愚かな者は知恵と教訓を軽んじる (箴言 第 1 章) (fools despise wisdom and instruction) ― 2025/12/27 13:10

7 主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
8 わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。(箴言 第 1 章)

7 The fear of the Lord is the beginning of knowledge,
but fools despise wisdom and instruction.
8 Listen, my son, to your father’s instruction
and do not forsake your mother’s teaching.
+++ +++ +++
『箴言』(しんげん)とは、教訓集を意味し、ユダヤ教では「諸書」の1つであり、キリスト教では知恵文学の1つとして『詩篇』の後に置かれる。内容は教訓の集合で、様々な徳や不徳とその結果、日常における知恵や忠告等です。『箴言』中の格言の多くはソロモン王によって作られたとされている。

「神様を恐れ、父母の教えを守れ」と聖書の読者に教えている。これを敬神の念と言い、祖先への崇拝という。今の世でも、神様や天を恐れる人間に悪人はいないとされている。宗教の違いがあっても、神、善悪に対する考えは人類に共通のもです。また、父母を愛し、敬うことも共通している。

しかし、わざわざ神を恐れよ、父母の教えに従えと述べていることは、人間は成長すると、いかに神を恐れなくなり、父母を軽んじるかを示している。

悪魔にとりつかれて、欲を満たすことを求め、金銭や富や名誉を求めるようになると、人の心は神様から遠ざかる。父母の愛情を無視する。そして、悪魔の教えに従うようになる。悪を肯定し、善悪など人間が作りあげたものだと考える。自然な道徳感情や情けを無視するようになり、やがて、神様の怒りを買う。

だから、この世の成功者のエリートや富裕層は、神様を無視し、両親に冷たく、貧乏人を蔑視する人間が多い。彼らの成功は何の役にも立たない。神様から与えられたもので満足する生き方が正しい。

そもそも、人間が悪を持って生まれてくる性悪説なら、善の心は生じない。悪魔の教えを知らない無垢の状態で人は生まれるが、やがて、我欲が芽生え、その心に悪魔や悪霊が取りつく。そのような人間が増えれば、この世は闇になる。神も仏もない世界になる。

人間には誰でも、プライドがあり、損得の判断をし、上下の観念を持ち、好き嫌いの感情がある。しかし、そのような人間の上に神様がいる。無条件に神様を認め、恐れることが人間なのです。そして、神様は善であるべきことを教えている。善は愛に通じ、生命を与える。

しかし、神様に逆らい、善と愛を憎む悪魔は、人間の心に取り付き、迷わせ、道徳や自然の道に反したことを行わせる。人を手下にして支配しようとする。悪魔に取り付かれた人間は、狡猾に他人を騙し、信用させ、地獄へと引きずりこむ。そのやり口は、昔から変わらない。徹底して善人を演じ、相手の信頼を勝ち取り、「これは良い人だ」と思わせ、「仲間だ」と思わせて、相手を騙すのが常套手段です。だから、経験のある両親は、子供たちに教訓を与えて、安全に世の中を生きていくように教える。その教えを軽んじるなということです。

そして、神様は自分を敬わない者は、地獄に落ちるのを放置する。又は、自分の信者を害する者を罰する。全知全能にして全善なる神様を騙すことはできない。神様に背を向け、悪魔に従う者は必ず、神様の怒りを買い、罰される。これが、信仰者の常識です。

この世の何を失っても、神様から怒りを買わなければ、良い人生だと言わなければならない。

だから、「神様の怒り」を買っている富裕層やエリートなどのこの世の強者になるよりも、「神様からの憐みを」受ける貧乏人やこの世の弱者になる方が幸せなのです。

愚かな者は知恵と教訓を軽んじる (箴言 第 1 章) (fools despise wisdom and instruction) ― 2025/12/27 13:10

7 主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
8 わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、母の教を捨ててはならない。(箴言 第 1 章)

7 The fear of the Lord is the beginning of knowledge,
but fools despise wisdom and instruction.
8 Listen, my son, to your father’s instruction
and do not forsake your mother’s teaching.
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『箴言』(しんげん)とは、教訓集を意味し、ユダヤ教では「諸書」の1つであり、キリスト教では知恵文学の1つとして『詩篇』の後に置かれる。内容は教訓の集合で、様々な徳や不徳とその結果、日常における知恵や忠告等です。『箴言』中の格言の多くはソロモン王によって作られたとされている。

「神様を恐れ、父母の教えを守れ」と聖書の読者に教えている。これを敬神の念と言い、祖先への崇拝という。今の世でも、神様や天を恐れる人間に悪人はいないとされている。宗教の違いがあっても、神、善悪に対する考えは人類に共通のもです。また、父母を愛し、敬うことも共通している。

しかし、わざわざ神を恐れよ、父母の教えに従えと述べていることは、人間は成長すると、いかに神を恐れなくなり、父母を軽んじるかを示している。

悪魔にとりつかれて、欲を満たすことを求め、金銭や富や名誉を求めるようになると、人の心は神様から遠ざかる。父母の愛情を無視する。そして、悪魔の教えに従うようになる。悪を肯定し、善悪など人間が作りあげたものだと考える。自然な道徳感情や情けを無視するようになり、やがて、神様の怒りを買う。

だから、この世の成功者のエリートや富裕層は、神様を無視し、両親に冷たく、貧乏人を蔑視する人間が多い。彼らの成功は何の役にも立たない。神様から与えられたもので満足する生き方が正しい。

そもそも、人間が悪を持って生まれてくる性悪説なら、善の心は生じない。悪魔の教えを知らない無垢の状態で人は生まれるが、やがて、我欲が芽生え、その心に悪魔や悪霊が取りつく。そのような人間が増えれば、この世は闇になる。神も仏もない世界になる。

人間には誰でも、プライドがあり、損得の判断をし、上下の観念を持ち、好き嫌いの感情がある。しかし、そのような人間の上に神様がいる。無条件に神様を認め、恐れることが人間なのです。そして、神様は善であるべきことを教えている。善は愛に通じ、生命を与える。

しかし、神様に逆らい、善と愛を憎む悪魔は、人間の心に取り付き、迷わせ、道徳や自然の道に反したことを行わせる。人を手下にして支配しようとする。悪魔に取り付かれた人間は、狡猾に他人を騙し、信用させ、地獄へと引きずりこむ。そのやり口は、昔から変わらない。徹底して善人を演じ、相手の信頼を勝ち取り、「これは良い人だ」と思わせ、「仲間だ」と思わせて、相手を騙すのが常套手段です。だから、経験のある両親は、子供たちに教訓を与えて、安全に世の中を生きていくように教える。その教えを軽んじるなということです。

そして、神様は自分を敬わない者は、地獄に落ちるのを放置する。又は、自分の信者を害する者を罰する。全知全能にして全善なる神様を騙すことはできない。神様に背を向け、悪魔に従う者は必ず、神様の怒りを買い、罰される。これが、信仰者の常識です。

この世の何を失っても、神様から怒りを買わなければ、良い人生だと言わなければならない。

だから、「神様の怒り」を買っている富裕層やエリートなどのこの世の強者になるよりも、「神様からの憐みを」受ける貧乏人やこの世の弱者になる方が幸せなのです。

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