「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出る」 (ヨハネによる福音書 第 7 章) ("Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.”) ― 2026/11/01 11:52

37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
40 群衆のある者がこれらの言葉を聞いて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者である」と言い、
41 ほかの人たちは「このかたはキリストである」と言い、また、ある人々は、「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。
42 キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか」と言った。
43 こうして、群衆の間にイエスのことで分争が生じた。
44 彼らのうちのある人々は、イエスを捕えようと思ったが、だれひとり手をかける者はなかった。(ヨハネによる福音書 第 7 章)

37 On the last and greatest day of the festival, Jesus stood and said in a loud voice, “Let anyone who is thirsty come to me and drink. 38 Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.” 39 By this he meant the Spirit, whom those who believed in him were later to receive. Up to that time the Spirit had not been given, since Jesus had not yet been glorified.

40 On hearing his words, some of the people said, “Surely this man is the Prophet.”

41 Others said, “He is the Messiah.”

Still others asked, “How can the Messiah come from Galilee? 42 Does not Scripture say that the Messiah will come from David’s descendants and from Bethlehem, the town where David lived?” 43 Thus the people were divided because of Jesus. 44 Some wanted to seize him, but no one laid a hand on him.

+++ +++ +++

「ヨハネによる福音 書7章」については、AIは、「この章では、イエスがエルサレムで教え、ご自身の出所と使命について語ります。人々の間では、イエスを信じる者と疑う者に分かれ、議論が起こります」と解説している。

また、「生ける水」については、「キリストを信じて受ける神の命と恵みであり、人の魂を内側から生かし、永遠の命へ導くものです。なお、ヨハネ4章では「キリストとその教え」、ヨハネ7章では特に「聖霊」という側面が強調されています。どちらも、キリストから与えられる霊的な命を示しています(churchofjesuschrist.org)」と、述べている。

イエス・キリストが、人々に現れた時、人々はイエスが「預言者」であると言ったり、「キリスト」であると言ったりして、さまざまな意見が出た。AIによれば、「預言者」とは、「未来を予測する占い師ではなく、神の言葉を預かって語る人です。教派によって表現は多少異なりますが、聖書における中心的な理解は共通しています(jw.org)」と述べ、また、「キリスト」とは、「人の名前というより、称号です。ギリシャ語の「クリストス」に由来し、ヘブライ語の「メシア」に相当します。どちらも、もともとは「油を注がれた者」という意味です(jw.org)」と、説明されている。

さらに、「聖書の時代には、王・祭司・預言者などを特別な務めに任命するとき、油を注ぐ儀式が行われました。
そのため「キリスト」には、次のような意味が含まれます。
神に選ばれた者
約束された救い主
王として人々を導く者」としており、「簡単に言えば、
イエス・キリスト = 救い主であるイエス
という意味です。キリスト教では、イエスが旧約聖書で待ち望まれていた救い主であると信じます(bible.or.jp)」と、「イエス・キリスト」の意味について解説している。

また、古代のユダヤ人は、なぜ、救世主(キリスト)の出現を待ち望んでいたのか、という点については、AIは、「神の約束を信じながら、外国支配や社会的不正、民族的苦難の中に置かれていたためです。彼らは、救世主によって「失われたイスラエルの栄光が回復し、神の正義と平和が実現する」と期待しました。ただし、キリスト教がイエスを救世主と理解する一方、当時のユダヤ人の間では救世主の役割について意見が分かれており、統一された一つの考えがあったわけではありません(ja.ligonier.org)」と説明している。

イエス・キリストは、当時のユダヤ人の全てによって、預言者や救世主として認められていたのではない。しかし、多くの奇跡を起こして人々を病などから救ったイエスは、預言者や救世主以上の「神様の子」だった、と考えるのがキリスト教なのです。

余りに偉大な存在は、人々に理解されないものです。日本でも、天皇以上に偉大な人物が現れても、皇族の一人だろうと考えるのが関の山です。人々の想像力の限界を超えた人物は理解できないものです。天才は、凡人には理解できないのです。

また、動物から見れば、人間も単なる動物の一種にしか見えない。自分たちとは、霊格の異なる偉大な存在だと理解する動物はいない。ましてや、神に通じる存在だと恐れる動物はいない。それでも、霊感を感じれる動物は、人間の霊を感じれば、人間に屈服する。熊も、人間の霊を感じれば、人を襲うこともなくなるはずです。人間が、文明のもたらす優れた武器を使えば、クマはひとたまりもなく抹消される。人間の文明の威力を感じれる動物だけが、現在の地球では生き残ることが許されている。さらに、人間の中には超能力や霊能力を使える者もいて、野生の動物の敵ではない。

しかし、人間よりも文明の進んだ宇宙人から見れば、人間は未熟な存在にすぎない。だから、宇宙人は人間に姿を羅わさないと考えられる。実際に、人間社会の中に入って、人間として生きている宇宙人も存在するが、人間にその正体を見破られると、危険な目にあうと考えて、正体を見せない隠れた宇宙人もいるとの説もある。人ごみの中から、宇宙人を見出すことは難しいという意見もある。

実際に、地球の人間そっくりの宇宙人もいるとの説がある。或いは、宇宙人とは、宇宙人の魂を持った存在であり、人間の身体を持っていても、魂が宇宙人なら、単なる地球の人間ではなく、宇宙人だという考え方もある。

これは、人間とは霊(心)と物理的な身体を持った存在だというキリスト教の考え方にあてはまる。この世の物質界を超えた霊界には、地球人の霊ばかりでなく、さまざまな宇宙人の霊もあるという。霊は、物質界の肉体に宿るので、前世は宇宙人だったという存在が、地球人の肉体に宿った宇宙人の霊もあると思われる。

ただし、霊界には悪魔もいて、人間の心を支配することもあり、宇宙人の心を悪魔が支配する場合も考えらえる。だから、地球の宗教は宇宙的な意味を持つ。AIでは、仏教についても、「仏教における「宇宙的な意味」は、宇宙を創造した絶対神を説明することよりも、宇宙と生命がどのような関係で成り立ち、苦しみからどう解放されるかを示す点にあります」と、説明されている。ただし、AIでは、キリスト教については、「キリスト教において人間は宇宙の主人ではなく、神の創造世界を受け取り、愛し、守る責任を持つ存在」としており、宇宙人もこの宇宙の存在である以上は、地球の人間と似た思想や宗教観を持っているはずであり、その意味で、地球の人間と価値観が異なっていても、コミュニケーションはできるはずです。

だから、UFOとテレパシーを使って、心で宇宙人と会話ができるという人もいる。実際に、宇宙人と遭遇したリンゴの無農薬栽培家の木村秋則は、言葉ではなくテレパシーでUFOの宇宙人と会話したという。

興味深いのは、18世紀の神秘家のスエーデンボルグは、霊界で宇宙人の霊に会ったと述べており、宇宙人の間でも「神様の子」、又は、「主」として、イエス・キリストのことは理解され、崇拝されているという。

また、聖母マリアの霊は100年前に、ポルトガルのファチマに、宇宙人のUFOを使って出現したのではないか、という議論もある。ヴァチカンのローマ法王も、何度もUFOの宇宙人と会見しているという説もある。

2千年前にイエス・キリストのことが人々に理解されなかったように、今の我々にも、神様や宇宙人の真の姿は完全には理解できない。それでも、地球の人間の宗教は宇宙人にも理解できることを信じれば、我々は広い大宇宙の中の生命として、共に宇宙の創造主の神様の下にあることにある。

何千年後の未来には、地球人も宇宙人も同じ宗教を持つようになるかも知れない。科学文明の進んだ宇宙人を恐れるべきではない。

「父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立する」 (ルカによる福音書 第 12 章) ("father against son and son against father, mother against daughter and daughter against mother, mother-in-law against daughter-in-law and daughter-in-law against mother-in-law”) ― 2026/10/31 12:49

51 あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
52 というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、
53 また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。
54 イエスはまた群衆に対しても言われた、「あなたがたは、雲が西に起るのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る、と言う。果してそのとおりになる。
55 それから南風が吹くと、暑くなるだろう、と言う。果してそのとおりになる。
56 偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。(ルカによる福音書 第 12 章)

51 Do you think I came to bring peace on earth? No, I tell you, but division. 52 From now on there will be five in one family divided against each other, three against two and two against three. 53 They will be divided, father against son and son against father, mother against daughter and daughter against mother, mother-in-law against daughter-in-law and daughter-in-law against mother-in-law.”
54 He said to the crowd: “When you see a cloud rising in the west, immediately you say, ‘It’s going to rain,’ and it does. 55 And when the south wind blows, you say, ‘It’s going to be hot,’ and it is. 56 Hypocrites! You know how to interpret the appearance of the earth and the sky. How is it that you don’t know how to interpret this present time?

+++ +++ +++

「子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」というのは、イエス・キリストの言葉としてよく知られています。

AIによれば、「この言葉は、イエスの教えを信じることによって、家族の中でも信仰や価値観の違いから対立が起こり得る、という警告です」と説明されています。また。「キリルス(アレクサンドリアのキュリロス、376頃–444年)は、キリストが「平和」ではなく「分裂」をもたらすと言った理由について、神から来る平和とは異なる、人間的な妥協や悪との馴れ合いを退けるためだと説明しています。悪に同調して保たれる平和は、本当の平和ではない、という理解です(tertullian.org)」と、解説されている。

同じ家族でも、それぞれの人格が異なるように、霊格も異なるのです。そのような精神の基盤が異なる人間同士が一緒になって生活することで、人間は、社会生活の基本を理解するのです。

家族同士の生活でも、自分と他者の区別を理解し、人間とは何かを徐々に理解して育つのが人間なのです。家族の中に、霊格の高い人物がいて、宗教的な才能が高い者がいれば、家族はその者に従うようになるのが自然です。だから、親でも、そのような子供が聖者となったことを理解すれば、やがて、人間としてその子の言葉に従うことになる。霊的な教えに、人間関係の制約は無意味なのです。

だから、聖母マリアも、自分の子のイエスが、神様の霊を与えられていることを確信してからは、イエスの言葉に従うようになったのです。

兄弟でも姉妹でも、より神様の教えに惹かれる者と、悪魔に魂を売りやすい人間に分かれる。また、聖者の言葉を理解できる者と、理解できない者に分かれる。さらに、俗な生き方を嫌う者と、聖なる生き方に何の魅力も感じない者に分かれる。悪魔の影響下にあるこの世では、誰もが悪魔の影響を受けているが、その程度は各人によって異なる。つまり、本当の宗教は個人の心が決めるものであり、社会や一族、家族が強制するものではないのです。

親は、子が異なる宗教の教えに従うのは、意外な気持ちを持つが、それも子供の個性だとして認めないわけにはいかない。そして、死後は霊界では、それぞれが信じる所に従って、分かれていく。霊界では、むしろ、生きている間は他人でも、信じる所が同じであれば、やがて集まるようになる。

極端に言えば、一家の中でも、霊的には天国を目指す者と、地獄を好む者に分かれる。しかし、この世では他人でも、同じく天国を目指す者同士は理解が容易で、地獄に行く者同士も、相手の心が分かるものです。家族のせいで悪人になったと主張するのは、自分の選択の自由を放棄した無責任な言葉です。家族でも、互いの心の底は分からないことがある。それは、魂が違うからです。

それでも、この世で生きている間は、家族同士の影響が多きい。家族を通して、人間とは何かを学ぶことも多い。家族同士は、一家の秘密を共有し、社会的な利害が一致するので、この世では、一家の絆が人間社会の基本になる。社会的な困難も、家族全体でまとまっていれば、解決しやすい。

つまり、一家の主人の思想が家族全員に大きな影響を与える。しかし、家族の団結を心がけるのは、主婦の力が大きい。一家のさまざまなもめ事などを解決するのは、主婦の個性や才能や家族愛であることが大きい。優秀な子供が育つには、父親の教育的な指導よりも、母親の愛の励ましや、社会への考え方の影響が大きい。

漫画家の手塚治虫が、医学生の時に、医者になるか、漫画家になるかを迷っていたとき、母親に相談すると、自分の好きな道を選べといって、漫画家になるのを後押ししたことはよく知られている。医者になっても多くの患者の命を救えたかも知れないが、戦後漫画界のリーダーとなって、何百万人もの子供たちに影響を与え、彼らの心を楽しませる作品を描くことで、戦後の日本文化に大きな影響を与える方が、社会的には意味があったと思われる。

なお、手塚治虫はブッダの伝記や、聖書物語りも手掛けて、「火の鳥」などで生命の不思議さに迫る作品も漫画で描いて、単なる娯楽作品ではなく、人間の存在を真剣に考える作品も手掛けており、戦後の日本文化の深さを示す働きをした。漫画が日本を代表する芸術にまでなった功労者の第一人者だとされて、今でも漫画界の神様だと言われているが、その漫画の神様を生み出したのは、手塚治虫の母親の愛と見識だったことになる。エリート・サラリーマンだった父親よりも、子供をよく理解していて、世の中のこともよく理解していた母親が、手塚家でも大きな影響力を持っていたことが分かる。このように、人格や霊格の優れた人間は、一家の中でも主導的な立場に立つことがあり、それに家族が従っていれば、家族全体が不幸に堕ちることは少ない。まさに、内助の功や縁の下の力持ちの働きをするのが主婦なのです。

しかし、悪魔の影響は家族の中にも及ぶ、家族同士が、互いに相手に敵意を感じれば、弱点をお互いに知っているだけに、熾烈な戦になったり、陰湿な戦になったりする。家族の間で天使と悪魔の戦いの代理戦争になることもある。だから、成人になれば、兄弟。姉妹でも自分の道を歩むことが自然になる。そのような家族をまとめるのが、家族愛に満ちた一家の主婦の役割だということになる。妻であり母親でもある一家の主婦は、一家の分裂を防ぐカギとなる立場にあるが、その信仰が大きな役割を持ち、イエス・キリストへの信仰心をもつことが、一家の救いになることも多い。(父親は、良くも悪くも、自分の思想にプライドを持っていて、母親のように融通はきかない。)

しかし、霊的な問題は根深く、霊界ではこの世の制約から自由になって、天国や地獄は自分で選べて、家族もばらばらになる。この世では、さまざまな条件によって隠されていた各人の本性が現れて、善人は天使に近づき、悪人は悪魔に近づく。天使と悪魔は異なる世界を生きるのです。妻や母としての力も霊界には及ばない。だから、聖母マリアの力が、特に霊界では重要な意味をもつ。聖母マリアは万人の霊的な母親だという見方もある。(聖母マリアの霊は、この世に出現したときに、人々に「我が子よ」と呼びかける。)

また、この世では条件が整えば、物事は成立する。それを正しく判断することで、人は災いを避けることができる。正しく判断するには、欲を捨てることが大事です。そのような、正しい判断のできる人間と、そういう判断ができない人間は対立することもある。家族の中でも、社会の中でも、そういう判断の違いが敵対関係を作ることも多い。だから、この世では一家の主婦の正しい判断が大きな意味を持つが、霊界では、イエス・キリストや聖母マリアの判断が決定的な意味を持つ。信仰心は、霊界でも大きな意味を持つ。正しい信仰心があれば、もはや、霊界では分断に苦しむこともない。高度の霊格を持った霊は、争うこともない。神様のご威光に従うだけだということになる。

この世でも、神様の教えに従って、正しく欲のない生活をしていれば、「今の時代を見分けること」ができるはずだというのが、イエス・キリストの教えです。

一家の中でも、社会の中でも欲のない聖者の心を持った人間を尊重すべきなのです。

神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受ける (ヤコブの手紙 第 1 章) (that person will receive the crown of life that the Lord has promised to those who love him) ― 2026/10/30 14:30

5 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
6 ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。
7 そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。
8 そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。
9 低い身分の兄弟は、自分が高くされたことを喜びなさい。
10 また、富んでいる者は、自分が低くされたことを喜ぶがよい。富んでいる者は、草花のように過ぎ去るからである。
11 たとえば、太陽が上って熱風をおくると、草を枯らす。そしてその花は落ち、その美しい姿は消えうせてしまう。それと同じように、富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落するであろう。
12 試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。(ヤコブの手紙 第 1 章)

5 If any of you lacks wisdom, you should ask God, who gives generously to all without finding fault, and it will be given to you. 6 But when you ask, you must believe and not doubt, because the one who doubts is like a wave of the sea, blown and tossed by the wind. 7 That person should not expect to receive anything from the Lord. 8 Such a person is double-minded and unstable in all they do.

9 Believers in humble circumstances ought to take pride in their high position. 10 But the rich should take pride in their humiliation—since they will pass away like a wild flower. 11 For the sun rises with scorching heat and withers the plant; its blossom falls and its beauty is destroyed. In the same way, the rich will fade away even while they go about their business.

12 Blessed is the one who perseveres under trial because, having stood the test, that person will receive the crown of life that the Lord has promised to those who love him.

+++ +++ +++

AIによれば、「ヤコブの手紙は、新約聖書にある手紙の一つです。日本聖書協会は、新約聖書の中でこの書を信仰生活の実際面を示す書として紹介していて、特に共同体の人間関係や病者への接し方に触れると説明しています (bible.or.jp)」と説明されています。

また、「信仰は行いと結びついてこそ生きたものだという主題は、この手紙でも特によく引用される部分です。一般向けの解説でも主要な聖句として挙げられています (acts.gmcj.org)」とされている。

特に、「富んでいる者も、その一生の旅なかばで没落する」という言葉は、富裕層の繁栄が空しいものであることを述べている。死ぬまで富裕であったとしても、その富の効果を死ぬまで享受できるわけではない。

どんな金持ちも、高齢になれば、身体の自由を失い、さまざまな病に見舞われる。それに、富の効果で対抗しても、やがて、弱者や愚者のように扱われ、また、自分のいる環境や状況が理解できなくなり、認知症になって、実質的に周囲の者に拘束される。

さらに、自分の富を狙う者が次々と現れて、どんな、悪だくみの犠牲になるかも分からない。人が信用できなくなり、世の中に背を向けるようになる。富を持っていても、その生きる心は、まさに、「没落する」のです。

しかし、「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受ける」と述べて、この世の悪が与える試練に、神様に対する信仰心を持って、対抗していけば、やがて、神様の与えられる奇跡が生じて、苦痛が解消し、見えなかったこの世の真実の姿が見えてきて、迷いもなくなり、魂の救済が得られ、ますます、神様への信仰が高まる。

外見的には、富裕層は物質的に満ち足りた老後を送っていても、その心の中は暗黒であり、劣化し、理解力も失われ、愚者のように周囲に扱われ、驚くべき退化を示す。

しかし、神様への信仰を失わない者は、今まで見えなかった人々の真実の心が見えるようになり、神様の与えてくれた恵みに気が付き、感謝の心で老後の厳しさも乗り越える。

「神を愛する者たちに約束されたいのちの冠」とは、この世の悪の暗黒から救われて、神様の光を感じるようになることです。悪魔の影響下のこの世を去って、神様の光があふれる霊界に移行するのが信仰者の死なのです。

この世のエリートや富裕層は、死に臨んでも、神様の光を見ることもできず、霊界の闇の中に入って行き、地獄に辿り着く。

他方、信仰と愛に生き、神様の栄光を信じて生きた者は、死後の霊界で、神様やイエス・キリスト、さらに、聖母マリア様の霊が送られる天使と出会って、愛と真理の光に満ちた天国へと導かれる。

いや、死後の霊界に入る前に、「いのちの冠」を与えられ、心を生み出す魂は、この世でも満ちたりるのです。本当の信仰者は、貧しく見えても、その命は霊的に輝いているのです。

悪魔の影響下の人間社会で、信仰と愛をもって生きる者は、悪魔の影響や罠からも逃れることができるのです。これに気づき、これを信じるのが霊的なキリスト教なのです。

「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」 (マタイによる福音書 第 8 章) ("let the dead bury their own dead") ― 2026/10/29 13:18

18 イエスは、群衆が自分のまわりに群がっているのを見て、向こう岸に行くようにと弟子たちにお命じになった。
19 するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。
20 イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
21 また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。
22 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。
23 それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
24 すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。
25 そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。
26 するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。
27 彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。(マタイによる福音書 第 8 章)

21 Another disciple said to him, “Lord, first let me go and bury my father.”
22 But Jesus told him, “Follow me, and let the dead bury their own dead.”
23 Then he got into the boat and his disciples followed him. 24 Suddenly a furious storm came up on the lake, so that the waves swept over the boat. But Jesus was sleeping. 25 The disciples went and woke him, saying, “Lord, save us! We’re going to drown!”
26 He replied, “You of little faith, why are you so afraid?” Then he got up and rebuked the winds and the waves, and it was completely calm.
27 The men were amazed and asked, “What kind of man is this? Even the winds and the waves obey him!”

+++ +++ +++

AIでは、「マタイによる福音書第8章は、イエスが病気を癒やし、自然や悪霊をも支配する権威を示す章です」とされている。また、「イエスの権威は病気や自然界にも及ぶ 嵐を静める場面では、弟子たちが「この方はどういう人なのだろう」と驚きます。章全体を通して、イエスが単なる教師ではなく、神の権威を持つ方として描かれています(jw.org)」と解説されている。

これは、実際にイエスが病人を癒し、嵐などの自然現象を抑えたのを目前にしなければ、信じられない話です。日本の空海などの超能力を持った僧侶や修験道の行者などが、同じように病人を癒し、自然現象を操ったという話しと似ています。要するに、イエスに霊能力のあったことが聖書に記されている。

難解な漢字で書かれている仏典とは違って、聖書は平易な日本語に訳されているので、誰でも呼んで学ぶことができる。また、神道の祝詞のように、古い日本語が使われているわけではなく、意味は明瞭です。

結局、イエス・キリストというのは、神様のような霊能力で奇跡を起こす力のあった人だということです。ただし、日本の空海のように、人々の間を回って人助けをして、最後は高野山で平和に寿命を全うした(永遠の眠りにつかれた)というのではなく、当時のユダヤ教の幹部と敵対し、また、パテスチナを支配していたローマ帝国の軍隊とも緊張関係にあったという点が異なります。

空海は新宗教を開いたのではなく、仏教の教えの延長で人々に教えを説いた人ですが、イエス・キリストの教えは、それまでのユダヤ教の教えを改革し、教え自体を根本的に変えて、新宗教を立ち上げて、キリスト教と呼ばれる宗教の教祖となったという点が異なる。ただし、ユダヤ教の教えを否定しているわけではないので、ユダヤ教に新解釈をもたらした人だとも言える。だから、キリスト教の聖典には、旧約聖書としてユダヤ教で使われている聖典の一部が取り込まれている。キリスト教を学ぶことは、ユダヤ教を学ぶことでもあるのです。

ただし、キリスト教に取り入れられたユダヤ教は、2千年前までのユダヤ教なので、今のユダヤ人が信じるユダヤ教とは異なっている。しかし、2千年前のユダヤ人社会にイエスが伝道し、イエスの弟子たちは皆、当時のユダヤ人だったことは重要です。そのイエスが死に際して、弟子たちに世界中の人に伝道せよと命じたことが、現在までのキリスト教の発展につながっている。

しかし、イエス・キリストは、神様から超能力や霊能力を与えられた人であることは、今のキリスト教ではあまり強調しない。

カトリックでは、霊能力は悪魔でも使うことができるので,不思議な技を示したり、奇跡を起こせても、聖者にはなれない。だから、信徒が奇跡を起こしても、それが、イエスのように神様から与えられた力かどうかが厳しく審査される。

実際に、まともな信仰心もないのに、自分の幸運は神様が与えくれたものだと、自慢する作家や成功者、学者などはいるし、イエス・キリストの教えの精神を実行せずに、社会的成功だけを自慢する者もいる。また、エンターテインメントとして魔術や奇術と同じレベルで超能力を売り物にする超能力者もいる。イエスなどの宗教的超能力者は、自分の力を自分の利益につなげることはしない。人々を助けることと、神様への信仰心を高めるのに自分の霊能力をつかうことが普通です。

実際に、世の終わりが近づいた時には、そのようないい加減な超能力者や霊能者が現れると、イエスは警告している。神様から力を得て、貧しき者、弱き者、小さき者、病んだ者、生活に苦しむ者、差別されて苦しむ者を助けるために、治癒力などの霊能力を発揮するのが、真の霊能者なのです。自分の幸福のために、霊能力を使うなどは、まさに悪魔の誘惑に乗った証拠です。

この世での自分の幸運や成功のためには、そのような力を使わないことが、信仰のある霊能者です。

ある人物などは、霊能力で幸運を得た自分のことばかり本に書いて、弱者救済の慈善事業への寄付などはしない。こういう人間の背後には悪魔がいるというのが、キリスト教の考えであって、イエス・キリストのように、どれだけ病人や弱き者を救ったかが霊能力者を判断する基準になるのです。霊能力で何億円も稼ぎ、有名人になれても、それは神様の力ではなく、悪魔に魂を売って得た力だと判断するのがキリスト教なのです。

世の終わりには、ニセ・キリストが現れると、イエス・キリスト自身が強調されている。霊能力をイエスの教えに従って使わない人間は、信用できないのです。自分のためにではなく、イエスの教えを実践するのに超能力を使えということです。

つまり、霊能力を誇る者には、「イエスの教えに従って、あなたの霊能力で、何人の病人、弱者を無料で助けたのか」と、霊能者に訪ねることが鍵になる。

そして、イエス・キリストの教えに従うことは、自分の父親の葬式に出るよりも大事だと言うのが、信仰の厳しさを示している。霊能力は、貧しい人を助けるために使えというのが、イエス・キリストの教えなのです。そういう活動に熱中していれば、父親の葬式に出ている暇もないというのが当然だというのがイエス・キリストの教えなのです。

神よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられます (詩篇17) (I call on you, my God, for you will answer me) ― 2026/10/28 12:56

6 神よ、わたしはあなたに呼ばわります。あなたはわたしに答えられます。どうか耳を傾けて、わたしの述べることをお聞きください。
7 寄り頼む者をそのあだから右の手で救われる者よ、あなたのいつくしみを驚くばかりにあらわし、
8 ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、
9 わたしをしえたげる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、のがれさせてください。
10 彼らはその心を閉じて、あわれむことなく、その口をもって高ぶって語るのです。
11 彼らはわたしを追いつめ、わたしを囲み、わたしを地に投げ倒さんと、その目をそそぎます。
12 彼らはかき裂かんと、いらだつししのごとく、隠れた所にひそみ待つ子じしのようです。
13 主よ、立ちあがって、彼らに立ちむかい、彼らを倒してください。つるぎをもって悪しき者からわたしのいのちをお救いください。
14 主よ、み手をもって人々からわたしをお救いください。すなわち自分の分け前をこの世で受け、あなたの宝をもってその腹を満たされる世の人々からわたしをお救いください。彼らは多くの子に飽き足り、その富を幼な子に残すのです。
15 しかしわたしは義にあって、み顔を見、目ざめる時、みかたちを見て、満ち足りるでしょう。(詩篇17)


6 I call on you, my God, for you will answer me;
turn your ear to me and hear my prayer.
7 Show me the wonders of your great love,
you who save by your right hand
those who take refuge in you from their foes.
8 Keep me as the apple of your eye;
hide me in the shadow of your wings
9 from the wicked who are out to destroy me,
from my mortal enemies who surround me.

10 They close up their callous hearts,
and their mouths speak with arrogance.
11 They have tracked me down, they now surround me,
with eyes alert, to throw me to the ground.
12 They are like a lion hungry for prey,
like a fierce lion crouching in cover.

13 Rise up, Lord, confront them, bring them down;
with your sword rescue me from the wicked.
14 By your hand save me from such people, Lord,
from those of this world whose reward is in this life.
May what you have stored up for the wicked fill their bellies;
may their children gorge themselves on it,
and may there be leftovers for their little ones.

15 As for me, I will be vindicated and will see your face;
when I awake, I will be satisfied with seeing your likeness.

+++ +++ +++

旧約聖書の詩篇については、AIは次のように解説しています。

「詩篇は、旧約聖書にある祈りや賛美の歌を集めた書です。日本語ではしへんと読みます。古くは礼拝や祈りで広く用いられてきた詩歌集です (kotobank.jp)」。また、「詩篇は、人の喜びや苦しみを神への祈りとして表した聖書の詩集です (kotobank.jp)」と、されています。

また、「詩篇17は、苦しい中で神に正しい裁きを求める祈りです。伝統的にダビデの祈りとされ、本文でも「ダビデの祈り」として扱われています。詩人は、自分の訴えが偽りではないと神に聞いてほしいと願い、敵から守ってくださいと求めています(baibaoshu.net)」と解説されています。

誰でも、人生で敵になるような人間に出会う。子供のときには、いじめっ子、不良、やくざの子や、ガキ大将からいじめられ、青年になれば、犯罪者、根っからの悪を好む人間、学校・職場・商売でのライバル、思想的な敵対者が現れ、また、壮年になれば、地位や名誉を巡っての敵や、政治的な敵対者、裏切りを好む者に出会い、そして、高齢になれば、腐敗・堕落した冷酷・狡猾な悪人が目に付くようになる。

要するに、世の中は悪人や敵対者ばかりだということに気が付く。だから、信仰心だけが頼みになる。日本人は命がけで、年始年末に神頼みをするようなことないが、世界には、毎日、自分の神様に祈らなければ、安全も安心も得られない生活をしている人もいる。生きるためには、神様からお情けを得て、助けてもらうしかないと考える人も多い。

日本では、社会の流れや慣習、世の中の常識に従っていれば、飢えることも命を狙われることもない。しかし、世界には残酷な敵、狂った敵、異常な敵と毎日、直面して生きている人間もいる。そういう人間にとって、自分の信仰が生きる支えとなる。神様に奇跡を起こしてもらうしか生きるができないと考えている人も多い。だから、そのような世界では、政治的、宗教的、思想的対立が抜き差しならないものになる。これが、世界の難民の状況です。彼らは、息を吐くように、神様に祈らなければ、安心して生きていけない。

そのような状況に、かつては、ユダヤ民族も生きていた、そのときに、詩篇という文学を生み出し、神様への願いを求める心を宗教的文学にしたのです。

詩篇を読むごとに、自分たちの苦難の時代を思い起こし、神様に対する感謝の意を強くするのです。

皆と一緒に、普通に生きていれば、衣食住に困らない日本の社会、国内が平和で、国際的にも脅威が切迫していない日本の社会では考えられない、生存自体が危ぶまれ、飢えと暴力に晒された社会や、強権社会で、権力者に奴隷のように扱われて生きている人もいる。日本の安全は、世界の非常識であり、世界の危険は日本では理解できないことも多い。

だから、中国の狡猾な悪意や危険性が、日本人には理解できない。欧米の強欲も日本人には、理解できない。ましてや、イスラム教国の宗教的に制約された生活や、戦乱が続く中近東の国々の状況は、日本人には理解できない。

しかし、そういう厳しい世界でも、人々は神様に祈れば、そのお情けで奇跡的に助かることを人々は知っている。彼らに、日本からの援助が奇跡的に届いて助かることもある。或いは、欧米のキリスト教組織からの援助が届くこともある。

そのようにして、神様に役立ててもらえるのが、信仰者の喜びなのです。マザー・テレサなども、そのように。神様に使ってもらえて幸福だったのだろう。貧困、危険、差別、偏見などは、神様から得られる奇跡のお情けと比べれば、ものの数ではない。

宗教的な恵みの陰には、悪魔によってもたらされたこの世の悲惨がある。豊かな国の信仰者の祈りなどは、神様が顧みる順番は最後の方になる。

100円で人々が毎日生きていける社会と、1億円の宝くじを求めて人々が神仏に祈る社会では、祈りの質も異なるのです。

まず、清貧生活をすることで、神様への真剣な祈りを実践することです。

最近の記事

<< 2026/11
日 月 火 水 木 金 土
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

このブログについて

時事問題を英語で議論しよう

救世主イエスの言葉を学ぼう!

最近のコメント

最近のトラックバック

RSS