するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった (使徒言行録 第 12 章) (Immediately, because Herod did not give praise to God, an angel of the Lord struck him down, and he was eaten by worms and died)2026/03/19 12:23

17 ペテロは手を振って彼らを静め、主が獄から彼を連れ出して下さった次第を説明し、「このことを、ヤコブやほかの兄弟たちに伝えて下さい」と言い残して、どこかほかの所へ出て行った。
18 夜が明けると、兵卒たちの間に、ペテロはいったいどうなったのだろうと、大へんな騒ぎが起った。
19 ヘロデはペテロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえ、彼らを死刑に処するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤにくだって行って、そこに滞在した。
20 さて、ツロとシドンとの人々は、ヘロデの怒りに触れていたので、一同うちそろって王をおとずれ、王の侍従官ブラストに取りいって、和解かたを依頼した。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。
21 定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。
22 集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。
23 するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。
24 こうして、主の言はますます盛んにひろまって行った。(使徒言行録 第 12 章)

17 Peter motioned with his hand for them to be quiet and described how the Lord had brought him out of prison. “Tell James and the other brothers and sisters about this,” he said, and then he left for another place.

18 In the morning, there was no small commotion among the soldiers as to what had become of Peter. 19 After Herod had a thorough search made for him and did not find him, he cross-examined the guards and ordered that they be executed.
Then Herod went from Judea to Caesarea and stayed there. 20 He had been quarreling with the people of Tyre and Sidon; they now joined together and sought an audience with him. After securing the support of Blastus, a trusted personal servant of the king, they asked for peace, because they depended on the king’s country for their food supply.

21 On the appointed day Herod, wearing his royal robes, sat on his throne and delivered a public address to the people. 22 They shouted, “This is the voice of a god, not of a man.” 23 Immediately, because Herod did not give praise to God, an angel of the Lord struck him down, and he was eaten by worms and died.

24 But the word of God continued to spread and flourish.
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「使徒言行録(Acts of the Apostles)」は、イエス・キリストの十字架上での刑死後、聖霊に導かれた弟子たち(使徒)がエルサレムからローマへと福音を伝えていく様子を描いた歴史記録書で、ペテロやパウロの活躍、初期キリスト教教会の誕生と発展を記録しており、『ルカによる福音書』の続編として使徒ルカによって記されたと言われている。

神様の奇跡によって、ペテロが獄から解放され、ヘロデ王が神様の使いによって打たれて命を失うなど、イエスの刑死後、使徒たちの周辺では神様の霊が激しく動いており、初期教会が打ち立てられていく様が描かれている。

ユダヤ教の司祭などの幹部や、ローマ軍による弾圧にも関わらず、イエス・キリストの言葉が人々に受け入れられ、キリスト教の伝道が力強く行われたのが分かる。

この書でルカは西暦30〜60年頃の出来事を叙述している。「使徒言行録」が全28章から構成されていることを考えると、大まかに言って1章分には約1年間分の出来事が含まれていることになる。ただし、ルカは福音が世界に広がっていくさまを「一方向」すなわちエルサレムからヨーロッパへと向かう運動としてのみ記述しており、他の方向、例えば東方やアフリカや北欧への福音の伝播はこの書には記されていません。(https://www.bibletoolbox.net/ja/seisho/shitogenkouroku

いずれにしても、迫害される使徒たちを、神様は奇跡で助け、迫害する者を、時には死をもって制されたということが、この書では記録されている。

イエス・キリストの言葉を伝える側が命がけなら、彼らを攻撃する側も神様の怒りで命を失うなど、非常に激しいドラマが繰り返されていた。この状況は、西暦392年に、ローマ帝国のテオドシウス帝が、キリスト教以外の異教の祭礼や供犠を法的に禁止し、キリスト教をローマ帝国の唯一の宗教、すなわち国教とするまで続く。

なお、ローマ帝国は西と東に分裂し、西ローマ帝国は、476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスを退位させて滅亡し、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、1453年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで、西ローマ帝国滅亡後も1000年以上にわたって存続した。

西ローマ帝国の後をついだのは、世俗の王国ではなく、ローマ法王に率いられるキリスト教組織のバチカンだといえる。現在までバチカンはローマ法王の直轄地としてイタリアのローマ市内に独立国の体裁をもって存在している。東ローマ帝国の大部分は、現在、正教会やイスラム教の国となっている。

ローマのカトリック教会と、東ローマ帝国の正教会は、1054年の東西教会の分裂(大シスマ)によって分かれている。正教会は、東ヨーロッパやロシアに信者が多く、特にロシア正教会は大きな影響力を持っている。

カトリック教会は、ローマ法王(教皇)を頂点とする中央集権的なピラミッド構造を取り、正教会は各国の教会が独立して運営されており、「神のもとでは皆平等」という考え方が強い。

特に、ロシア正教会とウクライナ正教会の起源は、9世紀にビザンツ帝国からキリスト教を導入したキエフ・ルーシ大公国に遡る。さらに、1991年のウクライナ独立後、典礼をウクライナ語で行うナショナリズム色の強い教会と、モスクワ総主教庁寄りの教会との間で分裂している。

しかし、教会の歴史的出発は、この「使徒言行録」に記録されているような状況です。使徒たちの命がけの働きが、この世の宗教としてのキリスト教をもたらしたのです。

今でも、悪魔はイエス・キリストの本当の教えが人々に広まるのを妨害している。神父・牧師などは、やはり、霊的なキリスト教の普及には、命がけにならなければならない。

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