「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」 (マタイによる福音書 第 17 章) (“This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!”) ― 2026/03/18 11:56
六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。(マタイによる福音書 第 17 章)
17 After six days Jesus took with him Peter, James and John the brother of James, and led them up a high mountain by themselves.
2 There he was transfigured before them. His face shone like the sun, and his clothes became as white as the light.
3 Just then there appeared before them Moses and Elijah, talking with Jesus.
4 Peter said to Jesus, “Lord, it is good for us to be here. If you wish, I will put up three shelters—one for you, one for Moses and one for Elijah.”
5 While he was still speaking, a bright cloud covered them, and a voice from the cloud said, “This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!”
+++ +++ +++
これは、「山上の変容(変貌)」と呼ばれる情景であり、「イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネの前で神々しい姿に変わり、モーセとエリヤと語り合った出来事です。太陽のように輝くイエスに対し、雲の中から「これに聞け」という神の声が響き、イエスが神の愛する子であり、救い主であることが弟子たちに示されました」とされている。(AI)
山上で、イエス・キリストに霊的な力が働いて、旧約聖書に記述されているモーセとエリヤの霊を呼び出し、彼らと語り合ったという霊的な出来事です。このとき、霊能力の強い弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴って、彼らの霊能力も借りたと考えられる。
さらに、霊界に存する神様の声がして、弟子たちは、イエスが神様の御子であることを確認した。
これらは、霊的な事実だと考えなければ、何故、聖書に記述されているのかは理解できない。
聖書の時代には、人々はまだ霊的な現象を感知する力があり、イエスがその霊能力で次々と霊的な現象を起こしていたことが聖書に記されている。物質文明が進み、人々が物質的な現象しか認めない心になって、霊的な能力が失われたという考え方がある。これは、仏教や神道の世界でも同じであり、古代ほど人々は霊的能力が強く、宗教とは霊的な力による教えであった。しかし、物質的な文明が進み、神秘的な現象を感知する心が失われた。
しかし、今でも生まれつき霊眼が開かれている人間や、霊聴の優れた人間が生まれている。さらに、その霊的な特質によって心霊治療の能力を持って生まれてきた者もいる。彼らの霊は霊界の天使とつながり、その助けでこの世で霊的な力を発揮できる。そういう人が霊能者や超能力者として有名になる場合もある。ただし、心のレベルでの信仰心とは関係なく、心の基盤の霊的な働きによる場合は、無宗教な超能力者となる場合もある。他方、宗教的に霊的な修行をして、精神を鍛え、魂のレベルを上げて霊的な能力を持つ者もいる。いづれにしても、その人間の魂が正しい方向を向き、必要な強さで霊界の天使たちとつながって助けを得た結果だと思われる。
イエスの場合は、霊界の神様とつながったので、不可能はないという状態だった。だから、イエスがその気なれば、天から軍勢を呼んで、この世の敵であるユダヤ教の幹部やローマ軍を抑えることもできたはずです。しかし、神様が与えた運命の深いわけを理解したイエスは、無抵抗で十字架刑を受けいれた。
この神様の定めた運命の意味を理解するのが、2千年にわたるキリスト教の神学の課題になっている。
全知全能の神様が、ご自分の息子であるイエス・キリストを救うためであれば、どんな奇跡でも起こせる。狡猾で凶悪な悪魔との戦いで神様は、人々に愛と信仰の力を見せるために、暴力によってもたらされる死よりも、愛と信仰をもって死を受け入れる方が、人々の心と魂を救うものであることを示そうとされたのです。悪魔に支配された権力者と暴力で争うことではなく、愛と信仰を信じて平和を維持することの重要さを示されたのです。
実際、イエス・キリストは十字架上で殺害されたのに、イエスの教えは現在まで2千年にわたり、世界中で広まり、現在の欧米を中心とするキリスト教が人類の文化・文明の主流になっている。悪魔の企ては失敗したのです。それでも、悪魔は現在でも、神様への抵抗をやめない。人類が物質的な欲望を持つ限り、悪魔は人間社会に入り込む。人類が、霊格を高め、霊的な文明を打ち立てるまで、悪魔との戦いは続く。
例えば、貨幣経済などが廃止される日が来なければ、人類は悪魔の影響から完全に脱することはない。
だから、地球より優れた文明をもつ異星人が、地球の人類の霊的進化を期待して、地球を見守っているという考えも理解できる。
それでも、万物の創造主の神様が、地球にイエス・キリストを遣わされたということの意味は大きい。地球の人類は決して、霊的に異星人より劣っているわけではない。
宇宙時代にも、イエス・キリストの教えは生きるのであり、地球の人類はイエス・キリストの教えを伝える聖書を通して、宇宙の創造者である神様に近づくことができる。
キリスト教の神秘家の18世紀のスエーデンボルグが、星界のさまざまな霊について記述していたということも、本当の信仰は宇宙的な意味をもつことを意味している。
イエス・キリストの霊的な側面が、聖書にも表されている。聖書を読むことで、霊的理解を深めることが、人類に求められている。
2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。(マタイによる福音書 第 17 章)
17 After six days Jesus took with him Peter, James and John the brother of James, and led them up a high mountain by themselves.
2 There he was transfigured before them. His face shone like the sun, and his clothes became as white as the light.
3 Just then there appeared before them Moses and Elijah, talking with Jesus.
4 Peter said to Jesus, “Lord, it is good for us to be here. If you wish, I will put up three shelters—one for you, one for Moses and one for Elijah.”
5 While he was still speaking, a bright cloud covered them, and a voice from the cloud said, “This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!”
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これは、「山上の変容(変貌)」と呼ばれる情景であり、「イエスがペトロ、ヤコブ、ヨハネの前で神々しい姿に変わり、モーセとエリヤと語り合った出来事です。太陽のように輝くイエスに対し、雲の中から「これに聞け」という神の声が響き、イエスが神の愛する子であり、救い主であることが弟子たちに示されました」とされている。(AI)
山上で、イエス・キリストに霊的な力が働いて、旧約聖書に記述されているモーセとエリヤの霊を呼び出し、彼らと語り合ったという霊的な出来事です。このとき、霊能力の強い弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴って、彼らの霊能力も借りたと考えられる。
さらに、霊界に存する神様の声がして、弟子たちは、イエスが神様の御子であることを確認した。
これらは、霊的な事実だと考えなければ、何故、聖書に記述されているのかは理解できない。
聖書の時代には、人々はまだ霊的な現象を感知する力があり、イエスがその霊能力で次々と霊的な現象を起こしていたことが聖書に記されている。物質文明が進み、人々が物質的な現象しか認めない心になって、霊的な能力が失われたという考え方がある。これは、仏教や神道の世界でも同じであり、古代ほど人々は霊的能力が強く、宗教とは霊的な力による教えであった。しかし、物質的な文明が進み、神秘的な現象を感知する心が失われた。
しかし、今でも生まれつき霊眼が開かれている人間や、霊聴の優れた人間が生まれている。さらに、その霊的な特質によって心霊治療の能力を持って生まれてきた者もいる。彼らの霊は霊界の天使とつながり、その助けでこの世で霊的な力を発揮できる。そういう人が霊能者や超能力者として有名になる場合もある。ただし、心のレベルでの信仰心とは関係なく、心の基盤の霊的な働きによる場合は、無宗教な超能力者となる場合もある。他方、宗教的に霊的な修行をして、精神を鍛え、魂のレベルを上げて霊的な能力を持つ者もいる。いづれにしても、その人間の魂が正しい方向を向き、必要な強さで霊界の天使たちとつながって助けを得た結果だと思われる。
イエスの場合は、霊界の神様とつながったので、不可能はないという状態だった。だから、イエスがその気なれば、天から軍勢を呼んで、この世の敵であるユダヤ教の幹部やローマ軍を抑えることもできたはずです。しかし、神様が与えた運命の深いわけを理解したイエスは、無抵抗で十字架刑を受けいれた。
この神様の定めた運命の意味を理解するのが、2千年にわたるキリスト教の神学の課題になっている。
全知全能の神様が、ご自分の息子であるイエス・キリストを救うためであれば、どんな奇跡でも起こせる。狡猾で凶悪な悪魔との戦いで神様は、人々に愛と信仰の力を見せるために、暴力によってもたらされる死よりも、愛と信仰をもって死を受け入れる方が、人々の心と魂を救うものであることを示そうとされたのです。悪魔に支配された権力者と暴力で争うことではなく、愛と信仰を信じて平和を維持することの重要さを示されたのです。
実際、イエス・キリストは十字架上で殺害されたのに、イエスの教えは現在まで2千年にわたり、世界中で広まり、現在の欧米を中心とするキリスト教が人類の文化・文明の主流になっている。悪魔の企ては失敗したのです。それでも、悪魔は現在でも、神様への抵抗をやめない。人類が物質的な欲望を持つ限り、悪魔は人間社会に入り込む。人類が、霊格を高め、霊的な文明を打ち立てるまで、悪魔との戦いは続く。
例えば、貨幣経済などが廃止される日が来なければ、人類は悪魔の影響から完全に脱することはない。
だから、地球より優れた文明をもつ異星人が、地球の人類の霊的進化を期待して、地球を見守っているという考えも理解できる。
それでも、万物の創造主の神様が、地球にイエス・キリストを遣わされたということの意味は大きい。地球の人類は決して、霊的に異星人より劣っているわけではない。
宇宙時代にも、イエス・キリストの教えは生きるのであり、地球の人類はイエス・キリストの教えを伝える聖書を通して、宇宙の創造者である神様に近づくことができる。
キリスト教の神秘家の18世紀のスエーデンボルグが、星界のさまざまな霊について記述していたということも、本当の信仰は宇宙的な意味をもつことを意味している。
イエス・キリストの霊的な側面が、聖書にも表されている。聖書を読むことで、霊的理解を深めることが、人類に求められている。
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