「私の名によって願うならば、私はそれをかなえてあげよう」 ― 2025/06/15 12:35
"And I will do whatever you ask in my name, so that the Father may be glorified in the Son. You may ask me for anything in my name, and I will do it."
「私の名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。何事でもわたしの名によって願うならば、私はそれをかなえてあげよう。」(ヨハネによる福音書 14:13~14)
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この言葉は、イエス・キリストが自分の人生に終わりが近づいたことを悟った時に、弟子に与えたものです。
人は神様に願い事をするが、それは、イエス・キリストの名によって願われなければならない。
なぜなら、それは神様の栄光を現すことになるからです。
それは、イエスが神様の御子だからです。
人の願いは、イエスにつながった時に、神様によって聞かれる。神の子としての力を与えられているイエスは、そにような願い事をする人間の願いを叶える力がある。これを信じるのが、本来のキリスト教です。
つまり、願い事は自分のために叶うのではなく、神様とその子であるイエス・キリストの栄光を現すために叶うのです。そういう意識を持った人間が願う事は、イエスが神様に取り次いで実現してくれるということです。
要するに、人間がどんなに自分の欲のために神様に願っても、願いは神様に届かないが、神様の御子のイエスを通せば、願い事は叶うということです。
従って、「イエス・キリストの名によって、~という願いが叶うように祈ります」と、人間は願い事をしなければならない。
ただし、日本の神仏や仏教や神道の大霊も霊的な力を、万物の創造主の唯一、絶対の神様から与えられているので、霊的な信仰心があれば、願いが叶えられる場合もある。それは、人間の宗教にはよらないが、純粋に霊的である必要がある。だから、日本の霊能力者や超能力者が、仏教系や神道系の人間であってもおかしくない。
それでも、万物の創造主の唯一、絶対の神様と直接につなっがているキリスト教は、祈りの効果が大きい。そのような祈りは希望を生み、人に生きる力を与える。だから、イエスの死後、2千年もキリスト教は滅びずに、生き続けてきたのです。
もし、イエスの言葉が無意味なものであるなら、キリスト教は忘れ去られていたであろうし、キリスト教文化の欧米が世界の主流となることはなかったのです。
実際、現代社会の電気も、自動車も、スマホも、テレビも、ジェット機も欧米文明の延長から生じたものです。日本の江戸時代では、こういうものはなかった。現代物質文明は、欧米のキリスト教文化から生まれたものであり、現代の精神文化ですら、欧米のキリスト教文化から生まれた民主主義の言論・学問の自由から生まれたものです。日本の神仏への信仰から生まれたものではない。
だから、日本の仏教徒も、皇室崇拝主義者も、現代の物質文明を享受しているなら、キリスト教の威力を認めるべきです。
ただし、宗教の如何に拘わらず、霊的な宗教は、それなりに霊的効果があり、どの宗教も否定すべきではない。世界でさまざまな言語が使われているようなものであり、どの言語でも神や悪魔の概念を表すことができる。どの宗教でも、霊界につながり、霊界は唯一の絶対神が創造主となって造られたものであり、どの宗教を通ってでも、霊界の最高神とつながることはできる。人間の宗教という意味では、キリスト教も仏教も同一のレベルにあるが、霊界の宗教としては、キリストの教えがさらに高いレベルにある。だから、この世の仏教徒も、霊界に入れば、イエス・キリストの教えに従って、さらに霊格を高めることになる。
いずれにしても、イエスの言葉を信じれば、霊界でもこの世でも、人間の願い事はかなうのです。だから、イエスの教えは幸福をもたらす教えとして、福音と呼ばれる。その裏付けとなるのが、新約と旧約の聖書なのです。
だから、日本人も、欧米人以上に聖書に親しむべきなのです。その願いを叶えるためにも。
では、イエス・キリストの名によって、悪魔が日本から退散することを祈ろう!
「私の名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。何事でもわたしの名によって願うならば、私はそれをかなえてあげよう。」(ヨハネによる福音書 14:13~14)
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この言葉は、イエス・キリストが自分の人生に終わりが近づいたことを悟った時に、弟子に与えたものです。
人は神様に願い事をするが、それは、イエス・キリストの名によって願われなければならない。
なぜなら、それは神様の栄光を現すことになるからです。
それは、イエスが神様の御子だからです。
人の願いは、イエスにつながった時に、神様によって聞かれる。神の子としての力を与えられているイエスは、そにような願い事をする人間の願いを叶える力がある。これを信じるのが、本来のキリスト教です。
つまり、願い事は自分のために叶うのではなく、神様とその子であるイエス・キリストの栄光を現すために叶うのです。そういう意識を持った人間が願う事は、イエスが神様に取り次いで実現してくれるということです。
要するに、人間がどんなに自分の欲のために神様に願っても、願いは神様に届かないが、神様の御子のイエスを通せば、願い事は叶うということです。
従って、「イエス・キリストの名によって、~という願いが叶うように祈ります」と、人間は願い事をしなければならない。
ただし、日本の神仏や仏教や神道の大霊も霊的な力を、万物の創造主の唯一、絶対の神様から与えられているので、霊的な信仰心があれば、願いが叶えられる場合もある。それは、人間の宗教にはよらないが、純粋に霊的である必要がある。だから、日本の霊能力者や超能力者が、仏教系や神道系の人間であってもおかしくない。
それでも、万物の創造主の唯一、絶対の神様と直接につなっがているキリスト教は、祈りの効果が大きい。そのような祈りは希望を生み、人に生きる力を与える。だから、イエスの死後、2千年もキリスト教は滅びずに、生き続けてきたのです。
もし、イエスの言葉が無意味なものであるなら、キリスト教は忘れ去られていたであろうし、キリスト教文化の欧米が世界の主流となることはなかったのです。
実際、現代社会の電気も、自動車も、スマホも、テレビも、ジェット機も欧米文明の延長から生じたものです。日本の江戸時代では、こういうものはなかった。現代物質文明は、欧米のキリスト教文化から生まれたものであり、現代の精神文化ですら、欧米のキリスト教文化から生まれた民主主義の言論・学問の自由から生まれたものです。日本の神仏への信仰から生まれたものではない。
だから、日本の仏教徒も、皇室崇拝主義者も、現代の物質文明を享受しているなら、キリスト教の威力を認めるべきです。
ただし、宗教の如何に拘わらず、霊的な宗教は、それなりに霊的効果があり、どの宗教も否定すべきではない。世界でさまざまな言語が使われているようなものであり、どの言語でも神や悪魔の概念を表すことができる。どの宗教でも、霊界につながり、霊界は唯一の絶対神が創造主となって造られたものであり、どの宗教を通ってでも、霊界の最高神とつながることはできる。人間の宗教という意味では、キリスト教も仏教も同一のレベルにあるが、霊界の宗教としては、キリストの教えがさらに高いレベルにある。だから、この世の仏教徒も、霊界に入れば、イエス・キリストの教えに従って、さらに霊格を高めることになる。
いずれにしても、イエスの言葉を信じれば、霊界でもこの世でも、人間の願い事はかなうのです。だから、イエスの教えは幸福をもたらす教えとして、福音と呼ばれる。その裏付けとなるのが、新約と旧約の聖書なのです。
だから、日本人も、欧米人以上に聖書に親しむべきなのです。その願いを叶えるためにも。
では、イエス・キリストの名によって、悪魔が日本から退散することを祈ろう!
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