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    <title>EE-聖書 Blog</title>
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    <pubDate>Sun, 01 Nov 2026 11:53:45 +0900</pubDate>
    <item>
      <title>「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出る」 (ヨハネによる福音書 第 7 章) （"Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.”）</title>
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      <pubDate>Sun, 01 Nov 2026 11:52:35 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-11-01T11:53:45+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-11-01T11:53:45+09:00</dcterms:created>
      <description>37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。&#13;&lt;br&gt;
38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。&#13;&lt;br&gt;
39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。&#13;&lt;br&gt;
40 群衆のある者がこれらの言葉を聞いて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者である」と言い、&#13;&lt;br&gt;
41 ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。&#13;&lt;br&gt;
42 キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。&#13;&lt;br&gt;
43 こうして、群衆の間にイエスのことで分争が生じた。&#13;&lt;br&gt;
44 彼らのうちのある人々は、イエスを捕えようと思ったが、だれひとり手をかける者はなかった。(ヨハネによる福音書 第 7 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
37 On the last and greatest day of the festival, Jesus stood and said in a loud voice, “Let anyone who is thirsty come to me and drink. 38 Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.” 39 By this he meant the Spirit, whom those who believed in him were later to receive. Up to that time the Spirit had not been given, since Jesus had not yet been glorified.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
40 On hearing his words, some of the people said, “Surely this man is the Prophet.”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
41 Others said, “He is the Messiah.”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
Still others asked, “How can the Messiah come from Galilee? 42 Does not Scripture say that the Messiah will come from David’s descendants and from Bethlehem, the town where David lived?” 43 Thus the people were divided because of Jesus. 44 Some wanted to seize him, but no one laid a hand on him.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「ヨハネによる福音 書7章」については、AIは、「この章では、イエスがエルサレムで教え、ご自身の出所と使命について語ります。人々の間では、イエスを信じる者と疑う者に分かれ、議論が起こります」と解説している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「生ける水」については、「キリストを信じて受ける神の命と恵みであり、人の魂を内側から生かし、永遠の命へ導くものです。なお、ヨハネ4章では「キリストとその教え」、ヨハネ7章では特に「聖霊」という側面が強調されています。どちらも、キリストから与えられる霊的な命を示しています(churchofjesuschrist.org)」と、述べている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエス・キリストが、人々に現れた時、人々はイエスが「預言者」であると言ったり、「キリスト」であると言ったりして、さまざまな意見が出た。AIによれば、「預言者」とは、「未来を予測する占い師ではなく、神の言葉を預かって語る人です。教派によって表現は多少異なりますが、聖書における中心的な理解は共通しています(jw.org)」と述べ、また、「キリスト」とは、「人の名前というより、称号です。ギリシャ語の「クリストス」に由来し、ヘブライ語の「メシア」に相当します。どちらも、もともとは「油を注がれた者」という意味です(jw.org)」と、説明されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
さらに、「聖書の時代には、王・祭司・預言者などを特別な務めに任命するとき、油を注ぐ儀式が行われました。&#13;&lt;br&gt;
そのため「キリスト」には、次のような意味が含まれます。&#13;&lt;br&gt;
神に選ばれた者&#13;&lt;br&gt;
約束された救い主&#13;&lt;br&gt;
王として人々を導く者」としており、「簡単に言えば、&#13;&lt;br&gt;
イエス・キリスト ＝ 救い主であるイエス&#13;&lt;br&gt;
という意味です。キリスト教では、イエスが旧約聖書で待ち望まれていた救い主であると信じます(bible.or.jp)」と、「イエス・キリスト」の意味について解説している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、古代のユダヤ人は、なぜ、救世主（キリスト）の出現を待ち望んでいたのか、という点については、AIは、「神の約束を信じながら、外国支配や社会的不正、民族的苦難の中に置かれていたためです。彼らは、救世主によって「失われたイスラエルの栄光が回復し、神の正義と平和が実現する」と期待しました。ただし、キリスト教がイエスを救世主と理解する一方、当時のユダヤ人の間では救世主の役割について意見が分かれており、統一された一つの考えがあったわけではありません(ja.ligonier.org)」と説明している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエス・キリストは、当時のユダヤ人の全てによって、預言者や救世主として認められていたのではない。しかし、多くの奇跡を起こして人々を病などから救ったイエスは、預言者や救世主以上の「神様の子」だった、と考えるのがキリスト教なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
余りに偉大な存在は、人々に理解されないものです。日本でも、天皇以上に偉大な人物が現れても、皇族の一人だろうと考えるのが関の山です。人々の想像力の限界を超えた人物は理解できないものです。天才は、凡人には理解できないのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、動物から見れば、人間も単なる動物の一種にしか見えない。自分たちとは、霊格の異なる偉大な存在だと理解する動物はいない。ましてや、神に通じる存在だと恐れる動物はいない。それでも、霊感を感じれる動物は、人間の霊を感じれば、人間に屈服する。熊も、人間の霊を感じれば、人を襲うこともなくなるはずです。人間が、文明のもたらす優れた武器を使えば、クマはひとたまりもなく抹消される。人間の文明の威力を感じれる動物だけが、現在の地球では生き残ることが許されている。さらに、人間の中には超能力や霊能力を使える者もいて、野生の動物の敵ではない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、人間よりも文明の進んだ宇宙人から見れば、人間は未熟な存在にすぎない。だから、宇宙人は人間に姿を羅わさないと考えられる。実際に、人間社会の中に入って、人間として生きている宇宙人も存在するが、人間にその正体を見破られると、危険な目にあうと考えて、正体を見せない隠れた宇宙人もいるとの説もある。人ごみの中から、宇宙人を見出すことは難しいという意見もある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実際に、地球の人間そっくりの宇宙人もいるとの説がある。或いは、宇宙人とは、宇宙人の魂を持った存在であり、人間の身体を持っていても、魂が宇宙人なら、単なる地球の人間ではなく、宇宙人だという考え方もある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これは、人間とは霊（心）と物理的な身体を持った存在だというキリスト教の考え方にあてはまる。この世の物質界を超えた霊界には、地球人の霊ばかりでなく、さまざまな宇宙人の霊もあるという。霊は、物質界の肉体に宿るので、前世は宇宙人だったという存在が、地球人の肉体に宿った宇宙人の霊もあると思われる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、霊界には悪魔もいて、人間の心を支配することもあり、宇宙人の心を悪魔が支配する場合も考えらえる。だから、地球の宗教は宇宙的な意味を持つ。AIでは、仏教についても、「仏教における「宇宙的な意味」は、宇宙を創造した絶対神を説明することよりも、宇宙と生命がどのような関係で成り立ち、苦しみからどう解放されるかを示す点にあります」と、説明されている。ただし、AIでは、キリスト教については、「キリスト教において人間は宇宙の主人ではなく、神の創造世界を受け取り、愛し、守る責任を持つ存在」としており、宇宙人もこの宇宙の存在である以上は、地球の人間と似た思想や宗教観を持っているはずであり、その意味で、地球の人間と価値観が異なっていても、コミュニケーションはできるはずです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、UFOとテレパシーを使って、心で宇宙人と会話ができるという人もいる。実際に、宇宙人と遭遇したリンゴの無農薬栽培家の木村秋則は、言葉ではなくテレパシーでUFOの宇宙人と会話したという。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
興味深いのは、18世紀の神秘家のスエーデンボルグは、霊界で宇宙人の霊に会ったと述べており、宇宙人の間でも「神様の子」、又は、「主」として、イエス・キリストのことは理解され、崇拝されているという。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、聖母マリアの霊は100年前に、ポルトガルのファチマに、宇宙人のUFOを使って出現したのではないか、という議論もある。ヴァチカンのローマ法王も、何度もUFOの宇宙人と会見しているという説もある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
２千年前にイエス・キリストのことが人々に理解されなかったように、今の我々にも、神様や宇宙人の真の姿は完全には理解できない。それでも、地球の人間の宗教は宇宙人にも理解できることを信じれば、我々は広い大宇宙の中の生命として、共に宇宙の創造主の神様の下にあることにある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
何千年後の未来には、地球人も宇宙人も同じ宗教を持つようになるかも知れない。科学文明の進んだ宇宙人を恐れるべきではない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立する」 (ルカによる福音書 第 12 章) （"father against son and son against father, mother against daughter and daughter against mother, mother-in-law against daughter-in-law and daughter-in-law against mother-in-law”）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/31/9883796</link>
      <guid>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/31/9883796</guid>
      <pubDate>Sat, 31 Oct 2026 12:49:41 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-11-01T00:10:21+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-31T12:50:51+09:00</dcterms:created>
      <description>51 あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。&#13;&lt;br&gt;
52 というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、&#13;&lt;br&gt;
53 また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。&#13;&lt;br&gt;
54 イエスはまた群衆に対しても言われた、「あなたがたは、雲が西に起るのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る、と言う。果してそのとおりになる。&#13;&lt;br&gt;
55 それから南風が吹くと、暑くなるだろう、と言う。果してそのとおりになる。&#13;&lt;br&gt;
56 偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。(ルカによる福音書 第 12 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
51 Do you think I came to bring peace on earth? No, I tell you, but division. 52 From now on there will be five in one family divided against each other, three against two and two against three. 53 They will be divided, father against son and son against father, mother against daughter and daughter against mother, mother-in-law against daughter-in-law and daughter-in-law against mother-in-law.”&#13;&lt;br&gt;
54 He said to the crowd: “When you see a cloud rising in the west, immediately you say, ‘It’s going to rain,’ and it does. 55 And when the south wind blows, you say, ‘It’s going to be hot,’ and it is. 56 Hypocrites! You know how to interpret the appearance of the earth and the sky. How is it that you don’t know how to interpret this present time?&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」というのは、イエス・キリストの言葉としてよく知られています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、「この言葉は、イエスの教えを信じることによって、家族の中でも信仰や価値観の違いから対立が起こり得る、という警告です」と説明されています。また。「キリルス（アレクサンドリアのキュリロス、376頃–444年）は、キリストが「平和」ではなく「分裂」をもたらすと言った理由について、神から来る平和とは異なる、人間的な妥協や悪との馴れ合いを退けるためだと説明しています。悪に同調して保たれる平和は、本当の平和ではない、という理解です(tertullian.org)」と、解説されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
同じ家族でも、それぞれの人格が異なるように、霊格も異なるのです。そのような精神の基盤が異なる人間同士が一緒になって生活することで、人間は、社会生活の基本を理解するのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
家族同士の生活でも、自分と他者の区別を理解し、人間とは何かを徐々に理解して育つのが人間なのです。家族の中に、霊格の高い人物がいて、宗教的な才能が高い者がいれば、家族はその者に従うようになるのが自然です。だから、親でも、そのような子供が聖者となったことを理解すれば、やがて、人間としてその子の言葉に従うことになる。霊的な教えに、人間関係の制約は無意味なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、聖母マリアも、自分の子のイエスが、神様の霊を与えられていることを確信してからは、イエスの言葉に従うようになったのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
兄弟でも姉妹でも、より神様の教えに惹かれる者と、悪魔に魂を売りやすい人間に分かれる。また、聖者の言葉を理解できる者と、理解できない者に分かれる。さらに、俗な生き方を嫌う者と、聖なる生き方に何の魅力も感じない者に分かれる。悪魔の影響下にあるこの世では、誰もが悪魔の影響を受けているが、その程度は各人によって異なる。つまり、本当の宗教は個人の心が決めるものであり、社会や一族、家族が強制するものではないのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
親は、子が異なる宗教の教えに従うのは、意外な気持ちを持つが、それも子供の個性だとして認めないわけにはいかない。そして、死後は霊界では、それぞれが信じる所に従って、分かれていく。霊界では、むしろ、生きている間は他人でも、信じる所が同じであれば、やがて集まるようになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
極端に言えば、一家の中でも、霊的には天国を目指す者と、地獄を好む者に分かれる。しかし、この世では他人でも、同じく天国を目指す者同士は理解が容易で、地獄に行く者同士も、相手の心が分かるものです。家族のせいで悪人になったと主張するのは、自分の選択の自由を放棄した無責任な言葉です。家族でも、互いの心の底は分からないことがある。それは、魂が違うからです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それでも、この世で生きている間は、家族同士の影響が多きい。家族を通して、人間とは何かを学ぶことも多い。家族同士は、一家の秘密を共有し、社会的な利害が一致するので、この世では、一家の絆が人間社会の基本になる。社会的な困難も、家族全体でまとまっていれば、解決しやすい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
つまり、一家の主人の思想が家族全員に大きな影響を与える。しかし、家族の団結を心がけるのは、主婦の力が大きい。一家のさまざまなもめ事などを解決するのは、主婦の個性や才能や家族愛であることが大きい。優秀な子供が育つには、父親の教育的な指導よりも、母親の愛の励ましや、社会への考え方の影響が大きい。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
漫画家の手塚治虫が、医学生の時に、医者になるか、漫画家になるかを迷っていたとき、母親に相談すると、自分の好きな道を選べといって、漫画家になるのを後押ししたことはよく知られている。医者になっても多くの患者の命を救えたかも知れないが、戦後漫画界のリーダーとなって、何百万人もの子供たちに影響を与え、彼らの心を楽しませる作品を描くことで、戦後の日本文化に大きな影響を与える方が、社会的には意味があったと思われる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
なお、手塚治虫はブッダの伝記や、聖書物語りも手掛けて、「火の鳥」などで生命の不思議さに迫る作品も漫画で描いて、単なる娯楽作品ではなく、人間の存在を真剣に考える作品も手掛けており、戦後の日本文化の深さを示す働きをした。漫画が日本を代表する芸術にまでなった功労者の第一人者だとされて、今でも漫画界の神様だと言われているが、その漫画の神様を生み出したのは、手塚治虫の母親の愛と見識だったことになる。エリート・サラリーマンだった父親よりも、子供をよく理解していて、世の中のこともよく理解していた母親が、手塚家でも大きな影響力を持っていたことが分かる。このように、人格や霊格の優れた人間は、一家の中でも主導的な立場に立つことがあり、それに家族が従っていれば、家族全体が不幸に堕ちることは少ない。まさに、内助の功や縁の下の力持ちの働きをするのが主婦なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、悪魔の影響は家族の中にも及ぶ、家族同士が、互いに相手に敵意を感じれば、弱点をお互いに知っているだけに、熾烈な戦になったり、陰湿な戦になったりする。家族の間で天使と悪魔の戦いの代理戦争になることもある。だから、成人になれば、兄弟。姉妹でも自分の道を歩むことが自然になる。そのような家族をまとめるのが、家族愛に満ちた一家の主婦の役割だということになる。妻であり母親でもある一家の主婦は、一家の分裂を防ぐカギとなる立場にあるが、その信仰が大きな役割を持ち、イエス・キリストへの信仰心をもつことが、一家の救いになることも多い。（父親は、良くも悪くも、自分の思想にプライドを持っていて、母親のように融通はきかない。）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、霊的な問題は根深く、霊界ではこの世の制約から自由になって、天国や地獄は自分で選べて、家族もばらばらになる。この世では、さまざまな条件によって隠されていた各人の本性が現れて、善人は天使に近づき、悪人は悪魔に近づく。天使と悪魔は異なる世界を生きるのです。妻や母としての力も霊界には及ばない。だから、聖母マリアの力が、特に霊界では重要な意味をもつ。聖母マリアは万人の霊的な母親だという見方もある。（聖母マリアの霊は、この世に出現したときに、人々に「我が子よ」と呼びかける。）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、この世では条件が整えば、物事は成立する。それを正しく判断することで、人は災いを避けることができる。正しく判断するには、欲を捨てることが大事です。そのような、正しい判断のできる人間と、そういう判断ができない人間は対立することもある。家族の中でも、社会の中でも、そういう判断の違いが敵対関係を作ることも多い。だから、この世では一家の主婦の正しい判断が大きな意味を持つが、霊界では、イエス・キリストや聖母マリアの判断が決定的な意味を持つ。信仰心は、霊界でも大きな意味を持つ。正しい信仰心があれば、もはや、霊界では分断に苦しむこともない。高度の霊格を持った霊は、争うこともない。神様のご威光に従うだけだということになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この世でも、神様の教えに従って、正しく欲のない生活をしていれば、「今の時代を見分けること」ができるはずだというのが、イエス・キリストの教えです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
一家の中でも、社会の中でも欲のない聖者の心を持った人間を尊重すべきなのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受ける (ヤコブの手紙 第 1 章) （that person will receive the crown of life that the Lord has promised to those who love him）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/30/9883663</link>
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      <pubDate>Fri, 30 Oct 2026 14:30:32 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-30T14:31:36+09:00</dcterms:modified>
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      <description>5 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。&#13;&lt;br&gt;
6 ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。&#13;&lt;br&gt;
7 そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。&#13;&lt;br&gt;
8 そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。&#13;&lt;br&gt;
9 低い身分の兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。&#13;&lt;br&gt;
10 また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。&#13;&lt;br&gt;
11 たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。&#13;&lt;br&gt;
12 試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。(ヤコブの手紙 第 1 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
5 If any of you lacks wisdom, you should ask God, who gives generously to all without finding fault, and it will be given to you. 6 But when you ask, you must believe and not doubt, because the one who doubts is like a wave of the sea, blown and tossed by the wind. 7 That person should not expect to receive anything from the Lord. 8 Such a person is double-minded and unstable in all they do.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
9 Believers in humble circumstances ought to take pride in their high position. 10 But the rich should take pride in their humiliation—since they will pass away like a wild flower. 11 For the sun rises with scorching heat and withers the plant; its blossom falls and its beauty is destroyed. In the same way, the rich will fade away even while they go about their business.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
12 Blessed is the one who perseveres under trial because, having stood the test, that person will receive the crown of life that the Lord has promised to those who love him.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、「ヤコブの手紙は、新約聖書にある手紙の一つです。日本聖書協会は、新約聖書の中でこの書を信仰生活の実際面を示す書として紹介していて、特に共同体の人間関係や病者への接し方に触れると説明しています (bible.or.jp)」と説明されています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「信仰は行いと結びついてこそ生きたものだという主題は、この手紙でも特によく引用される部分です。一般向けの解説でも主要な聖句として挙げられています (acts.gmcj.org)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
特に、「富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落する」という言葉は、富裕層の繁栄が空しいものであることを述べている。死ぬまで富裕であったとしても、その富の効果を死ぬまで享受できるわけではない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
どんな金持ちも、高齢になれば、身体の自由を失い、さまざまな病に見舞われる。それに、富の効果で対抗しても、やがて、弱者や愚者のように扱われ、また、自分のいる環境や状況が理解できなくなり、認知症になって、実質的に周囲の者に拘束される。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
さらに、自分の富を狙う者が次々と現れて、どんな、悪だくみの犠牲になるかも分からない。人が信用できなくなり、世の中に背を向けるようになる。富を持っていても、その生きる心は、まさに、「没落する」のです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受ける」と述べて、この世の悪が与える試練に、神様に対する信仰心を持って、対抗していけば、やがて、神様の与えられる奇跡が生じて、苦痛が解消し、見えなかったこの世の真実の姿が見えてきて、迷いもなくなり、魂の救済が得られ、ますます、神様への信仰が高まる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
外見的には、富裕層は物質的に満ち足りた老後を送っていても、その心の中は暗黒であり、劣化し、理解力も失われ、愚者のように周囲に扱われ、驚くべき退化を示す。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、神様への信仰を失わない者は、今まで見えなかった人々の真実の心が見えるようになり、神様の与えてくれた恵みに気が付き、感謝の心で老後の厳しさも乗り越える。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「神を愛する者たちに約束されたいのちの冠」とは、この世の悪の暗黒から救われて、神様の光を感じるようになることです。悪魔の影響下のこの世を去って、神様の光があふれる霊界に移行するのが信仰者の死なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この世のエリートや富裕層は、死に臨んでも、神様の光を見ることもできず、霊界の闇の中に入って行き、地獄に辿り着く。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
他方、信仰と愛に生き、神様の栄光を信じて生きた者は、死後の霊界で、神様やイエス・キリスト、さらに、聖母マリア様の霊が送られる天使と出会って、愛と真理の光に満ちた天国へと導かれる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
いや、死後の霊界に入る前に、「いのちの冠」を与えられ、心を生み出す魂は、この世でも満ちたりるのです。本当の信仰者は、貧しく見えても、その命は霊的に輝いているのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
悪魔の影響下の人間社会で、信仰と愛をもって生きる者は、悪魔の影響や罠からも逃れることができるのです。これに気づき、これを信じるのが霊的なキリスト教なのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」 (マタイによる福音書 第 8 章) （"let the dead bury their own dead"）</title>
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      <pubDate>Thu, 29 Oct 2026 13:18:11 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-29T13:19:36+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-29T13:19:36+09:00</dcterms:created>
      <description>18 イエスは、群衆が自分のまわりに群がっているのを見て、向こう岸に行くようにと弟子たちにお命じになった。&#13;&lt;br&gt;
19 するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。&#13;&lt;br&gt;
20 イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。&#13;&lt;br&gt;
21 また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。&#13;&lt;br&gt;
22 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。&#13;&lt;br&gt;
23 それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。&#13;&lt;br&gt;
24 すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。&#13;&lt;br&gt;
25 そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。&#13;&lt;br&gt;
26 するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。&#13;&lt;br&gt;
27 彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。(マタイによる福音書 第 8 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
21 Another disciple said to him, “Lord, first let me go and bury my father.”&#13;&lt;br&gt;
22 But Jesus told him, “Follow me, and let the dead bury their own dead.”&#13;&lt;br&gt;
23 Then he got into the boat and his disciples followed him. 24 Suddenly a furious storm came up on the lake, so that the waves swept over the boat. But Jesus was sleeping. 25 The disciples went and woke him, saying, “Lord, save us! We’re going to drown!”&#13;&lt;br&gt;
26 He replied, “You of little faith, why are you so afraid?” Then he got up and rebuked the winds and the waves, and it was completely calm.&#13;&lt;br&gt;
27 The men were amazed and asked, “What kind of man is this? Even the winds and the waves obey him!”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIでは、「マタイによる福音書第8章は、イエスが病気を癒やし、自然や悪霊をも支配する権威を示す章です」とされている。また、「イエスの権威は病気や自然界にも及ぶ　嵐を静める場面では、弟子たちが「この方はどういう人なのだろう」と驚きます。章全体を通して、イエスが単なる教師ではなく、神の権威を持つ方として描かれています(jw.org)」と解説されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これは、実際にイエスが病人を癒し、嵐などの自然現象を抑えたのを目前にしなければ、信じられない話です。日本の空海などの超能力を持った僧侶や修験道の行者などが、同じように病人を癒し、自然現象を操ったという話しと似ています。要するに、イエスに霊能力のあったことが聖書に記されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
難解な漢字で書かれている仏典とは違って、聖書は平易な日本語に訳されているので、誰でも呼んで学ぶことができる。また、神道の祝詞のように、古い日本語が使われているわけではなく、意味は明瞭です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
結局、イエス・キリストというのは、神様のような霊能力で奇跡を起こす力のあった人だということです。ただし、日本の空海のように、人々の間を回って人助けをして、最後は高野山で平和に寿命を全うした（永遠の眠りにつかれた）というのではなく、当時のユダヤ教の幹部と敵対し、また、パテスチナを支配していたローマ帝国の軍隊とも緊張関係にあったという点が異なります。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
空海は新宗教を開いたのではなく、仏教の教えの延長で人々に教えを説いた人ですが、イエス・キリストの教えは、それまでのユダヤ教の教えを改革し、教え自体を根本的に変えて、新宗教を立ち上げて、キリスト教と呼ばれる宗教の教祖となったという点が異なる。ただし、ユダヤ教の教えを否定しているわけではないので、ユダヤ教に新解釈をもたらした人だとも言える。だから、キリスト教の聖典には、旧約聖書としてユダヤ教で使われている聖典の一部が取り込まれている。キリスト教を学ぶことは、ユダヤ教を学ぶことでもあるのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、キリスト教に取り入れられたユダヤ教は、２千年前までのユダヤ教なので、今のユダヤ人が信じるユダヤ教とは異なっている。しかし、２千年前のユダヤ人社会にイエスが伝道し、イエスの弟子たちは皆、当時のユダヤ人だったことは重要です。そのイエスが死に際して、弟子たちに世界中の人に伝道せよと命じたことが、現在までのキリスト教の発展につながっている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、イエス・キリストは、神様から超能力や霊能力を与えられた人であることは、今のキリスト教ではあまり強調しない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
カトリックでは、霊能力は悪魔でも使うことができるので，不思議な技を示したり、奇跡を起こせても、聖者にはなれない。だから、信徒が奇跡を起こしても、それが、イエスのように神様から与えられた力かどうかが厳しく審査される。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実際に、まともな信仰心もないのに、自分の幸運は神様が与えくれたものだと、自慢する作家や成功者、学者などはいるし、イエス・キリストの教えの精神を実行せずに、社会的成功だけを自慢する者もいる。また、エンターテインメントとして魔術や奇術と同じレベルで超能力を売り物にする超能力者もいる。イエスなどの宗教的超能力者は、自分の力を自分の利益につなげることはしない。人々を助けることと、神様への信仰心を高めるのに自分の霊能力をつかうことが普通です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実際に、世の終わりが近づいた時には、そのようないい加減な超能力者や霊能者が現れると、イエスは警告している。神様から力を得て、貧しき者、弱き者、小さき者、病んだ者、生活に苦しむ者、差別されて苦しむ者を助けるために、治癒力などの霊能力を発揮するのが、真の霊能者なのです。自分の幸福のために、霊能力を使うなどは、まさに悪魔の誘惑に乗った証拠です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この世での自分の幸運や成功のためには、そのような力を使わないことが、信仰のある霊能者です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ある人物などは、霊能力で幸運を得た自分のことばかり本に書いて、弱者救済の慈善事業への寄付などはしない。こういう人間の背後には悪魔がいるというのが、キリスト教の考えであって、イエス・キリストのように、どれだけ病人や弱き者を救ったかが霊能力者を判断する基準になるのです。霊能力で何億円も稼ぎ、有名人になれても、それは神様の力ではなく、悪魔に魂を売って得た力だと判断するのがキリスト教なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
世の終わりには、ニセ・キリストが現れると、イエス・キリスト自身が強調されている。霊能力をイエスの教えに従って使わない人間は、信用できないのです。自分のためにではなく、イエスの教えを実践するのに超能力を使えということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
つまり、霊能力を誇る者には、「イエスの教えに従って、あなたの霊能力で、何人の病人、弱者を無料で助けたのか」と、霊能者に訪ねることが鍵になる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そして、イエス・キリストの教えに従うことは、自分の父親の葬式に出るよりも大事だと言うのが、信仰の厳しさを示している。霊能力は、貧しい人を助けるために使えというのが、イエス・キリストの教えなのです。そういう活動に熱中していれば、父親の葬式に出ている暇もないというのが当然だというのがイエス・キリストの教えなのです。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>神よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられます (詩篇17) (I call on you, my God, for you will answer me)</title>
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      <pubDate>Wed, 28 Oct 2026 12:56:35 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-28T12:57:38+09:00</dcterms:modified>
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      <description>6 神よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられます。どうか耳を傾けて、わたしの述べることをお聞きください。&#13;&lt;br&gt;
7 寄り頼む者をそのあだから右の手で救われる者よ、あなたのいつくしみを驚くばかりにあらわし、&#13;&lt;br&gt;
8 ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、&#13;&lt;br&gt;
9 わたしをしえたげる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、のがれさせてください。&#13;&lt;br&gt;
10 彼らはその心を閉じて、あわれむことなく、その口をもって高ぶって語るのです。&#13;&lt;br&gt;
11 彼らはわたしを追いつめ、わたしを囲み、わたしを地に投げ倒さんと、その目をそそぎます。&#13;&lt;br&gt;
12 彼らはかき裂かんと、いらだつししのごとく、隠れた所にひそみ待つ子じしのようです。&#13;&lt;br&gt;
13 主よ、立ちあがって、彼らに立ちむかい、彼らを倒してください。つるぎをもって悪しき者からわたしのいのちをお救いください。&#13;&lt;br&gt;
14 主よ、み手をもって人々からわたしをお救いください。すなわち自分の分け前をこの世で受け、あなたの宝をもってその腹を満たされる世の人々からわたしをお救いください。彼らは多くの子に飽き足り、その富を幼な子に残すのです。&#13;&lt;br&gt;
15 しかしわたしは義にあって、み顔を見、目ざめる時、みかたちを見て、満ち足りるでしょう。(詩篇17)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
6 I call on you, my God, for you will answer me;&#13;&lt;br&gt;
turn your ear to me and hear my prayer.&#13;&lt;br&gt;
7 Show me the wonders of your great love,&#13;&lt;br&gt;
you who save by your right hand&#13;&lt;br&gt;
those who take refuge in you from their foes.&#13;&lt;br&gt;
8 Keep me as the apple of your eye;&#13;&lt;br&gt;
hide me in the shadow of your wings&#13;&lt;br&gt;
9 from the wicked who are out to destroy me,&#13;&lt;br&gt;
from my mortal enemies who surround me.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
10 They close up their callous hearts,&#13;&lt;br&gt;
and their mouths speak with arrogance.&#13;&lt;br&gt;
11 They have tracked me down, they now surround me,&#13;&lt;br&gt;
with eyes alert, to throw me to the ground.&#13;&lt;br&gt;
12 They are like a lion hungry for prey,&#13;&lt;br&gt;
like a fierce lion crouching in cover.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
13 Rise up, Lord, confront them, bring them down;&#13;&lt;br&gt;
with your sword rescue me from the wicked.&#13;&lt;br&gt;
14 By your hand save me from such people, Lord,&#13;&lt;br&gt;
from those of this world whose reward is in this life.&#13;&lt;br&gt;
May what you have stored up for the wicked fill their bellies;&#13;&lt;br&gt;
may their children gorge themselves on it,&#13;&lt;br&gt;
and may there be leftovers for their little ones.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
15 As for me, I will be vindicated and will see your face;&#13;&lt;br&gt;
when I awake, I will be satisfied with seeing your likeness.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
旧約聖書の詩篇については、AIは次のように解説しています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「詩篇は、旧約聖書にある祈りや賛美の歌を集めた書です。日本語ではしへんと読みます。古くは礼拝や祈りで広く用いられてきた詩歌集です (kotobank.jp)」。また、「詩篇は、人の喜びや苦しみを神への祈りとして表した聖書の詩集です (kotobank.jp)」と、されています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「詩篇17は、苦しい中で神に正しい裁きを求める祈りです。伝統的にダビデの祈りとされ、本文でも「ダビデの祈り」として扱われています。詩人は、自分の訴えが偽りではないと神に聞いてほしいと願い、敵から守ってくださいと求めています(baibaoshu.net)」と解説されています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
誰でも、人生で敵になるような人間に出会う。子供のときには、いじめっ子、不良、やくざの子や、ガキ大将からいじめられ、青年になれば、犯罪者、根っからの悪を好む人間、学校・職場・商売でのライバル、思想的な敵対者が現れ、また、壮年になれば、地位や名誉を巡っての敵や、政治的な敵対者、裏切りを好む者に出会い、そして、高齢になれば、腐敗・堕落した冷酷・狡猾な悪人が目に付くようになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
要するに、世の中は悪人や敵対者ばかりだということに気が付く。だから、信仰心だけが頼みになる。日本人は命がけで、年始年末に神頼みをするようなことないが、世界には、毎日、自分の神様に祈らなければ、安全も安心も得られない生活をしている人もいる。生きるためには、神様からお情けを得て、助けてもらうしかないと考える人も多い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本では、社会の流れや慣習、世の中の常識に従っていれば、飢えることも命を狙われることもない。しかし、世界には残酷な敵、狂った敵、異常な敵と毎日、直面して生きている人間もいる。そういう人間にとって、自分の信仰が生きる支えとなる。神様に奇跡を起こしてもらうしか生きるができないと考えている人も多い。だから、そのような世界では、政治的、宗教的、思想的対立が抜き差しならないものになる。これが、世界の難民の状況です。彼らは、息を吐くように、神様に祈らなければ、安心して生きていけない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そのような状況に、かつては、ユダヤ民族も生きていた、そのときに、詩篇という文学を生み出し、神様への願いを求める心を宗教的文学にしたのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
詩篇を読むごとに、自分たちの苦難の時代を思い起こし、神様に対する感謝の意を強くするのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
皆と一緒に、普通に生きていれば、衣食住に困らない日本の社会、国内が平和で、国際的にも脅威が切迫していない日本の社会では考えられない、生存自体が危ぶまれ、飢えと暴力に晒された社会や、強権社会で、権力者に奴隷のように扱われて生きている人もいる。日本の安全は、世界の非常識であり、世界の危険は日本では理解できないことも多い。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、中国の狡猾な悪意や危険性が、日本人には理解できない。欧米の強欲も日本人には、理解できない。ましてや、イスラム教国の宗教的に制約された生活や、戦乱が続く中近東の国々の状況は、日本人には理解できない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、そういう厳しい世界でも、人々は神様に祈れば、そのお情けで奇跡的に助かることを人々は知っている。彼らに、日本からの援助が奇跡的に届いて助かることもある。或いは、欧米のキリスト教組織からの援助が届くこともある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そのようにして、神様に役立ててもらえるのが、信仰者の喜びなのです。マザー・テレサなども、そのように。神様に使ってもらえて幸福だったのだろう。貧困、危険、差別、偏見などは、神様から得られる奇跡のお情けと比べれば、ものの数ではない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
宗教的な恵みの陰には、悪魔によってもたらされたこの世の悲惨がある。豊かな国の信仰者の祈りなどは、神様が顧みる順番は最後の方になる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
100円で人々が毎日生きていける社会と、１億円の宝くじを求めて人々が神仏に祈る社会では、祈りの質も異なるのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
まず、清貧生活をすることで、神様への真剣な祈りを実践することです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「彼は出てきて、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与える」 （マルコによる福音書 第 12 章） （"He will come and kill those tenants and give the vineyard to others"）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/27/9883229</link>
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      <pubDate>Tue, 27 Oct 2026 12:53:16 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-27T12:54:17+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-27T12:54:17+09:00</dcterms:created>
      <description>そこでイエスはたとえで彼らに語り出された、「ある人がぶどう園を造り、垣をめぐらし、また酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。&#13;&lt;br&gt;
2 季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕を送って、ぶどう園の収穫の分け前を取り立てさせようとした。&#13;&lt;br&gt;
3 すると、彼らはその僕をつかまえて、袋だだきにし、から手で帰らせた。&#13;&lt;br&gt;
4 また他の僕を送ったが、その頭をなぐって侮辱した。&#13;&lt;br&gt;
5 そこでまた他の者を送ったが、今度はそれを殺してしまった。そのほか、なお大ぜいの者を送ったが、彼らを打ったり、殺したりした。&#13;&lt;br&gt;
6 ここに、もうひとりの者がいた。それは彼の愛子であった。自分の子は敬ってくれるだろうと思って、最後に彼をつかわした。&#13;&lt;br&gt;
7 すると、農夫たちは『あれはあと取りだ。さあ、これを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と話し合い、&#13;&lt;br&gt;
8 彼をつかまえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。&#13;&lt;br&gt;
9 このぶどう園の主人は、どうするだろうか。彼は出てきて、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう。」（マルコによる福音書 第 12 章）&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
12 Jesus then began to speak to them in parables: “A man planted a vineyard. He put a wall around it, dug a pit for the winepress and built a watchtower. Then he rented the vineyard to some farmers and moved to another place. 2 At harvest time he sent a servant to the tenants to collect from them some of the fruit of the vineyard. 3 But they seized him, beat him and sent him away empty-handed. 4 Then he sent another servant to them; they struck this man on the head and treated him shamefully. 5 He sent still another, and that one they killed. He sent many others; some of them they beat, others they killed.&#13;&lt;br&gt;
6 “He had one left to send, a son, whom he loved. He sent him last of all, saying, ‘They will respect my son.’&#13;&lt;br&gt;
7 “But the tenants said to one another, ‘This is the heir. Come, let’s kill him, and the inheritance will be ours.’ 8 So they took him and killed him, and threw him out of the vineyard.&#13;&lt;br&gt;
9 “What then will the owner of the vineyard do? He will come and kill those tenants and give the vineyard to others.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これは、イエス・キリストの教えの中の「ぶどう園の農夫のたとえ」としてよく知られているたとえ話しです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、「話の流れはこうです。&#13;&lt;br&gt;
主人がぶどう園を作って農夫に貸す&#13;&lt;br&gt;
収穫の時に、主人が僕を送る&#13;&lt;br&gt;
農夫たちは僕を打ちたたき、追い返し、殺す&#13;&lt;br&gt;
最後に主人は自分の息子を送る&#13;&lt;br&gt;
しかし農夫たちはその息子まで殺してしまう&#13;&lt;br&gt;
このあとイエスは、主人は悪い農夫たちを裁き、ぶどう園を別の人たちに任せると語ります(bible.com)」と説明され、さらに、「カトリックの解説でも、神から託されたものを自分の物のように扱い、感謝を失う危険がこのたとえの中心だと説明されています(cbcj.catholic.jp)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
神様から託されたものとは、まず第一に自分の命です。或いは、自分の心であり、その源の霊です。人間の命は、神様から与えられたもので、自分の力で生み出したものではありません。自分の命の中心は、自分の心であり、その心を生み出していrのが、人間の魂なのです。これらは、全て神様が霊界で生み出したものであり、この世の物質である肉体の中に送り込まれたのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、人間は、本能的に神様を崇める心を持っており、魂は神様を敬うのです。しかし、農園を主人から任された悪い農夫のように、その神様から任せれたものを、自分のものにしようとする悪い心を持った人間も出てくる。彼らは、神様に逆らう悪魔と結びつき、神様が送られる天使たちを殺して、悪魔の手下になろうとする。もちろん、天使は殺されないし、神様はさらにご自分の一人子のイエス・キリストを世に送ってくる。しかし、悪魔は、さらに手下を使って、人間となったイエス・キリストを殺害する。これに成功したというのが、聖書の中の福音書の物語りなのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ぶどう園の主人は、「出てきて、農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与える」とは、神様がそのような、悪魔の手下となって、ご自分の子のイエスすら殺した人々を抹殺し、この世の人間としての命を他の霊に与えるということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実際に、イエスの殺害を許したユダヤ人は、その後のローマ帝国との戦いに敗れ、エルサレムを追われ、彼らの宗教は、キリスト教徒によって受け継がれ、ユダヤ教の聖典の旧約聖書は、キリスト教の聖典の中に組み入れられ、神様に選ばれた民としての栄光は、非ユダヤ人のキリスト教徒に与えられたのです。これが、2千年前のイエス・キリストの誕生と死後の後の、世界の歴史なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この「ぶどう園の農夫のたとえ」は、ユダヤ人の運命を予言したたとえ話なのです。ユダヤ人の栄光は、キリスト教徒によって受け継がれたということです。本来は、ユダヤ人が人類の代表として歴史をけん引するはずだったのです。しかし、キリスト教徒が人類の歴史の主人公になっている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
神様がご自分の一人後の霊を持ったイエス・キリストを人間として、２千年前のユダヤ人社会を救おうとして、そこに送られたのに、その時のユダヤ人の心には悪魔が入って、イエスを殺害するという、とんでもないことを起こした。神様に作られた人間が、その神様の送られたイエスを殺害したというのが、現代文明の出発点となった。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、神様は、ユダヤ人の始祖のアブラハムと交わした約束を守って、ユダヤ人を根絶やしにはされなかった。神様は、キリスト教徒にユダヤ人を亡ぼせとは命じられない。ただ、神様の力はキリスト教徒に与えられたのです。だから、世界中にキリスト教が普及し、ユダヤ教はユダヤ人だけの宗教のままです。本来は、ユダヤ教が全人類の宗教となるはずだったのです。しかし、2千年前に、ユダヤ人が人間となった神様の一人子のイエスを殺害したことが、キリスト教の発生を促し、その後の人類の歴史を作ったのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ブドウ園の農夫が、主人の息子を殺害して農場を奪おうとしたのは、明らかにその主人に逆らう悪魔の手下となったということであり、神様はまず悪魔の手下から農場を取り返し、最後に、神様の敵である悪魔も滅ぼされるのは目に見えている。そのプロセスが人類の霊的な歴史だということになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
神様が人間界に遣わされた神様の息子の霊を持ったイエスを、人間が殺害するという、飛んでもない狂った事を行ったことが、現在の文明の２千年前の出発点になっている。だから、こんな文明で人間は幸福になれるわけはない。しかも、２千年前にユダヤ人の心を支配した悪魔は、まだ、神様の裁きを免れて人間界に君臨している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
もう、２千年も神様は悪魔と人間に悔い改めの時間を与えらえたのだから、神様の裁きが行われても仕方がないと考えるのが、霊的なキリスト教なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、神様のご慈悲とお許しを得ようとして、キリスト教徒は必至で神様に祈り続けねばならない。この２千年簡に、多くの真剣なキリスト教徒が、神様に祈りを捧げてきたので、世界は神様によって滅ぼされずに続いたと考えるべきです。しかし、その猶予の時が終わったのが、21世紀だと考えられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ユダヤ人の始祖のアブラハムから、イエス・キリストの出現までが２千年であり、また、イエス・キリストの死から21世紀までが２千年であり、神様は十分な時間を人類に与えられたと考えるべきです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
悪魔の影響下で物質文明を発展させて来た人類も、神様の助けが得られなければ、文明を維持することができなくなり、人類の文明は滅びる。これが、キリスト教の終末論の本質です。ただし、その文明の終末の時に、イエス・キリストが再び、人間界に再臨し、人々を救われるというのが、有難いキリスト教の予言なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
従って、今世紀には２千年ぶりの、歴史的な出来事が生じると考えられるのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、日本人も人類の一員として、聖書を学び、神様の教えに従って、清貧生活を送るべきなのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった (出エジプト記 第 13 章) （Neither the pillar of cloud by day nor the pillar of fire by night left its place in front of the people）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/26/9883105</link>
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      <pubDate>Mon, 26 Oct 2026 12:58:29 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-26T12:59:38+09:00</dcterms:modified>
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      <description>17 さて、パロが民を去らせた時、ペリシテびとの国の道は近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである。&#13;&lt;br&gt;
18 神は紅海に沿う荒野の道に、民を回らされた。イスラエルの人々は武装してエジプトの国を出て、上った。&#13;&lt;br&gt;
19 そのときモーセはヨセフの遺骸を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みられるであろう。そのとき、あなたがたは、わたしの遺骸を携えて、ここから上って行かなければならない」と言って、イスラエルの人々に固く誓わせたからである。&#13;&lt;br&gt;
20 こうして彼らは更にスコテから進んで、荒野の端にあるエタムに宿営した。&#13;&lt;br&gt;
21 主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。&#13;&lt;br&gt;
22 昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。(出エジプト記 第 13 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
17 When Pharaoh let the people go, God did not lead them on the road through the Philistine country, though that was shorter. For God said, “If they face war, they might change their minds and return to Egypt.” 18 So God led the people around by the desert road toward the Red Sea.[a] The Israelites went up out of Egypt ready for battle.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
19 Moses took the bones of Joseph with him because Joseph had made the Israelites swear an oath. He had said, “God will surely come to your aid, and then you must carry my bones up with you from this place.”[b]&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
20 After leaving Sukkoth they camped at Etham on the edge of the desert. 21 By day the Lord went ahead of them in a pillar of cloud to guide them on their way and by night in a pillar of fire to give them light, so that they could travel by day or night. 22 Neither the pillar of cloud by day nor the pillar of fire by night left its place in front of the people.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
聖書のこの箇所は、神様がその民であるユダヤ人を導き守る象徴として、「昼は雲の柱、夜は火の柱」を与えられ、エジプトから脱出して荒野を行く民を助けたという情景です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、「特によく知られるのは出エジプト記13章21節から22節です。主が昼は雲の柱、夜は火の柱によって進む道を示したという内容です。さらに出エジプト記14章19節から20節では、追ってくるエジプト軍との間に移り、民を守る姿も語られます(ja.wikisource.org)」とされ、また、「多くの解説では、火の柱は神の臨在、導き、守りを表すものとされています。暗い荒れ野の中でも進むべき道を示し、不安の中にいる民に神が共にいることを示す象徴として読まれています(churchofjesuschrist.org)」と解説されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
さらにAIでは、ユダヤ人の始祖のアブラハムは、シュメール文化で有名な現在のイラク南部にあった古代メソポタミアの大都市のウルから、その父と共にハランという地に移り、75歳の時にハランを出てパレスチナに移ったとされている。また、「聖書学では、アブラハムの時代を紀元前20世紀前後とみる説明がよくありますが、何年にウルを出たかは解釈が分かれます(koinonia-jesus.sakura.ne.jp)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本の縄文時代後期ごろに、現在のイラク南部から地中海沿岸のパレスチナに移動したアブラハムの一行が、ヘブライ人（古代イスラエル人を指す呼び名）として「川の向こうから来た者」という言葉で呼ばれていたのは、ユーフラティス川を越えて移動したことを示唆している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
その後、アブラハムの子孫は、飢饉を逃れてエジプトに移り、エジプト人の王の支配下に入ったが、エジプトで虐待されたので、民族としてエジプトを脱出することになった。この時、ユダヤ人を指揮したのがモーゼであり、モーセは神様の助けを得て、ユダヤ人をシナイ半島の荒野を導いたとされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
聖書のこの箇所は、神様が「昼は雲の柱、夜は火の柱」を逃亡するユダヤ人に示して助けたという情景です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この出エジプトの時期については、AIで「出エジプト（モーセに率いられたイスラエル人のエジプト脱出）は、歴史学的には紀元前13世紀ごろ（前1250年±）と推定される説が有力ですが、確定はしていません」とされている。また、主な年代の候補として、「旧約聖書自体は年代を明示せず、後世の計算で「ソロモン王の時代からさかのぼると前15世紀ごろ」とする読み方があります。一方で、考古学やエジプト史との整合から、ラムセス2世（在位：前1279〜前1213年）時代の前13世紀説が現在よく採られます」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
いずれにしても、今から３千年前に、エジプトから脱出したモーゼ一行が、神様によって守られてパレスチナに帰還できたので、現在もユダヤ人（ヘブライ人）がイスラエルという国で生きていることになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、「モーゼの時代をおおむね紀元前13世紀から前12世紀ごろとみると、東アジアでは中国大陸で殷の後期から周の成立期にあたる」とされており、中国の古代王朝の「周」の時代にあたり、AIでは、「周」は、「身分や役割に応じたふるまいを重んじる礼が発達しました。のちの儒教では、西周の社会が理想的な秩序として高く評価されました」とされている。つまり、孔子の儒教の原点となった時代なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本人は、まだ、縄文時代にあり、AIでじは、「このころの人びとは、地域差は大きいものの、基本的には狩り、漁、木の実の採集を組み合わせて暮らしていました」とされ、また、「この時代の少し後になると、北部九州で水田稲作が始まり, 列島社会が大きく変わっていきます。国立歴史民俗博物館は、水田稲作の開始が約3000年前で、そこから弥生文化が広がったと説明しています (rekihaku.ac.jp)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
つまり、日本で稲作が始まる前から、エジプトやパレスチナでは歴史が始まって、ユダヤ人は民族絶滅の危機を乗り越えていたことになる。現在のエジプトは、世界の先進地域ではないが、イスラエルは世界情勢にもアメリカ政治にも大きな影響を与えている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
人類の歴史を代表するのは、ユダヤ人であり、旧約・新約の聖書だということになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、神様が日本人に重要な役割を与えていれば、ユダヤ人を超える歴史的な働きをすることになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本人は、ユダヤ人の歴史も参考にして、今世紀で重要な役割を果たすべきです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」 (マルコによる福音書 第 10 章) （"It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for someone who is rich to enter the kingdom of God."）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/25/9882876</link>
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      <pubDate>Sun, 25 Oct 2026 11:46:15 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-25T11:47:16+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-25T11:47:16+09:00</dcterms:created>
      <description>18 イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。&#13;&lt;br&gt;
19 いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。&#13;&lt;br&gt;
20 すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。&#13;&lt;br&gt;
21 イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。&#13;&lt;br&gt;
22 すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。&#13;&lt;br&gt;
23 それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。&#13;&lt;br&gt;
24 弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。&#13;&lt;br&gt;
25 富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。&#13;&lt;br&gt;
26 すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。&#13;&lt;br&gt;
27 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。 (マルコによる福音書 第 10 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
18 “Why do you call me good?” Jesus answered. “No one is good—except God alone. 19 You know the commandments: ‘You shall not murder, you shall not commit adultery, you shall not steal, you shall not give false testimony, you shall not defraud, honor your father and mother.’”&#13;&lt;br&gt;
20 “Teacher,” he declared, “all these I have kept since I was a boy.”&#13;&lt;br&gt;
21 Jesus looked at him and loved him. “One thing you lack,” he said. “Go, sell everything you have and give to the poor, and you will have treasure in heaven. Then come, follow me.”&#13;&lt;br&gt;
22 At this the man’s face fell. He went away sad, because he had great wealth.&#13;&lt;br&gt;
23 Jesus looked around and said to his disciples, “How hard it is for the rich to enter the kingdom of God!”&#13;&lt;br&gt;
24 The disciples were amazed at his words. But Jesus said again, “Children, how hard it is[e] to enter the kingdom of God! 25 It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for someone who is rich to enter the kingdom of God.”&#13;&lt;br&gt;
26 The disciples were even more amazed, and said to each other, “Who then can be saved?”&#13;&lt;br&gt;
27 Jesus looked at them and said, “With man this is impossible, but not with God; all things are possible with God.”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この「針の穴を通るラクダ」のたとえ話は、よく知られたイエスのたとえです。つまり、不可能なことの例です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、「イエスは新約聖書で、富に強く執着する人が神の国に入る難しさを、ラクダが針の穴を通るほど難しいという強い比喩で語っています。マタイ19章24節やマルコ10章25節に見られる表現です (selbl.org)」と説明されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「多くの解説では、これは大げさな表現を使った教えとされています。つまり、金持ちそのものを否定するより、財産への頼りや執着が信仰の妨げになることを示す読み方です。また、「針の穴」は小さな門のことだという説もありますが、そうした説明に頼らず、まずは不可能に近い難しさを示す比喩と見る解説が多いです (bibletalk.tv)」とも解説している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
つまり、「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」というイエス・キリストの言葉にキリスト教の教えが集約されているのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これほど、富やカネに否定的な言葉を使う宗教は他にありません。仏教では、極楽は黄金や宝石で飾られているという表現がありますが、死後の霊界では、富やカネは何の役にも立たないというのが、キリスト教の教えです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、富やカネが手に入る幸運を求めて、神仏に祈るために、神社や寺院などにお詣りする人は多いが、キリスト教の教会に富を求めて参拝する人はいない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、AIによれば、バチカンの慈善事業費の総額は、2024年で約65億5,700万円だとされています。また、アメリカでは、「教会単位の推計では、米国の38万の会衆が、ミッション、奉仕、慈善に約1兆6,624億円」を使っているとされています。いずれにしても、欧米の教会は大きな資産を持っており、その系列の日本の教会などでもその資金が使われています。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
確かに、この世の問題は、カネがなければ解決できないことも多いように思えるが、基本的には、カネではなく、愛と信仰で人間社会の問題を解決せよ、というのがイエスの教えなのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実際、人はカネがあれば、カネで問題を解決しようとする。従って、「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」ということになる。神の国とは、天国であり、人に愛と信仰がなければ、受け入れられない所なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエス・キリストの一行は、弟子たちが食費のために人々から与えられた寄付を少しは持っていたが、基本的にはホームレスの集団として人々に伝道していたのです。イエスに病気を癒された人たちは、イエスの一行を食事に招いて感謝の気持ちを表すことがあっても、イエスや弟子たちが、金銭目当てに活動することはない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
仏教でも、本来、僧侶は托鉢という乞食生活をして、人々から与えられる食物や供え物で生活をしていた。立派な寺院を建立する宗教活動とは縁がなかったのです。現代のキリスト教でも、立派な教会を建てている教派もあるが、それは、イエス・キリストの教えとは無関係です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、宗教は死後のことも扱う。そして、死後の霊界ではこの世の富やカネは無意味なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そもそも、この世の幸福や成功にこだわって富を蓄える人間は、物質界に執着して、死後の世界の存在を信じない人間が多い。また、死後の世界があるとしても、この世で自分に幸運を与えてくれた神仏と会って、死後も面倒を見てもらえると考えるものです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、イエス・キリストは明確に「金持ちは天国に入れない」と言っておられる。これが、本来のキリスト教の教えなのです。だから、欧米の富裕層は、せめて教会に寄付をして、宗教的に救われたいと考えている。これが、欧米の寄付文化の原点です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本では、伝統的に「子孫に美田を残さず」といって、子どもや孫に多くの財産を残しすぎないほうがよい。財産を与えすぎると、かえって本人の自立心や努力する気持ちが弱まるという考えもあります。富に対する警戒感は日本文化の基底にあるのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
とにかく、人の死後はこの世の富やカネは何の役にも立たないことを人は明確に意識すべきです。霊界では、想念で全てが実現し、物質的な富は無用なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、精神的な宝というものはある。人間の心が豊かになるという表現もある。人に親切にして感謝されたり。人から愛情を得て満ち足りたとか、尊敬を得て心が満足したりとか、カネで買えない幸福感というものがある。そして、イエス・キリストはそのような宝をこの世ではなく、天に積むようにと仰っておられる。また、この世の富やカネは、せめて人々に愛情を示したり、友情を得たりするのに使うべきだと述べておられる。金銭欲や物欲などの欲望を満たすためにカネは使うべきではないのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実際、生まれた時に財産を持っていても、実際的には一文無しで死ぬのが人間なのです。むしろ、この世でカネを稼ぐほど、地獄に近づくのが人間なのです。１億円もっている人間は、１万円しかない人間より、１万倍、地獄に近いのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
カネと富は、地獄への片道切符なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、清貧生活をして、聖書を学び、神様の教えやイエス・キリストの言葉に従うことで、死後は、霊界で救われるのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>収穫まで、両方とも育つままにしておけ （マタイによる福音書 第 13 章） (Let both grow together until the harvest.)</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/24/9882691</link>
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      <pubDate>Sat, 24 Oct 2026 11:36:05 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-24T11:38:46+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-24T11:38:46+09:00</dcterms:created>
      <description>24 また、ほかのたとえを彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。&#13;&lt;br&gt;
25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。&#13;&lt;br&gt;
26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。&#13;&lt;br&gt;
27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。&#13;&lt;br&gt;
28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。&#13;&lt;br&gt;
29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。&#13;&lt;br&gt;
30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。(マタイによる福音書 第 13 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
24 Jesus told them another parable: “The kingdom of heaven is like a man who sowed good seed in his field. 25 But while everyone was sleeping, his enemy came and sowed weeds among the wheat, and went away. 26 When the wheat sprouted and formed heads, then the weeds also appeared.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
27 “The owner’s servants came to him and said, ‘Sir, didn’t you sow good seed in your field? Where then did the weeds come from?’&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
28 “‘An enemy did this,’ he replied.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
“The servants asked him, ‘Do you want us to go and pull them up?’&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
29 “‘No,’ he answered, ‘because while you are pulling the weeds, you may uproot the wheat with them. 30 Let both grow together until the harvest. At that time I will tell the harvesters: First collect the weeds and tie them in bundles to be burned; then gather the wheat and bring it into my barn.’”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これは、「毒麦のたとえ」と呼ばれる聖書でよく知られたイエス・キリストによるたとえです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、「毒麦のたとえは、マタイによる福音書13章24節から30節に出てきます。畑に良い麦をまいた主人がいましたが、敵が夜のうちに毒麦をまきました。しもべが抜こうとすると、主人は刈り入れまで両方とも育つままにしておきなさいと言います。最後に収穫の時、毒麦を分けて焼き、麦は倉に集めます (cbcj.catholic.jp)」と説明されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「このたとえでイエスは、この世では善と悪が混じって存在することを示しています。すぐに人を裁こうとすると、良い麦まで傷つけるおそれがあるため、最終的な裁きは神に委ねるという教えとして読まれます (cbcj.catholic.jp)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
毒むぎには、毒麦の存在理由がある。また、隠れた効果というものがあり、麦がその畑で生育している限り、他の雑草などは侵入してこない。麦全体として環境を支配していれば、良い麦にも良い環境を与えていることになる。独麦を抜けば、その空間を別の植物が占めて、良い麦に悪影響が出る可能性もある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
独麦と良い麦が共に、同じ土壌で育っていれば、毒麦を取り除こうとして、麦についている土壌に影響を与え、良い麦にまで悪影響が出る可能性がある。自然環境は、複雑に絡み合っている。成長途上においては、毒麦と良い麦が、たがいに支え合っている部分がある。さらに、成長段階では、毒麦と良い麦の区別が難しい、間違って、良い麦を抜いてしまう可能性がある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
完全に成長すれば、毒麦と良い麦の区別は簡単につく。間違って、良い麦を毒麦扱いにすることはない。良い麦を一本でも守るためには、毒麦と間違えて、良い麦を抜く危険はおかせない。大事な良い麦を一本でも、失わないためには、毒麦が育つのもやむを得ない。独麦を保護しているのではなく、良い麦を最大限守るために、毒麦に手をつけないという意味です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
つまり、善霊を育てるには、悪霊と見分けがつかない若い時代には、まちがって善霊を裁いて、地獄に投げ入れないように、悪霊の裁きは控えるべきだということです。悪霊を守っているのではなく、善霊に害が及ばないように、悪霊の裁きを控えているわけです。善悪の判断がつけられない複雑な状況や、善悪が共通する形を取らなければならない場合もある。そういう状況を脱すれば、悪霊は間違いなく地獄に投げ入れ、善霊は確実に天国に導くことができる。善霊には、そこまで、最大限の保護を与えるという意味です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
1つの善を悪だと間違って判断しないためには、多くの悪の存在を許さなければならない場合もある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
冤罪の可能性が万に1つでもあれば、容疑者の逮捕は控えざるをえない。だれの目にも犯人が明らかになるまで、悪人の逮捕は控えるべきだということになる。百人の犯人を逮捕できても、101人目に無罪の人間を間違って逮捕すれば、それまでの功績は無になるということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
悪を守っているのではなく、善を完全に守ろうとしているのです。悪を裁くことより、善を守ることが重要なのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった （マタイによる福音書 第 13 章） （Still other seed fell on good soil, where it produced a crop—a hundred, sixty or thirty times what was sown）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/23/9882525</link>
      <guid>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/23/9882525</guid>
      <pubDate>Fri, 23 Oct 2026 11:42:58 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-23T11:44:06+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-23T11:44:06+09:00</dcterms:created>
      <description>3 イエスはたとえで多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。&#13;&lt;br&gt;
4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。&#13;&lt;br&gt;
5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。&#13;&lt;br&gt;
7 ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。&#13;&lt;br&gt;
8 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。&#13;&lt;br&gt;
9 耳のある者は聞くがよい」。(マタイによる福音書 第 13 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
3 Then he told them many things in parables, saying: “A farmer went out to sow his seed. 4 As he was scattering the seed, some fell along the path, and the birds came and ate it up. 5 Some fell on rocky places, where it did not have much soil. It sprang up quickly, because the soil was shallow. 6 But when the sun came up, the plants were scorched, and they withered because they had no root. 7 Other seed fell among thorns, which grew up and choked the plants. 8 Still other seed fell on good soil, where it produced a crop—a hundred, sixty or thirty times what was sown. 9 Whoever has ears, let them hear.”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、この「種まき」のたとえは、「イエスが語った有名なたとえ話です。主にマタイ13章、マルコ4章、ルカ8章にあります。(bible.com)種をまく人が種をまくと、種は次の4つの場所に落ちます。道ばた、石だらけの土地、いばらの中、良い土地です(bible.com)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「イエス自身の説明では、種は神の言葉を表し、土地はそれを聞く人の心の状態を表します。(bible.com)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
土地 　　　　　意味&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
道ばた 　　　　聞いても受け取れない&#13;&lt;br&gt;
石地 　　　　　すぐ喜ぶが続かない&#13;&lt;br&gt;
いばら 　　　　心配や誘惑にふさがれる&#13;&lt;br&gt;
良い土地 　　　聞いて受け入れ実を結ぶ&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
このたとえの中心は、同じ言葉でも、受け止める側によって実り方が違うという点です(bible.com)」と解説されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
実際、世の中に教訓や名言、人生訓、また、霊による霊訓など、多くの導きの言葉が存在する。人生に悩んだ人は、このような言葉を求める人もいる。書いた言葉に指導となる言葉を求める人は、まだ向上心がある。さらに、親や目上の人、尊敬する先輩、老人の言葉を思い出して、人生の指針している人もいる。まともな人間は、指導となる言葉を求めるものです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、悪魔の言葉と天使の言葉の見分けもつかない人間もいる。特に、目先の利益に目を眩ませられると、安易な言葉に流れやすい。商業主義の世の中では、「お得な話」や「幸運を呼ぶ秘訣」や「賢者の言葉」など人が飛びつくような言葉も話も満ち溢れている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
せめて、名僧や偉人、宗教人の言葉など、精神的に優れた人の言葉を研究すべきです。その中で、最も信用できるのが、キリスト教の聖書、仏教の仏典、哲学者の言葉、すぐれた文学者、作家の言葉などです。しかし、最高の教えは神様の教えだということになる。だから、新宗教などでは、神がかりになって、教祖が神様のお告げなどと言って、信徒にわけの分からない言葉や、人の心理につけこむニセの言葉を与えたりする。また、霊能者を装って、神の言葉を得たなどというインチキな例もある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
経済的に害のない勘違いや、悪意のない思い込み、単に勉強不足の間違った思想や解釈などもあるが、カネを狙いにする詐欺的な教えもある。人を騙そうとする人間は、どこまでも図太く、狡猾で、人の心理につけこむ言葉を使う。自分の人生観や経験を過信すると、そのようなプロの犯罪者の言葉を見抜けないことも多い。悪魔は、聖職者を演じることも、人情家を演じることも、誰もが感動するセリフを吐くこともできる。悪魔はホームレスの中にも、皇族の中にも入ることができる。肩書で人を判断してはいけない。また、人の状態や感情も信用できないこともある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、キリスト教や仏教は２千年以上にわたって世の中で試され、多くの人の批判や実績に裏付けられており、真実の言葉が残っていると考えられる。そのような聖書や仏典を研究するのが真の学問だということになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
そのキリスト教の聖書で、この「種まき」のたとえは、簡潔に人々の神様の言葉に対する姿勢を４通りに分類している。そもそも善悪などの判断ができない人間、欲望にかられやすい浅薄な人間、心配しすぎてだまされやすい人間、そして、素直な心や、真理を愛する心をもった人間などです。最後のタイプの人間は、正しい方向を向いているので、どんなに時間がかかっても、いつかは目的地に辿り着く。だから、忍耐が重要になる。自分が正しい方向に向かっていると、正しい指導者に導かれ、それが確信できれば、人は道からそれることはない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、イエス・キリストが神様から遣わされた人だと、確信できれば、忍耐強くその教えに従うことが重要になる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
その確信は、自分の魂から直観の形で来ることもある。他人の言葉ではなく、自分の直感に頼ることの重要性がここにある。しかし、世の中の損得や人情、偏った思想、また、自分の好き嫌いなどによって、人間の判断は影響を受けやすい。さらに、悪魔や悪霊が人の心や魂の中にまで入り込んで、人を支配しようとするので、非常に危険な状況に陥ることもある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
いづれにしても、人への「愛」と神様への「信仰」で、物事を解決すべきであると考え、カネによって解決を図ろうという姿勢を捨てることで、人間は悪魔の罠から遠ざかり、神様の教えに沿った生き方ができるようになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
損得、上下、好き嫌いの考えよりも、善悪、正邪、聖俗の判断を優先すべきなのです。もちろん、「善」と「正」と「聖」を貴ぶことが、人間としての当然の生き方なのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた (ルカによる福音書 第 4 章) （where for forty days he was tempted by the devil）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/22/9882383</link>
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      <pubDate>Thu, 22 Oct 2026 13:05:49 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-22T13:06:48+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-22T13:06:48+09:00</dcterms:created>
      <description>さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、&#13;&lt;br&gt;
2 荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。&#13;&lt;br&gt;
3 そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。&#13;&lt;br&gt;
4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。&#13;&lt;br&gt;
5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて&#13;&lt;br&gt;
6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。&#13;&lt;br&gt;
7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。&#13;&lt;br&gt;
8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。&#13;&lt;br&gt;
9 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。&#13;&lt;br&gt;
10 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、&#13;&lt;br&gt;
11 また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。&#13;&lt;br&gt;
12 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。&#13;&lt;br&gt;
13 悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。&#13;&lt;br&gt;
14 それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。(ルカによる福音書 第 4 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
4 Jesus, full of the Holy Spirit, left the Jordan and was led by the Spirit into the wilderness, 2 where for forty days he was tempted by the devil. He ate nothing during those days, and at the end of them he was hungry.&#13;&lt;br&gt;
3 The devil said to him, “If you are the Son of God, tell this stone to become bread.”&#13;&lt;br&gt;
4 Jesus answered, “It is written: ‘Man shall not live on bread alone.’”&#13;&lt;br&gt;
5 The devil led him up to a high place and showed him in an instant all the kingdoms of the world. 6 And he said to him, “I will give you all their authority and splendor; it has been given to me, and I can give it to anyone I want to. 7 If you worship me, it will all be yours.”&#13;&lt;br&gt;
8 Jesus answered, “It is written: ‘Worship the Lord your God and serve him only.’”&#13;&lt;br&gt;
9 The devil led him to Jerusalem and had him stand on the highest point of the temple. “If you are the Son of God,” he said, “throw yourself down from here. 10 For it is written:&#13;&lt;br&gt;
“‘He will command his angels concerning you&#13;&lt;br&gt;
to guard you carefully;&#13;&lt;br&gt;
11 they will lift you up in their hands,&#13;&lt;br&gt;
so that you will not strike your foot against a stone.’”&#13;&lt;br&gt;
12 Jesus answered, “It is said: ‘Do not put the Lord your God to the test.’”&#13;&lt;br&gt;
13 When the devil had finished all this tempting, he left him until an opportune time.&#13;&lt;br&gt;
14 Jesus returned to Galilee in the power of the Spirit, and news about him spread through the whole countryside.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これは、「悪魔による40日の試み」として知られている箇所で、AIでは、「この場面は、単なる我慢比べではなく、力、欲望、名誉、支配をどう用いるかが問われる場面として理解されています。教会の解説でも、40という数字は旧約聖書の荒野の40年を思わせる象徴的な数とされます(sanpaolo.jp)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「マタイ福音書とルカ福音書では、特に次の三つの誘惑が語られます。&#13;&lt;br&gt;
試み 内容 　　　　　　　　イエスの答え&#13;&lt;br&gt;
食べ物 石をパンに変えよ 　神の言葉で生きる&#13;&lt;br&gt;
奇跡 身を投げて守られよ 　神を試してはならない&#13;&lt;br&gt;
支配 世界の国々を与える 　神だけを礼拝する&#13;&lt;br&gt;
これらに対してイエスは、いずれも旧約聖書の言葉をもって退けています」と説明されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、神様から霊的な力を与えられているイエス・キリストは、その力を用いれば、石をパンに変えることも可能であり（多くの人に食物を空中から出現させた）、高い所から落ちても、身を守ることができ（海上を歩かれた）、実際に、今日では世界の多くの国がキリスト教国になっている（アメリカ・イギリスもフランスも、事実上のキリスト教国）。つまり、悪魔の誘惑は、全てイエスによって対応することができ、歴史で実現しているのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、イエスは人間として生きることを選ばれたので、通常は、神様から与えられた霊能力は使われなたかった。悪魔は、イエスを挑発して、人間としてではなく、神様から与えられた霊的な力を使ってみろと言ったのです。霊的な力を使えば、もはや、人間として生きるのではなく、霊的な存在となり、人々には人間として接することはできなくなる。霊界では、イエス・キリストの霊は悪魔を踏み砕くことができるが、それは、神様の力が悪魔より強いということを示すだけのことであり、神様が悪魔の存在を許しておられれば、その滅びの時まで、悪魔は存在し続ける。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエスに勝てなくても、悪魔は、イエスを霊界に引き戻し、人間界での人間としてのイエスの働きを妨害することができる。そうなれば、イエスは霊として、霊界から人間を指導し、援助し、神様の教えを示すだけにとどまる。霊的な感覚を持たない人々には、そのような霊は感じられず、人間としてのイエスを知ることもない。つまり、福音書に書かれたような、イエスの言行録はなくなる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それは、神殿に神様が祀られていると信じて、人々が神殿に礼拝し、神様の声を自分たちの霊感を通して聞こうとするだけの、従来からの神様への礼拝と変わらないことになる。イエスの出現以前は、神様は、預言者などを通して、何度も神様の声を人間に与えてきたが、その声に人間に従わなかったので、神様は、ついにご自分の一人子を人間として、人間界に送られることにされた。その神様のお考えを妨害しようとする悪魔は、イエスに神様の子である本性を表して、人間ではないということを人々知らせて、イエスは自分たちとは異なる存在だとして、人々から崇められるだけの存在にしようとしたのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
神様の霊的な力を振るえば、この世の人間界でも、全ての事が実現するが、人々は自分たちとは関係のない霊的な存在の力が現れただけだと考えて、感心をし、霊を崇めても、自分たちとは関係のないことだと考えるものです。つまり、人間的な意味を考えずに、ただ有難い神様の力が現れたと考えて、人間性の向上に役立てようとは考えない。悪魔は、神様の意図を無駄にしようと考えたのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
しかし、イエスは人間として生きることを選び、人間的に悪魔に対応し、人間でも悪魔に対抗できることを示されたのです。つまり、既に神様は、旧約聖書に記された神の教えを霊として人間に与えておられたので、その言葉を使えば、悪魔に対抗できることを示されたのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
要するに、悪魔がどんな注文を出しても、イエス・キリストはそれに対応することができる。だから、そんなことが分からないこの世に現れた悪魔は愚鈍なピエロ的な存在だということになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
むしろ、イエスが悪魔に「お前も霊なら、石をパンに変え、高い所から無事に飛び降り、世界の国々を支配することもできるだろう」と挑発して、悪魔の力を試す立場にあるのです。悪魔が、人間よりも大きな力をもつ霊としての立場から、わざわざ人間の制約を受け入れて人間となった神の子のイエスを、小馬鹿にした態度を取ったのは、まさに、悪魔の愚かさを示すものです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
神様は、イエス・キリストを使わなくても、霊界でも人間界でも、いつでも、悪魔を破壊することは出来るが、人間が悪魔と戦って勝つのを見たく思われたので、悪魔と人間の存在を許しておられるのです。だから、悪魔は、神様に正面切って挑戦すれば、ただしに消滅させられるが、人間となった神様の子を密かに狡猾に攻撃すれば、まだ神様から直接的な怒りはかわないと考えたのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
それでも、どんなに無駄なことだと分かっていても、イエス・キリストに対する攻撃をやめないのが悪魔なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエスは石をパンに変える力を持っており、高所から飛びおいても天使の助けを借りなくても無事に済むことも知っており、また、その気になればどんな国でも支配する力を持っていることを悪魔は知りながら、そのイエスの霊能力を使わせようとして、悪魔はイエスを挑発したのです。イエスの神の子としての本性が現れ、人々から崇められ、神殿にでもまつり上げられれば、人々に対する直接的な救済はできなくなると考えたからです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
従来は、ひ弱な人間であるイエスが、必死で悪魔に抵抗する姿だと解説されることが多かったが、哀れな悪魔に人間でも対抗できることを知らしめらために、神様の子のイエス・キリストは敢えて、悪魔に愚直さを装って、人間として対応されたのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
真実は、イエス・キリストの背後には、悪魔も黙らせるような無限の強力な力があったのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「神の国はすでにあなたがたのところにきた」 (ルカによる福音書 第 11 章) （then the kingdom of God has come upon you）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/21/9882240</link>
      <guid>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/21/9882240</guid>
      <pubDate>Wed, 21 Oct 2026 11:09:01 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-21T11:10:05+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-21T11:10:05+09:00</dcterms:created>
      <description>20 しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。&#13;&lt;br&gt;
21 強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。&#13;&lt;br&gt;
22 しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。&#13;&lt;br&gt;
23 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。&#13;&lt;br&gt;
24 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、&#13;&lt;br&gt;
25 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。&#13;&lt;br&gt;
26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。(ルカによる福音書 第 11 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
20 But if I drive out demons by the finger of God, then the kingdom of God has come upon you.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
21 “When a strong man, fully armed, guards his own house, his possessions are safe. 22 But when someone stronger attacks and overpowers him, he takes away the armor in which the man trusted and divides up his plunder.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
23 “Whoever is not with me is against me, and whoever does not gather with me scatters.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
24 “When an impure spirit comes out of a person, it goes through arid places seeking rest and does not find it. Then it says, ‘I will return to the house I left.’ 25 When it arrives, it finds the house swept clean and put in order. 26 Then it goes and takes seven other spirits more wicked than itself, and they go in and live there. And the final condition of that person is worse than the first.”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIでは、この「悪い他の七つの霊」という箇所は、「ただ悪いものを追い出すだけでは足りないという警告として読まれます。心の中が空になったままだと、前より悪い状態に戻るという意味です。日本語の解説でも、神の言葉を聞いて守ることや、聖霊によって満たされることが大切だと説明されています (jelckamata.com)」とされ、さらに、「ここでの七つは、文字通りの数としてだけでなく、強さや完全さを表す象徴として理解されることがあります。つまり、前より深刻になった状態を強く示す言い方です (ministryvoice.com)」と説明されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
人間が、何かを考える前に、心に余裕があれば、何を考えようかと考える。そのときに、悪霊が取り付いて、人の心に影響を与える。正か邪か（たいてい安易な邪を選ぶ）、損か得か（たいてい、少しでも得をしようと考える）と迷って、結果として、人間は神様の教えや道徳的な正しさ、理性的な判断より、自分の目先の利益を中心に考えることが多い。しかし、神様への信仰心が強い信仰者が、「絶えず祈れ」という聖母マリアの言葉に心を留めていれば、何かをどのように祈ればよいのかは迷うことはない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
いわゆる空虚な心の状態に、悪魔が入り込んで邪悪なことを考えさせる瞬間を防ぐことができる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「わたしの味方でない者は、わたしに反対するもの」だというイエス・キリストの言葉は、「あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」（ルカ9:50など）というイエスの言葉と対になっていて、敵と味方に対するイエスの判断がよく現れている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエスの言葉に反対する者は、信仰の味方ではないが、反対しない者は、弟子たちの味方だとして、できる限り見方を広めるように述べておられる。信仰で神様を取るか、神様を拒絶するかは、妥協の余地のない厳しい問題だが、弟子たちの見方を増やすという観点からは、消極的な賛成でも味方だと考えよと述べておられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これは、悪魔との戦いの厳しさと、愛と信仰を広めるための寛容さの必要のバランスが求められることを意味する。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分ける」という言葉は、冷酷なこの世の現状を指摘し、また、霊的にも強弱の関係があり、強力な悪魔の前では、生半可な信心では、対抗できないことを述べておられる。だから、敵・味方の判断は重要なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
従って、「わたしと共に集めない者は、散らすものである」と述べて、常にイエスと共にあって、悪魔に隙を見せるなということを意味しておられる。イエスと共に、信仰生活をするならば、神様の教えから悪魔に散らされて、この世の過酷さの中で、きりきり舞いにれると言っておられる。信仰者になったつもりでも、常に悪魔のもたらす試練があるのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これは、信仰者の死角から、突如として悪魔が襲ってきたり、心の隙間や間隙から誘惑が生じてきて、人を惑わし、地獄に連れ込もうとすることを意味している。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIでは、「その人の後の状態は初めよりももっと悪くなる」については、「表面的に整っただけでは本当の回復ではない、という意味で読むとわかりやすいです。外側だけでなく、考え方や生き方まで変わることが大切だと示しています (wol.jw.org)」と解説されている。これは、病気との戦いでも同様です。一時的に良くなったと思っても、根本的な治療が行われなければ、対処療法で終わってしまう。完治や完全寛解などに至るには、対処療法だけでは不十分です。応急処置であれば、一時的に対処療法でもいが、その後に、本格的な措置が必要なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
医薬品などの使用で、暫くは症状が治まっても、根っこの問題が解決されていなけれな、症状はぶり返すのです。特に、内科や精神科などでは、一時的に改善しても、生活の悪習や環境的問題が改善されなければ、症状は繰り返す。この意味から、現代医学の治療と、東洋医学の生命の根本の迫るような治療や気などの精神的な療法を併用することが望ましい。普通は、職場環境や生活状態などが、根本治療のカギになる。「病は気から」というが、「病は職場や生活の中の悪から」だということになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、「心霊治療などは、人間の魂のレベルで、健康を取り返させるので、効果がたちどころに現れることになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
信仰心でも、より深く神様とイエス・キリストを理解することが、人と世の中の救いにつながる。だから、大学で神様について研究する神学部が必要なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
なお、AIでは、「欧米では、古い大学の一部がキリスト教の伝統と深く結びついていて、神学が伝統学部として残っていることがあります。一方で、すべての大学がそうではなく、宗教色の薄い大学や実学中心の大学には神学部がないのが一般的です(timeshighereducation.com)」とされている。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれ・・・(マルコによる福音書 第 5 章) （At once Jesus realized that power had gone out from him）</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/20/9882112</link>
      <guid>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/20/9882112</guid>
      <pubDate>Tue, 20 Oct 2026 11:14:56 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-20T11:15:57+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-10-20T11:15:57+09:00</dcterms:created>
      <description>25 さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。&#13;&lt;br&gt;
26 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。&#13;&lt;br&gt;
27 この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。&#13;&lt;br&gt;
28 それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。&#13;&lt;br&gt;
29 すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。&#13;&lt;br&gt;
30 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。&#13;&lt;br&gt;
31 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。&#13;&lt;br&gt;
32 しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。&#13;&lt;br&gt;
33 その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。&#13;&lt;br&gt;
34 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。(マルコによる福音書 第 5 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
25 And a woman was there who had been subject to bleeding for twelve years. 26 She had suffered a great deal under the care of many doctors and had spent all she had, yet instead of getting better she grew worse. 27 When she heard about Jesus, she came up behind him in the crowd and touched his cloak, 28 because she thought, “If I just touch his clothes, I will be healed.” 29 Immediately her bleeding stopped and she felt in her body that she was freed from her suffering.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
30 At once Jesus realized that power had gone out from him. He turned around in the crowd and asked, “Who touched my clothes?”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
31 “You see the people crowding against you,” his disciples answered, “and yet you can ask, ‘Who touched me?’ ”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
32 But Jesus kept looking around to see who had done it. 33 Then the woman, knowing what had happened to her, came and fell at his feet and, trembling with fear, told him the whole truth. 34 He said to her, “Daughter, your faith has healed you. Go in peace and be freed from your suffering.”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これは、「長血の女」としてよく知られた、イエス・キリストによる癒しの物語りです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIでは、「聖書の「長血の女」は、病気そのものよりも、信仰と回復の物語として読むと分かりやすいですよ。登場箇所は主にマルコによる福音書 5章25〜34節、マタイによる福音書 9章20〜22節、ルカによる福音書 8章43〜48節です。日本聖書協会の案内でも、福音書はイエスの言行と死と復活を伝えるものとして説明されています(bible.or.jp)」と、説明されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「長血の女」が、イエスの衣にさわっただけで、イエスの癒しの力を受けることができた。イエスは、その時、「自分の内から力が出て行ったことに気づかれ」とされている。これは、イエスが癒しの超能力・例能力を持ったいたことを示している。今の言葉で言えば、心霊治療をしたことになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、心霊治療家については、「日本では、いわゆる心霊治療家に近い存在は、個人名よりもまず民間の宗教職能者として語られることが多いです。代表例は イタコ、ユタ、祈祷師、山伏 です (kotobank.jp)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「心霊やスピリチュアルの世界で名前が挙がりやすい人物なら、海外ではダニエル・ダングラス・ホーム、ユサピア・パラディーノ、レオノーラ・パイパー、アイリーン・ギャレットなどが有名です。コトバンクの霊媒の解説でも代表的な霊媒として挙げられています (kotobank.jp)」とされている。この中には、神様への信仰心がない、超能力者もいるが、イギリスの故ハリー・エドワーズのように、敬虔なキリスト教徒もいる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
他にも、フィリピンやブラジルの心霊治療家が有名です。彼らは、主にキリスト教への信仰心が強く、神様の霊が自分に宿って治癒力を与えてくれ、念力などの精神力で病人を癒したことで有名です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本では、空海が密教の加持の力で人々の病を癒したことが知られており、また、明治初期の長南年恵は、病人の差し出したビンの中に神の水と呼ばれる治療水を生じさせ、さまざまな病気を癒した。長南は、空海を強く信仰していたという。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、平成の時代に超能力サラリーマンとして手かざしによる治療を行った高塚光も有名です。高塚は宗教とは縁のない人だったが、一般市民や政治家、さらに、皇族まで癒したという。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
このように、宗教心がなくても、超能力で人を癒す人はいる。また、故塩谷信男医師のように、その治療に手かざしなどの超能力を取り入れ、さらには、心霊的な呼吸法を開発して、現代医学を超えた治療を行った人もいる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
要するに、人間には自然治癒力の他に、精神力による治癒力や、霊的な力を霊界から呼び込んで人を癒す力がある。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエス・キリストにも、当然、霊界から神様の力を呼び込んで、病人を精神力で癒すことができた。それが、福音書に記録されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエス・キリストの治癒力については、AIで「イエス・キリストの治癒力とは、単に病気を治す力だけではなく、心、体、人との関係、そして生き方を回復させる力を指すことが多いです。新約聖書では、イエスが人々の病や苦しみを癒やしたことが繰り返し語られています(bible.or.jp)」と説明されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
医学という科学の力ではなく、神様への信仰心が、人間の精神に治癒力を与えるということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、信仰心のない人間でも、その霊の状態や精神の状態が、霊界に通じるようであれば、肉体に霊能力を発揮して病を癒すことができる。人の心や霊の状態は、普通、他人には分からないので、そのような心霊治療家は、特別な精神を持っているのだと考えるしかないが、科学では証明できない心や霊の力は、誰でも持っているので、心や霊を一定の方向に向ければ、治癒力が得られると思われる。その方向を意識せずに向いている人もいれば、宗教的な修行の結果として得る人もいる。又は、イエスのように、生まれつき神様からそのような力を与えられている人もいる。心霊治療家は千差万別だが、そのような精神的な治療に効果があることは、アメリカの医学界では認められており、さらに、祈りの治療効果も認められている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本人の医者で「笑い」の治療効果を調べた人もいるが、精神状態が肉体に与える影響は、日本の医学界でもよく知られている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
イエス・キリストの治癒力から、学ぶべきことは、神様への信仰心が霊界に通じて、霊界から治癒力が与えられるということです。科学に基づく現代医学では解明できない霊的・精神的な治癒力というものは、確かに存在するということです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
なお、UFOで地球にやってくる宇宙人に病を癒してもらったという例はアメリカでは多いが、宇宙人も霊能力を使っていると思われる。宇宙人の母星の社会には、病院もないという話しが伝わっている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本にも、そのような治癒力を持った霊能者が増えてもらいたいものです。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」 (ヨハネによる福音書 第 1 章) （you will see ‘heaven open, and the angels of God ascending and descending on’ the Son of Man”</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/19/9881957</link>
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      <pubDate>Mon, 19 Oct 2026 08:45:23 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-19T08:46:29+09:00</dcterms:modified>
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      <description>40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。&#13;&lt;br&gt;
41 彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ（訳せば、キリスト）にいま出会った」。&#13;&lt;br&gt;
42 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ（訳せば、ペテロ）と呼ぶことにする」。&#13;&lt;br&gt;
43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。&#13;&lt;br&gt;
44 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。&#13;&lt;br&gt;
45 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。&#13;&lt;br&gt;
46 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。&#13;&lt;br&gt;
47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。&#13;&lt;br&gt;
48 ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。&#13;&lt;br&gt;
49 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。&#13;&lt;br&gt;
50 イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。&#13;&lt;br&gt;
51 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。(ヨハネによる福音書 第 1 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
40 Andrew, Simon Peter’s brother, was one of the two who heard what John had said and who had followed Jesus. 41 The first thing Andrew did was to find his brother Simon and tell him, “We have found the Messiah” (that is, the Christ). 42 And he brought him to Jesus.&#13;&lt;br&gt;
Jesus looked at him and said, “You are Simon son of John. You will be called Cephas” (which, when translated, is Peter).&#13;&lt;br&gt;
43 The next day Jesus decided to leave for Galilee. Finding Philip, he said to him, “Follow me.”&#13;&lt;br&gt;
44 Philip, like Andrew and Peter, was from the town of Bethsaida. 45 Philip found Nathanael and told him, “We have found the one Moses wrote about in the Law, and about whom the prophets also wrote—Jesus of Nazareth, the son of Joseph.”&#13;&lt;br&gt;
46 “Nazareth! Can anything good come from there?” Nathanael asked.&#13;&lt;br&gt;
“Come and see,” said Philip.&#13;&lt;br&gt;
47 When Jesus saw Nathanael approaching, he said of him, “Here truly is an Israelite in whom there is no deceit.”&#13;&lt;br&gt;
48 “How do you know me?” Nathanael asked.&#13;&lt;br&gt;
Jesus answered, “I saw you while you were still under the fig tree before Philip called you.”&#13;&lt;br&gt;
49 Then Nathanael declared, “Rabbi, you are the Son of God; you are the king of Israel.”&#13;&lt;br&gt;
50 Jesus said, “You believe because I told you I saw you under the fig tree. You will see greater things than that.” 51 He then added, “Very truly I tell you, you will see ‘heaven open, and the angels of God ascending and descending on’ the Son of Man.”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
AIによれば、この「ヨハネによる福音書 第 1 章」は、「特に有名なのは冒頭で、口語訳では「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と始まります (bible.com)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「最初の弟子たちの召命」も書かれている。AIでは、「ヨハネによる福音書は、イエスの正体と、その愛や命の意味を深く味わうための書です。物語としても読めますが、祈りや信仰の言葉として大切にされてきました (bible.or.jp)」と解説されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
神様とは何なのかということについて、深く考察している。答えは、「言（ことば）」です。「言は神であった」という表現に簡潔に神様とは、言語（ことば）だということを明確に述べている。だから、各民族の言葉は重要なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本では、言霊（ことだま）という言葉がよく使われる。AIでは、「言霊とは、言葉には現実に影響を与える力があるとする考え方です。よい言葉はよい結果を招き、不吉な言葉は悪い結果を呼ぶと信じる日本の古い発想として説明されています (kotobank.jp)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
だから、前向きな言葉を使えば、ポジティブ・シンキングになり、状況は好転すると信じられている。だから、イエス・キリストも弟子に、人々には優しく、希望に満ちた言葉をかけるように仰っておられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
これには反して、人を罵る言葉や、怒りの言葉を投げかければ、その言葉は自分に返って来る。「人を呪えば、穴二つ」（墓穴が呪った者にもできる）というふうに、呪いの言葉を禁じることわざがある。汚い言葉を喚き散らすよう人間は、その人の周囲に地獄を作る。つまり、否定的な言葉を使うなというのが、キリスト教の教えなのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
自分の感情に流されて、汚い言葉や、怒りの言葉、呪いの言葉を使う人間は長生きできない。正しい言葉を使うことが、長生きの秘訣です。とにかく、用心深く、慎みをもって言葉を使うことが、長寿の秘訣です。神様は、人々の言葉と行いに注目されている。これが、神様を拝するという信仰の行為につながる。聖母マリアの霊も、出現した人々に「常に祈っていなさい」と述べておられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、一般人は24時間、祈っているわけにはいかない。生活の必要性から世俗のしきたりに従わねばならない。だから、聖職者が一般人に代わって、絶えず祈りの言葉を神様に捧げねばならない。その厳しさに耐えるのが、神父、修道士、修道女などの聖職者だということになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
世の中には、幸運が続いた人生を送ると、「自分は神様に愛されている」と述べる者もいるが、ろくに祈りもせずに、物質的な幸福や富を追求し、不幸な他人に対して優越感を持つような人間は、自分に束の間の幸運をもたらした悪魔を、神だと勘違いしているのに過ぎない。やがて、悪魔はそのような人間を失敗させ、罠にはまらせ、失望を感じさせ、心を空虚にし、或いは、心の中に闇を生じさせ、死後は、天国に上げられると思っているのに反して、地獄へと導くものです。悪魔は、この世の成功者や幸福な人を地獄に落として喜ぶのです。だから、自分の幸運に有頂天になるような人間は、敬虔な信者だとは言えない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
常に、心の中で神様に祈るような人間が、神様に認められるのです。そして、祈りは行動につながり、善行を行うのが神様の信者なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
カネを貯めて喜ぶような人間は、とても、神様の信者だとは言えない。自分のカネを不幸な人に使うのが、イエス・キリストの信者なのです。だから、キリスト教文化の欧米では、寄付文化が根付いている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
この意味から、「汝の敵を愛せ」というイエスの言葉を理解すべきです。ただし、神様の敵の悪魔やカネを愛する必要はない。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
つまり、聖なる言葉を愛して、清貧生活をし、聖書を学んで暮らすのが、神様やイエス・キリスト、聖母マリアや天使の信者なのです。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本にも、仏教では念仏を唱えるという宗教行為がある。言葉は、人間にとって聖なる力をもたらすものなのです。神道では、祝詞（のりと）で神聖な言葉が霊的な力を持つとされている。世俗のキリスト教でも、祈りの定型句が定められており、また、聖歌が大きな効果を持つことも知られている。実に、言葉は人類が生み出した最高の宗教的・文化的な作品であり、その背後には神様がおられるのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう」 (マタイによる福音書 第 17 章) (if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, ‘Move from here to there,’ and it will move)</title>
      <link>https://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/10/18/9881845</link>
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      <pubDate>Sun, 18 Oct 2026 16:48:03 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-10-18T16:48:53+09:00</dcterms:modified>
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      <description>14 さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、&#13;&lt;br&gt;
15 「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。&#13;&lt;br&gt;
16 それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。&#13;&lt;br&gt;
17 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。&#13;&lt;br&gt;
18 イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。&#13;&lt;br&gt;
19 それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。&#13;&lt;br&gt;
20 するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。&#13;&lt;br&gt;
21 〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。(マタイによる福音書 第 17 章)&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
14 When they came to the crowd, a man approached Jesus and knelt before him. 15 “Lord, have mercy on my son,” he said. “He has seizures and is suffering greatly. He often falls into the fire or into the water. 16 I brought him to your disciples, but they could not heal him.”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
17 “You unbelieving and perverse generation,” Jesus replied, “how long shall I stay with you? How long shall I put up with you? Bring the boy here to me.” 18 Jesus rebuked the demon, and it came out of the boy, and he was healed at that moment.&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
19 Then the disciples came to Jesus in private and asked, “Why couldn’t we drive it out?”&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
20 He replied, “Because you have so little faith. Truly I tell you, if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, ‘Move from here to there,’ and it will move. Nothing will be impossible for you.” [21]&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
+++ +++ +++&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
「からし種一粒ほどの信仰」とは、AIによれば、「イエスが「ごく小さくても本物の信仰には大きな力がある」と教える表現です。小さな信頼が神の大きな働きにつながるという意味合いです(bible.com)」と、されている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、弟子たちが悪霊を追い出せなかったのは、「あなたがたの信仰が足りないからである」と述べて、信仰が大きければ、人々から悪霊を追い出すことができると保証しておられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
日本では、修業を積んだり、宗教的な訓練をしたり、霊的な才能があれば、悪霊を追い出せると考える人もいるが、イエスの教えによれば、神様への信仰が大きければ、霊的な力を与えられ、悪霊を人々から追い出すことができると述べておられる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
また、「「山を動かす」は、文字どおりの話というより、人には無理に見えることでも神には可能だという強い表現として理解されることが多いです (bibletoolbox.net)」とされている。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
神様への信仰が強く、純粋であれば、「このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう」というイエス・キリストの言葉は、人々を勇気づける言葉です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
要するに、神様の力を信じて疑わないことが重要です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
ただし、悪魔も霊的な力を持っており、人の願いを叶えることができるが、その究極的な目標は、人を破滅させ、苦しめ、世の中や神様を恨ませ、人の心を神様から離れさせることにあるので、注意が必要です。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
悪魔は、自分を神と崇める者を、豊かにし、成功させるが、自分のことだけ考えさせて、他人を無視させ、神様の教えから遠ざけ、最後には神様の遣わす天使たちによって破滅させられるのを見て喜ぶのです。生きている間は、悪魔の与える偽りの幸運に恵まれて物質的に幸運な人生を送っても、死後の霊界では、悪魔が支配する地獄に行くことになる。&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
幼な子が神様を信じるように、純粋に疑いもなく、神様を信じる心が、奇跡を起こすのです。悪魔も、そのような人間には勝てない。ましてや、聖母マリアや天使たちには、悪霊は勝てないのです。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>信仰・文化</dc:subject>
      <dc:subject>霊性・神性</dc:subject>
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