる。

しかし、悪魔の誘惑や攻撃はやむことがない。蟻の一穴からでも悪魔は、入り込む。だから、「常に目覚めて、神様に祈れ」と、イエスは教えている。

世の中で成功した今の宗教者でも、物欲を捨て、カネを避け、個人的な利害を捨て去った人間は、ほとんどいない。彼らの真実の姿が世の中に知れれば、彼らは人々に軽蔑され、捨て去られ、落ちたヒーローとして踏みつけられる。

キリスト教会でもスキャンダルで聖職者が教会から追われることがある。仏教や神道では、この世的な成功や名声が、当然のことのように重んじられている。悪魔は、宗教界にも入り込んでいる。

この世は、悪魔の影響下にあるが、人間は本来、霊格を高め、神様に近づくことの価値を知っている。だから、その方向に進む信仰者や修行者を尊敬すべきことは、本能的に理解している。

ところが、信仰者や修行者がインチキ野郎だと分かれば、世間は手のひらを反す、昨日のヒーローが、今日は詐欺師だと罵られる。

ここに、信仰や修業の厳しさがある。途中で信仰や修業をやめれば、清めの塩が、汚しのゴミとなる。だから、富やカネを捨てる生き方を始めたら、再び、物質的豊かさを求めてはならない。

「あかりをつけて、それをマスの下におく者はいない」2025/04/07 19:45

「また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。」(マタイによる福音書 5:14-16)

Neither do men light a candle, and put it under a bushel, but on a candlestick; and it giveth light unto all that are in the house.

+++ +++ +++

この世は、悪魔の影響下にあり、霊的にも闇の世界だと言える。

しかし、イエスの言葉は、その闇の中で輝いている。

イエスの言葉を学んだ者も、心の中で明かりがともる。その明かりを人々から隠してはいけない、という意味です。

桝(マス)という容器の中に隠すのではなく、明かりは燭台の上に置き、皆が闇から救われるようにすべき、ということです。

信仰や修行で、超能力や霊能力を得た者も、それを秘密にするのではなく、世のためや、人のために使うべきです。自分の利益のためにだけ使っていれば、やがてその能力も失われる。

イエスの言葉は、精神的な幸福を得る鍵です。カネでは買えない霊的な幸福が、イエスの言葉によって得られるのです。

カネで輝こうとしても、長続きはしない。悪魔の影響で、世の中には裏切り、嫉妬、罠と陰謀、悪だくみが支配している。人の心は暗くなる一方です。

しかし、神様への愛と、隣人への愛を唱えるイエスに従えば、その人の内面から明るさが出てくる。そういう信仰心を隠すなということです。それは、世の中を明るくするためです。

悪魔はカネで人を洗脳し、魂を悪魔に売ってカネを得ようとする者は多い。そして、この世に地獄の闇が近づく。カネの狂った輝きに酔う者が多すぎる。

だから、信仰と言う本物の輝きで社会を明るくするのが、信仰者の勤めです。

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」2025/04/08 20:07

彼らの言うことを聞いて、イエスは言った、「医者が必要なのは、健康な人ではなく、病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」 (マルコによる福音書 2:17)

On hearing this, Jesus said to them, “It is not the healthy who need a doctor, but the sick. I have not come to call the righteous, but sinners.”

+++ +++ +++

エリート、富裕層、幸福な人は、神様を必要としない、というのが、イエスの主張です。

この世で不幸な人、希望の持てない人、失敗した人、罪人だといわれる人は、もはや、神様に頼るしかない。そういう人を救おうとするのが、イエスの目的です。

不幸なために、また、貧しいために罪を犯した人は、この世に絶望している。そういう人を救おうとするのが、イエスの意図なのです。

悪魔の影響下にあるこの世では、皆、魂を悪魔に売ってでも、カネを儲けて幸福になろうとする。エリート達は、自分では道徳や法律、ルールを守っているように見せながら、貧しい人を無視し、苦境に陥らせ、彼らが道徳違反、法律違反、ルール違反に追い込まれるのを放置している。

そういう貧しい人に同情し、隣人愛で接し、彼らの魂を救うのがイエスの意図です。

悪魔の影響下にあるこの世では、富むものは貧しいものを無視し、強者は弱者に同情せず、幸福な人は不幸な人を黙殺する。しかし、彼らの富や権力、幸福は、裏切り、欺瞞、陰謀、冷酷さなどによって得られたものです。神様の教えに従って、得たものではない。

だから、イエスは「金持ちは、天国に入れない」と言っている。表面的には、罪を犯さなくても、富裕層などは巧妙に罪を隠しているものです。カネや権力、地位などによって罪を隠蔽して、表面は善人面をしている。

そういう真実を見抜いているイエスは、生きるために罪を犯さなければならなかった人に同情し、愛情を注ぐのです。

そして、人を裁いてはならない、とイエスは述べている。心の奥底で神様を信じ、善意をもって生きていても、人間は罪を犯すことがある。そういう人は、神様に許され、イエスに愛されていることを知ることで、苦しみから救われる。そういう罪人ほど、神様やイエスの愛が理解できるのです。

だから、キリスト教では、罪を神父に告白し、神様の代理人と呼ばれる神父から許しを得るというシステムが採用されている。

罪人と呼ばれる人ほど、この世の仕組みを深く理解しているものです。悪魔の働きを理解しているものです。そして、イエスの愛の深さが理解できるのです・・・

イエスは起き上がって、風を叱り「黙れ。静まれ」と言われた2025/04/09 19:50

イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。(マルコによる福音書 4:39)

He got up, rebuked the wind and said to the waves, “Quiet! Be still!” Then the wind died down and it was completely calm.
+++ +++ +++

これは、イエスの霊能力を示す場面です。

ユリ・ゲラーなどの超能力者も、念力でスプーンを曲げることができます。空海も天候を変えることができました。

超能力など存在しない、という科学者もいますが。そういう科学者も、人間の精神力については、満足な説明はできないし、宇宙の誕生についても、満足な説明はできないのです。

精神力や霊のことは、何も知らない、不勉強な科学者が、超能力や霊能力は科学で説明できないので否定しているだけです。

西欧文明の基礎となった聖書には、イエスの超能力や霊能力が書かれています。日本の科学の基本も西欧文明です。聖書を認めない日本の科学者はインチキです。

この世の自然界を作ったのは神であり、神様に近いイエスは、霊能力で自然現象をコントロールできるのです。

また、人間の肉体も自然の一部であり、霊能力があれば、イエスのように病気もコントロールし、癒すことができます。

だから、イエスは超能力者だったという説が、西欧の学者の間でも主力となっています。

イエスのように、強い信仰心を持っていれば、誰でも超能力を発揮できるのです。

ユリ・ゲラーは、ユダヤ人なので、キリスト教徒でなくても、霊的な信仰を持っていると思われる。だから、スプーン曲げくらいは簡単にできるようになったと思われる。

日本人も、隠れた霊的な信仰心を持っているので、イエスのように霊能力を使える人間は、結構いるはずです。

神様に祈って、霊能力を高めることが重要です。

「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」2025/04/10 21:57

弟子たちは、イエスが海の上うえを歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。

しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。(マタイによる福音書14:26, 27)

When the disciples saw him walking on the lake, they were terrified. “It’s a ghost,” they said, and cried out in fear.

But Jesus immediately said to them: “Take courage! It is I. Don’t be afraid.”

+++ +++ +++

イエス・キリストは、霊能力者だった。しかし、娯楽や気まぐれに霊能力を使っていたのではない。

上記の場面では、海の中の船の弟子たちの所に行く必要があったから、海の上を歩かれたのです。

だから、イエスの超能力を知らない弟子は、それを見て驚いたのです。

心霊治療家も、病人を癒したいという気持ちから、霊能力を発揮できるようになるのです。

一生に3千件もの発明を行った故政木和三も、発明で世のため、人のために役に立ちたいという思いがあったから、奇跡的に多くの発明ができたのです。

ユリ・ゲラーは、念力によるスプーン曲げだけでなく、透視能力もあり、油田や金鉱を超能力で発見し、巨額の報酬を得たが、ギャンブルで超能力を使うと、気分が悪くなったので、ギャンブルはやめにしたと、述べている。

超能力や、霊能力は、世のため、人のため、また、必要に迫られて発揮するものなのです・・・
<< 2025/04 >>
01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

このブログについて

時事問題を英語で議論しよう

救世主イエスの言葉を学ぼう!

最近のコメント

最近のトラックバック

RSS