「サタンよ、引きさがれ」 (マタイによる福音書 第 16 章) “Get behind me, Satan! )" ― 2026/04/18 16:17
22 すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
23 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
28 よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。(マタイによる福音書 第 16 章)
22 Peter took him aside and began to rebuke him. “Never, Lord!” he said. “This shall never happen to you!”
23 Jesus turned and said to Peter, “Get behind me, Satan! You are a stumbling block to me; you do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”
24 Then Jesus said to his disciples, “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me. 25 For whoever wants to save their life[f] will lose it, but whoever loses their life for me will find it. 26 What good will it be for someone to gain the whole world, yet forfeit their soul? Or what can anyone give in exchange for their soul? 27 For the Son of Man is going to come in his Father’s glory with his angels, and then he will reward each person according to what they have done.
28 “Truly I tell you, some who are standing here will not taste death before they see the Son of Man coming in his kingdom.”
+++ +++ +++
イエス・キリストが、弟子の中でも最も近い位置におり、初代法王と言われるペテロに「「サタンよ、引きさがれ」と言われたことは、衝撃的な出来事です。
その理由は、イエスがこれからユダヤ教の幹部たちに逮捕され、殺害され、そして、3日後に蘇ると予言されたことに対してペテロが「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言ったからです。
イエスの予言は、神様の定めに従うという気持ちから発された言葉です。それを、素直に受け入れることが信者には求められている。しかし、悪魔の霊がペテロに入って、それを否定したことをイエスは見抜いたのです。
そして、イエスについてきたい者は、「自分を捨て、自分の十字架を負うて」イエスに従うべきだと述べられた。十字架を背負って生きるということは、死刑に使われる十字架を常に背負って生きろということです。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだす」というイエスの言葉は、イエスの教えが、この世の幸福のためではなく、死後の霊界につながるものだということを示している。むしろ、この世での幸福を願い、この世の生に執着する者は、かえって、この世の生や霊界での命を失うことになると警告されている。
つまり、「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」と述べ、この世の権力や富が、自分の命と比べれば、無に等しいことを教えられたのです。しかし、悪魔はこの世の権力や富を求める心を掻き立て、この世の物質的な成功、幸福を求めさせる。そして、それらを得るためには、悪魔に魂を売らせようとさせる。そのようにして、悪魔は人々の心を神様への愛と信仰から遠ざける。つまり。人々は悪魔の教えに従って、神様の教えよりも、悪魔の教えに従おうとする。
そのような、悪魔の罠に陥らないようにイエス・キリストは警告されたのです。
無実の罪で逮捕され、十字架上で刑死しなければ、イエス・キリストは直ちに、宗教的な成功者として、この世の称賛を受けて、今のローマ法王のように権力も問も得られることになるが、それでは、悪魔に対する戦いにはならない。悪魔に勝つには、イエス・キリストはそのように刑死し、その後に霊的な力で蘇り、その霊力を示し、悪魔の力など及ばない強力な存在だが、愛と平和のために、死を受け入れたことを示す必要があったのです。信者たちに模範を示すためです。悪魔と力で戦ってはならないという教えです。
霊界で生きるイエス・キリストは、再び、この世に姿を現して、神様の「御国の力をもって来る」と語っている。イエス・キリストの再来は約束されているのです。そして、イエス・キリストが再来するまで、「死を味わわない者が、ここに立っている」と不思議な言葉を述べておられる。
これは、イエス・キリストの十字架上の死後、死から蘇り、弟子たちの信仰心を強め、イエス・キリストの教えを強く伝えるようになるまでは、この世で生き続けるという意味であれば、初期教会の興隆を予言している意味にもなる。
実際、イエス・キリストの死後、彼の教えはパレスチナからローマ帝国内に広まり、全ヨーロッパ、そして世界中へと普及していったのです。神様やイエス・キリストの教えの普及を阻害しようした悪魔は敗北したのです。
今でも、一人の人間が神様やイエス・キリストの教えを受け入れることは、イエス・キリストが悪魔との戦いに勝ったことを意味するのです。個人の信仰心が、神様と悪魔の戦いを象徴しているのです。だから、十字架を背負って、この世の成功や幸福に惑わされずに、死後の霊界にも通じる神様の教えや、イエス・キリストの言葉に従うことが、全人類の一人一人に求められているのです。
23 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
28 よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。(マタイによる福音書 第 16 章)
22 Peter took him aside and began to rebuke him. “Never, Lord!” he said. “This shall never happen to you!”
23 Jesus turned and said to Peter, “Get behind me, Satan! You are a stumbling block to me; you do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”
24 Then Jesus said to his disciples, “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me. 25 For whoever wants to save their life[f] will lose it, but whoever loses their life for me will find it. 26 What good will it be for someone to gain the whole world, yet forfeit their soul? Or what can anyone give in exchange for their soul? 27 For the Son of Man is going to come in his Father’s glory with his angels, and then he will reward each person according to what they have done.
28 “Truly I tell you, some who are standing here will not taste death before they see the Son of Man coming in his kingdom.”
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イエス・キリストが、弟子の中でも最も近い位置におり、初代法王と言われるペテロに「「サタンよ、引きさがれ」と言われたことは、衝撃的な出来事です。
その理由は、イエスがこれからユダヤ教の幹部たちに逮捕され、殺害され、そして、3日後に蘇ると予言されたことに対してペテロが「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言ったからです。
イエスの予言は、神様の定めに従うという気持ちから発された言葉です。それを、素直に受け入れることが信者には求められている。しかし、悪魔の霊がペテロに入って、それを否定したことをイエスは見抜いたのです。
そして、イエスについてきたい者は、「自分を捨て、自分の十字架を負うて」イエスに従うべきだと述べられた。十字架を背負って生きるということは、死刑に使われる十字架を常に背負って生きろということです。「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだす」というイエスの言葉は、イエスの教えが、この世の幸福のためではなく、死後の霊界につながるものだということを示している。むしろ、この世での幸福を願い、この世の生に執着する者は、かえって、この世の生や霊界での命を失うことになると警告されている。
つまり、「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」と述べ、この世の権力や富が、自分の命と比べれば、無に等しいことを教えられたのです。しかし、悪魔はこの世の権力や富を求める心を掻き立て、この世の物質的な成功、幸福を求めさせる。そして、それらを得るためには、悪魔に魂を売らせようとさせる。そのようにして、悪魔は人々の心を神様への愛と信仰から遠ざける。つまり。人々は悪魔の教えに従って、神様の教えよりも、悪魔の教えに従おうとする。
そのような、悪魔の罠に陥らないようにイエス・キリストは警告されたのです。
無実の罪で逮捕され、十字架上で刑死しなければ、イエス・キリストは直ちに、宗教的な成功者として、この世の称賛を受けて、今のローマ法王のように権力も問も得られることになるが、それでは、悪魔に対する戦いにはならない。悪魔に勝つには、イエス・キリストはそのように刑死し、その後に霊的な力で蘇り、その霊力を示し、悪魔の力など及ばない強力な存在だが、愛と平和のために、死を受け入れたことを示す必要があったのです。信者たちに模範を示すためです。悪魔と力で戦ってはならないという教えです。
霊界で生きるイエス・キリストは、再び、この世に姿を現して、神様の「御国の力をもって来る」と語っている。イエス・キリストの再来は約束されているのです。そして、イエス・キリストが再来するまで、「死を味わわない者が、ここに立っている」と不思議な言葉を述べておられる。
これは、イエス・キリストの十字架上の死後、死から蘇り、弟子たちの信仰心を強め、イエス・キリストの教えを強く伝えるようになるまでは、この世で生き続けるという意味であれば、初期教会の興隆を予言している意味にもなる。
実際、イエス・キリストの死後、彼の教えはパレスチナからローマ帝国内に広まり、全ヨーロッパ、そして世界中へと普及していったのです。神様やイエス・キリストの教えの普及を阻害しようした悪魔は敗北したのです。
今でも、一人の人間が神様やイエス・キリストの教えを受け入れることは、イエス・キリストが悪魔との戦いに勝ったことを意味するのです。個人の信仰心が、神様と悪魔の戦いを象徴しているのです。だから、十字架を背負って、この世の成功や幸福に惑わされずに、死後の霊界にも通じる神様の教えや、イエス・キリストの言葉に従うことが、全人類の一人一人に求められているのです。
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