この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった (ヨハネによる福音書 第 13 章)(As soon as Judas took the bread, Satan entered into him.)2026/03/29 11:53

21 イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
22 弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。
23 弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
24 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。
25 その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、
26 イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27 この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。
28 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
29 ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。(ヨハネによる福音書 第 13 章)

21 After he had said this, Jesus was troubled in spirit and testified, “Very truly I tell you, one of you is going to betray me.”

22 His disciples stared at one another, at a loss to know which of them he meant. 23 One of them, the disciple whom Jesus loved, was reclining next to him. 24 Simon Peter motioned to this disciple and said, “Ask him which one he means.”

25 Leaning back against Jesus, he asked him, “Lord, who is it?”

26 Jesus answered, “It is the one to whom I will give this piece of bread when I have dipped it in the dish.” Then, dipping the piece of bread, he gave it to Judas, the son of Simon Iscariot. 27 As soon as Judas took the bread, Satan entered into him.

So Jesus told him, “What you are about to do, do quickly.” 28 But no one at the meal understood why Jesus said this to him. 29 Since Judas had charge of the money, some thought Jesus was telling him to buy what was needed for the festival, or to give something to the poor.
+++ +++ +++
これは、レオナルド・ダビンチが描いた「最後の晩餐」の場面の中の劇的なシーンです。

イエス・キリストを裏切るユダが、その裏切りの行動を行うために、宴会の場を出ていく情景です。新約聖書のハイライトとなる場面です。イエスは、ユダを責めたり、束縛しようとするのではなく、その裏切りの行為を知っていながら、ユダに好きなようにさせた。つまり、イエスにとって承知の上の逮捕劇だった。

特に聖書では、「サタンがユダにはいった」として、ユダがイエスを裏切ったのは、悪魔の霊がユダの心に侵入したせいだと解釈している。霊や天使、悪魔などの存在が、当時の人々にとっては、当然のこととされていた。霊の存在を認めなければ、聖書は理解できない。さもなければ、聖書は単なる作り話し、だということになる。

多くの伝統的なキリスト教会は、霊魂の永遠性や地獄での永遠の刑罰を主張しています(AI)。しかし、プロテスタント派の牧師の中には、霊魂を認めない者もいて、聖書を単なる道徳の物語りだと捉えるものもいる。それは、全くキリスト教を理解していないことになる。そういう、牧師も世の中にはいる。彼らは、目に見えるものしか信じられないのです。ただし、牧師になれば、それなりに尊敬され、教団から生活を保障されるので、牧師になろうとする人間もいる。そういう、世俗的な人間ですら、キリスト教界は使っているが、神や聖霊を信じない人間の心には、悪魔が入り込むことが多い。

従って、神様を信じずに、自分の心の中に悪魔が入り込んでいいる聖職者もいる。何十年も宗教を研究していながら、最後には、密かに神は存在しないとの結論を出す狂った聖職者もいる。

キリスト教では、イエス・キリストの物語りを記した聖書が存在し、仏教でもブッダの人生を記した経典も多いが、特に、「「ダンマパダ(真理のことば)」は、ブッダの教えの中でも重要なものとして世界中で愛読されています。これは「法句経」とも呼ばれ、人生の指針となる言葉を集めたものです(AI)」とされており、「経典は、ブッダの説法が口頭で伝えられ、彼の死後数百年の時を経てから文字に記されるようになりました。そのため、現存する多くの経典は、ブッダ本人の言葉だけでなく、後世の解釈や追記も含まれています。しかし、それぞれの伝統に共通する教えの核心は、ブッダの教えとして受け継がれています(AI)」とされている。

儒教では、「孔子の人生と思想について記された書物で経典とされているのは、『論語』です(AI)」とされており、論語は、「中国だけでなく、日本の精神文化にも大きな影響を与え、2500年以上読み継がれています(AI)」とされている。

教祖のイエス・キリストが弟子に裏切られて、命を落とすという、劇的な物語を伝えているのは聖書だけであり、悪魔との戦いの中でイエスが、いったんは悪魔に負かされて命を失うという筋は、神様と悪魔の間の霊的な戦いを理解しなければ、受け入れらない。仏教や儒教と違って、本当のキリスト教は、神様と悪魔の高いが主題になっていることを理解しなければならない。

そして、十字架上で殺害されたイエス・キリストが神様の力によって、この世に生き返り、悪魔の力に打ち勝ったという奇跡によって、弟子たちがイエス・キリストは神様の子であると認めたことが、キリスト教の出発点となっている。平和と愛の宗教と呼ばれるキリスト教は、イエス・キリストの血の上に打ち立てられた激しい宗教なのです。そして、イエス・キリストの死後も、この神様と悪魔の戦いは終わっていない。教会の中にすら、悪魔は入り込む。ましてや、他の組織、企業や役所、学校には悪魔は簡単に入り込む。だから、本当のイエス・キリストの使徒には、毎日が悪魔との戦いになる。日曜だけ教会に行けば良い、というものではない。悪魔はいつでも、どこにでもいる。

だから、カトリックでは「悪魔祓い」という職種が認められている。むしろ、「悪魔祓い」がキリスト教会の伝統的で正統な仕事なのです。

今の日本でも、悪魔が見るという霊能者もいるはずだが、キリスト教の教えを理解していなければ、悪魔と戦うことは難しい。

仏教でもブッダは悪魔と戦ったという言い伝えもあるが、そのような戦いを主題としているキリスト教の方が、悪魔と戦う人間には役に立つ。

神様を受け入れる心を持っている人間は、キリスト教を信じようが、信じていまいが、悪魔の攻撃を受けるものです。その戦いに打ち勝つには、既に、悪魔に勝ったイエス・キリストのことを学ぶのが必要です。

だから、キリスト教とは、単に死後の天国を約束する宗教ではなく、この世で悪魔との戦いに必要な教えなのです。

悪魔の力、狡猾さ、図太さ、冷酷さを人間は、聖書を読んで学ぶべきです。悪魔に打ち勝つために。

コメント

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://eeeigooffice.asablo.jp/blog/2026/03/29/9844932/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

最近の記事

<< 2026/03 >>
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

このブログについて

時事問題を英語で議論しよう

救世主イエスの言葉を学ぼう!

最近のコメント

最近のトラックバック

RSS