「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」 (ヨハネによる福音書 第 15 章) (Greater love has no one than this: to lay down one’s life for one’s friends. )2026/03/30 09:08

12 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
14 あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15 わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
17 これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。()

12 My command is this: Love each other as I have loved you. 13 Greater love has no one than this: to lay down one’s life for one’s friends. 14 You are my friends if you do what I command. 15 I no longer call you servants, because a servant does not know his master’s business. Instead, I have called you friends, for everything that I learned from my Father I have made known to you. 16 You did not choose me, but I chose you and appointed you so that you might go and bear fruit—fruit that will last—and so that whatever you ask in my name the Father will give you. 17 This is my command: Love each other.
+++ +++ +++
キリスト教が愛の宗教と呼ばれる理由は、イエス・キリストがこのように、人々が互に愛し合うことを命じているからです。

特に、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と、友を自分ことのように愛すべきだと教えておられる。愛するとは、相手の幸福を願い、相手を祝福し、精神的な支援をおこなうことです。

そして、イエス・キリストは弟子たちを、もはや「召し使いや僕(しもべ)」とは呼ばずに「友」と呼ぶと宣言する。つまり、イエスは友とみなした弟子たちのためにご自分の命をかける、と宣言されたのです。十字架上でのイエスの死は、ユダヤ教の司祭たちやローマ軍から彼の弟子が命を狙われないために、自分が犠牲になろうという気持ちの表れだということになる。

もし、イエスが逮捕されなければ、ユダヤ教の幹部やローマ軍は、代わりにイエスの弟子を攻撃することは明らかだったということです。イエスが冤罪でも素直に権力者たちに捕まったことで、権力者たちとの緊張は失われ、弟子たちは安全に生活を続けることができたのです。

まさに、イエス・キリストは、友とみなす弟子たちを救うために、十字架上での刑死を受け入れられたのです。

今の政治家や宗教指導者たちの、世の中のエリートで、一般市民のために、自分の命をかける人物はいない。愛するとは、まさに命がけの行為なのです。母親が子供を愛するのは。まさに、命懸けの行為であり、その立場を社会が尊重するというのが、文明社会なのです。ただし、動物でも親は本能的に子供を守ろうとする。しかし、悪魔が親に入り込めば、子供を虐待するような、動物以下の人間になる。

さらに、イエス・キリストは、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と述べて、弟子足るのに相応しい素質を持っており、善良な霊を持っている人物を特に選んで弟子にしたと述べておられる。イエス・キリストには、人を見抜く能力があり、さらに、霊的な状態も見抜かれたことになる。

そのようにして、イエス・キリストが特に選んだ弟子の中の一人が、イエス・キリストを裏切るようになったのは、悪魔の力の強さを意味している。

しかし、悪魔の計略がもたらした死から蘇ったことで、イエス・キリストは、最終的に悪魔に勝利したことを弟子たちに知らせたのです。

死後の霊界でも、イエス・キリストの霊は、悪魔の霊に打ち勝たれたのです。だから、イエス・キリストの信者は、イエス・キリストの名によって悪魔祓いを行うことができる。カトリック教会では、専門的な訓練を受けた神父たちが悪魔祓いの儀式を行うことが認めらている。

つまり、聖書とは、神様とイエス・キリストの悪魔との戦いを記したものなのです。

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